明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



市川團十郎と成田山の縁は深い。経緯は書かないが、成田屋の由来でもある訳で、二代目團十郎が江戸で舞台上で不動明王を演じた。これが大評判となり、深川に深川不動堂という成田山新勝寺の別院が出来るきっかけになった。歌舞伎十八番の一つ『不動』となってもいる。しかしこれは團十郎が不動明王の扮装をしてただ舞台でじっとしているだけ、というもので、いくら江戸の華、歌舞伎界のトップ、市川團十郎といえど、ただじっとしているだけで、何故江戸っ子はそれほど熱狂したのか?まったく謎であった。 ところが先日テレビでマイケル・ジャクソンのパフォーマンスを観た。最初にやったムーンウォークがほんの短い距離だったのが意外だったが、究極のパフォーマンスとして紹介されていたのが、まったく動かないことだった。登場すると一分数十秒間ピクリともせず。ところが観客の熱狂は静まるどころか益々激しくなり、ただ立っているマイケルに失神者続出。せっかくの高いチケットだったろうに、というのは余計なお世話だが、それを観てすぐに思い出したのが團十郎の不動であった。なるほど、これはあり得る。あり得るぞと合点がいった。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




出来れば今週中にも、まずは不動明王の頭辺りから始めたい。かなりの癖っ毛?のようだが、こんな頭が滝に打たれた場合、どんなことになるのだろうか。黒人の縮れっ毛が濡れているところを思い出してみる。いや滝如きに不動明王の髪型が乱れてはいけないかも。英一蝶の不動明王は戯画タッチで、まるで長谷川町子の一コマ漫画である。私が手掛けるのだから、ありきたりの不動明王では仕方がない、まずは濡れないように焔を着脱しているユーモアに惹かれたが、作るとなると、それにかこつけ、濡れて透けた衣が肌に張りついた不動明王、なので不必要に肉感的に作りたいと考えている。かつて濡れた不動明王は描かれたことはないのかもしれない。そもそも濡れる必要がない。不動明王という架空の存在だが、むっちりした身体に濡れて張り付いた衣は本当、というような、最終的には写真作品である、という面白さを出してみたい。おそらく英一蝶は、不動明王を滝に打たせてみたい、ならば火焔は着脱可に。そんなところではないか。あんた可笑しな人だな。

 

 



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




背中の火焔を濡れないように傍に置いて滝に打たれる不動明王を描いた英一蝶は、太鼓持ち兼絵師という人物だが、洒落が効き過ぎ、描いた絵が咎められ三宅島に島流しになる。画材の入手に苦労しただろうが、めげずに描き続けて、弟子を通して売った。周辺の島々には一蝶の作品が残されているらしい。私も材料さえ調達してくれれば刑務所に入っていても、同じクォリティの作品を抱えて出所してくるぜ、なんていっていたものだが、余計な作業はやりたくないので、刑務所より島流しを選びたい。昔、団地のベランダにぶら下がっている物干しを1つ140円で溶接していたが、いずれ160円になる、といわれながら、刑務所で同じ物を作っていたから上がることはなく、刑務所には怨みがある。たまに小ロットで企画違いの物干しが必要になるために私みたいなのも必要だったのだろう。担当者のヘルメットの下のツラは未だに覚えているから、私に犯罪現場は見られない方が良いと思う。 本日も書き始めには予定していなかった話しで終わった。一蝶が島流しから江戸に帰って逗留した一蝶寺が江東区内にあるからいずれ行って見たい。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




冷凍のイワシが届く。軽く干してあるが、一眼で新鮮と判る。50匹以上入っているので、利用法も工夫しながら当分重宝しそうである。同封のレシピにはアヒージョの作り方が書いてある。とりあえずは2、3匹を焼いて納豆と味噌汁で朝食は考えないで済む。作業机の上の照明の位置が、文机で制作していた時のままで低過ぎ、横着にもそのまま制作していたのを直した。   ずっと止まっていた柱時計のゼンマイを巻いた。 40年もやってると、自分の使い方は知っている。この間に弓を引き絞り、飢餓感を演出。自分を焦らしながら、頼むから作らせろ、という所まで持って行く。この飢餓感が妄想を呼び、新たなイメージに繋がっていく。そして空気を溜め込んで、また水中深く潜航する。これの繰り返しである。先日、39年ぶりに、架空のジャズシリーズ時代の初期作品を観たが、カッコ良いと思いながら作っていたことを思い出す。当時は正座して作っていた。写真をまだ撮っていない頃で、記録がほとんど残っていない。当時は残したいとも思わなかった。 まんざらではなかったが、この変わり様こそ私だ、といいたいし、同じことを続けるには一生は短か過ぎる。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




当ブログは忘備録代わり、また客観性を保つために貢献している。書きながら思い付くことも多々あり、そんな場合は、すでに先週思い付いていた顔して書いたりする。何しろ行き当たりばったりなので前言撤回も良くあるけれど、今の段階で手掛ける可能性のある物を。   1滝に打たれる不動明王。2寒山拾得日常編。3朱鞘の大太刀と一休 4龍を作るならば。被写体が立体の利点から、別角度で撮れば双龍図も可能である。龍虎図に関しては、もう猫系は遠慮したい。龍だけでなく獅子もそうだが、達磨大師の目の辺りの表現が似ている。禅宗の何か形なのだろう。 初代ゴジラが特別なのは、初期の素材事情で重過ぎ、それが重厚感を生んでいるが、あの黒目が真ん中にあり、虚で感情が感じられない説得不能の怖さがある。三白眼でいくら睨まれようと、あの怖さには及ばない。以来採用されないのが残念である。龍を制作するのならば、かつての映画館の立て看板のゴジラのように2メールくらいには拡大したい。目玉に電球は仕込まないけれど。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




蝦蟇鉄拐図の蝦蟇仙人は、三本脚のガマガエルを伴っている。だからと言って蝦蟇仙人が、カエル面している必要はない、と気が付いた時には、頭部がほぼ完成していた。しかし色々見ていくと、寒山拾得もそうだが、この蝦蟇鉄拐図も、中国の顔輝作の影響が甚だしい。しかし昨日アップした黒人のミュージシャンのように、そもそも架空の人物を作るのが面白くて始めている。それがようやく原点に戻ったのだから、好き勝手にやってみた。ところで第二次大戦で失われたと思われていた長沢芦雪の蝦蟇鉄拐図が数年前に見つかったという。見ると蘆雪も頭に乗せたカエルに似た仙人を描いていた。クセが強い芦雪の作品は、好きなものとそうでもないものがあるが、「あんたもそうしたか?」親近感が湧く。氏素性、時代背景など相違はあるものの、何百年経とうと同じ穴のムジナ同士、腹の中は覗き合えるものである。そう思うと、ここ数年、友人知人よりも、鎌倉や室町時代の連中等と、より親しく交わっている気がする。私の場合、マジな話である。なにしろ連中とはマスク、アクリル板の隔たりがない。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




すでに元寇を作るために資料を集めつつある私だが、例によって魚がいない所に釣り糸を垂れる可能性がある。我慢の限界が来れば構わず始めてしまうのは判っているが、まだ余裕はある。被写体を作ること自体に時間がかかるので、剣を抜いたモンゴル兵など作って、使いようがなければ話にならない。まずは英一蝶の、濡れないように背中の火焔をかたわらに置き、滝に打たれる不動明王、寒山と拾得の日常、朱鞘の大太刀を持ち街角に立つ一休宗純。これらを並行して始めたい。  火焔を下ろした不動明王は、そのユーモアは一蝶の物だが、濡れた衣が不動明王の身体に張り付いたところが私の作り所だろう。 鉄人ルー・テーズの連勝を936でストップさせたフットボール出身のレスラー、レオ・ノメリーニが力道山にタックルをかわされリング下に落ちて負ける。力道山が「あの野郎、落ちていきながら俺の腹を蹴って行きやがった。」子供心にノメリーニの執念に感銘を受けた。私も英一蝶にそう言わしめ〝恩返し”したいところである。

39年ぶりに観た作品。個展2回目にして楽器を作るのに嫌気が差し、ケースに入れて持たせることを思い付いた。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




昨年の40周年の個展は、記念でもあるし、と思い切って見たのだが、怖いもの知らずとはこのことで、今思うと、良くこんなことを、と思うのだが、だったら後悔しているかというとそれは違う。今ならやれないけれど、知らないうちだから出来て良かった、と思っている。ところが逆に知ってしまうと手が出ないということが出て来る訳で、なので躊躇するのだが、知ったからこそ出来る物も出て来る。何でも自分の都合の良いように解釈する、と言われるが、これが世間でいうところの成長過程という物ではないのか?なんていってる私は鬱にはなりにくいかもしれない。 それもこれも、作りたい、という欲望、快楽のため、と身も蓋もない事を言ってしまったが、人間も草木同様自然物、やるべきことはあらかじめ備わっている。それに従えば間違うことはない、とずっと思って来た。〝考えるな感じろ”は言われなくとも知っていたし。今日も今日とて知ってしまったからこそ、やりたくなってしまったことについて検討しよう。知らなかった昨年には思い付かなかった事を。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




喝!の表情が面白い、と無邪気に作ってしまった臨済義玄の時と違い、同じ臨済宗でも14派あり、系列が違えば栄西だろうと敬意も払われない、と梅原猛。そういわれてしまうと、座禅一つしたことない私は、渡ろうとした横断歩道の真ん中で、つい立ちすくんでしまうことになる。 しかし、あまり大きな声で言う事ではないし、正直に言ってしまうと身も蓋もないけれど、主張したいことがある訳でもアートを追求したい訳でもなく、快楽のために制作している。そんな人間が作らずにはいられない物を作って、それを観て〝どこからそんな物を持って来たのだ!?”と呆れてもらう。それが私の役割、渡世だと思い込んでいる。 などと今日も今日とて愚にもつかないことを書き、立ちすくんでいる間に、誰が止めてくれないか?と見回しても、ここまで来ると、友情を持って止めてくれていた友人も、遠くから横目で眺めている始末である。おかげで欲望に負け、元寇、すなわちかつてのモンゴル兵の資料を注文してしまった。 ディアギレフはジャン・コクトーに〝私を驚かせてみろ”と言った。自分のしでかした事でいの一番に呆れ、驚いてみたいのはまずは私自身である。

 

 



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




子供の頃百科事典ブームというものがあり、我が家にも小学館日本百科大事典が来て、小学校から中学にかけて全13巻を一往復は読んだろう。 その百科事典には子供心に?と思う点があった。シャンソンの項が妙に詳しい。ボディビルの項には、肉感に乏しく見える三島由紀夫の上半身が使われていた。別巻の美術が充実しており、シュルレアリズム絵画に子供心に郷愁に似たものを感じた。東洋美術の巻の仏教美術、特に彫像のリアルさに感銘を受けた。何故あれほど惹き込まれたのか、ずっと後年になって、その百科大事典を編纂したのが『虚無への供物』の中井英夫だと知って合点がいった。三島はボディビルのモデルを中井に打診され「あんな嬉しいことはなかった」そうである。三島の書斎の背後に見えるのがこの百科大事典かもしれない。いずれにしても、子供の私にはワンダランドの入り口であったのは間違いない。そしてここに来て鎌倉、室町時代の見覚えがある祖師像に世話になるとは。シナリオはあらかじめ体内に埋め込まれている。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




人間は頭に浮かんだ物を作るように出来ている。とたしか養老孟司氏が言っていたと思うが、頭に浮かんだ物はしょうがない、私は何も悪くない、と何度も引用するうち、ほんとにそう言っていたか曖昧である。 昨日触れたある禅師のエピソードは、中国より招かれ帰化した禅師で、そのエピソードは図象化されていないと思われる。来日年からすると、元寇襲来以前の話である。例によって、今地球上で、こんな絵を頭に描いている人間は私一人だろう、と思う時、一般人が家族に囲まれ暖かい心持ちに浸っている。おそらく同等の幸福感に包まれる。逆に私が〝私由来”の家族に囲まれたなら、一般人が地球上に一人ぼっちのような孤独感に苛まれ苦しむことだろう。だがしかし、家族上の幸福を維持する大変さを思うと、傍に粘土とカメラを用意し、一人妄想していれば良いのだから実に安上がりな幸せである。 坂崎重盛さんより新刊『荷風の庭 庭の荷風』(芸術新聞社)を御恵投いただく。最近、制作のためとはいえ、読書傾向が極端に偏っているので有難い。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


一日  


中国の臨済宗の開祖臨済義玄は、検索しても肖像の類いは少なく。臨済宗の寺にはどこでも掲げているような様子はない。それが私には不思議だった。ならば禅を茶と共に日本に持ち込んだ栄西こそが日本での開祖として、と思っていたら、これがまたそう単純な事でもなさそうである。梅原猛によると〝栄西を祖師として尊拝するのは、彼が創始した鎌倉の寿福寺及び京都の建仁寺を本山とする寺などにかぎられ他の禅寺には彼の頂相(肖像)すらない” 血脈、系統の違う臨済宗の各本山も栄西にはほとんど敬意を払わない。という!? 私も手がけた道釈画のモチーフ『虎渓三笑図』で仏教、道教、儒教を象徴する三人が登場し、三教一致と、禅宗の懐の深さを表現していたが。そう額面通り単純に受け取る訳にも行かなそうである。 祖師の歴史的エピソードは、長い歴史の中でことごとく図象化されて来た。しかし名場面に思えるのに、可視化されていないある祖師のエピソードに着目している。とはいえ、一筋違えば栄西すら敬意を払われない、となると。図象化されていない理由もあるのか?無邪気にはしゃぐ訳にもいかず。
 


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




5日にジュサブローさんが亡くなられた。人形展のレセプションなどてお目にかかったが、以前人形町にあったジュサブロー館にも何度かお邪魔した。気さくにお客の相手をしながら制作をされていたが、私にはとても真似出来ない。 江戸川乱歩の『押し絵と旅する男』を舞台化されていた頃、NHKで江戸川乱歩特集があり、私の乱歩像に向かい、ジュサブローさんが乱歩自身に語りかけるという演出があった。残念ながら最終的にカットとなってしまったが、撮影の合間に話させていただいた。「あなた人形はどうしてるの?」コレクターの手に渡ると、二度と表に出てこないから手放さないことにしている、なのでジュサブロー館で見てもらえるようにした、と仰っていた。 ジュサブローさんには、人が人の形を作る、ということはどういう事なのか伺えた気がするが、もったいないのでそれについては書かない。 私の乱歩像に対し、背景が見えるようだ、といっていただいたのが嬉しかった。合掌。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




本日月一のクリニックに行ったら体重が3キロ減っていた。大食いでもないのに体重が増え続けて来たのは、ひとえに運動不足である。これでも幼い頃は多動症を疑われる子供だったが、成長と共に〝落ち着き”を身に付け、運動するくらいならちょっとでも安静にしているべき、と宗旨替えをした。酸化を防ぐためには出来るだけ酸素を取り入れない方が良いに決まっている。 加えて私の運動不足に拍車をかけているのは寺山修司の名言〝どんな鳥も想像力より高くは飛べないだろう”のような気がする。家から一歩も出ず、ひとたび目を瞑れば大空に五輪を描く、ブルーインパルスにトム・クルーズの如き運動量である。想像力は万能である。より高く飛ぶコツは、目を瞑ったまま、あくまで安静にしていることであろう。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




被写体から陰影を排除することにより、写真や西洋画にない、浮世絵やかつての日本画の画面構成上の自由を手に入れようと始めてから数年経つ。背景が平面だろうと配する物に陰影がなければスーパーのチラシのようにはならない。その試みの一つが、赤富士は後ろにあるにも関わらず、北斎が見上げている作品である。古来背景が主人公の心象を現す手法は日本画には用いられてきた。早速試みてみた。ところが先日、片岡球子の作品に似たような作品があるのを知った。私の場合は後ろにあるのに見上げている、というのが面白いと思ったので、北斎作品と判れば何でも良く、仰ぎ見るには赤富士かな?それだけである。違いといえば私の場合、片岡作品のようにフレームで分けず、あくまで同一空間に居ることが肝心ではあるけれど。知ってしまえば廃版にしよう。 それにしても、かぶった、と言っては失礼かもしれないけれど、それがよりによって〝落選の神様”片岡球子画伯だ、というのは満更ではない。写真作品で片岡球子にかぶるなんて、なかなかあることではないだろう。

 

 



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ