明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



光と影の芸術といわれる写真の最大の欠点は、無い物は撮れないことである。それがよりによって無い物を作り、さらに光と影を排除している。すっかり写真という土俵を割ってしまった感があるが、ようやく〝念写“のツールとして使い物になるものになった。こんなことならもう少し早く、といいたい所だが、流れというものには逆らえない。作家シリーズ最後となった『三島由紀夫へのオマージュ 椿説男の死』は、三島が死の数週間前まで撮らせていた『男の死』の出版の噂に怯えながらの10年だったが、あくまで三島の作品内の死をモチーフにしたとはいえ、それが奇しくも出版の5ヶ月前に個展が出来たことが何よりであり、やり切った、という初めての経験でもあった。それを通過したから、ただ今、半僧坊という権現を作っている訳で、何事も一足飛びに、とは行かないようである。ちなみに本家『男の死』あまりに三島が哀れで今だに目にしていない。



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昨日に続き晴天なのでベランダで半僧坊を乾燥させていたが、どうもそんな悠長なことでは間に合いそうにない。乾燥機にかける。最近はタウン誌に制作中の新作について書く流れになっている『半僧坊大権現』の原稿は入稿済みだが、最初は方広寺の摺物の立体化で、ただ杖を持っているだけのつもりだったのが、途中で刀印を結んで霊力を発しているところにしよう、と気が変わり、予定が変わってしまった。なので原稿の〝予言“に合わせなくてはならない。 一昨年『布袋尊』を作った時、金運アップのご利益もあるかもしれない、なんていっていたが、作ったのが私だと思うと、説得力に欠けたかもしれない。半僧坊は火伏せの神である。写真作品では、嵐の中帆柱のてっぺんで、道ひらきの神として猿田彦的霊力も発する予定である。厄難消除、海上安全、火災消除。

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写真や西洋絵画になく、浮世絵、
古典的日本画にある自由を写真に取り入れられないか、と考えたが、それで何をしようとしていたのか。具体的な用途を思い描い
ていた記憶はない。中締めといえる個展が終わり、しばらく図書館に通っては、浮世絵、日本画を眺め、その自由さを羨ましく眺めていた記憶がある。何をきっかけにそうしていたか思い出せない。 一つもしや?と思ったのが、長塚京三が北斎を、宮﨑あおいが娘のお栄をやったドラマ『眩(くらら)~北斎の娘~』その中で北斎が西洋画を見て「見たまんま描いていやがる。」といった。見たまんまが大嫌いな私は、そのセリフがよほど気に入ったか、当ブログで何度も引用した覚えがある。ひょっとしてあの北斎のセリフがきっかけじゃあるまいな?調べたら、図書館通いの一年後のドラマだった。 どうでも良いことだが〝何だか判らないけどやりたくなってしまいました“実際そうでもバカみたいである。熟慮、熟考の末、計画通りやりました。という演技プランをつい立ててしまうのであった。

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雷鳴轟く嵐の風景は、頭の中ではおおよそ制作方法は考えた。イメージとしては滝沢馬琴辺りの絵草紙のスペクタクルシーンである。雷は小学生の時描いた、キングギドラが吐く光線やメーサー砲のレーザー光線の要領で描く。 光と影の芸術から肝心の陰影を排除して、鎌倉時代の嵐の東シナ海で、袈裟をまとった天狗状の人物が、帆柱の先端に立って霊力を発揮している場面を写真作品にしようとしている。 陰影が出ないように撮影して切り抜いて貼り付けるだけなので、こんなことなら、と思わなくもないが、ここに至るために、端折って済ませることは一つもなかった。光やレンズの作用の助けが使えない分、被写体の出来が成否を決めることになり、私の原点は人形制作だったことも思い出させてくれている。禅的モチーフに至っていることが、また不思議で、このための手法とさえ思う。

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雷鳴轟く嵐の風景は、頭の中ではおおよそ制作方法は考えた。イメージとしては滝沢馬琴辺りの絵草紙のスペクタクルシーンである。雷は小学生の時描いた、キングギドラが吐く光線やメーサー砲のレーザー光線の要領で描く。 光と影の芸術から肝心の陰影を排除して、鎌倉時代の嵐の東シナ海で、袈裟をまとった天狗状の人物が、帆柱の先端に立って霊力を発揮している場面を写真作品にしようとしている。 陰影が出ないように撮影して切り抜いて貼り付けるだけなので、こんなことなら、と思わなくもないが、ここに至るために、端折って済ませることは一つもなかった。光やレンズの作用の助けが使えない分、被写体の出来が成否を決めることになり、私の原点は人形制作だったことも思い出させてくれている。禅的モチーフに至っていることが、また不思議で、このための手法とさえ思う。

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雷鳴轟く嵐の場面、実際半僧坊が現れるのはそんな場面だけれども、へさきにしろ帆柱にせよ、その先端に立たせるということは、船体や、荒れた海を描かずして、ということでもある。となれば雷鳴轟く背景と、見えない風を描くために浮世絵師がそうしたように、半僧坊の法衣はより風にあおられ、髪も髭も、より風を受けねばならない。 三島由紀夫を戦闘機F 104に乗せる必要があった時は、定年迎えてヒマな酔っぱらいが、三島とほぼ同じ160センチくらいだったので、浜松の自衛隊基地まで連れて行き、物差し代わりに室内展示のF 104の座席に座らせ撮った。 主役の被写体制作に、ほとんどの制作時間を費やし、シャッター切るまで数ヶ月かけているのだから充分だろう。眉間にレンズを当てる念写が理想だが、そんな能力はないのだから仕方がない。今回は帆柱の先っちょだけで済むだろう。


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無文元選禅師は元王朝が危ないという情報を得て、日本から来ていた他の僧と帰国することにした。そして東シナ海で嵐にあう。観音経を唱えていると半僧坊が現れ、船を導き、無事九州に着いたということになっている。その場面のため、霊力を発する半僧坊を、船のへさきか帆柱の先に立たせようと考えた。当時の帆はムシロだったようだが、嵐の場合は帆を下ろすだろうし、帆柱を倒すこともあったらしい。ただの円柱では船に見えないのではないか?となればへさきか。最近手がけているモチーフは、性質上、昔手がけられていなければ、以後手付かずのモチーフが多い。だからといって、やり過ぎは慎まなければならない。ただ無背景の中に立たせるべきか。と午前中は思っていたが、ヘソ下三寸辺りのもう一人の私が黙っておらず、今この段階で、雷鳴轟く中、帆柱の先にすっくと立つ半僧坊、とスペクタクルな画に気が変わっている。

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尊富士新入幕で優勝!上半身がごついが、膝から下の感じが輪島を思い出す。親方、伊勢ヶ浜の旭富士ファンであったから余計に嬉しい。 半僧坊が登場するエピソードは後醍醐天皇の皇子である無文禅師が元王朝時代の中国に渡る。当時の国教はラマ教だったそうで、大陸で旧来の仏教を伝えるのは禅宗だけだったという。7年の修行を終え、帰国の途上、東シナ海で嵐にあい、禅師が一心に経を唱えていると身の丈3メートルの偉人が現れ船を導き、無事に帰国する。 無文禅師は、日本の船で帰国したのか、あるいは元の船だったのか。最近は遣唐使、遣隋使などの船が模型やCGで再現されているようだが、記録が残っているのか、調べて判るのかすら判らない。 何故知りたいかというと、半僧坊が、船のへ先か帆柱の先にすっくと立ち、嵐の中、刀印を結び霊力を発している画が浮かんだからである。船全体はともかく、へ先や帆柱の先だけならと思ったのだが。 ヘソ下三寸の私が作る、と突然盛り上がるのは良いが、考える私はいい加減なことは出来ない、と常に悩まされる。この二種類の私のコンビにより私の作品は作られている。

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陰影のない石塚式ピクトリアリズムは、もう10年近くやっていると思ったら、まだ6年ぐらいらしい。昨日アップしたつげ義春トリビュート展(ビリケン商会)に出品した『ゲンセンカンの女』は、苦闘中の、ポイントとなった作品である。この頃は陰影と共に日本的遠近法まで取り入れる気でいたが、形を加工するしか方法がなく、これでは〝まことを写す“写真である意味がなくなる。と結局断念し、出品作を2度差し替える、という失態を演じた。わずかにタバコ盆辺りに形跡が残る。 それより何よりも、自分の作った人物は、せっかく自分で造形した陰影なのに、と葛藤しながらも陰影を排除しながら、行燈の灯りの当たる半裸の女体から陰影を排除することに耐えられず、陰影あるカットで後に作り直した。ようやく腑に落ちたものの、石塚式ピクトリアリズムではなくなり、確か展示したことはない。


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全体像を作っているおかげで、予定と違う方向から撮ることに決めた。立体は作っていると、イメージしていなかったところも、出来上がってくるわけで、自分で作っていながら、始めて目にするイメージが現れる。絵画や、写る所だけしか作っていないと、こういう経験は出来ない。 途中から、荒れた海や燃え盛る炎に向けて霊力を発しているので、強風に煽られていることにしようとしたら、重心が変わり傾いて来た。まいったな、と思ったが、昔テレビで制作中の佐藤忠良の、粘土の人体が崩れるように倒れたのを観たことがある。佐藤忠良でさえ倒すのだから、私如きが倒しそう、になっても驚くことはない。強風の中の天狗というと、どうしてもつげ義春『ゲンセンカン主人』 を連想してしまう。



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すでに撮影を始めているはずが、権現様を作っている。ギャンブル依存症について報道されている。ドーパミンがそうさせているらしい。2011年、一度目の『三島由紀夫へのオマージュ男の死』の前、知人に喫茶店でそれだけは止めろと説得された。二つのギャラリーに、何をやっても良いが、それだけは、とかいって断られていたし。しかし説得の言葉も、その時の私には、妙なる音楽に聴こえた。仕組みは似たような物かもしれない。それはともかく。 写る所しか作らない場合、それこそ数度もふれないほど作らない。それだけ構図も決まっていて、どう撮ろう、と悩むことはない。制作時間も短い。そのかわり一カットのためだけに作ることになる。久しぶりに展示を意識して全体を作っている。そうすると、今度はこちらからも、あちらからも撮りたくなってしまう。

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半僧坊も、作ると決めたものの、色々調べたり、ブログに書いたり整理しており、そうこうしていたら次号『タウン誌深川』の原稿『半僧坊大権現』が出来てしまった。しかし昨日、滅多にないことだが、気が変わって首から下を作り直すことにしてしまった。すでに書いてしまった文中の予言?に追いつくよう制作を進める。 天を仰ぐように上を向いていた頭の顎を引かせた。何か企んでいるような表情は、半僧坊というより〝怪僧“ラスプーチンの如しだが、その霊力を向ける矛先は、あくまで人々に降りかかる災いである。『古画名作裏話』を入手。昔から人形から人形を、写真から写真を学ぶべきではない、と考えている。



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半僧坊の胴体、やり直すことにした。写真作品の完成形をイメージして造形する訳だが、本来見せるべきは表情で、いつもと違って、プラス天狗状の高い鼻という要素がある。さらに杖や刀印を結ぶ手、など要素が多い。もう少しポイントをはっきりさせたい。ここのところ、前向いて坐禅している人ばかり作っていたので、久しぶりに勝手が違った。というのは頭で分析したことであり。 霊力、神通力を発しているといえば、巨大な赤鯉に乗って飛び出す琴高仙人、吉兆ものの三本脚の蛙を肩にした蝦蟇仙人、己の分身、魂を口から吐き出す鉄拐仙人を作ったが、それらの物を制作して、本来味わうはずの快感を感じない。これはおかしい、と我に帰る。考えてみると、写るところしか作らない場合、ここからしか撮らない、とイメージをはっきり持って作っていた。一カットのためだけに作っていたのは、それなりにメリットもあった、と今更ながら。

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夜、江東区古石場文化センターへ。小津安二郎の地元で、映画に特化したセンターである。小津コーナーには、私の小津像も収蔵されている。『影武者』の家康役から黒澤映画常連俳優の油井昌由樹さんを担当者に紹介する。いずれ講演会など行われるだろう。15の時、油井さんのアウトドアショップ、スポーツトレインに、まだどこにも売っていなかったバンダナを買いに行った。「UFOの写真見せてやるよ。」キャンプ用品で捏造したものだったが。85年油井さん司会の深夜の美術番組『美の世界』(日本テレビ)に出ることになり、その話をしようと思ったら『影武者』オーディションに受かって司会が榎本了壱さんとマリアンに。音声が社員だったスゥインギンバッパーズの吾妻光良さんだった。83年の2回目の個展に2人で見えて、勝った負けた、とやっていた。DMのチャーリー・パーカーのサイズで賭けていたらしい。このパーカーは当時写真家長濱治さんの所へ。長い旅路の果てにどいう訳か権現様を作っている私である。 油井さんはあれだけ出演して一度も黒澤にNGを出されたことがないそうだが、陰影を排除する手法を用いる私に印象的だったのは『どですかでん』で短い撮影期間に、晴天表現のため、黒澤は地面に影を描いたそうである。

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真言密教などで右手の人差し指と中指を刀に見立てたものを刀印といい、左手を鞘として両手を組んで結ぶのを、忍者でお馴染みの剣印という。権現様を作っているのも予定外なら、粘土の到着を待つ間に気が変わり、刀印を結ぶ権現様を作っているのはさらに予定外である。ここから『タウン誌深川』からの2度目の引用。 小学生時代の私に〝三本脚のガマガエルを頭に乗せた蝦蟇仙人、虎に乗った豊干禅師、鯉に乗った琴高仙人、布袋様も作ったぞ。」と教えたら「えっこのままオジサンになるまで好きなことをやってていいの?」と目を輝かすだろうか。いやそれでは教育上よろしくない。人生はチョロい物だと勘違いしかねない。その後の私の紆余曲折、艱難辛苦のイバラの道を記録した映像でもあれば見せたいが「何か作ってるか寝てるか酒飲んでるかで、肝心なことは何もやらない人生じゃないか!」と号泣させてしまうかもしれない。「いや待て、涙を拭け!これはダイジェストだ、肝心なことは編集でカットされてる。」“

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