明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


『金魚坂』のある本郷五丁目は、ひょっとして、と検索してみたら案の定、太宰が上京し、最初に下宿したのが現本郷五丁目であった。だからどうだ、という事もないが、検索する前から多分そうだと思っていた。こんな偶然はよくある。 金魚坂はクラシック調のカフェでもあるし、太宰と女給と並べて撮影してと思わなくもないが、最初嫌いだったが読んでいるうちに面白くなった。とはいえ、スカした男である、というイメージまで覆されてはいない。クラシックなカフェで格好付ける事は許す訳にはいかない。そういえば近所にスカそうとしてもスカしようがない居酒屋があったが。 太宰の写真は写される事を意識してばかりで、有名なルパンの林忠彦作品も資料としてお世話になったものの、俺も撮れといってあのポーズ。ついでにいえば、二ヶ月掃除していないだけの坂口安吾の部屋を見て驚いているのだから世間も案外チョロいものだ、と某人形作家はいっているそうである。

 

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『石塚公昭 幻想写真展 生き続ける作家た18年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutubeこ
2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtube  

 

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載12回『大つごもり 樋口一葉




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昨日銀座のリコーに行き、そこから歩いて近い『ふげん社』を紹介いただいた。リコーの個展で購入頂いた『押し絵と旅する男』と『D坂の三人書房』が書籍の乱歩コーナーに飾られていた。私は乱歩で個展を、ということだと思っていた。次に行く所が和風だと思い込んでいたのでそれなら、と和紙にプリントした作品を持っており、話しのついでにお見せしたら『円谷な女(ひと)』(スマホでリンクの貼り方判らないので新HP参照のこと)が良いと言って頂き、かつて個展で一枚も売れなかったとお伝えしたのにもかかわらず、三島由紀夫の『男の死』を再び、ということに。このシリーズは、三島本人にウケることしか考えていない。三島ラストカットにこれしかない作品もイメージしていたが実現していない。来年一月か二月と言うことに。 細江英公の『薔薇刑』を展示したというギャラリーで思いもしなかった以外な展開にクラクラしながら次の本郷三丁目へ。 こちらは和風ではなかったが、予想通りだったのが、何度か書いた前言撤回の件である。『金魚坂』という元々金魚の卸問屋で、おそらくここへ行ってしまえば室生犀星作って『蜜のあはれ』を作りたくなることは判っていた。本物の金魚を使うつもりでいたが、映画に先を越されて断念していた。ここでロケした大杉漣の写真が。どんな金魚でも用意して貰えるそうであるし、そりゃあ〝おじ様〟は、室生犀星本人がやった方が良いに決まっている。

 

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小学校の宿題に関していえば部屋の片付け同様身体が動かないのであるから、一種の病気であり、いたわりこそすれ、先生もあれほど怒らなくても良かったのではないか。しまいには忘れ物が多く、宿題もやってきません、みたいな事が大きく書かれたサンドイッチマンみたいな格好をさせられ学内全教室を回らされた。今だったら大問題になりそうだが、その担任は後に某区の教育委員長にまでなっている。それはさぞかし傷付きトラウマとなり鶴田浩二の歌を耳にしたり、街でサンドイッチマンを見かける度、辛かったであろう、と同情される向きもあろうかと思うが、ご心配には及ばない。上手く出来たもので、何しろ宿題に全く興味がないので、恥ずかしさも沸いてこないのである。それにはやし立てながら付いて来る馬鹿共に腹を立てていた。その中の一人が私の次に同じ目にあうことになったが、死刑台に向かう死刑囚のように泣いて厭がり廃止になった。あいつがあんな調子になるのに私は平然としていたと、おかげで私の株が上がった。 株が上がったは良いが、今書いていて、そんな格好で授業中現れた兄を見て、我が妹は恥ずかしさにいたたまれなかったであろう事を今思った。何かと口うるさい妹だが、ある程度は仕方がない。 本日二カ所での展示が決まった。その件は明日。

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昨日『タウン誌深川』の編集長と共に表紙用撮影にでかけたが、イメージ通りではあったが光の加減が今一つ。あそこにある、と思い込んでいた物の場所がずれていた。結局二カ所の撮影位置だけ決め撮影は後日。かなり面倒で時間的にも厳しくはあるが、これだけ片付けをして(まだ終わっていないが)再起第1戦が、シャッター切ってフォトショップでチョイでは片付けで負った私の傷は癒えない。 知り合いのベテランデザイナーに私の制作ぶりをみてよく言われたものである。「プロはさっさと終わらせてさっさと遊びに行くんだよ。」そう言うもんかと思ったが、それは酒呑んだり遊んだりより作っている方が嬉しい人間には通じない。 小学校の低学年の時夢みたものである。何処かの王様に石の牢屋に幽閉され「宿題や算数なんかしないで良いからお前は一生ここで好きな事をしておれ、クレヨン粘土鉛筆いくらでもあるし、図書室もあるぞ」。今なら私はこういうだろう。「王様、宿題ちょっとやるから、その代わり部屋の片付けは、あそこに立ってるデカイ兵隊にやらせて!」

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子供の私には、ゴジラ(キンゴジ)と黒タイツ姿の力道山は完璧なフォルムを持っているように見えたものである。未だに大きめの煎餅が目の前にあり、人目さえなければ、チョップで割る誘惑に私は勝てない。ちなみに黒タイツは、力道山の力士時代、その稽古の厳しさに、後の〝土俵の鬼〟初代若乃花が脛に齧り付き、その傷痕を隠すためだった.、と二子山自ら語っていた気がする。小学生時代六年間、半ズボンで通したが、余りに寒い日は〝スッタカタ〟のアツギの黒タイツをはく事になり、鏡の前で〝力道山だ〟などとやったものだが、そんなある朝、ズボンをはかずにタイツのまま学校に向かってしまい気が付いて、慌てて引き返した。 このタイトルからしてお判りのように。昨晩深夜にジャージを脱いでオーバーコートを着てズボンをはき忘れコンビニへ。家に帰り、コートを脱いで気が付いた。しかし経験上私は知っている。例え社会の窓(今この言葉は通じるのか?)全開のまま一日気付かなくて帰って来ても、その時点で気が付いたなら、済んでしまった事に羞恥心は湧かないものである。小学生の私のように、〝最中〟に気付くのがいけない。

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目が覚めると、「おおっと」と古館みたいな声をあげそうな片付け具合である。素人目には判り難いかもしれないけれども。 明日は『タウン誌深川』表紙用、今年初の撮影である。ちょっと様々条件が悪いのだが、もう待てない。なのにやはり一番面倒な案で行こうと決めている。依頼仕事で納期もある。もう一案も頭に進めるつもりである。面倒な一案が上手く行けば、この作家で深川というテーマにおいては私の決定版となるはずである。何日かかるであろうか。 ある芸人が、おだてられて画家になったが尻すぼみ。計算したら何かのアルバイトの時給より安い。即座に道具を捨てたという。とんだバカがいたものだが、どうせならそんな計算をしてみよう、と思い付かない程度にバカだったら良かったのだが。 現場を思い出してみると、先日書いたが、作家に合わせて、背景の方をそれこそ左右反転、前に在る物を後ろに、など大改造が必要になるような気がしている。計算は出来ないけれどもルールブックは私である。

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部屋の片付けも、ようやく先が見えてきた。昨晩は腕時計が2つ出てきた。しかし片づけばかりでなく、個展のことも考えなければならない。来週某日個展の相談に、二カ所回ることになっているのだが、そのうちの一カ所が、決まるとなると危険な気がしている。 昨年、実在した作家は、すでに頭部が在る物を除けば、もう作らない、とブログに書いてきた。随分作って来たし、リコーのギャラリーで、今までの作品を眺め渡すような展示もできた。他にやりたいことも在るし、足を洗う頃合いだと思った。がしかし、来週お邪魔する場所が、名前を聞く限り、何だか以前やろうとした作品を出品するに最適なような予感がするのである。行ってみないと判らないし、個展の話しにまで至るかは判らないが、前言翻し、をまたやらかしかねない、と若干危惧している、と言いながら、浮かぶイメージに滞る作業。 

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『中は開けるな、ページは開くな。』などと相変わらずである。一服するたび『タウン誌深川』の表紙案を考える。隔月でフリーペーパーの表紙を四年担当したことを思い出すが、大変さが全く違う。今回は私が提案しただけあって、我がプロダクション所属のタレント?を使うので改めて作る必要はない。 背景には、即座に三案浮かんだが、一案はどうせなら主役の横に粋な女性を配したいところで、例によって身近な人材から、と言いたいのだが、そんな気の利いた存在は噂一つ聞いた事がない。二案目は現場に人形持っていって撮ることも可能である。難を言えば、私にすると呆気なく、歯応えが物足りない気がする。 ということになると、第三案が最も道は険しく、その分醍醐味も充分であろう。だがしかし、私に部屋の片付けなどという、最も似合わない事をさせて、この程度の歯応えでは許すことは出来ない。年末頃には、必ずや硬い物ばかりに齧り付いて全奥歯を磨り減らすつもりである。 

 

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見れば判る事をわざわざ口に出す事は野暮と言うものである。 まことを写すという意味の写真という言葉を蛇蝎の如く嫌い、真などとは一切関わりたくない、画面から排除することにファイトを燃やし続けてきた。身も蓋もなく写す写真に対し、人間でなく人形を被写体とし、古いレンズを使ったり、油性インクを使う古典技法を試み、あらがい続けてきたが、陰影を無くするに至り、長らく引っかかっていたことが雲散霧消。手のひらを返すように、これは写真だ写真だと言っている自分が可笑しい。以来表現手段として写真に会えて良かった、とつくづく感じている。 日本人は陰影を描いて来なかった。描く必要がなかったからであろう。北斎の娘お英を描いたドラマで北斎に扮する長塚京三が、西洋画を見て「見たまんま描いていやがる。」と呟いた。つまり見りゃそうなっていることは判っているが、という意味であるのはいうまでもない。このセリフの後に「だから西洋人てのは野暮でいけねぇ。何でも描きゃ良いってもんじゃねぇ。」と続いて欲しいところであったが、画狂老人の目は西洋に向いてしまった。シーボルトが注文して持ち帰った作品など、それまでの画業に比べれば、歴史的価値は在るものの、としか私には感じられない。

 

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目が覚めると、昨晩片付けた印象程には成果が上がっていないように見えるのが不思議である。しかし傍らには中身が見えるようなサンタの贈り物風な物が積んであるので錯覚ではない。 カセットテープが出てきた。幼稚園からの友人と中学生の時に二人で録音し、リスナーの自作自演曲を流していたニッポン放送『たむたむたいむ』で高校一年の時に流れた録音である。内容に関してはプレイヤーがないので確認出来ないが、そもそも自作の曲を歌う中学時代の私の声を聴く度胸が私にあるのか?実際一度はサンタの袋に放り込んだ。それを思い止まらせたのは、カセットに鉛筆で、マルに重と書かれた数年前に亡くなった相棒の字であった。 以前、この後の高校時代の録音が出てきたことがあり、彼との口喧嘩まで残っていて、下手くそな曲を聴くよりよっぽど面白い。間違ったのは私なのに彼のせいにしている。相棒が生きていたら、二人して爆笑していたことであろう。



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昨日は美術雑誌の取材後、『タウン誌深川』編集部にて次号の打ち合わせ。私は単に勝手にテーマを決めて連載をしているに過ぎず、打ち合わせに参加することはないが、次号はたまたま私が提案した作家の特集に決まり、表紙も担当することになった。となると、背景を決めなければならない。しかし深川は震災、戦災で焼け野原であるから、古く見えても戦後の物件であったりするから、その辺りが悩み所である。深川の古い資料や古地図を見ながら検討したが、結局某所に決まる。ここなら天候を気にせず撮影が出来る。 本日の時点で3パターンが浮かんでいる。できれば辰巳芸者の深川であるから、芸者といわずとも、〝仇な姿の洗い髪〟とすれ違ったりできないものであろうか。私の欠点は、妄想している間は片付けの手がピタリと止まってしまうことである。この性質のおかげで、昨年から年をまたぎ、未だマスクをしたまま三十年間のツケを払い続けている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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押し入れに突入。川口隊長の如し。本日も様々出土す。 昔、架空のジャズミュージシャンを制作していた頃、イラストレーターの大橋歩さんが青山の紀伊國屋の裏でギャラリーをやっておられた。そこで個展をやることになり、構成の参考に撮ってきて欲しい、とポラロイドカメラを渡された。翌日撮ってみたが、何枚撮っても真っ黒である。メーカーに聞くにも休日である。そういえばスタジオでカメラマンが何かめくっていたな、剥がしてみるとニチヤ~ッと。擦って温めていたな、しかしいくら擦っても何も表れない。夕方になってしまうし、フイルムも足りない。万事窮す。どこがインスタントカメラだ、と腹立ち紛れにメンコの要領で床に叩きつけたら裏に写っており、他のカットもすべて写っていた。それがこれであった。陽が暮れるまでの間、冗談でもいいから一度くらい裏を見るもんじゃないのか?という話しである。こんなカメラ音痴の私が写真展をやっているのだから、何か起きてもおかしくない。



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それにしても色々な物が出てくる。16年の深川江戸資料館の個展出品しようとして首が出てこなかった、その頭の大きさゆえに母親が難産の末亡くなったと聞いた、ロシアバレエ団を率いたセルゲイ・ディアギレフの頭が出土。続いて富岡八幡宮の骨董市で入手した毎日新聞社出版写真部の封筒に入った川端康成のモノクロ写真が多数。特にノーベル賞受賞時に、報道陣が押しかけた様子、受賞時の現地での様子など、オヤジに三島があったはずだけど、と言ったら、さっき抜いていった人がいたのを聞いて悔しかった。そこにはもう一枚、侍が死に装束で頚動脈に短刀を突き立て、それをアフロヘアーの男がウエストレべルのカメラを構える後ろ姿である。企画者からテーマははすべて現代であり、よく言われるけど時代物は絶対にない。企画者の私が言うのだから間違いない。と直接聞いた。となると、被写体と撮影者は、結託して、企画者に内緒で撮影したことになる。つまり死の1週間前、写真のチェックにM田とアフロヘアーの事務所に現れた時も、企画者には言わなかった事になる。

  



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三日に友人と飲んでいたら、たまたまかち合った酔っ払ったトラックドライバー達に、時間が合ったら、荷物を運んで欲しいとメール。酒さえ入っていなければプロのドライバーであるし、気の良い連中ではある。念のため叩かれた頭がうずくといっておいた。 こういう場所があるけど、今度紹介する、といわれた。この場所ならあの作家のあれがぴったりではないか?もう頭部がすでにある作家しか作らない、実在した作家を新たに制作する事はない、と昨年言ったばかりなのに、もうこの様である。こういうところは、自分自身、全く信用できない。最も、私が前言をひるがえそうと、誰に迷惑かける訳でもなし、覚せい剤中毒者同様、物心ついた時には制作時に湧いてくる快感物質の中毒になっているのだから、この間言っていたことと違うではないか、と言われようが何も感じない。 さっきから、手も動かさず妄想に浸っているが、それはまず会場を観て、なおかつ展示の話しが決まってからの話しであろう。それより肝心なのは明日が今年最初の燃えるゴミの日である、ということであろう。そんな事は頭では判っている。良く聞く話しと違い、私の場合、部屋を片付けていると金縛りに合う。




 

 

 

 

 

 



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本という物は、元々材木だとつくづく思う。これを縛って、というのが苦手な物の一つでグズグズになり、癇癪起こしてガムテープということになる。 工芸の学校を卒業し、就職したのが岐阜県の山の中の工場であったが、そこは商品の配送センターで、その工場の一画に大きなガス窯が設置されていたが、まだ稼働前で、テストその他の準備で、二ヶ月のあいだ商品の梱包をやることになったが、段ボール箱に詰めるのはともかく、問題は包装であった。サイズ形が様々で慣れることはなかった。しかしぶきっちょにも上がいて、七歳上の同僚は、商品を箱詰めのする段階で段ボールのふちに爪の根元をぶつけ、しまいに血を滴らせる始末で、外されてしまった。彼の手のひらには、真ん中にたった一本しか線がなくびっくりしたが、大人物か与太郎のどちらかであったろう。 片付けに疲れて遅い食事に出かけると、いつもの従業員がいない。無断で休んで、電話しても出ないという。何を教えてもみんな忘れてしまうらしい。もう五十になると聞いて驚く。とてもそうは見えない。「あれは発達障害だから歳取らねぇんだ。本当ですよ。 正月はどうしてたんです?」「部屋の片付けです(今日からだけど)」「あいつなんか好きな事ばかり一所懸命で、部屋なんかめちゃくちゃ、どうしようもないですよ。」 長居は無用、とっとと帰った。

 

 



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