明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



昨日16日はTrexのマーク・ボランの没後43年だったそうである。工芸学校を出て、岐阜の製陶工場に就職した。10時と3時にお茶の時間があり、お新香を齧りお茶を飲みながら新聞で知った。この間プレスリーが亡くなったばかりじゃないか。予言通り30になる数日前に死んだ。 先日再会した幼馴染みのYと武道館公演を観にいった。学校のロック好きには内緒にしていた。化粧をして軟派なメージがあったせいである。隔世の感がある。後ろの2階席からアリーナ席を見ると、沢田研二、加藤和彦、鈴木博三がツギハギのジーンズでいた。マーク・ボランはある曲で、アンプの後ろに回り、アリーナから隠れるようにして、後ろのC席の客だけにギターを弾いてくれた。もちろんほんのわずかな時間ではあったけれど、ああ見えて、良い人であることは間違いがない。後はバスドラのペダルの調子が悪くなったことと、ミッキー・フィンが投げたタンバリンが、まっすぐ我々に向かって飛んで来たが、カーブしながら落ちていったのを憶えている。TREXは、たまたま日本橋高島屋のレコード売場で『電気の武者』を入手し、一回聴いて、Yの家へ、これを聴け、と雨降りの中、出かけた。彼はその後、ロキシー・ミュージック方面に行き、私はブルースブームの洗礼を受け、ブルースに走った。そのおかげで、後にジャズ・ブルースの人形を作ることになる。こうして過去を圧縮して思い出すと、何もかもが無駄なく連なっているように感じるが、その最中は、すき間だらけ無駄ばかりだった。Yとは何年か前に、たまたま会ってお茶を飲んだが、ゆっくりしやべつたのは数十年ぶりである。いきなり幼馴染みから電話があり、当初警戒しただろう。電話の声がそんな感じであった。何かの勧誘だと思うのが普通である。ところが会ってみたら、最初から最後まで金魚の話ばかりで、呆れたことだろう。旧友と会うと、私だけがどうでも良いことを憶えている。本人は憶えていないが、幼稚園児の頃、彼は女言葉であった。彼と出会ったのはバプテスト系幼稚園であったが、小学校4、5年の時、彼の家の前で、神様はいる、いないで激論した。私は雲の上にあんなオヤジが居るわけがないだろ!目を覚ませ、と。 ところで、このどうでも良い事ばかり記憶している私ではあるが、こと創作に関すると、大変な戦力となる。自分の中にない物は出てこない事を考えれば、当然である。こうやってまた、肝心なことが身に付かないことを良いように解釈している私あった。

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寒山拾得に関しては、寒山詩にも踏み込まなければならないが、やはり序文の面白さである。最後ゲラゲラ笑いながら去ってしまう寒山と拾得。置いてけぼりにされるのは、作中の閭丘胤だけではない。この後味こそが寒山拾得である。数年前、三遊亭圓朝が眠る谷中の全生庵の圓朝旧蔵の幽霊画公開のおり、巨匠連の幽霊画像と共に私の圓朝像を展示させていただいた。余談であるが、記念に展示姿を撮影させていただいたのだが、期間中、幽霊画のなにかを吸い込んだか、ソニーのα7はピントは合わない、露出もヘン、1カットも、まともに撮れなかった。私自身も、急にカメラの扱いが判らなくなった。搬出の際、全生庵が臨済宗の禅寺だと初めて気が付き、これは寒山拾得をやれ、ということか、と玄関先で対応いただいたお坊さんにいずれ寒山拾得を制作しますと、口走っていた。いっそのこと座禅会にでも参加して住職に教えを請いたいところだが、肝心なことはあくまで自分の中から取り出した物で制作するのがルールである。 寒山と拾得は、実は文殊と普賢菩薩なのだという。金魚に名付ける人間いれば、会社に付ける人もいる、また原発に名付ける人さえいる。私は本来人間も自然物。その自然物が作ったといことでいえば蟻の作った蟻塚も人間の作った原発も変わりがないといえよう。だがしかし。自然物である私は、草木同様、へそ下三寸辺りから聞こえて来る声に従っていれば、頭で判らなくとも結果は必ず良い。頭を使って作った物にロクな物はない、と早々に気付いたからである。それは廃れて久しいオイルプリントを写真の素人である私が独学で実験を始め、周囲には反対されるし、何より私自身が人形も作らず何をやっている。とハラハラしていたが止められなかった。今はオイルプリントを手がけてはいないが、あの経験が有形無形、直接間接、今の私を作るためにどれだけ貢献しているか計り知れない。 余計な頭を使ってヘンな物を作らないように、今は金魚を眺めている。座禅するより楽で楽しい。

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浮世絵的逆遠近法は、陰影をまず排除して、返す刀で、と企んでみたものの、写真作品に取り入れるのは簡単なことではなかった。つげ義春トリビユート展において、『ゲンセンカン主人』で試みた。漫画が原作であるし、それにかこつけ試して見たが、見事討ち死に。グループ展の会期中に二度作品を差し替える、という失態を演じた。結論とすると、その遠近法を用いた景色の住人は、それ相応なフォルムの持ち主でなければならない。顔こそ作中の女に似せて現実離れはしていたものの、被写体は実物の女性である。その空間にはそぐわず、遠近感はほぼ現実的な物に戻した。5月の個展では、画室における葛飾北斎で再度チャレンジすることも考えたが間に合わなかった。とはいえ、北斎の造形具合では、また同じ失敗を繰り返したであろう。実在した人物を制作すれば、それなりのリアル感で制作することになるが、浮世絵にしても、人物表現がリアルになる幕末以降、かつての遠近法もそれに応じてなりを潜めていく。 真を写すという見たまま写るのが本来である写真で行うことは、陰影の排除以上に、造形の加工は不可欠である。なのに主役の人物が、相変わらずリアリズムのままでは無理というのがゲンセンカン主人での結論である。 それでこの話は終わるはずなのだが、寒山拾得ならどうだろう?そもそも架空の連中である。豊干に至っては虎に乗っている始末である。その虎さえ、猫に演じてもらう可能性が高い。背景も私が机の上で数千メートルクラスの岩山を作る訳で、空間が歪んでいるどころの騒ぎではない。 金魚に餌をやりながら『お前等どう思うよ?』連中は異議を唱えることもなく、ただ餌を食らうのみであった。

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大和田常務を観ていて誰かに似てるな、と思ったら、ウチの豊干禅師こと青文魚を正面から見た顔であった。嫌いだったカリフラワーのような金魚の肉瘤は、これによって魚らしからぬ人間地味た正面の顔を見せ、それがオランダ獅子頭という金魚ばかりになった理由でもあるのだが、これが大和田常務に似ているのである。私が誰かに似ている、という時、一般人がいうのとは違い、相当似ていることを意味するはずである。いずれ連中の正面の顔をちゃんと撮ってみたい。 やはり中国産琉金ショートテールは隔離して餌を控えると、腹を上に浮くこともなくなる。残念だが、寒山拾得劇団のメンバーには無理があるかもしれない。セロファンのような真紅の模様がプラチナホワイトの下地に生えて捨てがたいのだが、他の連中と一緒にすると、一緒になって餌を食い、フーセンのように浮かんでしまうだろう。内臓に何かがあってからでは手遅れである。 明日辺り、ホームセンター出かけ、芭蕉庵の土台となるベニヤをサイズに切り、基本となる柱、その他道具類を買いに行こう、と考えているが、ここに至れば金魚コーナーを素通りすることは出来そうもない。ウチにいる兄弟達と比べると、すでに一回り以上小さく見える。 李登輝がお忍びで訪れた芭蕉記念館には芭蕉の樹がある。台風でも来たら、すぐ駄目になってしまうそうだが、そんな芭蕉の樹だからこそ、芭蕉を名乗ったそうである。今のうちに撮影しておこう、と考えていたが、今回は撮影するだけてなく、作らなければならない。 作家シリーズの最初の6人の一人澁澤龍彦は、夢の島植物園で、南方の植物の陰で撮ったが、確か、バナナか芭蕉があった?と思って検索したら、あった。ドームの中であるし、台風も気にせず、慌てる必要はなくなった。

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金魚は丈夫だと思っていたが、案外病気にかかりやすいようである。良く聞くのが転覆病という奴で、消化不良が原因らしいが、ウチの水槽内でも琉金ショートテールが、良く浮いている。ガスが貯まっているのか、沈み難そうで、酷い時は逆さまになっている。別の容器に隔離して、塩を少々、二、三日絶食させると回復するが、水槽に戻すと、他の連中と一緒に食べて、また浮いてしまう。食欲は大勢だし、内臓に異変があるとは思えないが、幼馴染みがいうように、同じ種類だけで飼うべき、というのはこんなこともあるからだろう。もう一つ考えられるのは、エア食いというそうだが、パクパクと空気を飲み込み、その空気お浮いてしまうことがあるようである。飼い主の方は、何回か試みて、空気では腹は膨れない、とすぐ気がついたが、所詮金魚には無駄なことが理解できないとみえる。水面近くにネットを設置してエア食いを防げば転覆病は治る、という人がいた。内蔵疾患でなければ試す価値がありそうである。もしくは他のオランダ獅子頭達とは別に飼うしかないだろう。豊干禅師の乗る虎は虎柄の朱文金だが、それ以外はオランダ獅子頭で統一するべきかもしれない。明日はホームセンターに、道具、材料を買いに行かなければならないが、金魚売り場を素通りは、ここに至れば難しいだろう。と今日も金魚の話で終わった。

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先日久しぶりに会った幼馴みは、昨年ころ鬱だった、という。真面目というのは万病の元とはいわないまでも、鬱の元ではあるだろう、知っている限り、そこはかとなく、こうあらねばならぬ、という何某かを皆抱えているように見える。いや、それは当然の話であって、むしろそれをまったく持たずに生きようという方が難しいことかもしれない。 私はというと先日のブログでバラしてしまったが、何が出来ない、苦手だ、不得手だ、という時、その後に(その代わり人形は作れる)というのがくっついていて。正確にいうと、その代わりというより“そのおかけ”と思い込んでいるので、自分を卑下しているようで、その実は笑っている、という、内緒にすべき演技プランをバラしてしまった。最も、読者数を考えると、影響ないだろうし、そもそも一般人には、それがどうした、という事柄であり、何故そんな事で笑っていられる。という話であろう。だからこそ私も内緒にしていた。欠点がすべて自分の利点に駆り出されている、と思い込んでいるお目出度い人間が、鬱になることは無さそうである。かつて植木等が笑いながら歌い演じた男と目出度さは変わらないかもしれない。私の世代は怪獣映画と2本立てで、必ずあの常に躁状態の奇妙なサラリーマンか、いつまでも大学に居残り続ける男を観ることになった。 寒山拾得は、芭蕉庵が完成するまでは、何もせず金魚をただ眺めるだけに留める。わずかな光量の星を観る時に、ピントの外れた目の端っこで観る方が見えるという。金魚を観ていれば、芭蕉庵が完成する頃には概要が見えているだろう。なんて何の確証もないのにいってるのも、お目出度いせいであろう。 

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本日は田村正和のカメラを壊してしまった、いやそんなことはしていない、と目が覚めた。いつもより悩む時間が短くて助かった。 当初、芭蕉庵をおんぼろの東屋をイメージしていたが、周囲の門弟、タニマチがいたわけであるし、サロンのように芭蕉をしたった人達が集ったようなので、私や多部未華子のような暮らしぶりではなく、きちんとしていたであろう。門弟の中には女房に命じて、師匠宅を掃除に行かせた、なんてのもいたかもしれない。 芭蕉は酒を飲んだらしいし、門人その他と区会を催した。茶碗が十個たかいくつか置いていたらしい。それを英一蝶、だったか誰だったか、に聞いたニ、三代目かの市川團十郎が書き残している。十個かどうかはともかく、ある程度の人数を招き入れていたことは間違いはない。門弟が師匠のために、米を蓄えた大きなひようたんというのは絵的には面白いのだが、いかにも入れなさいと、目立つところにぶら下げておくのは変だろう。 三遊亭圓朝を旧知の鏑木清方が思い出しながら描いた、肖像画の傑作は、何事か企んだ表情に見え、私が見落としている圓朝がいるのではないか、と読めるだけの物を探して読んだが、師匠に裏切られても見捨てず、弟子も守るような人物で、あの表情は、芸に対する表情だあったのだ、と最終的に納得した。ただ、よく聞く話だが、身内である倅の出来が悪くて勘当している。 考えてみると、肝心な芭蕉像はすでにあるのだから、芭蕉の人となりについてはともかく置いておいて、明日は土台となる合板をと柱だけでも入手したいと考えている。

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芭蕉庵は当初の予定よりサイズダウンしたことにより、古池まで作ることができそうである。思ったイメージで作れるのかは、まだ判らないが、作ったことがない物は常にこんな調子であり、お馴染みであって、どうということはない。東屋などを建てている映像など観ているが、実際と違い、屋根は後回しにするべきであろう。 さっそく金魚飼育が役にたった。庵と芭蕉の樹、古池を独立して作り、現場の状況に合わせレイアウトを変えられるようにするつもりだが、その間を鑑賞魚用の砂、小石、各種で埋めようと考えた。池は樹脂を使おうと考えているが、庵をちょっとでも高くして、周囲を砂で埋めて隠せば、池を少しでも地面より低く見せられる。催事により、設置場所を変える場合にも状況に合わせてレイアウトを変えればよい。砂の掃除は必要となるけれども。我が家の水槽は砂を使っていないが、入れようか、と各種の砂を見ていたところであった。掃除を考えて、入れるのは止めたが。 これで、寒山拾得制作に向け、金魚を眺め暮らす、という自分でも良く判らない奇策に対しての罪悪感がちょっと減った。こういう屁理屈を重ね、二年後の個展会場では、始めからこうなることを計算して金魚を眺めていたのだ、計画通りである。という顔をする予定である。 新潮社の森鷗外作品の朗読CDの中の『寒山拾得』を聴きながら水槽を眺めた。金魚により役割が決まっているので目で追いながら聴く、これは想像以上に面白い試みである。勝手に泳ぎ回る寒山や拾得を眺めながら、朗読に合わせて、想像力でこちらが脳内に物語を描いて行く。私という特殊な想像力による変換装置をお貸しできない以上、あまり他人様にはお勧めしない鑑賞方法だが。

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一日  


午前中、昨日の幼馴染みの金魚に対するアドバイスを思い出していた。できれば違う種類の金魚を混泳させるべきではない、と。ほとんどがオランダ獅子頭系の中にいる虎柄の朱文金のことをいっている。そこで寒山拾得のことを説明し、虎役は別の種類にしたいのだ、というとうなずいていた。小学校の時、学芸会で、私の企画立案した寸劇に何度となく付き合った友人は、さすがになんだそれは?などとは一言もいわない。本日の入道雲が金魚の頭の肉瘤に見える。 何度もやってしまうのだが、ポケットに札を入れたまま洗濯してしまい、いつものようにレンジで乾かしたのだが、火花が散って発火、万札が焦げた。こんなことは初めてである。全焼ではないので、広げずそのまま銀行に持って行くと、日本銀行の審査が必要という。書類に色々書き込む「たぶん3枚だと…。」その後江東文化センターに行き、芭蕉記念館の担当者と待ち合わせる。本日講座を開いておられる日本歌人クラブ会長の藤原龍一郎さんを担当者にご紹介することが出来た。私の以前の住まいの真ん前の小学校の御出身で江東区在住、芭蕉サミットその他、お力を貸して頂けるのではないか、と以前から話していた。担当はアイデアマンであるので、さっそく色々企画を思い付いていたようで何よりであった。 その後、居酒屋にて芭蕉庵の打ち合わせ。簡単な図面に具体的なサイズを書き込んである。高さはおよそ70センチ。ようやく決まった。難航したのは、当初私の芭蕉像を中に設置しようと考えたせいで、そのままでは家から出ないくらいのサイズとなるところであった。 芭蕉庵にはひようたんが備えられてあったという。門弟達が師匠のために米をもちより入れて置いたらしい。そういった身の回りに関する情報をできるだけ集めるようお願いしておいた。 帰りのタクシーで、そういえば一万円札はキラキラしている部分がある。インクに金属が含まれていて発火したのかもしれない。何度もレンチンしたのに今まで発火しなかったのは、私のポケットにキラキラした札が入っていなかったせいだろう。運が良かった、ということにしておいた。

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3時半に錦糸町で幼馴染みのYと待ち合わせる。数年前に、10年以上ぶりに、たまたま会ってお茶を飲んで以来である。考えてみたら、錦糸町駅ビルの熱帯売り場は、小中学校の頃、二人で散々通った。坂崎幸之助がラジオでやはりここに通った話をしていた。昭和三十年代、馴染みのない、バターを炒めた洋食の香りがホームを直撃していたのを思い出す。駅ビル内の店に。彼には興味がなかろう、と作家シリーズに転向して以来、個展の知らせもほとんどせず、本を出したことも知らないくらいである。二年前の金魚坂での室生犀星の個展『我が肌に魚まつわれり』のチラシを渡す。昨年引っ越しした話を手短にしてさっそく金魚の話である。小学校の病気の金魚の水槽に、ビタミン不足と聞き齧ってレモンを絞った彼が、らんちゆうの愛好会の審査員にまでなっていたとは、というと彼はレモンの件は憶えていなかった。 朝撮影してきた金魚の映像を見せると、どんな金魚をみせられるか、と思っていたら、悪くはない、といわれて嬉しかった。専門家的には尾びれの形が、とか、ここのラインが、と様々あるようだが、そんなことは私は知らない。彼は椎間板ヘルニアで水替えができなくなり、十年前に金魚は止めており、趣味としてはボディビルのジムに通っていた。金魚の形にこだわることから、自らの肉体の形にこだわることに転向した、ということになるが、それもコロナ禍により最近止めたという。だったら金魚に戻れよ、と。私は見た目はともかく、中身は昔のまんま現れ、旧友をしばしば戸惑わせてしまうのであった。

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被写体から陰影を廃するという最初の試みは正確にいうと『鏑木清方作三遊亭圓朝像へのオマージュ』ではなくバストアップの圓朝の周囲にヒトダマが浮かんでいる作品であるが、手がけるまで時間がかかった。一月くらい、頭の中で圓朝がずっとこちらを見てたのを憶えているが、当時のブログには、あの頃の葛藤が書かれているはずので、我が大リーグボール3号の完成の流れをいずれ読み直してみたいが、憶えているのは、ヒトダマのことである。寄席や、映画で使われたような、真綿に焼酎を浸ませて火を点けたようないわゆる”焼酎鬼火“あんなダサイ物は絶対に撮りたくない。結局、半紙に墨汁で筆描きした物を反転し、重ねて使った。以降、蠟燭の灯りも筆描きとなる。後で考えてみると、陰影を排除するということは、艶や、光の反射にも制限がかかる。よつて実に合理的な手法なのであった。円谷英二同様、火と水には苦労する。 手塚治虫のジェット、ロケット噴射は蠟燭の灯のようである。蠟燭の火を撮影してみたが、出力不足は否めず。噴射を強めた。寒山拾得でも焚き火あたりが、登場しそうである。それはまた筆描きするとして、問題は水である。陰影がないということは、艶もなければ反射もなく、また空気感もなくはないが難しく、いいずれにせよ四元素には工夫が必要となる。



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幼稚園の頃からの幼馴染みのYと、小学4年で同じクラスになり、彼の影響で熱帯魚を始めた。中学の飼育部で、予算を多く撮り過ぎ、非難の的になり、その風向きを変えようと、熱帯魚の丸呑みショーを企画し、見事に失敗して、涙目の部長を残し二人逃げた話しは書いた。江戸川の金魚の 養殖場に入ってしまって叱られたり。彼とは随分会っていないが、熱帯魚かららんちゆうに転向したという話をかすかに憶えていた。彼は地元で美容院を経営しており、美容学校時代は友達のよしみでパーマ他随分実験台になった。店の名前は私が考えたので、検索して店に電話をしてみたが、このご時世、早仕舞いだそうで、何度かかけて、今日ようやく通じた。引っ越ししたことや、お互いの近況、親のこと、話すことは山々あれど、そんなことよりまずは金魚である。 彼は椎間板ヘルニアのせいで水替えができなくなり、十年前に止めたという。数年前にたまたまあった時は、私が金魚に興味がなかったので、らんちゆうを止めた話は出なかった。 彼はらんちゆうの愛好会に入っていたことは知っていたが、実は優勝を果たし、しまいには審査員もやっていたそうである。ユーチューブによると、一般の愛好家のように、店で市販の金魚を飼って育てるというレベルではないことは知っていたので、教室の金魚が病気になり、ビタミン不足だと知り、家からレモンを持ってきて水槽に絞ったYが、と感慨深かった。近いうちに会って金魚の他、学芸会や飼育部、その他で、我々のしでかしてきた様々について語り合うことにした。

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幼稚園の頃からの幼馴染みのYと、小学4年で同じクラスになり、彼の影響で熱帯魚を始めた。中学の飼育部で、予算を多く撮り過ぎ、非難の的になり、その風向きを変えようと、熱帯魚の丸呑みショーを企画し、見事に失敗して、涙目の部長を残し二人逃げた話しは書いた。江戸川の金魚の 養殖場に入ってしまって叱られたり。彼とは随分会っていないが、熱帯魚からんちゆうに転向したという話をかすかに憶えていた。彼は地元で美容院を経営しており、美容学校時代は友達のよしみでパーマ他随分実験台になった。店の名前は私が考えたので、検索して店に電話をしてみたが、このご時世、早仕舞いだそうで、何度かかけて、今日ようやく通じた。引っ越ししたことや、お互いの近況、親のこと、話すことは山々あれど、そんなことよりまずは金魚である。 彼は椎間板ヘルニアのせいで水替えができなくなり、十年前に止めたという。数年前にたまたまあった時は、私が金魚に興味がなかったので、らんちゆうを止めた話は出なかった。 彼はらんちゆうの愛好会に入っていたことは知っていたが、実は優勝を果たし、しまいには審査員もやっていたそうである。ユーチューブによると、一般の愛好家のように、店で市販の金魚を飼って育てるというレベルではないことは知っていたので、教室の金魚が病気になり、ビタミン不足だと知り、家からレモンを持ってきて水槽に絞ったYが、と感慨深かった。近いうちに会って金魚の他、学芸会や飼育部、その他で、我々のしでかしてきた様々について語り合うことにした。

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ペットにたいして飼い主は、何でも可愛らしく見えるらしい。そういわれても私には大体、普通の犬や猫にしか見えない。しかしウチの金魚に限れば、わざわさ不細工だから、という理由で選んでしまった寒山こと桜東錦を別にすれば、間違いなく可愛い。暗い部屋でライトを点けて眺めていると唖然とするくらいである。生き物が発する色彩は格別である。 女子中高生などは寄ると触るとカワイイを連発しているが、以前、泉鏡花原作”貝の穴に河童の居る事“をビジュアル化して出版した際、間違ってもカワイイとは言わせないよう、心がけた。女性がカワイイと発音するとき、副音声でオイシソウと聞こえてしまうのは、高校を卒業し、入学した工芸学校で、すぐに親睦を兼ねた合宿があり、キャンプファイアーを囲んで酔っぱらつて皆で寝てしまった。夜中に目が覚めると満点の星空、3人の可愛らしい先輩が肩を寄せ合い語らっている。この前までいた男子校とは雲泥の世界である、うっとりしていると、3人の彼女らの、誰君は柔らかそう、誰君は筋ばってるから煮込んだ方が良い、と男子を喰う話が聞こえて来た。 可愛いいから、と新入りのオランダ獅子頭を拾得に昇格させ、拾得を寒山に、不細工で選んだ寒山をベランダに、と考えてしまったが、水替えして眺めていて、やはり同じ桜東錦同士、寒山と拾得とすることにした。新入りのことはまた後日。最終的に、この六十センチ水槽には、寒山と拾得、豊干と豊干の乗る虎、くらいにしたいところである。 絵巻調に描く予定だが、せっかく時間経過を表すには絶好のフォーマットである。頭痛に苛ま苛まれる閭丘胤のところに旅の僧、豊干が訪ねて来て、最後、寒山と拾得が笑いながら何処かへ行ってしまうところまで、寒山詩集の序に描かれたストーリーをそのまま描いてみるのも面白いかもしれない。

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寒山拾得図という物は昔からモチーフにされて来た。中国は寒山寺の拓本が土産物として売られ続け、日本でも旧家には良く床の間にぶら下がっていたものらしい。大昔からある画題、モチーフでも特に寒山拾得を、と考えたのは、二人の謎の表情がポイントとなっていたからであろう。寒山拾得図は星の数ほど描かれ続けてきたが、玉石混交、いくら見事に背景が描かれていようと、二人の表情に魅力がとぼしければ、興醒めである。この画題は寒山と拾得の表情こそが肝心であるり、そこに惹かれたのであろう。考えてみると、風景画といわれても、誰だったか、街に橋がある作品と、槐多木炭画くらいしかとっさには浮かばないのである。花鳥風月自体にそれほど興味がない。かつてジャズマンを作っていたころ、顔を引き立たせるために、いやいや楽器を作っていたが、今回中国の山深い岩山など作るのも、ひとえに寒山と拾得の表情のためだけである。楽器と違ってカタログや実物を写す訳ではないので面白いだろう。岩肌は、高橋幸宏さんのアルバムEGOのレコードジャケットで、経験済みである。そのずっと前だったか、村山槐多で『尿する僧』のオマージュ『尿する槐多』を作った。突き立った岩のてっぺんで放物線を描く。当時はデジタルのデの字もなかったから、後ろからチューブにつないだ注射器です放尿させた。足下の芝かなんかをむしって粘土制の岩に貼り付けた。現場での馬鹿馬鹿しさは大変な物であったが、ファインダーの中、あるいは出来上がりのプリントさえイメージ通りならば、馬鹿馬鹿しい方が楽しい。


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