明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


伊集院静さんの『作家の遊び方』をさっそく読んだ近所の飲み屋のYちゃんからメールをもらった。飲む打つの男っぷりに魅かれる、と。確かに同じ飲んべえでも、この近所をフラフラヨロヨロしているのとは大分趣がちがう。彼女は駄目男に魅かれるタイプで、“私がいなければこの人は”という、私にいわせれば典型的な駄目男製造器である。それをいうと、そういえば、ウチの旦那も含めみんなだんだん駄目になっていく、と笑っていた。本人も、下手すると周囲もただ献身的な女と思い込んでいるところがタチが悪い。近所でフラフラといえば、 先日怪我をしたKさんから飲みに行こうと電話があったけどロレツが回ってないので断わった、といっていた。男にとっての酒は母乳の代わりともいうが、Kさんの場合の飲み屋通いは、あきらかに母乳求めての保育園通いである。隣の女性の胸元に懸命に手を突っ込もうとしているところなど、どうみても保育園児である。身体のことを考えて、いっそ幼児プレイの店を勧めてみるつもりでいる。 一体目の小津安二郎は江東区の財団に購入され、古石場文化センターの小津コーナーに展示しているが、地震でガラスケースによっかかった状態になってしまい、外してあると連絡があったので夜行ってみると、台に立てた金属棒を釘の頭をカットした物で代用していたのを思いだした。それが抜けそうになっただけだったので棒を換えることに。そこへ1週間は飲みに行けない、といいながら二日後にはロレツが回っていなかったこと、私にばれていること知らないKさんから久しぶりに飲みに行きます、とメールが着た。行ってみるとほとんど傷が治っていた。たいした回復力である。留守電に入っていた怪我した直後の泣きそうな声を、しょうがない爺だ、と腹立てて捨ててしまったが、取っておいて事あるごとに聞かせてやるべきであった。

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