明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



渡辺温全集『アンドロギュノスの裔 』(創元推理文庫)が発売になった。表紙もなかなかカッコが良い。

高輪のギャラリーオキュルスで2011年9月22日(木)~10月2日(日)渡辺温オマージュ展《アンドロギュノスの裔》 が開催される。
参加作家、 石塚公昭 岩佐なを 宇野亜喜良 喜國雅彦 北川健次  グレゴリ青山 高橋千裕 高山ケンタ 竹本健治 TOMIZO(田代富夫) 建石修志 中村 裕 楢 喜八  本多正一 二井康雄 山下陽子 山本じん

まだ制作中だが、渡辺温像とプリント作品2点を予定している。プリントは主役の完成を待つばかりになっているが、人形も展示となると、見えるところだけ作る、というわけにもいかない。こちらで中井英夫オマージュ展にも参加したが、中井像搬入はオープニングの最中であった。

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肥桶  


野菜の肥やしに人糞を使うことを知った時は驚いたが、肥桶が地面に転がっているところを作っている。三島で肥桶といえば、判る人には判るだろう。粘土で作ることも考えたが、背景にボケて写ることになるので、『潮騒』の初江に抱えさせた桶を使って、肥桶に加工することにした。肥桶制作に熱中している間に次期総理大臣がついに同い年になってしまった。力道山が私より年下になってしまったときは驚いたが。 本日は都内某所で撮影。一眼レフでは少々差しさわりがある場所なのでコンパクトデジカメで。一人でシャッターチャンスを狙うのも怪しいので、こんな時はヒマをもてあましているKさんである。午前中にチューハイをすでに4杯飲んでいるKさん。連日の飲み疲れで消耗気味であった。帰宅後肥桶と本日撮影したカットの仕上げ。

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旦那の誕生日のサプライズで、カミさんが友人と落とし穴を掘り、夫婦で頭から落ち、脚を上にして窒息して死んだという。つくづく友人とカミさんは選ばないといけないという話である。まったく馬鹿な話だが、これも子供の頃、砂や土で遊んだ経験がなく、恐ろしさを知らないせいであろう。掘った穴の頭上が崩れたときの怖さは大変なもので、とても動けるものではない。また崩れた穴から突き出た友達の脚を引っ張り出す時の恐怖もまた格別である。ただ引っ張り出そうとしても砂や土が締るので、掘らないとならない。このまま掘り出した方が良いか、大人を呼びに行ったほうが良いか、頭の中は高速回転である。こんなことを経験していればブルーシートで穴を塞ぐことなどしない。隠すための砂で落ち込んでしまうのを防ぐために、止めるための砂が大量にいるわけで、それが上から落ちてきたのであろう。 子供の頃、この落とし穴を見事に塞ぐ子がいて、年下の私など感心して作業を眺めたものである。とてもこの下に道端で轢かれた○や、みんなでしたオシッコが溜めてあるように見えない。ある時作業中のその子が思いついて、「バッテリーで電気流そうか!」といって私達を見上げた。人が何かを思い付いた時の顔を作る必要があったら、私は未だにあの顔を参考にすることであろう。ベトナムでは南ベトナム解放民族戦線いわゆるべトコンが、同じように落とし穴を作っていた頃の話である。

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制作  


『船の挨拶』の海上保安員が密航船からの銃撃を受ける見張り小屋の戸は、原作では引き戸となっているが、わが胸を撃てと突き出す窓は、両側に開け放つ観音開きの方が画になるだろう。原作は一人芝居の戯曲であり、乱歩の『D坂の殺人事件』のトリックに使われたような戸ではないので、画を重視した。鉄の窓枠にガラスをパテで留めた昔の窓を撮影し、それを開いて取り付けた。ここのところ海女一人の尻のために水平線さえ歪ませているが、もともとない、窓枠の影の捏造が難しかった。 数ヶ月前に浜松で撮影したF-104戦闘機は、格納庫に展示していたもので、厄介なことに蛍光灯、白熱灯など様々な光が当たっていた。最終カットは墜落している状態を想定しているので、墜落後に格納庫に収容された、ということにしようと考えていたが、その後海女の尻に苦労したせいか、なんとか海岸に墜落させることができた。といっても背景に波打ち際が見えるだけだが、とにかく04を屋外にひっぱりだすことができた。『潮騒』の最終カット。後は主役を背景にあわせて制作し、画面に入れるだけだが、これはKさんが重要な役割をしてくれており、Kさんがいなければ実現しなかった。

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一週間いないと寂しくなる、といわれるKさん。こちらが寂しくなる前に帰ってきた。私の場合、寂しくなるまで2ヵ月はかかるだろう。朝T屋に行きますとメールが着たが無視。朝から飲んではいられません。夜になり今度はT千穂から電話。二日外に出てないし、ついでに夕食をとろうと出かける。 先日東尋坊に行くとメールが着ていたので、ナイアガラの女の子みたいにならないでよ、と返事をしていた。しかし前に飛び下りようとして、どういうわけか後ろにコケるKさんだから大丈夫だろう、と笑っていたら結局行かなかったそうである。 Kさんの旅の話ほどつまらない物はない。名物がいくらあろうと手を付けずに飲んでばかり。飲んだ後のインスタントラーメンが美味かった、とシミジミ語るのだからいいかげんにしろ、といいたくなる。Kさんがもっとも美味しい食べ物と感じているのは、どこのスーパーでも売っているマルタイの棒ラーメンであることは間違いなく、2番はカップヌードルしょう油味であることも間違いがない。3番目はちょっと自信がないが地鶏の刺身であろう。東京に出てきた当初、スーパーの鶏肉を知らずに生で食べていた。 どこへ行こうと表現力に乏しくまったく伝わらない。だったら写真撮ってきてよ、といっても、なんとかデジカメ持っていき、撮って数カットである。これがまたワザとやっているだろう、というぐらい主題不明の写真を撮る。結局こんどの旅行の中でKさんが唯一生き々と嬉しそうに語ったのは、姪っ子の結婚式に20代の女の子がたくさんいて、ビールを注いで回った。その一点だけである。 そして本日も店長に文句いわれながらサンマの塩焼きを、切り裂きジャックが売春婦を惨殺したような酷い状態で食べ残して帰るKさんであった。

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一日  


渡辺温の雑誌に掲載された写真を見ると、立ち姿が竹久夢二描く女性のようにS字にカーブしている。本日は制作に集中。渡辺温の頭部を作りながらプリント作品の背景の制作。できればプリント作品は2点を考えている。 三島の『船の挨拶』の、背景と前景の灯台に当たる光の向きががあってなかったので背景を変更し、割れた窓ガラスも観音開きの窓を付け、開いている窓から見える部分の室内も作った。話の要となるW・A・Y『汝の安航を祈る』の信号旗を加える。おそらく昭和30年代はこんな感じだったはずである。最終カットも主人公が銃撃されれば『船の挨拶』は完成。

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朝から構想を練ったり、海女の集うカットの上空にトンビを飛ばせたり、少々の手直しなどグズグズしているうちに夕方になってしまい、今日から始める予定のことに着手できず。こうなったら朝までだ、と思っている丁度その時、誰かが来た。出てみるといつも採りたての野菜を持ってきてくれるSさんである。何かと思ったらK本に今拓哉さんが来てるので迎えに来たという。Sさんも『レ・ミゼラブル』を観て感激した口である。以前、奥さんの岩崎宏美さんと同席したとき、私が「Sさんって凄い福耳だよね」。といったら宏美さんが「どれどれ」と両耳を摘まんで以来、さらに元気が増した、ともっぱらの78歳である。昔は大工をしていて、現在は現役の頃から30年続けている近所の小学校の動植物をボランティアで世話をしている。こんな人にわざわざ店を抜け出し迎えに来られては行かないわけにいかない。先日フランス国王をやっていた今さんと再会。『おかえり、はやぶさ』を撮り終えたばかり、という松竹の本木克英監督もスタッフと来ていた。 せっかくKさんが留守でのびのびしているのに、私も嫌いではない。タガがはずれ、その後T千穂からT屋へ。T屋ではふたたび本木監督一行と再会。今日はたまの休みと思い込むことにした。明日は誰がチャイムを鳴らそうと出ない。 そもそもこの辺りの人は私のような渡世を理解していない堅気の人ばかりだから、仕事ばかりしてないでたまには、などというのだが。いや人のせいにしてはいけない。誘惑に弱い私がいけないのである。

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一日  


『潮騒』の宮田初枝、監的哨焚き火のシーンも無事完成。レンズを壊してピンボケ気味であったが、それでかえってよかった。こういった事故も積極的に取り込んでいく。合成が主になっていて、ある程度思い通りになるので、こういう不測の事態は大事にしなくてはならない。人形とカメラを手持ちで撮っていた時代も何か起きないかと、そればかり考えていた。ツールとしての写真の、私が評価しているところはこんな所にある。 初江役のAちゃんは撮ってみるとそのたびに表情が変わり、そこが面白いのだが、人の形に関して専門であり撮った私がみても海女小屋、海辺、監的哨、それぞれ顔が違う。こんなことは始めてである。3人撮ったといっても通るかもしれない。しかしお母さんに確認するとAにしか見えないというから面白いものである。
名古屋にいるKさんからは頻繁にメールが来るし、泥酔して、ほとんど何いっているか判らない状態で電話がきた。明日は福井に行く、といっていたかもしれない。行きつけの店の店長にいわせるとKさんは“2、3日いないと静かで良いが、一週間いないと寂しくなる”そうだが、まったくその通りである。つまり今は静かで実に過ごしやすい。

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ここ数日。睡眠時間は2時間くらいであろう。寝たと思ったら目が覚める。一日中モニターの前。時間がかかった初江の海女小屋のカットと海岸のカット計3カットを完成する。もう1カット、『潮騒』での最終カットは、あとは主役が登場するだけ。背景は出来上がった。今のところ『潮騒』を含め、16のシーンの制作を予定している。『潮騒』のように数カット作る物もあれば、1カットで終わる物もある。 本日和本を制作をしているTさんと話していて、このシリーズのファーストカットとファイナルカットが突然浮かぶ。ファーストカットは三島らしく海。これは房総で散々撮ってきた。その中から選ぶことになるだろう。締めくくりのカットも具体的な画が急に浮かんできて、自分でも前から考えていたように口をついて出てきたのでTさんに「今、喋ったんだよね?」と思わず聞いてしまう。常にアイディアは突然降ってくる。どうしようか、などと考えて名案が浮かぶことは私の場合少ない。おそらくこれ以上、最終カットに相応しい画は私には無理であろう。

こんなことはKさんと会っている時は皆無で、そのかわり制作のことは忘れられるわけだが。姪の結婚式のため名古屋に向かったが、新幹線で出発早々、寂しい々とメールが着た。大阪で遊ぼうと一泊したらしいが、階段でコケ、またどこかぶつけたらしい。せっかく始まる年金生活も、この調子だと、たいしてもらわずに終ってしまいそうである。

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延び々になっていた『潮騒』のヒロイン初江の撮影。準備をして初江役のAちゃんの実家へ。こちらの屋上で撮影することになっている。太陽ができるだけ真上に近い間に撮りたいが、Aちゃんが遅れるというので、長くなりつつある影を気にしながらお父さんと時間を潰していると、ようやく到着。ところが髪を切ってヘアースタイルが変わっていて慌てる。この動揺が収まるまでしばらくかかった。さらにズロースを忘れたというのでAちゃん自転車でヨーカドーへ。その間にAちゃんのお母さんの案内で屋上へ。水を撒きバケツに水をためる。本日は水掛役をお母さんにお願いしている。準備完了ということで、色々な場面を想定して撮影。あれだけ立ち会うといっていたお父さんは口ほどにもなく、どこかへいってしまった。想定していた海女のシーンは撮影完了。一度帰ってデータのチェック。夜7時半に、今度は夜の監的哨のシーンである。一階が店になっているので、机、椅子をどかして準備する。苦労して探した昔のシミーズ姿で再び水を浴びるAちゃん。昼間と違って今度は何故か父親が厨房の影に立っている。実に邪魔である。しかもそこはAちゃんの様子がまったく見えずに、撮影する私だけが見えるという、まったくなんのためにそこにいるのかわからないポジションである。父親の顔など見たら士気に影響がでる。一瞥もくれず開始しようとして、手が滑ってカメラを落としレンズが壊れる。マニュアルで撮ったが暗い中、合焦マークはでるので撮影を続けた。 終了後、私がレンズを壊したのはこの親父が厨房の影から妙な念を送ったせいだ、と内心思いながら二人で『釣りバカ日誌』を見ながら飲んだ。帰宅後チェックするとほとんどピンボケであった。まあそれはそれで良い。暗い焚き火の灯かりである。

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一日  


見張り小屋の窓を観音開きにするため朝の5時過ぎまで作業。昼に帝劇で母と『三銃士』を観るので寝るが、7時にSさんに起こされる。今採ってきたばかりの苦瓜、ピーマン、キュウリなど持ってきてくれた。私は寝る寸前まで粘るので、電気を消さずに寝てしまうことが多く、それを見て持ってきてくれるのである。これは寝ては危ないと時間まで制作する。 『三銃士』今回の今拓哉さんは三銃士かと思ったらフランス国王であった。休憩時、女性の顔が横に着たので、母のことを気遣ってくれていた係りの女性かと思ったら、岩崎宏美さんであった。あとで楽屋に、とわざわざ。私はいきなりで驚いて固まったと思う。フランス国王は美味しい役というのであろう。衣装も一番豪華で目立っていた。今回も大道具のIさんに終演後の舞台を見学させてもらい楽屋へ。 帰宅後、茨城の父の実家へ行くという母と別れ帰って制作を続ける。
江東区は高橋のどじょうの名店“どぜう”の『伊せ喜』が閉店していたそうである。私のもっとも嫌いな梅雨時の唯一の楽しみといえば、雨のそぼ降る中、誰もいない清澄庭園を歩いて濡れた石を鑑賞し、『伊せ喜』でビールかお銚子で、骨を抜いていないマル鍋を食べて帰ることであった。私にしては、かなりスカした楽しみであった。ドジョウに冬限定の鯰鍋を食べたのが最後。

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『船の挨拶』の灯台の見張り小屋の開け放たれた窓で海上保安員は撃たれる。小屋というと木造小屋を思い浮かべるが、野島埼灯台の、今は使われていないコンクリート製の霧信号所を見張り小屋に見立てた。よって屋根に大きなホーンが付いている。建物自体が変わった形でもあるしホーンもつけたままにした。窓はガラスが割れており、いかにも使われていない感じだったので塞いだ。しかし作中の窓の形がどうだったか。霧信号所はおそらく上下にスライドする窓だと思うが、三島の戯曲集が手元にないので深川図書館まで確認に行くと引き戸であった。『船の挨拶』は戯曲である。よって三島の記述は舞台装置として書かれている。画として引き戸はどうだろうか。密航船からの銃撃をさあ撃て、と受け入れるには、観音開きこそ相応しい気がする。変更可能であろう。 この画には右側に、この戯曲の要である『汝の御安航を祈る』“W・A・Y”の信号旗がはためく予定である。これは当然変更不可である。三島は作品が古びないため時代が出るものを避けていたが、国際信号旗W・A・Yがコクリコ坂のU・Wに変更になったことは知らずに亡くなっている。亡くなるのはコクリコ坂の七年後だが。

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来月の『渡辺温オマージュ展』に出品する作品は、一点は『赤い煙突』に決めた。渡辺温本人を作中に登場させるかは未定。私はなんでも具体的に作るので、渡辺温作品などを手掛けると野暮臭くなる可能性が大きい。よってやりすぎず、数歩手前で止め余韻を演出するという、あまり私がしないことをしてみた。肝心の渡辺温は印刷された小さく荒い画像をいくら眺めていても仕方が無いので、そろそろ作り始めないとならない。 『潮騒』は背景が大分出来上がってきた。他の作品とのバランスを考えると海女のシーンが多い。さらにこれから監的哨のシーンが加わるとなると『潮騒』で小さな個展ができるくらいだが、撮影だけ済ませ、時間がかかる合成作業は後回しにして次の作品にかかることにする。 個展までのぺース配分は長いことやってきて慣れていたはずだが、隔月だったアダージョの四年間で勘が狂っている可能性があるので気を付けなければならない。 

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一日  


本郷付近で撮影をしたいと思っていたら、Kさんが一緒に行きたいというのでかけた。Kさん昨夜から醒めないままロクに寝ないで朝からT屋で飲んでしまい、丸の内線車内、酒臭くてしょうがない。東大の三四郎池を観たいというので行ってみる。アダージョの夏目漱石号以来で懐かしい。Kさん鯉にパンをやったり側に来た緑亀を持ち上げては喜んでいる。亀が逃げるために地面を蹴ってジャンプするのを始めてみた。そうこうすると靴を脱いで水面近くに投げ出していた足の指を、亀に噛まれて声を上げた。こんなことだからKさんは架空の人だといわれてしまうのである。早々に撮影が終ったので門前仲町でハイボールで人心地つき昼食。永代通りを隔てた向こう側に某宅配業者のトラックが路駐している。元S運輸のKさんにいわせると元警察の駐車監視員は地元の宅配業者と繋がっているので捕まらないことになっているのだ、という。たしかにずっと放ったらかしであった。二人で通りの向こう側を観察しながらかつて制作した『D坂の殺人事件』を思いだした。 帰宅し、そこからデータから背景の制作。目が慣れるのを避けるためもあり3作同時に進める。その間Kさんからの誘いのメールは計6回。3つの店からかかってきた。おそらく回復には二日はかかるだろう。

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昼頃撮影にでかける。2001年の創元推理21『渡辺敬助/温』特集号を読んでいて地下鉄を乗り過ごす。外の景色の変わらない地下鉄に乗っているとよくこれをやる。一番ひどいのが中井英夫で、乗り過ごしたと思って乗り換えて、また乗り過ごしたことが二度あり、この時は途中で降りてベンチで読み続けた。しかしおそらく中井英夫よりひどいことになりそうなのが泉鏡花で、よって初めから地下鉄などでは読まない。 今日は和綴じ本を制作する人と会うことになっていたのだが、幸い連絡待って出るつもりだったというのでセーフ。見本を見せてもらい和本、それを収める帙、共にイメージ通りであった。 撮影はというと、ここは江戸川乱歩の時に散々撮影した場所だが、建物はそのままでも窓が無粋なサッシに変っていた。今回はむしろ窓が必用だったのだが。 帰宅後K本の常連Mさん、ご存知Kさんの誘惑を断わって画像制作に集中する。Kさんにはすでに昼の時点で今日は飲まないといっていたのだが、零時過ぎにもう一度焼肉屋にいるので、とメール。これが丁度山を乗り越え頂上で万歳しているときであった。朝から飲んで、ヨーカドーで涼んで、風呂屋を探しまた飲んで、と冷房の効かないアパートに帰りたくないKさんの、ロレツの回ってない話を聞いていると、一日忙しく仕事しているように聞こえる。時間を一日潰すのもたいへんである。あとはコピー&ペーストで済ませたいような内容なので書かずに終る。

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