明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



作家シリーズの初期は人形を片手で捧げ持ち、片手に人形をもって街中を撮影して回ったものである。国定忠次のような形から『名月赤城山撮法』と呼んでいた。背後を歩く人は、自分まで写るとは思わないので、作家の背後に自然な姿で写りこんでくれる。私のラインナップの中では永井荷風と寺山修司が街歩きの両巨頭で、どこに持って行っていっても画になる。未だにあの方法はとらないのか、といわれるが、この撮法は、人形がレンズの近くにあるから人間大に見えるだけなので、常に被写体が最前に配されることになる。江戸川乱歩で本を作った時から合成を駆使することになった。どのページも江戸川乱歩や怪人二十面相が手前にいるようでは物語が進行させられない。 その後都営地下鉄のフリーペーパー『中央公論アダージョ』の表紙制作が隔月で4年続いた。これは有名人を都営地下鉄沿線に立たせるという趣向であったが、後発の鉄道ということもあり、名所など画になる場所は少なく、毎号誰がどこを歩くというお題に一喜一憂したものである。といっても一喜は少なく、頓知まで効かせないと、そこには立たせられないことが多かった。たとえば『三島由紀夫と馬込を歩く」では、行ってみると三島的なのは三島邸の邸内だけで、馬込に三島を立たせて画になる景色は皆無であった。たまたま山本キッドのジムが開かれるという情報が耳に残っており提案した。結果的に怪我で出場しなかったが、山本選手の復帰戦が、配布直後に決まっていたのも絶好と思われたが、了承を得るために時間がかかり、背景に合わせて造形するので時間的にスリル満点であった。 未だからいえるが、これは某所に突入した三島と楯の会のメンバーをイメージしたものであり、山本選手からセコンドの数が一人多いという至極当然な指摘を受けたが、人数を減らす訳にいかない私は、道場破りに対している設定で。とお願いした。おかげで編集長が反対側のコーナーでファイテイングポーズを取らされセコンドに睨まれることになった。 こうして毎号切り抜けて来たが、たとえば十字架のポーズでグローブをはめた三島は、この背景ありきの姿であり、展示ができる訳でもないので、身体の部分は処分してしまった。アダージョ以降、そんな展示できない状態の作品ばかりになってしまったのだが、このあたりで全部完成させ、すべて展示してしまうのはどうだろうか?ということを考えている。ただそれを書くために話が長くなってしまった。

過去の雑記

HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 ここのところ自分の辞書に乗っていない事柄に対する対応で知恵熱が出そうである。周囲のちゃんとした辞書を持っていそうな友人知人に相談することになるが、私の辞書がどれだけ片寄り、欠落ページがあるか知られているせいもあり、実に親身に対していただいている。これはもう有り難いとしかいいようがない。 改めて考えてみると私の周囲には、人形を作っている人間はもとより、おかしな辞書をたずさえ、奇妙なことに関わっている人間は皆無である。この場合、そんな人達の中に、私が一人混ざっているというのが正しいだろう。私にとって人との付き合いというのは、自分との違いにこそ、その醍醐味、面白さがある。違和感さえ味わいの一つである。その結果がこういうことになったのであろう。確かに私と同じような人間がいたとして、そんな奴はまっぴらである。エドガー・ポーの小説に、同姓同名の自分にそっくりな男に、子供の頃からつきまとわれ、最後は殺してしまう『ウィリアム・ウィリアムソン』という短編がある。 夜、いつものトラックドライバー2人と森下文化センターの音楽スタジオへ。予定が変更になり、大きな音で気分転換もいいだろう、と出かけた。下手も下手なりに様になってきたような気がする。ボーカルを担当する予定であるYさんは、ギターを弾きながら歌えないという欠点を克服中であるが、ドラムもいないし、なんだかスカスカではある。 今回は4時間借りたのだが妙に疲れた。Yさんの奥さんの誕生日ということもあり、早めに切り上げ打ち上げ。雪においてのトラックの対処のしかたに始まり愉快に過ごしたのだが、赤ん坊はコウノトリが運んで来るのはおかしいと気づいたのが中学生の時だった、という話を聞いた。私はこんなとんでもなくトンチキな、いや純な人間にまで囲まれているのだなあと妙に感心したのであった。

過去の雑記

HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




長く作っていたジャズ/ブルースシリーズの最後の個展から、作家シリーズには一年で転向した。やれることはやれる時にやっておくべきだ、と父の病気を機に考えた。その時は幸い父は退院してきたが以後個展を続けた。最後となったジャズ/ブルースの個展と最初の作家シリーズの個展は、よく二年の間にこれだけ制作できたな、と未だに思う。個展のタイトルを、乱歩が好んで色紙に書いた『夜の夢こそまこと』を使いたく、乱歩のご令息平井隆太郎先生に使用の許可をいただいた。 作家シリーズで最初に作ったのが澁澤龍彦で、次が乱歩か谷崎のどちらかだったと思う。それまで頑丈な体格の黒人ばかり作っていたので、華奢な澁澤は、なんど胴回りを削り、脚を切断したことであろう。本人にお会いした方に見せると、もっと華奢だ、華奢だといわれたものである。 当時はパソコンに触ったこともなく、当然合成は一切使っていない。妖精のように植物の陰に潜ませたり、オウム貝に乗せて空を飛ばせたりしたかったことと、最初の日本人で、しかも作家。少々おっかなびっくり作っていたので、今見ると30センチないほどの大きさで、他の作家と並べて展示するにもバランスが悪く、展示する機会は少なかった。持ち運びは当然楽で、後に澁澤邸の書斎で撮影できたのは良い想い出である。 パイプの煙を描き足し、拙著の表紙を飾った。背後のクラナッハのヌードを模した物は、クラナッハの画を再現してみたら、メチャクチャな造形になり、一方向からしか撮影できない物になったが、これがきっかけで、一方向から撮影するための造形を試みるようになった。これは全方向的な造形では生み出せない撮影効果がでる。 作家シリーズ第一作の澁澤は、そんな訳で想い出深い作品ではあったが、展示するつもりもなく、展示する機会があるなら作りなおそうと思っていたが、拙著を見てくれた方が是非に、ということで嫁いでいくことがきまった。

過去の雑記

HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




エレベーターのスイッチの脇に鏡が貼付けてある。工務店のSさんが、これがあると悪戯描きがなくなる、とTVで見たらしく、マンションに進言して貼付けたという。ガラスでなく割れない素材である。Sさんが「いいだろ?」というから、「こんな所に鏡があったら、飲んで帰って自分と目が合うから、ちっとも良くないよ」。と話した覚えがある。 昼間出先から帰ってフと見たら、アゴ髭に白髪が6本ほど生えている。密生して生えている髭ではないから妙に目立つ。二年ほど前から2、3本生えることがあって、見つけると抜いていたが、急に増えていて驚いた。そう思うと、ここ1週間ばかり色々なことが起こり、あれが心労というものだったのか、と思えば思えなくもない。 近所に住む83、4のMちゃんという人は、どこまでも元気で、その年で“実用的”な薬をいつもポケットに忍ばせている、という噂である。理由は特にないようだが、一晩で毛が抜けてしまい、残った毛も一週間で完全な白髪頭になってしまった。恐怖で一晩で白髪になる、という小説はあるが、どうも近いことは起こるらしい。 抜けた毛髪の中に、白と黒のツートーンの物があると、こうやって徐々に白髪に代わって行くのか、と思うのだが、短期間で急に増えたところを見ると、全体が同時に白髪化するようにも思える。とどうでも良いことを書いて来て、自分が気づかなかっただけではないのか?という気がして来た。傍から見れば以前から生えていたのかもしれない。そもそも己の顔をしげしげと眺めることはないし、洗面所で歯を磨いていても、意識的に鏡の中にピントを合わせないようにしている気がする。見ればフィリピンパブのフィリピーナにカタコトで「苦労ガ足リナインジャナイ?」と己が面相を評されたことを思い出すだけである。

過去の雑記

HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




早朝ゴミを出すため玄関を出ると、工事用のクレーンの先の部分が、私が立っている6階部分とおおよそ同じ高さで、数十メートル先にぶら下がっていた。ゴミを出し、家に戻ってカメラを持って来て撮影した。 三島由紀夫が様々な状態で死んでいるところを制作した、三島由紀夫へのオマージュ“男の死” では、クレーンの先にブラ下がって死んでいる所も考えたのだが、東映の『仁義なき戦い』でこんなポスターがあったな、と気づいて止めたのだったが、ここまで絶好の位置にぶら下がっていると撮らずにはいられない。未発表の三島が演じ篠山紀信が撮影した『男の死』では、体操選手が吊り輪に片手でぶら下がって射殺されている、というカットがあるそうだが、三島自身発案のシーンだろうが、本人がやるから面白いので、作り物ではクレーンに数十メートルの高さでぶら下がっているぐらいでないと画にならない。 夜K本に行くと真っ黒い、いかにも新製品な大きな冷蔵庫が存在感とともに違和感を放っていた。古色が着いた店内では相当浮いてしまっている。今まで磁石で告知のチラシ等貼っていたのだが、ドアの素材が樹脂らしく、磁石が付かないのでチラシやポスターで埋めるわけにもいかない。ドアを開けると近未来的なブルーの殺菌灯のような光が、女将さんを照らす始末である。女将さん自体も戸惑っている様子で、動きがぎこちない。こればかりは慣れるよりしかたがないのであろう。 K本の酎ハイ用のレモンは、小型の手榴弾のような容器に入ったポッカレモンである。一時期は薄切りのレモンに代わったが、いつからかこれに戻った。これを取りに目の前に来たK2さんが、何やらそぐわない香りを発している。キャラクターからして、妙な香りを身体に擦り付けて歩くような人ではないので聞くと、柔軟剤の匂いだという。しかし私にはこんな癖があり、主張が強い柔軟剤があるとは思えない。本人は奥さんのいう柔軟剤、を鵜呑みしているようだが、奥さんが仕込んだ“虫除け”だと私は思う。 K2さんには日頃制作のことばかりのブログはつまらない、といわれているのでこんなことを書いてみました。

過去の雑記

HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




どこかで本を読もうと家を出ると、K本が戸を全開にし、おなじみのモスグリーンの大型冷蔵庫が外に出ていた。冷えなくなったと聞いていたがついにご臨終とのこと。30年近く冷やし続け、氷の入っていない、正調のホッピーや酎ハイを支えてきたわけである。新しい冷蔵庫は背が高くなるらしい。それは女将さんの覚悟のように思われ、決意表明とも思えた。その冷蔵庫が女将さんの引退を遅らせることになるだろう。 本を読むなら多少ワサワサしていた方が良い。かといってコーヒーはミルクを多めに入れないと飲めないので、結局サイゼリアでワインを。一人飲みはどうしてもピッチが早くなる。 そろそろ制作を開始する作家の、この短編を始めて読んだのは中学の時であろう。私は文学作品を読んでも、文章として記憶することは全くなく、画として記憶している。むしろ文章は覚えられないといっても良いであろう。そういえば歌詞を覚えている曲もないし。 小学校の時だったろう。日光に遠足に行った時、始めて来たのにその風景を知っているという不思議な体験をしたが、それはドイルの『失われた世界』を読んで頭に浮かんだ景色であった、と後に気づいた。今日も似たような気分になった。窓から外を眺めていたら奇妙な生き物が山を下りて来る。そんな画が記憶の奥にあったのだが、それは実際に体験したわけではなく、昔読んだこの作品だと気がついた。奇妙というだけで、どんな生き物かは覚えていなかったし、オチも覚えていなかったが。実際に視た風景であろうと頭に浮かんだ風景であろうと、頭の中に在ることはに違いはなく、同等である。 横のテーブルの女性2人の間で、私のピッチの早さが密かに話題になっている気配を感じた頃、斜め読みになり始める。そこへMさんより一杯どうか、とのお誘いのメールが着た。すでに佳境に入っていたが、私の場合江川のボールのように、ここからホップするので、指定のインド料理屋へ。奥さんとも久しぶりにお会いし楽しく過ごした。しかし帰宅しても私の快速球は収まらず、ホップし過ぎて暴投となり、おかげでオリンピック見過ごす。

過去の雑記

HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




最近は寒いこともあり、夕食に限らず鍋を連発している。その分炭水化物を食べる量が減るのは良いが、ただ鍋を食べるのが“もったいない”と、つい飲んでしまう。この日本人のもったいないという精神は、世界にも浸透しつつあるらしい。誇らしいことである。 鍋には高野豆腐を入れる。もともと好物でもあるが、ただの豆腐と違い買い置きできるのが良い。先日の深夜、スーパーで仕事を終わったO田のYちゃんと顔を合わせた。高野豆腐を買うというと「水から戻して?へえ凄いね」。といわれてついウンといってしまった。彼女が頭に描いたのは、上品に煮含められた高野豆腐であろうが、実際はただ手で割って鍋に放り込むだけである。もっとも煮立ったところに入れず、水から始めるから、まんざらウソというわけではないだろう。 保存食といえば、先日Hさんにいただいた誕生日のプレゼントのサバの水煮缶詰が入った紙袋には、他にもアルファ米の、お湯を入れるだけで食べられるご飯やら、災害時の保存用クラッカーが入っていた。クラッカーは災害前に食べてしまったが。 以前、玄関の前で自転車を磨いていて、部屋に入ったところで自転車が倒れ、部屋に閉じ込められたことがある。あの時のことがHさんの頭にあったのかもしれない。しかたなく当時階下に住んでいたYさんに助けてもらった。あんな馬鹿なことは2回まではともかく、いくらなんでもさすがに3回目はないだろう。助けてくれたYさんは極度の便秘症で、ある日トイレで万事休すとなり、逆に私に助けを求めるところだったと聞いた。ちなみにYさんは最近還暦を迎えた男性である。当時私がYさんから“掻き出し”ているところをイメージし、笑いながらも冗談じゃない、と腹の中で思ったものであるが、何かのおり、その話になり、単に便秘薬を買って来てもらおうとしただけだったことを知り、過ぎたこととはいえホッとしたのであった。

過去の雑記

HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


一日  


午前中に野暮用を済ませ、午後、森下文化センターのスタジオへ。ギターを2本持って行くのでタクシー乗り場へ向かう。向こうから80過ぎて昨年胃を全摘したSさん。ようやく会えた。痩せたと聞いていたが、いわれなければ判らない。「岩崎宏美さんがSさん心配して。また福耳触りたいってさ」。坂上二郎とまったく同じ声で喜んでいた。 30分くらいかかってようやくタクシーを拾う。トラックドライバーの2人と合流。2人ともマスクをしているが、特にSさんは咳もでている。これは申し訳ないことをした。 昨日T千穂のカウンター。吹雪だというのに物付きな独身どもが並んだ。私は近いからまだしも、Kさんは河童が合羽着て長靴である。そして鼻水が止まらない。そうまでして出て来るな、という話である。60過ぎて鼻水がよく似合うが、それを拭いたお手拭きを3枚も積んでいる。Sさんと話していたMさんが帰ったので、Sさんが席を移動して隣に来た。女将さんお手製のカレーをいただく。実に美味しいが辛い。汗が出る。Sさん目の前にあるお手拭きで顔をゴシゴシ拭く。気がついた時には遅かった。「Sさんゴメン。昨日もう少し早く気がつけば良かった」。「顔が嬉しそうじゃないですか」。Kさんの鼻水を顔中に擦り込んだ男がいう。我々の音楽レベルに見合った会話をしつつ練習。 私は先日、某編集者と区の文化施設でない本格的な貸しスタジオに始めて入った。編集者は大学時代からバンド活動をしていて慣れている。そこでスタジオという物はこんな大きな音を出すものなのか、と始めて知った。そう思うと我々は家で小さな音でずっとやっていたので貧乏臭い。いつも以上の大きな音を出した。 先日修理してもらったギターも快調。自分でコンデンサを取っ替え引っ換えしているギターも音の違いが良く判った。以前は、下手過ぎてどうしてよいか判らず、三すくみのような状態が続いたが、いつになくスムースに練習をし、打ち上げを済ませ帰宅。Kさんに「風邪どうなった?」メールしてみると「すっかり良くなった」。予想通りの答えが返ってきた。

過去の雑記

HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




出がけにポストに届いていた資料を持ってお茶の水へ材料を買いに行く。資料を読んでいると、グロテスクなイメージが湧いて来た。私はいたって健康そのものなのに、著者がこんな不健康なこと書いているから作ったのである。とまた著者のせいにしよう。先日は当ブログで、“作中殺された女の死体があったとして、それが腐敗していると書いてあったら腐敗させなければならないだろうか”と一応悩んで見せておいた。 お茶の水。後ろから追いかけてくる靴音。学生特有の物である。そういえば社会人になるとこういう音はさせないな、と思った。材料を買い、楽器店にギターのパーツを買いに行く。店員が古そうなフェンダージャガーの調整をしている。冴えない音である。私の出自不明のテレキャスターの方が音が良いではないか。この店員。態度が悪い。高校生に混じってパーツを選んでいること自体、居心地が悪いのだから、もう少し優しく対応すべきである。ついこんな物に興味はないが、甥っ子に頼まれて来た的な演技プランでいってしまったではないか。 そこに母からメール。これからK本に向かうという。買い物を済ませ帰る。 K本には母が先に来て常連席に座っていた。かねてからの打ち合わせ通り、しっかりした母と親不孝息子的演技プラン開始。なにしろ数十年かけて練られたプランなので、端から見るとさぞかしリアルであろう。母にはホッピーだけで焼酎はなし。ホッピーもいくらかはアルコールが入っている。おでんに煮込み。煮込みをおかわりする母。 中央区は湊町、かつての佃の渡しのすぐそばで生まれた母は、大空襲直後の悲惨な永代通りを見ているので、昔はあまり良い気持ちがしない、といっていたが、皆さんが優しくしてくれるので、ついこちらに来たがる。はす向かいにあるフジクラは、戦中、勤労動員で同級生が来ていたという。母もこちらに来たかったが、なんとかベニヤに回された、といっていた。 K本には電池で動く猫が置いてある。これは母が誰かからもらったものだが、要らないというので私が持って来た。女将さんが久しぶりに動かしてくれた。「アラ可愛い」。気持ち悪いから要らないっていってたんじゃないの? その後T屋へ移動。皆さんも流れて来てくれた。有り難いことである。

過去の雑記

HOME

 



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




アクセサリーを作っているHは、私と誕生日が二日違いなので、自分がいくつになったか判らなくなった場合、聞くには丁度良い友人である。ただでさえ数字が頭に入りにくい体質のところへもってきて、興味がない場合、まったく頭の中に定着しない。人形を作るに差し障りさえなければ問題はないが。 今日はそんな問い合わせをしたわけではなかったが、メールでHが保険の見直しで80歳まで延長したと聞いた。好きなことも、やらなければならない、となればちょっと気分が違って来るだろう。あくびをしているうちに1週間くらいあっという間の今日この頃である。気絶でもしていたのではないか、と思うくらいである。よって老人には盆栽が日々ニョキニョキ生えているように見えるので、あんなことができるのだ、と今となれば良く判る。しかしさすがに80は遠い。 K本へ。常連席の唯一の女性Hさんから誕生日プレゼントを頂く。『サバの水煮缶詰』。最近ではないようであるが、やはりサバの水煮は良い、とTVでやっていたらしい。飽きっぽい日本人のこと。誰かがダイエットにトイレットペーパーが良い、といえばそちらに行くことであろう。 K2さんとT千穂へ流れ座敷に上がると、後からマンモスT、モアイK、氷川君ことMさんが合流。誕生日に誰かがわざとキャステイングしたかのようなメンツである。どうせ目出度くもなんともないのであれば、いっそ清々しいというものである。ただK本で珍しく隣の女性客と話し込み、ホッピーの瓶を並べたマンモスTが、特大の麻酔弾を撃ち込まれたかのように、早々に堕つ。その寝顔を正面に見ながら飲むはめになる。どうせ目出度くないのなら、といいたいところであるが、目出度くないにも程があるというものであろう。

過去の雑記

HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




良く判らなかった場面の設定が、少しずつ解明されて来た。泉鏡花でも判らないことは多かったが、所詮日本の話、なんとかなった。しかし海外作品であるから、その物自体が、日本にないものだったり、なにかとやっかいである。そうこうしていて少々ムズムズ始まった。 昨年暮れの某銀行の会員向け冊子用のデフォルメされた人物を制作して以来、粘土に触っていない。依頼された作品であれば悠長なことはいっていられないが、もう少し助走距離を取りたい。最初に頭部から作り始めるのだが、頭部の制作に関しては、現実には居もしない河童の頭を別にすれば、辛いばかりで楽しい事など一つもない。特に最初に粘土を一掴みする時の、“ホントに作れるんだろうか?”感は、長年作っていようと毎回同じように襲って来る。そこで、充分腹を空かせ、もう我慢できない。作れるかどうかなんてことは後で考えるよ!と獲物に被りつくように始めるのが、一番良いのである。 5時に千葉県の稲毛へ。『ソングバード』の遠藤さんに修理をお願いしていたギターを受け取りにモツ焼きの『八角』へ。そもそもプロに修理をお願いするようなギターではないのだが、ヤフオクで落札し、到着した時点でまともな音が出ず、瀕死状態の恨みがましい有様を見て、なんだか中学生以来、飽きてしまって分解して壊したり、放ったらかしにしてきたギターが化けて出たように思え、なんとか使えるようにしたかったのである。 乾杯の後、前回同様、まず健康面についての話題。オジさん同士の、女性の前では少々はばかれる話題をひとしきりしたところで、先日写真の個展に伺った白石ちえこさんが合流。お二人とは同時に知り合ったのだが、私が黒人のブルース、ジャズシリーズから作家シリーズに転向する頃であるから1997、8年であろう。計算しようとして、今は2010年代か2020年代か迷う。私は社会人のフリをしているだけなのであった。 それはともかく。鯨の話から漫画や写真の話等、楽しく盛り上がった。今日も遠藤さんが、一線のカメラマンからギター製作に転向したあたりの、おそらくダイナミックな話を伺おうとして本日もそこにまで至らず。『海に沈んだ街』(三崎亜季写真/写真白石ちえこ)本日発売。

過去の雑記

HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




午前中打ち合わせの後、ヨーカドーで買い物。たまに食べたくなるのが、サバの水煮の缶詰である。しかし缶詰は沢山積んであり、味噌煮や味付けはあるが水煮だけがない。缶詰ならでは、という意味ではサバの水煮は缶詰の名作中の名作であろう。近くのコンビ二2軒にもない。最近TVをほとんど見ないが、誰かがダイエットに良いとでもいったのだろうか?他の缶詰があってサバの水煮がない。これは有り得ないだろう。結局4軒目でようやく。白菜とともに鍋にして昼食。美人ばかりのクリニックで一日3食食べるようにいわれている。3食を実現するためには、腹が減ってもいないのに朝食べないとならない。それがどうも抵抗がある。どう考えても以来体重が増えているし。よって一食は鍋にして野菜を多めに食べている。 これから制作に入る作家は外国人なので、出てくる物が一体どんな物なのか判らない場合が結構ある。泉鏡花でもあったが、所詮日本人。なんとかなったが、こちらはそうはいかない。原書が必要となるのだろうか。 遅くにT千穂へ行くとMさんとM未亡人。かなり出来上がっている。なんだかんだ話していると、大手ゼネコンを数年前に定年のMさんに、舞台経験のあるM未亡人が、Mさんがシェークスピア面白いかもしれない。とシェークスピア関連の集いに誘っていた。Mさん「俺はなんでもやっちゃうよ」。確かにそう約束していた。どうせ忘れてしまうだろうから、このブログを読んで思い出していただこう。明日、たまたまレミゼの舞台俳優に会うというから、相談してみても良いでしょう。 「俺はなんでもやっちゃうよ」。おそらくMさんはそういって、サラリーマン時代、難題に立ち向かう破目に、いや数々の難題をこなしてきたことが良く解った。私の『貝の穴に河童の居る事』(風涛社)に出演することにもなってしまったし。

過去の雑記

HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




たとえば作中殺された女の死体があったとして、それが腐敗していると書いてあったら腐敗させなければならないだろうか。 三島由紀夫へのオマージュで神風連の乱での自決のシーンを制作した時。これはそもそも、様々な状態で死んでいる所を作ったら三島は喜ぶだろうというのが発想である。当人の“趣味”からしたら、『憂国』の撮影時のように、もっと内臓と血を!というところであろう。三島にならって豚のモツを使ってみたものの、つい自己規制してしまった。こんなことを描いていてさえ、手段が写真となると生々しくなってしまう。
今日は家で鍋をつつきながら大映映画など観ることにした。買い物をして、ちょっとK本に寄り、最近のブログはつまらないなどといわれて帰る。(ご近所向けブログではないのである) 市川雷蔵主演の『眠狂四郎』シリーズ。 歩いていると夫の仇討ちを果たそうとしている中村玉緒。雷蔵に助太刀を頼むが、関係ないと断る。しかし玉緒の「何でもお望みの物を」の一言で気が変わる現金な雷蔵。約束を果たしてもらおうと待ち合わせ場所に行くと、襖の奥に、すでに布団が用意されているのが見える。「床急ぎか。手回しのいいことだ」(一度はいってみたいセリフにランクイン)しかしそう見せかけておいて、約束したのにかかわらず卑怯千万?な玉緒。短刀で雷蔵に襲いかかる。当然やり返され「約束は果たしていただこう。女を犯すことは慣れている男だと観念されるがいい。」「お前のような女を見ると俺のひねくれた無頼の欲情がそそられる」。「愛撫のさなかに殺すつもりなら俺が先に殺す。明日になればお前には興味がない。明日は他人だ」。しかしたった今短刀を振り回していたのに、何故か雷蔵の肩にしがみつく玉緒。こんなシーンは子供に大いに謎と誤解を与えたものである。いや未だに謎のままであるけれども。

過去の雑記

HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )