明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



私が一時熱中して飼っていた熱帯魚にフラワーホーンというのがいた。慣れてくると頭を撫でることもでき、こんな頭の良い魚は知らない。繁殖も比較的楽であった。ただシクリッドという魚種の常で、縄張り意識が強く、他の魚との混泳はよほど水槽内のバランスがとれていない限り不可である。何種類かの魚を掛け合わせ固定化し、東南アジアで人工的に作り出された魚で、ホーンといわれる出っ張ったおでこや、赤色や、黒い斑点などが、風水にのっとり評価され、華僑の間で流行した。模様が目出度い数字に見えようものならとんでもない値が付けられたた。 中国モチーフの作品を手掛けてみると、頻繁に吉兆アイテムが登場する。蝦蟇仙人の三本脚のカエルなどは、まさにそうで、幸運、金運の象徴であり、本能寺には織田信長遺愛の品が残されているそうである。それに対し相方の鉄拐仙人は、鉄の杖とは別にひょうたんを持っている。これも代表的な吉兆アイテムである。なのでひようたんを持たせることにした。そんな訳で鉄拐仙人は後回しにし『慧可断臂図』の慧可禅師の頭部を作ることにした。


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浮世絵やかつての日本画の自由さを写真作品に採り入れられないか、と被写体から陰影を削除してみた。おかげで写生をしていた大蛸に襲われ、それでも絵筆を離さない画狂人、葛飾北斉など制作出来た。しかし浮世をテーマにした浮世絵の世界より、超俗的な禅画の世界の方が、一山向こうの世界を描いているようで弾け方が別次元である。 ここまで来ると“現世は夢 夜の夢こそまこと”といった江戸川乱歩チルドレンを標榜し、まことを写すという写真という言葉に抗い続け、まことなど一切写してなるか、とファイトを燃やし続けて来た私も、頭に三本脚の蛙を乗せた男の表情を眺めていると、幼い頃から取り憑かれている甘美な孤独感に包まれるのであった。


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蝦蟇、鉄拐図は13世紀後半に活躍した中国の顔輝(がんき)作が日本に渡り、それが多くの絵師の大元となっている。私の好きな謎の笑みをたたえた寒山拾得図も顔輝作となっいるが、こちらはあくまで伝顔輝となっており、そういえば趣が違う気がしなくもない。真筆として明らかになっているのは、京都知恩院にある蝦蟇、鉄拐図という。そう考えると、今回、モチーフの選択など、私にも顔輝の影響大である。しかしながら私は絵師ではなく、こう描くべきだ、という師匠もいない。作った後に、蝦蟇仙人がカエル顔をしている必用はなかったな、などと思いながら、勝手に作っている。 小津安二郎の有名な言葉に“どうでもよいことは流行に従い、 重大なことは道徳に従い、 芸術のことは自分に従う。”というのがあるが、私の場合、差し詰め”どうでも良いことは歴史に従い、その他は自分に従う“といったところであろう。巨匠の場合はチーム仕事だし、会社に所属し、私とは渡世が違う。 よって鉄拐仙人の持つ鉄の杖は、持ち手がT字型の先達が描いてきたと同じ形にしたい。



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一日  


蝦蟇仙人と鉄拐仙人のコンビは、最低でも二方向からの表情を撮りたい。そこで立姿と、うちにも両方の掛け軸があるが、良く描かれる岩の上に座る姿にすることにした。それにしても実際は存在していない、しかも仙人などという物は、無責任に創作出来るので、こんな愉快なことはない。
テレビで『マスカレードホテル』を観る。実は犯人であった老婆が、本当は若い女の変装であることは誰にでも判っただろうが、特に唇の形と声で、松たか子であることが私には判った。子供の頃からシルエットクイズなど得意であった。いつだつたか、落語を聞きに行き、二列前の男の横顔のシルエットで、東京のテレビではそれほど目にしない、当時謹慎中の北野誠であることが判った。それに友人や親しい人なら、10年ぶり程度なら、電話のもしもし、で誰だか判る。という自慢しようがない特技もある。いずれにしても私には出来るだけ犯罪現場は見られない方が良いと思う。

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無呼吸症候群というのは侮れないもので、装置を着けないで寝ると一日酷い眠さである、大乃国の芝田山も引退するはずである。それでも普通に寝ているつもりでいたから、原因が明らかになり安心ではある。しかしマスクを着けなきゃ、と思いながら。なにしろピストルに撃たれたような寝付きの良さである。昨晩も着けずに寝てしまった。久方ぶりに夢を観た。 何だかいやに趣のある和室でカメラを手に正座している私。庭から爽やかな風。「先生がおいでになりました。」顔を上げると部屋に入ってきたのは谷崎潤一郎ではないか。両手にショートケーキを持ち、クリームだらけの手を、上等な着物になすりつけている。『女中の証言はホントだったんだ。』驚いていると、和服姿の若尾文子が入ってきた。ええっ?と思わず声を発すると、隣にいた編集者らしき男が「あんたが、どうせ撮るなら若尾さんが良い、といったんじゃないか。」よく見ると船越英二であった。

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石塚式ピクトリアリズムは、撮影時には迷うことなく、こういう画にする。ときっちりと決まっていなくてはならない。その代わり後は予定通り配置するだけである。最初の三遊亭圓朝は、一晩で完成してしまった。ただリアルに塗装したつもりの顔が汚れにしか見えず、三脚のカメラをそのままに、一色のベタに塗り直す必要があったが。 そんな訳で、制作時にアングルから何から決まっていなければならないのだが、蝦蟇仙人と鉄拐仙人は、何故かは知らないが、古来よりペアとして描かれてきた。一パターンは決まっていたが、もう一カットが決まらない。蝦蟇仙人が頭に乗せている三本脚の蛙の見せ方も絡んでいるので、なかなか制作に入れず。ペアでなければこんなに悩むことはないが、二つを色々アングルを考えながら、無呼吸症候群のせいだろう。寝たり起きたりで二日経ってしまった。明日には一つを作り始め、もう一つはそれに対応させて作ることにした。

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クリニックにて、無呼吸症候群の装置のレポートを貰う。着けていた時間、マスクからの空気漏れ、改善度その他スマホから送信されたデータにより判る。かなり改善されて良好である。昨日、一昨日と、蝦蟇仙人のことを考えているうちに寝てしまい、着けなかったが。装置を着ける前の、最初の検査結果は、とてもこんな所に書ける数値ではなかった。寝てる間中、素潜りの練習をしているのか?という有様であった。 ここ40年以上、寝たい時に寝て、起きたい時に起きている。つまり寝る時は眠い時である。なので、まるでピストルで撃たれたように、といわれる寝付きの良さである。これが幸いであった。マスクのビニール臭さには閉口したが、それもいつしか消え、レクター博士かビッグバンベイダーみたいなマスクをしていてもすぐ寝られる。問題は、ちょっと目が覚めたときに無意識に外してしまうことぐらいである。三時間でも着けていれば結果は違う。



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私が最も気を付けるべきことは、何といっても『虎渓三笑』の教訓である。一つことに夢中になり、客観性を失うことである。この三人のように、笑っていられる分には良いけれど。それを避けるために、備忘として、事あるごとに記すことにする。 本日も、あれをどうしよう、どう作るべきか、と考えながら目が覚め、良ーく考えたら、そんな物はなかった、という個展を前にしての、お馴染みの現象がいつもより大分早く始まった。在りもしない作品について思い悩みながら目が覚める。実に無駄なことである。それもこれも作品数の多さのせいである。
未仕上げ乾燥済み 臨済義玄 陶淵明 陸修静 達磨大師。  
頭部のみ完成 蝦蟇仙人 鉄拐仙人 豊干 琴高仙人 慧遠法師。
修正中 寒山 拾得
新たに作るべき頭部 慧可
新たなモチーフ 真正面を向く達磨大師
※これらをすべて乾燥まで持って行くまでは、決して新たなモチーフを思い付いてはならない。思い付いても、粘土に手を出してはならない。


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粘土  


アマゾンで安い所に粘土を注文したら、待たされた挙げ句に注文不可。ショップが潰れたのか。改めて注文した。これは想像だが、アル中患者が酒屋から酒が届いたのを眺める時、こんな気分ではないだろうか。二年前の引っ越しの片付けをしている時、粘土を注文してしまうと、片付け嫌さに、制作に逃げることは判っていたので我慢した。こんな時に作れば、必ず良い物が出来るのだが、と禁断症状に苛まれた。良い物が出来るのは間違いない。良い物が出来なければ、ただ罪悪感だけが残る。逆にいえば罪悪感を払拭する術を持っている、といえなくもないが、鎮痛剤で痛みが消えたところで虫歯は治らないのであった。 教えを請うため左腕を切り落とし覚悟を見せるを振り返る達磨だけでなく、真正面向いた達磨大師を作ろうと思ったが、見返り達磨は、衣を頭から被っていないが、正面の達磨は被せたい。撮影してからでないと首を入れ替えて作ることが出来ない。陶淵明乾燥へ。


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臨済宗宗祖臨済議玄、『慧可断臂図』の達磨大師、『虎渓三笑』の陸修静、陶淵明それぞれ作りっ放して乾燥するに任せている。それは良いのだが、こうしてラインナップを並べて見ると、どうも何だか居心地が悪い。このラインナップとバランスを取るには頭に三本脚のガマガエルを乗せた蝦蟇仙人くらいでないと効き目はないかもしれない。そうこうして予定になかった達磨大師の正面像を造りたくなって来た。 ”考えるな感じろ“も良いが、何事も夢中になり過ぎてはいけない、と『虎渓三笑』のエピソードが示している。我が母が幼い私に対して最も心配していたのはこの点だったろう。今回は初めてのモチーフでもあり、いつもと大分勝手が違う。スケジュール、ペース配分その他、今のうちから考えなければならない。 と、もっともらしいことを書いてみたが。改めて考えてみると、このモチーフ自体が、そして作り始めて数体で、すでにやり過ぎているのではないか?今回制作していていつになく楽しいのは、何かしらやり過ぎているからかもしれない。


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陶淵明制作再開。『虎渓三笑図』は、先日書いたように、三人制作するので2カットはものにしたい。被写体も作るので、1カットで済ませたくない。被写体制作と撮影の二刀流なので、こう撮ろう、と考えながら作るので、写らない部分は冷酷なくらい作らない。ほんの少し、首の可動域を増やし、それで首の角度の違いで違う表情を抽する。 これは写らないから、展示をしないから、効率を考えて無駄を省いているといえばそうなのだが、360度作ったものと、撮影の効果だけを考えて作った被写体とは、実は違いが出る。これは二種類を撮り、ファインダーで比較でもしないと判らないだろう。誰の参考にもならない話なので、このぐらいにしておく。まあまんざら横着しているだけではない、といっておきたい。そう思うと、大谷は当然ピッチャーのことを知っているバッター、バッターのことを知ってるピッチャーなのは当然だろうと思う。

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近々動物園に虎の撮影に行こうと考えている。曇天の日に撮影することになるが、コロナのせいて予約制なのが困る。 動物園では何度か撮影した。初出版の乱歩本のため『目羅博士の不思議な犯罪』の一カットに、ニホンザルを撮影した。次は『貝の穴に河童の居る事』用にミミズクを撮りに行ったが、檻が邪魔だな、と思ったら、ごく近所に猛禽類カフェが出来て事なきを得た。むしろどうやって撮ろうと思っていたカラスが、入場者の食べ残しを狙って沢山いて助かった。次は世界初の推理小説、エドガー・アラン・ポーの『モルグ街の殺人事件』のためにオランウータンを撮りに行った。映画、挿し絵その他、どういう訳かチンパンジー、ゴリラなどで代用されてきたのが不思議でならない。この時は森の賢者たる大人し気なオランウータンに、残忍な殺人犯にさせて少々心苦しかったが、実は怪力で獲物を引き裂き齧り付く補食者の一面を持つことを後で知った。


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陶淵明は小学三年の時、私があまりに伝記、偉人伝の類を読みまくっていたので、担任の田中先生が転任の際に世界偉人伝をポケットマネーで買っていただいた。一人一ページで線描ではあったが、それぞれの肖像が載っていて、肝心なのは、すべて由来のある肖像画を元にしていた。その気遣いが、幼い私に栄養を与えている。子供扱いした挿絵と、大きな活字は四年生からは拒否した。おかげで出会ったのが『一休禅師』に載っていた一休の”本当の顔“である。 『虎渓三笑図』の慧遠法師と陸修静は、検索しても特に決定版といえる肖像はなさそうなので創作したが、陶淵明は、田中先生の世界偉人伝で記憶がある。あるからには勝手なことは出来ない。ただ陶淵明と李白の区別がつかず、検索してみると、まあどっちでも良い。実在者の場合、写真資料が潤沢なほど厄介なこともある。そういう意味では作家シリーズは私にとって修行の如き物であり、年季が開けて出会ったのが現在のモチーフという感じがする。

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廬山に住む慧遠法師は、三十年は山を下りずに修行しようと決めていたが、陶淵明と陸修静が訪れ、帰りに慧遠法師は、二人を送ったていくが話に夢中になって超えないことにしていた虎渓を過ぎてしまい三人で笑ったという故事。山深い中、虎渓に川が流れている。石橋が架かっており、渡りきったところで、うっかりに気付いて笑う三人の男達。いかにも私がそそられそうな話である。さらに決め手になったのは、三人が渡ってしまうに相応しい中国風石橋に心当たりがあった。小学校の学芸会で大国主命が我慢比べをし、我慢できずに野糞をしてしまう、という紙芝居をやったが、人間の趣味という物は簡単には変わらないようである。 陸修静乾燥に入る。続いて二人目は陶淵明にする予定。なんで私は陶淵明を作っているのか?なんて考えなければ上手く行くだろう。


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臨済宗の寺はそこら中にあるというのに一千年以上前の宗祖、臨済義玄像は、立体どころか絵画作品も少ない。そういえば本場中国はSNSなど規正がある。検索したって出てくる訳がないな、と中国のエンジンで検索してみた。ドドドッと出てくるかと思いきや、意外な物は一つもない。がっかりした。『虎渓三笑』は知らない作品、現代のイラストなど出てきたが、驚いたのが『慧可断臂図』である。雪舟作と達磨の向きが同じ、中国語なので、いつの誰の作品か判らないが、これが国宝雪舟作品の元なのか?拡大が出来きないが、引きの絵なので、積雪や洞穴の様子はこちらの方が良く判る。 ところがドラマがあり、慧可が腕を切る場面もあった。悪党と達磨がカンフーで戦うシーンに唖然。火の着いた矢が達磨に刺さり、僧侶の焼身自殺のように燃え上がる。それを輪になって祈る僧侶達。ここで映像が止まってしまった。まあこの先を見るまでもないだろう。そういえばここは少林寺であった。

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