明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



昨日虎に寄りかかり眠る豊干禅師を制作、これで一睡図。豊干を作っている時、書いたが、瞼のせいで、俯かせると寝ているように見える。これに寒山と拾得を足して『四睡図』となる。二人は粘土調でデジタル処理。一休宗純の時、粘土で目を塞いで面倒なことになった。虎を隠れさせたくないこともあり、寒山拾得は作るところを少なく済ませる。四人が仲良く寝ていることにより、善の精神を表しているという。告知用の画像、文字データを本日中に送るはずだったが、四睡眠は間に合わず。限界が来て夕方寝たら日を跨いでいた。 寝ている虎を撮れず、仕方なく一起三睡図にすることも考えたが。多摩動物公園にいる知人に送ったらなかなか、これは撮れないと言われた。検索しても首は上げていて、人前で無防備に死んだようには寝れないのかもしれない。朝までには完成するだろう。



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昨日はくたびれて寒山拾得を作らず、撮って来た岩を『蝦蟇鉄拐図』に配して終わり。本日は午前中に個展用のステートメントおよそ600字を書く。しかし知らないこととはいえ、座禅もしたことないのに臨済宗宗祖を作ってしまったが。昔、イベントでバレエ『薔薇の精』を一度観ただけで翌年、ニジンスキー、コクトー、ディアギレフで個展を催してしまったが、あの頃私も若かった、と遠くを見る目をしていたはずだったが、何にも変わっていなかった。死ななきゃ治らないとはこのことか。臨済義玄がすましてただ斜め45度見ていたら作ることもなく、ひとえに喝!の激烈な表情ののせいである。 昔は友情を持って止めてくれた友人らも、寒山拾得に至り、遠くからただ無表情に眺めているという有様である。それは連中の立場になれば私にも理解は出来る。  臨済義玄を含め、事情が判ってくるにつれ、知っていたら作らなかったであろう作品も多いが、お陰で作ることが出来たともいえる。何でも都合良く解釈するといわれるが、そういえばあまり後悔しない体質かもしれない。



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YouTubeで鯉の捌き方を見た。職人の爺さんが、鯉コク用の切り身はあまり血を洗うと脂まで流れてしまうといっていた。新鮮だからの話だろう。そこに玄関に人の気配。女性二人の声がするので、もしや、と思って出ると、エホバの証人』無言でドアを閉める。あまり水で洗っちゃダメだそうだぜ?鯉だけど。 曇天なので撮影に出かけてみた。名石も松の木もいくらでもあったが、撮ってるうちに私の作品には私が作った岩や、松の木も盆栽こそが似つかわしい気がして来る。まあせっかく来たのだから、と目ぼしい物を撮っておく。ここ何年も、達磨大師の面壁九年ではないが散歩嫌いが座りっぱなしで、それこそ足腰弱り、くたくた。出不精もついに極まり、中国の山水風景も作業台の上で。ということとなった。 陰影については、光の方向性をさだめるのを止めさせれば自由になれるが、実はそれだけのことであり、立体制作者として肝心なのは濃淡による立体感であろう。結局は写真は光なのだ、と思うに至った今日この頃。

Don't Think, Feel! 寒山拾得展
人形作家・写真家 石塚公昭 作家活動40周年記念

10月13日(木)〜11月6日(日)

コミュニケーションギャラリー ふげん社

03-6264-3665

〒153-0064 東京都目黒区下目黒5-3-12

アクセス:

・目黒駅より徒歩15分 ・目黒駅西口発 東急バス「元競馬場前」下車 徒歩1分

 

 



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眠る虎に寄りかかり眠る豊干禅師。これにて『ニ睡図』。あとはこれに寄り添い眠る寒山と拾得で『四睡図』となる。 しかし立っている虎をわざわざ寝かせたので、寒山と拾得で虎を隠したくない。多少不自然だが不自然さはむしろ望む所である、作った部分は見せたい。そうしたものである。二人は虎の後ろなど、邪魔にならないよう配したい。となると大きな虎に隠れて、作る部分が少なくなる。私の場合、被写体制作者と、俺の拾得がこれじゃ目立たないではないか、などと揉める心配だけはない。これで、明日中もしくは夜中には、危うくボツになるところだった『四睡図』は完成するだろう。



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被写体制作と撮影の二刀流というのは、だからこそ、被写体と作品のイメージのズレが気になる。誰でも画像処理その他でそのズレを埋めようとするのだろうが、私の場合、いつしか粘土で造形するつもりでペタペタとコピペを多用するようになった。 18でデッサンなどやったことなくても入れた工芸学校で、授業でリンゴを作る課題があった。美大浪人や経験者などいたが、当たり前のように、いきなりリンゴ大に粘土を丸める未経験者の一団がおり、私もその一味であった。そこで当時は若く、後に女子美の学長となる先生に、リンゴの芯をイメージし、いきなり丸めず肉付けしていくよういわれた。そういうものか。以来、陶芸の道からは足を踏み外したが、未だにペタペタやっている。あのリンゴから幾年月、本日はモニター見ながらウロウロ歩き回って落ち着きのないアムール虎をバラバラに切断してペタペタやって地面に横倒らせ、その腹に寄っかかって眠る老人、豊干禅師をこちらは粘土でペタペタ。

Don't Think, Feel! 寒山拾得展
人形作家・写真家 石塚公昭 作家活動40周年記念

10月13日(木)〜11月6日(日)



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上野動物園で撮影した落ち着きがなく、ウロウロ歩きっ放しだったアムール虎を、一日かけてぶち倒し寝転がした。自然に寝転がる虎を撮るより私らしく、正解であったろう。寝ている虎が撮れない、多摩動物園じゃどうだ、とマコトを写すという写真に対してブツブツ言っていながら情けなかったが、これで『四睡図』が加わり、当初の予定通りのラインナップとなるだろう。    最近質感に変化が出てきたことと関係があるが、素人の女性を作中に登場させる場合、差し障りもあり、顔を変えることが多い、私の場合、粘土造形の要領で、コピーアンドペーストで制作する。『ゲンセンカン』の女主人は顔をマンガに寄せた。しかしそれはむしろ、人形作品でこそ行うべきだ、と今回、積極的に多用している。粘土の要領でのコピペによる再造形は、本当のことなどどうでも良く、夜の夢こそまことである私を、さらに増長させる結果となるだろう。明日は虎に寄りかかり眠る豊干を制作。

Don't Think, Feel! 寒山拾得展
人形作家・写真家 石塚公昭 作家活動40周年記念

10月13日(木)〜11月6日(日)



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台風が近づく小雨のうちに、足りない部品を撮りに行こうか迷う。それがないと、今晩何をすれば良いのか.というところである。幼稚園児の頃、台風の休園日、佃の渡し船を描いていて、母が止めるのも聞かず、渡し船の東京都のマークを見に、マンホールの蓋を見に行った。三つ子の魂百まで。想えばなんと選択肢の狭い人生だったことであろう。それはともかく。追加した粘土が届く。 時間が許せば、と考えていた『四睡図』は寝ている虎が間に合わず断念した。いや寒山と拾得と豊干で『三睡図』なら可能である。いやなんなら四つ足で立ってる虎はあるから『一起三睡図』も可能である。だがしかし、虎如きに、、と。自然な状態の虎なんか誰が撮るか.立ってる虎を蹴倒し、手足頭をバラバラにして、粘土扱いして地べたに寝かせてやろう。初志貫徹といこう。正式タイトル決まる。トークショーも予定している。

Don't Think, Feel! 寒山拾得展
人形作家・写真家 石塚公昭 作家活動40周年記念

10月13日(木)〜11月6日(日)

 



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それにしても、写真の、まことを写すという意味に対して蛇蝎の如く嫌い、まことなどという物に一切関わりたく無い、とまるでエンガチョのように抗い続け、ほとんど腹を立てる始末である。何故そこまでマコトに対して拒絶反応を起こすのか?何かあった覚えはないし。字義通り、光画とでも着けてくれれば良かったものを。そのリアルさにびっくりして思わずつけてしまった、というところだろう。日本人は、ずっと変な遠近法を使ったり、陰影を描かなかったりして来たくせに、いまさら何がまことだ、と.葛飾北斎が西洋化して行く様にまで腹を立てる始末。   それでも良くも悪くも私の根幹を成す物ではあることには違いない。と蝦蟇仙人の背景に竹を配したり、鉄拐仙人の口から分身を吐させている私であった。

 



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昨日、岩窟内の達磨大師をやり直して、もう実際の岩壁など撮る気はなくなった。いずれ岩窟に住む寒山、そこに訪れた拾得を作りたい。曾我蕭白の結晶みたいなヘン岩は嫌だが。 本日も晴天で石橋を撮りに行けず、翌日に発送とあるので、活き鯉を注文しようと手続きを進め、注文用カレンダーを見ると最短で5日となっている。これだから嫌なんだよ。写真の欠点、無い物は撮れない。注文を止め、癇癪起こしてトンカツを食べに行く。 多摩動物公園に知り合いがいるので、虎の展示状況を撮影して送ってもらった。虎の姿はない。ライオンは外でグウタラしているが、虎は出てこないことが多いらしい。もう判った!撮れるかどうか判らない物など要らない。虎と寒山拾得、豊干が寝ている『四睡図』今回は止めた。 その代わり『慧可断臂図』の岩壁が思いの外上手くいって気を良くしている。これなら地面も何も作ってやろう、と。代わりに新たな寒山拾得を加えることにした。まことなんか最初から写す気はない。私の行手の邪魔ばかりである。今後画面からますますホントのことが消えていくだろう。



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朝、曇天なので、中国風石橋を撮りに行こう、とカメラの充電。このまま、一回切りの充電で、個展作品を完成してしまう訳には行かないだろう、と思いながら2回目の充電をした。なんでフイルム代その他かかったあの頃に思い付かないで、デジタルの時代に、こんなシャッターを切る必要のない手法をやっているのだ。もっとも、その場で結果の判るデジタルだからこそ、ではある。結局陽が出て来たり出なかったりて撮影は止める。   この充電しながら思った事が、のちに影響したようである。 昨日、上手く行くかどうか、と思っていたら達磨大師が面壁9年、坐禅の挙句に手足が腐ってダルマとなったしまう。その岩窟の制作、当初、房総の洞穴を撮って、と思っていたのが自分で作ることに決めてしまった。頭の中では、30年前、高橋幸宏さんのアルバム『EGO』(東芝EMI)のジャケットで、で石膏を削って岩肌に見立てた経験を思い出したのだが、あれだけ時間をかけ達磨大師と慧可禅師を作ったのに、一晩で洞窟内岩壁が撮影まで完成してしまった。そこで充電時の気持ちが。    昨晩のデータを見直し岩壁をもう一度作り直し、まったく良くなった。



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背景でも、滝があったり奇岩がそそり立つ『虎渓三笑図』より、単なる洞窟である『慧可断臂図』をまずやってみた。元々雪舟の断臂図を見て刺激されたのだが、雪舟も中国に似たような構図の、腕こそ切断していないが、洞窟内の達磨大師に向かい、大師は背を向けているのは同様で、二人が真横に並行に並んでいるのも一緒である。しかし立体として作っている私は、二人登場させていながら真横に並行に並んでいる、なんていうのは耐えられない。あくまで達磨大師に教えを乞い、覚悟を示すために己の左腕を切り落とした慧可を手前に前を向かせ、達磨にはその覚悟に気付いてもらい振り向かせた。これはジャズシリーズの時代から、たまに取り入れて来たマックス・ローチの『ウイ・インシスト』のレコードジャケットの影響である。『貝の穴に河童の居る事』の裏表紙でも、河童に振り向かせている。 達磨大師は、ちょっと平らになった岩の上に座っているように、なんとか見えるのではないか。



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〝考えるな感じろ”その心持ちといえば、人間ダウジングロッドと化し、ユラユラと水脈を探索する。そんな感じだろう。遠藤周作は〝何かやらなければならない時、他のことをせずにいられない人を怠け者という”といっていた。確かに大事なことは一切してこなかったかもしれない、その代わり何かを作って来た。つまり寝ていた訳ではないので、結果としては大して違いはないだろう。ということにしている。二十代までは、自分のことは自分が決める、と思っていたが、ことごとく外して来ると、よほどのバカでない限り、気がつく訳である。考えたって何も上手く行かないし、思ったところにたどり着けない。そこでダウジングロッドに任せていると、水脈が向こうからやって来る。 その挙句が寒山拾得ということになろうが、なんで寒山拾得だったのか?必ず聞かれるが、さっぱりわからなくなっている。まぁいいや、ということで。



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布袋尊ようやく完成。どうせ目出度いモチーフなら、と背景を金箔貼り風にしてみた。 西洋画や写真に、浮世絵やかつての日本画の自由さを取り入れたい、と阻害しているのは陰影が原因だと、第一作目の三遊亭圓朝から、もう5年にはなるだろう。当初、私の人形の作風と相まって日本画調になったので、かつてのビクトリアリズムが全盛期の印象派の影響を受けていたことで、日本画調のビクトリアリズムと称していたが、今回のモチーフから、異変?を感じていた。作品によっては日本画調ではあるが、どうも趣が変わって来た。何が変わったのか、ずっと考えていたのだが、先ほど原因が判った。同じことをやっている連中がいるならまだしも、超が付くごく個人的技術面の話なのでしないでおく。 以前書いたが、無意識のうちに変わって来たことに気が付き、なんでだろう?と分析するうち、行く道に変化が生ずる。こうして四十年間の私のお馴染みのパターンである。



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臨済義玄本日2カット目完成。顔が怖いので、昨日完成した布袋尊の能天気な顔があってかえって良かった。これでいよいよ背景の準備もしていきたい。長年使っていた欅のちゃぶ台の脚を取り外し、スチール製の折り畳みの脚を着けて、テーブルにしようと、そのままになっていた物を組み立て、その上と、作業テーブルの上に、岩窟やら山水風景を作りたい。そう思っていたらBSの再放送で、中国の奇岩風景をやっていた。観ていると、今からでも房総の風景を撮った方が、とも思うが、達磨大師が座禅するテーブル状の岩とか、作ってはみたい。 昔、あらゆる物をパーツとして撮り、いずれ足腰が立たなくなった時のために、と本気で貯めていた時があった。ここでもし山水風景を上手く作れだなら、もうレンズは外側には向けず、眉間だけで良い、などと調子に乗ってしまう可能性がある。今年日中国交回復50年だそうである。奇しくも今回の個展は日本人は一休和尚ただ一人である。



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最後の単体作品『布袋尊』の仕上げ。『寒山拾得』といえば風狂である。そのつながりとして『一休禅師』そして日本でいう七福神の中で、唯一実在した布袋尊も風狂僧である。どうせ目出度いなら、背景も金箔貼り風にしたいところである。これが完成すれば、単体の人物としては最後の撮影で、琴高仙人を鯉に乗せれば単体の人物は全て撮影完了となる。残るは『虎渓三笑図』の石橋、背景の部品としての松の木を撮影すれば、『虎渓三笑図』用の中国の山水風景と『慧可断臂図』の岩窟内と入り口あたり、また寒山拾得や、蝦蟇、鉄拐仙人の背景にも一部を流用したい。水墨の人物画などで良くある、背景に岩壁や松の木が顔を出してるアレである。 会場には中から選抜して拡大プリントも展示することになった。と書いていて、今回唯一の日本人、一休禅師に、曽我蛇足の原画にない鼻毛を加えたのを思い出した。



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