明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



夕方、漁師役の候補者がK本に来てくれるというので出かける。人間部門の撮影で残されているのが漁師の二人である。某町会の神輿を担ぐ若者の中から選ぼうというわけだが、一人は候補探しをお願いしていた彼に決める。初めて会ったときツラ魂は即合格であったが180センチを超える体格で、イメージからすると大正あるいは昭和初期の漁師という感じではない。しかし現在都合よく顔は良いは胴長短足だは、とそう都合良い若者が見つかるとは思えないので、やはり顔で決めることにした。 もう一人は彼の相棒のような存在らしく、撮影に際しては、その方がノリが良くなるのは間違いがない。ただ墨を入れていて、それが洋風なのが問題であるが、幸い面積が広くなさそうなので消させてもらうことにした。 ところが立ったら190センチを越えている。二人には丸太で巨大魚を担いで運んでもらうわけだが、凸凹コンビも面白いと思ってはいたが、180センチ超の彼がまさか凹の方になるとは思わなかった。おおよそ150センチクラスのイシナギを担いでもらうのだが、ぶら下った尾っぽはほとんど地擦れで、と描かれている。この二人に担がれてはイシナギもだらしなくぶら下ることになろう。かなりサイズアップを要する。 二人は幸い河童以外、他の人間と接触する場面がないので助かった。他の人物とのかねあいで、漁師も普通サイズの人として描くとしたら、ただ縮小すれば良いわけではない。190超の彼など頭が大きなオニギリ程になりかねない。かといって頭だけを大きくすれば、本人もふくめ悲しむ人もでてくるであろう。 撮影までの間に無精ひげでも、といってくれた。昔の房総の働く漁師であるから、その方が感じがでるであろう。撮影の直前に、それにそなえて床屋に行かれてしまった旅館の番頭さんの例もあるから気をつけなければならない。 フンドシ一丁になるので、撮影までに身体を鍛えるといっていた。三島由紀夫ならずとも、そういうものであろう。

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マンションの改装業者が検査で室内に入るというので、ほんの一部であるが本を段ボール箱に詰め、徹夜で片付けた。疲労困ぱいである。おかげで何故だか朝までに何度もギターを弾いてしまった。 『こんなことをしていてはいけない』。これは“こんなこと”に集中するための秘密の呪文である。私は幼い頃からこの呪文を誰にも教わらずに知っていた。遠藤周作は『何かをしなければならない時に、他の事をせずにいられない人間を怠け者という』といっている。そういわれるとそんな気もしてくる。  普段片付けないくせに、片付けないでいて恥ずかしい、という気持ちがあるところが私の駄目なところである。近所に住むオデコにへと書いてある年金暮らしの小学生は、普通の人間なら、恥ずかしさに人知れず街を出て行くであろう時にも、カナカナカナと笑っている。  チャイムが鳴るので出ると、業者が予定より二時間も早く来た。配水管の掃除をするという。「オジさん早すぎるよ」。後を見ると、作業着姿の二人の若者を引き連れており、一人はなんとも可愛らしい女の子である。こんな娘を招き入れよというのか。時間通り来てくれるよういってドアを閉め、ギターアンプのスイッチを入れる私であった。 Mさんより電話。東大で来月16日まで開催の『鴎外の書斎から-生誕150年記念 森鴎外旧蔵書展-』は私の出品作は鴎外像1点なのに、知り合いが観にいってくれている。Mさんは今赤門にいるが、入ってすぐに立っている案内の人に聞いたらそういうものはやっていない、といわれたという。まったくどいつもこいつである。それは勤め先の催しに関心のない人物と、片付けられずに下手なギターをかき鳴らす私のことである。

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先日、以前使っていたPCにつないでみたら、メールを受信した時点でカーソルが止まった。今日改めてつないでみたら今度は動く。いい加減な機械である。このマシンはうるさいし、夕焼けじみた色でとても使い物にならない。膝でコードを押さえていると元に戻るのだが、PCがそんなことで良いはずがない。 小さい押入れに設置して、一台目、二台目と使っていたが、そのままに打ち捨てた状態であった。 見ると乱歩作品が残されていて懐かしい。作業途中でそのままになっている作品もあり、ただならないことが起きて逃げ出したかのようである。初の出版に向けて制作していたわけだが、途中でこれは合わない、と作業を止めたものと思われる。『盲獣』用に趣のある風呂を撮影に茨城まで行きながら、文化財を血だらけにするわけにいかない、と断念したカットもあった。 何を考えている、という物も残っていたが、乱歩自身を登場させる私としては、実は常識人であった乱歩の人間性を考慮し、やり過ぎないように努めた。乱歩を『芋虫』にするわけにはいかない。しかし抑えることによって某かのユーモアを表現したいというのが狙いではあった。 その後出版社は潰れ、すでに絶版となっている。 そういえば20冊程救い出したのを忘れていた。当サイトで販売しようとしたら、絶版となったせいであろう。意外な値段をつけている古書サイトを見つけた。理由はどうあれ、こんな値段を付けてみようと考えた人がいて、それが存外良い値段だったので、申し訳ないような気がして遠慮していたのである。検索したら、売れたのかどうかは不明だが在庫にはないようである。近いうちに販売することにする。 出版時にも、ボクシングの4回戦ボーイのように、出版社から自分でなんとかしろ、とばかりに現物がドサリと送られてきたが、HPのおかげで思いの外はやくなくなってくれた。当時メールで注文いただいた方々のメールも保存されていて、読み返して改めて感謝した次第である。

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30年ほど前のギターアンプが届いた。申し訳ないような価格である。T千穂で会う、私より8つ年下の某運輸のSさんと最近ギター談義に花を咲かせている。そういえばアンプが壊れて何年も音を出していないなと思い、制作ばかりの毎日もどうかと思ったのである。 1980年頃だったろうか。ポリスがデビューし、良いと思いながらも私のロックは終わった気がした。時代は黒人でさえ、大学に入って始めてブルースを聴いた、などという時代になっていた。 8歳違うと聴いている音楽も違う。メタリカが好きなんだそうだが、私にはどこが良いやら判らない。逆にTレックスやエマーソン・レイク・&パーマー、ハンブル・パイを観たといっても、おととい生まれたような顔をして名前は聞いたことがあるけど。と張り合いがない。百万円のギターを所有する彼だが、「石塚さんはそうは仰いますがー」。と私のインチキ臭いビザールなギターをくさす。合板は合板の音しかしないと毎回いわれるし、私の入手したアンプは半分真空管、半分トランジスタなのだが、アンプはフルチューブじゃなけりゃ、というしコンデンサーがどうした、何がこうしたとうるさい。 しかし私は彼が強烈に発する私と同じ、“好きなくせに上達することなく死んでいく男”の鼻が曲がるような体臭をすでに嗅ぎとっている。 私のギター談義の相手として、彼こそふさわしい男だ、と選んだ理由は、ただこの一点であることを露とも知らず、楽し気に語り続ける彼であった。

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今マンションの外壁の改装中で、実にやかましい。それはともかく、室内のチェックが入るのが煩わしい。積んである諸々を片付けなければならない。 私は部屋を片付けなければならない、と思ったとたん、創作活動をしたくなり、思えば思うほど集中力が増してしまう、という奇癖を持っている。もちろん逃避行動なのだろうが、だからといって理由はともかく、集中することには違いなく、結果も集中しただけのことは得られる。 ただし今回は工事の都合なので、私の思惑は置いておかなければならない。ついでといってはいけないが、数日捜している物があり、みつからないかと期待もしている。 しかし考えてはいけないことであるが、業者が来る時間にどこかへ行ってしまう、というアイディアを打ち消せないでいる。それでも向こうは日を改めて来るだろう。こんなことを書いていないで片付けろ、という話である。 私は片付けないで済むのなら、こんなどうでも良い駄文を、まだまだ延々と書き続けることが可能である。

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数日前から、おそらくダウンロードしたソフトのせいでPCが起動しなくなった。セーフモードでも駄目である。しかたがないのでネットカフェから3日分をアップする。こんな時に限ってサブのノートも昇天。この理由はカッコ悪いので書かない。  メールが見られないのが問題であるが、不幸中の幸い、先日データのバックアップを3重に取ったばかりである。本職は粘土細工だ、とばかりに柳田國男に向かっている。 人物像の場合、肝腎なのは、その存在感であろう。“そこに居る感”は制作を始めた当初から大事にしてきたことかもしれない。柳田國男は首を抜き差しし、適当なところに置いて、その首が目に留まるたび『ぁ柳田國男』。と自分で作っておいて思うから、けっこう柳田國男なのではないだろうか。 この頭部は森鴎外と同じく、『中央公論Adagio』の表紙用に制作したものであるが、テーマが柳田に決まったときは、なんて嬉しく有難い仕事なんだ。と感謝したものである。 反対に仕事じゃなかったらこんなヤロー作るか、という人物がいたかどうかは忘れた。

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岡山より旅館の看板用の筆文字がようやく届く。初個展のDMのタイトルを書いてもらった、20年は会っていない友人に7月にお願いしたのだが、自分よりお袋のほうが上手い、と実際看板や石碑の文字を頼まれるというお母さんに書いて貰うことになったが、緊急に手術をされたとかで、ようやく届いた訳である。結果は待ったかいがあった。幼稚園から小学4年まで習字塾に通った程度の私が書かないで良かった。 イメージは田舎の老舗旅館が創業当時、地元の名士に揮毫を頼んだ、という雰囲気である。Sさんは母親が気に入ったものがなかなかできない様子だったので、自分が書いた物も送ってくれたが、何も聞かずに私が選んだのは、お母さんの書かれた文字であった。病み上がりのお母さんには、ご迷惑をおかけしてしまったが、しかしこうして書かれた文字は、複写されデジタル化され看板に合成され、網点により印刷されても、変わらずそれだけの効果を発することを私は知っている。

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本日は木場公園で区民祭りがある。たまには昼から飲もう、と友人と待ち合わせる。八丈や新島のクサヤで飲ろう、という訳である。 若いカミさんと結婚したイベント屋のSだが、カミさんと電話しているのを見ると、電話の向こうにいるのはパットン将軍か?で一部ではお馴染みである。彼はまた書くんだろう、といいながら翌日のブログを楽しみにしている節があり、それとなくネタを提供してくるのである。テーマは凡そ将軍様との日々における“男はつらいよ”に限られており、男はいかに繊細な生き物であるか、である。発端は彼の腕にある引っかき傷であった。 どうした?飼っている猫にやられたという。では聞こう。 彼はカミさんのたった一言で以来ダメになってしまったという。その一言は「できるの~?」だそうである。確かに彼の再現する声色は地の底から響いてくるかのような調子である。しかしできないのはカミさんに対してであって、彼女が仕事にでかけたあと、一人で“作業”しようとすると、何故かいつも猫が暴れだして引っ掻かれ、隣の部屋にいれてもずっとガリガリやられ、落ち着いて“作業”ができないそうである。以上。これ以降は品位が保てそうにない。 私は結婚生活がいかに良いものか、ということに関して説得力ある言葉を耳にしたことがない。しかし彼を含め、何故か過酷ともいえる状況をあえて受け入れ、むしろこんな状態がまんざら嫌いではない、という男たちの声をしばしば聞く。蟻地獄に半身埋まりながら“これで良いのだ”とつぶやく男たち。私には窺い知れない人生上の謎である。私は以前フィリピンパブで若く見える、と「苦労ガ足リナインジャナイ?」と片言でいわれて固まったことがある。彼女のいう通りなのかもしれない。  以前から食べてみたかった鮫のクサヤと母に頼まれたムロアジを買い、近くのサイゼリヤへ移動。そこへたまたま用事で近くに来ていた母から電話。ついでにクサヤを渡そうと合流。一緒に食事を摂りなどしていてSが3人でカラオケに行きましょう、といいだした。まあ酒も飲んでいるし、とタクシーで門前仲町へ。一番カラオケに慣れているのが我が母であった。 Sの歌を初めて聞いたが、子供が懸命に歌っているような妙に可愛い気のある歌い方をする。先ほど聞いた深い話とのギャップが可笑しくて彼の歌う顔を見ることできず。 

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先日東大に鴎外像を搬入し、設置していた時、立会われた職員の方から確かに「菜箸」という声を聴いた。T屋の使い古しを軍医総監閣下のサーベルに流用したことを当ブログに書いているので、どなたか読んでいただいたのであろう。T屋で散々揚げ物を揚げたり、サンマを引っくり返したりした菜箸である。そう買い換える物とも思えないから、余程使い倒した物とみえる。もちろん大分削ったから、菜箸からT屋のT屋的要素が滲み出してくることもなく、東大に飾られようとなんら問題はない。 最近は近所の方々が読んでくれているようだが、書いている方としては、そういう知っている人の顔しか浮かんでいないので、馬鹿々しい日常を恥ずかし気もなく書いているが、見ず知らずの人から菜箸などと聞くとギョッとするのである。 ワープロも触ったことがなかった私が、マニュアルを全力で放り投げ、柱に正拳突きを食らわせながら、ようやく自力でHPを作った時、よくいわれたのが、更新しないと誰も見てくれない、ということであった。作品はそう簡単にはアップできない。しかたなく始めたのが身辺雑記であったが、三日坊主で日記など続いたことがなかった私が、こうして人形作家としての神秘性を自らメチャメチャにしながら続いている。 作者自身はこの調子だが、森鴎外は展示中だし、現在あぐらをかいた私の股の間でペーパーをかけられているのは柳田國男である。作る対象が立派なら、とりあえずそれで良いということにしている。

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踊りの師匠である女房の日本髪。凡そ半分合成が終わる。あれほど気持ち悪がっていたカツラも慣れてきた。実際見ると、ワックスで固めたように硬い。白粉が着いているのが埃じみて見えるが、そんな状態なので吹いたり叩いたりして取れるというものでない。これ以上汚れないように撮影しては木製取っ手付きの箱に入れている。 髪というのは、独特の光の反射をするもので、特に撮影をするようになってからは、鉛筆で塗ったり色々試した。しかし人形単体なら問題はないが、他の“純毛との共演”の場合はそうはいかない、と気づいたのは太宰治の時である。 本来ならどん底のダメ男にしたいところであったが交通局のフリーペーパーということで、酒タバコはNGである。古今亭志ん生で入稿後に、銚子とコップを湯呑に変えさせられ懲りている。太宰の前号の吉田茂もトレードマークの葉巻が使えなかった。そこで太宰には女だ、ということで、知人の女性に登場してもらった。余談であるが実際は緑が青々としていたのを、配布時期にあわせて紅葉させている。 しかし実物の女性が横にいると、太宰の髪がいかにも粘土じみている。熟考の末、ベランダから頭を突き出し、デジカメで自分の頭を撮影して貼り付けたのは、入稿の朝であった。その後植村直己でも、周囲が純毛だらけなので、再び我が頭髪を使用したのであった。

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鴎外はフリーペーパーのために制作した作品である。背景は特集される都営地下鉄駅近辺に限られる。それはどういうことかというと、必ずしも画になる背景ばかりではないということである。この人物と駅の組み合わせで、4年間にわたり毎号頭を悩ませたわけである。 当初は人物像を作り、指定の特集場所に直接持って行って撮れば良い、と考えていたのだが、そんなことでは、時に違和感のある人物と特集場所の組み合わせで表紙として成り立たない、と気づいたのは早くも3号目の『チャップリンと日本橋を歩く』であった。なにしろチャップリンと日本橋の縁といったら、来日時に天ぷら屋で、エビの天ぷらを何十本だかを食べた。ただそれだけである。その天ぷら屋が残っていればまだしも、廃業してしまっていた。そこでせめて画として面白くしようと背景を撮影して、それに合わせて造形することを始めたわけである。おかげで以後、展示ができない人物像が増えていくことになる。 鴎外の場合は、ただ普通に文豪とするのは面白くない。小石川植物園内に移築されている、鴎外が卒業した医科学校を背景に、陸軍軍医のトップ、軍医総監姿で立たせようと考えた。見切り発車で始めたが、結局使用許可は下りなかった。理由は前例がない。ということなのだが、前例がないことばかりをし続けなければならない私は、しばしばこれに悩まされることになる。 私の思惑とすると、文豪にベルサイユの薔薇みたいな格好させたら面白かろう、と企んだのだが、偉い人を、偉い人だと判らせる目的で作られた服である。結局偉い人になった。 これから約一ヶ月。東大内に立ち続ける訳だが、ウチに居るより間違いなく立派に見える。

 

『鴎外の書斎から-生誕150年記念 森鴎外旧蔵書展-』10/18~11/16(東京大学 附属図書館)

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妄想  


入手した日本髪のカツラは、おそらく貸衣装屋あたりから出た高島田である。花嫁用の、もちろん独身者用なわけで、実際は40くらいの女房の丸髷に加工しなくてはならない。一般の花嫁が使う高島田に対して、丸髷の需要が少ないのは当然で、手頃な中古となると高島田を選ぶしかない。 撮影時には、日本髪について調べている余裕もなく、あとで合成することに決めていた。気持ち悪いだなんだ、といいながら、櫛、笄など入手したこともあり、合成を始めている。それにしても自分が始めたこととはいえ、島田と丸髷の違い、笄の使い方、使われる布は手柄という、等々、いちいち知らないことばかりで大変である。それに素人と玄人の違い、年齢、身分により様々だ、というのだから、私がこの件を後回しにしていたのは、人毛のカツラの薄気味悪さだけではないのである。 しかしこんな物を入手し、着物に関してお世話いただける方が近所にいるとなると、妙な虫が湧いてくるのを抑え難い。もちろん当初考えていた鏡花の『高野聖』も良いが、乱歩、鏡花、と来たら谷崎である。その他、伊藤晴雨であんな場面やこんな場面を作らなければ殺す、と脅迫されたなら、しかたなく?作るであろう。 手持ちの私家版には、日本髪が徐々に崩れていく様子を描いた付録が付いている。いやこんな妄想している場合ではない。まずは鏡花作品を完成させなければならない。いやその前に森鴎外の仕上げをしなければならない。

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江東区古石場文化センターには小津安二郎の生誕地ということで、小津コーナーがあり、小津ファンの深川探索の拠点となっている。ここに小津像を収蔵頂いているが、専用ケースを設置したというので記念に写真を撮る。  『貝の穴に河童の居る事』は残る人間部門の撮影が、若い漁師の二人組である。冒頭に登場する大事な役割で、キレのある筋肉質の若者が欲しい。つてを頼って湘南のライフセーバーの中から、と考えたが、海水浴シーズンも終わり、散り々なようで難しい。そこで考えたのが、地元深川の神輿を担ぐ若者である。フンドシ姿はお手のものであろう。某町会の青年部の一人を紹介してもらいお願いした。人材はいくらでもおり、本物の漁師もいるくらいで、リアルな登場人物が期待できそうである。  先日ブログで、失敗した話を自ら細かく解説する必要はない。と書いた。しかしこれだけの事態に陥り、しかし回避したとなれば、口も軽くなろう。 バックアップ用の外付けハードディスクが起動する前に電源がすぐ落ちるようになってしまった。もちろん制作中の作品は充分バックアップを取りながら作業をしているが、パソコン本体が一杯で、ほとんどをこれに移し、つい河童にかまけて、バックアップを取ることをサボっていた。完成してしばらく経った作品に対して扱いが冷たい私ではあるが、過去のアナログ作品以降のデータがほとんど入っており、いずれ選んでオイルプリント化しようと考えていたので、もういいや、というわけにはいかない。メーカーでは修理する場合、データを消すので、中身を救い出さないとならないが、この料金がバカに高い。 ところが万策尽きたところでコンセントを挿し直したら動いた。触らないようにして即座にハードディスクを購入し、ソロリソロリと、まず昨年の三島作品から最後は江戸川乱歩作品と無事移し、懲りて以後3重のバックアップを取ることに。

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踊りの師匠である女房に合成する日本髪のカツラを出してきた。近々べっ甲製の櫛や笄などが届く。ここまで来たらもうしかたがない。なんとなくベランダに出して陽に当てた。紫外線を当てて人毛の薄気味悪さを少しでも軽減したい。しかし改めて見ると人毛の気味悪さより、額縁だけで肝心の顔がないことが不気味なのであろう。後ろ向きに置いてみたが、それはそれでまた妙なものである。  鴎外像は09年、締切も迫り、どうせ写さないから、と足首から下の部分を作っていなかったので、改めて制作している。右肩にある飾緒という編んだ紐だが、これは三つ編みにしなければならいが、私はまったくこの手の作業が苦手で、T屋にかけこみ、かみさんにお願いした。娘が三人いるので得意だろうと思ったら、あっという間に編みあがった。この時カウンターにいて、かみさんに紐の一方を持たされていたのが、定年を間近に控えたKさんであった。私はまだこのカワウソの皮を被ったマムシの正体を知らず、ただニコニコした小さなオジさんだと思っていたので「すいません」。くらいのことはいったかもしれない。今だったら「ニヤニヤしてかみさん見てないで、ちゃんと持ってよ」。というところである。 腰に下げたサーベルは儀礼用で細い。へたな材料では簡単に折れるだろう。そこで思いついたのが菜箸である。ついでにT屋の使い古しの菜箸をもらって帰り、削ってサーベルを作った。つまり10月18日から11月16日の間、東京大学でT屋の菜箸が展示されることになってしまった。

『鴎外の書斎から-生誕150年記念 森鴎外旧蔵書展-』10/18~11/16(東京大学 附属図書館)

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御茶ノ水で材料を買ったついでに、古いギターから抜けたストラップピンとストラップを買う。ストラップはどうしても革製の昔ながらのタイプを選んでしまうが、今回は黒ではなくキャメルカラーを選んだ。 Kさんの運送会社の若い後輩で、Kさんに向かって“荷物運んでた人がお荷物になってどうする!”とKさんの墓碑銘にしたいような名台詞を吐いたSさんだが、最近エレキギターを8本持っていることを知った。中には100万円の物もあるという。私も本数は同じく8本であるが、こちらはカワイだビクターだグヤトーンだ、といわゆる古いビザールな物がほとんどで、まともといえば、実はまともではない70年代のグレコの成毛滋モデルという有様である。 彼はギターの材にこだわり、合板ばかりのギターを所有する私に対し(中にはラワン材という今では考えられない物も含む)合板は合板の音しかしない、とぬかすのである。だが聞いてみると、100万のギターは飾っているだけのようであるし、指先にはギターを弾いている痕跡がない。どうも私と同じ匂いがする。つまり、好きなくせに上達することなく死んでいくであろう男の匂いである。これは友として語るに足る男なのではないか? ギターと友といえば、昨日久しぶりに、夜勤明けだという高校時代の友人から電話があった。彼は精神科の医者で20本近く所有している。とくに凄いのは自作のダブルネックのギターで、ボディにはカタシロつまりヒトガタが埋め込まれている。あまりなことに、なんでそんなことをする!と聞けなかった。 彼は高校時代から周りの空気が読めないこと甚だしく、彼が入ってくるとシラケるのでシラケの○○と呼ばれていた。しかしその代わりに、まさにその代わりに、患者とは波長が合い、担当患者の自殺率の低さは圧倒的らしい。さすが私の自慢の友である。

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