明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


友人のKが、仕事の打ち合わせが早く終わったということで、4時過ぎにK本に飲みに行く。ついでに制作中の人物の頭を持っていき、例によってご常連に披露。この店では70過ぎの老人と隣り合って飲むのが楽しいが、この人物は皆さん良く覚えている。 2軒目。私は3台目の自転車を買い、もう一人の友人Hも、家族3人にかこつけ3台目を注文したばかりである。Kも刺激され2台目を考え始めていているようだが、彼の場合、小さいとはいえ船を買ったので、自転車にまで手が回らないと、考えないようにしているので、自転車カタログをあげ、背中を押しておいた。 私とHと違ってKは熱帯魚は飼っていない。子供の頃金魚に死なれて飼えなくなった。小型のムービーカメラで、愛船の走る様子を見せてもらったが、ルアー釣りなどにでかけるその船には、死なれた金魚の名前を付けている。私には、可愛いという言葉が、美味しそうと聞こえてしまう女性に比べると、Kのように男性のほうが、そんな可愛らしいエピソードが多い。 お婆ちゃん子で心優しいKも、そのぶん、別なことでバランスをとらずにはいられないようで、それはここでは書けないが、色々な顔を持っているので、10代からの付きあいにかかわらず、飽きることのない友人である。

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一日  


疑惑の銃弾再びというわけだが、すっかり老けた元社長を見ると、時間は経つものだとつくづく。たびたび万引きで捕まっているようだし、解っちゃいるけど止められない人物であることは間違いないようである。本当のところは知らないが、昼間にわざわざ発炎筒を焚いてヘリコプターを誘導することはないだろう。横でマイクを持った逸見政孝が泣いていたような気がする。 3台目の自転車を買ったのだが、寒いわ、風が強いわでほとんど乗らなかったが、本日よりようやく。 私が乗ると、サーカスの熊のようだと判っていながら16インチの小径自転車である。そのぶんチェーンリングというフロントのギアが巨大で、歯の数が66もあり、フレーム色は事務用機器そのもののグレーという、妙な自転車である。私の趣味は子供の頃から何も変わっていないようだ。 福田蘭堂の対談を読んでいたら、時代物で、お菊だお園だと、いいとこの娘に“お”を付けるのは間違いで、宿場女郎にしか許されないことで、女郎以外におをつけちゃいけない、というので驚く。ポケットの中の5千円札が、2つ折になっていると思い込んでいたら、半分に千切れた、一方だけだと気づき、がっかりする。

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宮沢賢治はできるだけ空に近い所でと考えていたので、『霧雨のニコライ堂の屋根ばかりなつかしきものはまたとあらざり』と歌ったニコライ堂の上に登ってもらった。背景には銀河鉄道。両方とも模型である。現在のニコライ堂は震災後に立て替えられているので、江戸東京博物館の、ジョサイア・コンドル設計の、初代を再現した展示物を使用。銀河鉄道は『月刊とれいん』の平井憲太郎さんにお骨折りいただき、製作者の方にお借りした岩手軽便鉄道である。 宮沢賢治というと真面目なボクサーのように、決して顎を上げないというイメージがあるので、あえて下から煽って撮影した。一度作ると、どこからでも撮れるのが立体の良いところで、下から見るとこんな顔なのかと思いながら撮影した。これが賢治か、というむきもあろうが、下から見た顔など誰も知らないのでいいのである。 前号の手塚治虫と今号と、高所のSF調が続いたので、4月配布の8号は一変して、思いっきり地べたに密着させるつもりである。

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荷風が会場を観に来たという設定で撮影という依頼である。来館者が背景にいると空気感はでるが、その間、荷風像を展示ケースから出すわけだし、迷惑だろうと休館日の撮影にした。久しぶりに名月赤城山撮法。荷風は比較的軽量だが、カメラ、人形の両手持ちは、なかなかきつい。ただ撮ってもしょうがないので、会場内で、はなはだ迷惑な人物という荷風も撮っておいた。過去に撮った荷風を含め、3月1日よりモニターで流す予定。 近々世田谷区内に配られるチラシをみたら、なかなかインパクトがあった。世田谷文学館は、企画をはじめ、女性ばかりで考えているようだが、私は男が考えたものは、何事に関しても少々食傷気味である。

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昨夜までは、まず部屋の掃除をするつもりだったのだが、私にとって掃除や片付けは、過去を振りかえり、後ろ向きで、ネガティヴな行為と位置づけられているようで、常に前向きな私は洗濯だけ済ませ、ただちに図書館に、逃げるように向かった。 アダージョ4月号用人物の伝記、評伝、聞き書きの類を読むためだが、友人、知人の何人かに「こいつをしくじったら大変だぞ」と同じセリフで脅かされている。何がどう大変なんだか。

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初日  


開館前に昨日間に合わなかった物を補充し、無事展示開始。 ゆっくり見学する。荷風のスケッチは、なかなか味がある。「抜けられます」まで描かれた玉の井は、荷風が現場を見て描いたと思うとリアル。堀切橋の月夜など、ほとんどガロ調である。身長が180センチはあったという荷風、展示されたツルシのジャケットだけを見ると、そうは思えないが、袖口など、ツンツルテン状態で着ている写真も残されているから、そのせいかもしれない。今回『塗れずろ双紙』が展示されているが、“正午混堂より帰り春本濡ズロ草紙草す。亦老後の一興なり。”と書いているので“濡れたズロース”の意味なのだろう。  

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さっさと仕事を片付けて、遊ぶ時間を作るもんだと、某デザイナーによく言われるのだが、私はなかなかそうはいかない。時間の使い方が下手といえばそうなのだが、あとちょっと手を加えれば良くなるかもしれない、という欲が棄てきれず、時間を一杯に使うのが常である。本日も朝から荷風の座るイグサ製の小さな畳をいかに汚すか考えていた。紅茶で煮ようと思ったが、事故の元という気がするし、搬入当日にする作業ではない。結局、染料系の水性塗料で汚しを入れていった。畳の佃煮にならないよう、裏側の青々とした部分と比較しながら作業をした。おかげでたいしたヤケ具合に。 気になる部分もあったが、とりあえず搬入しようと木場からタクシーに乗る。居眠りしたらしく、あっという間に芦花公園。会場に行くと、『断腸亭日乗』などをスタッフと点検中の永井永光さん。市川の荷風展以来ご挨拶する。永光さんの、荷風の遺品保存に対する姿勢には頭が下がる。おかげで原稿その他、生前と変わらず目にすることができるわけである。 火を使いたかったので、女性ばかりの職員室の奥にある台所に行き、畳に焼け焦げを作る作業。以前は得意だった作業である。中央公論アダージョの手塚治虫のジェット噴射の炎を撮影した蝋燭、線香などを使って焦がす。イグサと線香の混ざった妙な匂い。私はこんなところで一体何をやっているのであろうか。 荷風の遺品など眺めながら展示する。ちょっと足りないものがあった。

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残された荷風の七輪は外側が燻し瓦で、内側が珪藻土の黒七輪のようである。写真で見ると、まるのまま珪藻土の七輪も使っている。最近ホームセンターなどで目にするのは、だいたい珪藻土を練って型に入れて成型したものだが、荷風の頃の製品は、切り出した珪藻土を削りだしたものであろう。黒七輪とどちらにするか迷ったが、瓦タイプのものは実物が展示されるだろうから、珪藻土の七輪にした。写真で見ると、鍋から色々なものが溢れ出た跡で相当汚い。これは汚し甲斐があるが、やり過ぎないように気をつけなければならない。昔、リアルな頭蓋骨のプラモデルに古びた塗装をしていて、夜中に熱中し、佃煮の鍋に落ちて死んだ人のシャレコウベのようになってしまった。こういうことは熱中しやすい私だが、学生時代、授業中はとかく“ヒマ”なので、教科書の人物写真をボクサーに見立て、徐々にダメージを加えたりしたが、小学校入学より手にした教科書の人物写真で、私に陵辱されなかった写真は1カットもないと断言できる。

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永井荷風用の小物を探しに、ひさしぶりに富岡八幡の骨董市に出かける。使えそうなものを見つけるが、実に馬鹿馬鹿しいものである。とはいえ、いかにも丁度よい。こんなもの買うのは嫌だな、と思いながら値段を聞くと、売るほうもそう思っていたらしく、「うーん。いいや持ってって。」タダでくれた。微笑ましい話のようであるが、実物を見たら、こんな物を並べていた方が悪いというような物である。しかし骨董商からタダで物をもらうというのは、そう経験できるものではない。あり難く頂戴する。それにしても、地面に落ちているものと、横に敷かれたビニールシートの上の物に、どれだけ違いがあるのか?というものばかりを2つ。

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以前から音は聞いていて、一度観たいと思っていた“俗曲師”うめ吉をようやく観る。東大島文化センターでは以前、ジャズシリーズの写真展をやったことがあり、コンサートに中学生の矢野沙織がでていた。私としては、ついこの間のことなのだが。 うめ吉コンサートは、若者の姿はほとんど無く、客の多くは老人であり、浴衣でも着ていたらヘルスセンターである。私は大きな勘違いをしていて、曲の合間には、都屋かつ江や玉川スミ、吾妻ひな子のような、いわゆる三味線漫談をすると思い込んでいた。開場後、何かの番組だかの映像が流れていて、その中で自己紹介や曲の解説をしている様子を観ると、真面目な?邦楽番組であった。 第一部。寿シスターズという女性二人を従え、オープニングは踊りから始まる。活動が寄席を主としているそうで、イメージしていた”漫談”こそないが、しゃべりも客を飽きさせることなく、品があり可愛らしい。髪は自毛で、自分で15分で結い上げるそうである。ステージは楽しく期待以上であった。高田浩吉の大江戸出世小唄~市丸の三味線ブギウギなどの昭和歌謡もまた楽しい。 第一部 1木遣りくずし 2裏の背戸屋 3寄席囃子 4都都逸 5磯節 6ソーラン節 第二部 春雨 2九州炭坑節 3鹿児島小原節 4大江戸出世小唄 5トンコ節 6東京ブギウギ 7三味線ブギウギ 帰りに購入したCD『The Voice of Geisha Doll』とポスターにサインをもらう。

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畳の上で焚き火をして、自宅を全焼させた男が現れた。荷風の場合、多少畳に焼け焦げを作ったかもしれないが、写真を見ると、さすがに七輪は、お盆や金属製の皿状の物の上に置いている。全焼男は呆れたことに、電気、ガスを止められ寒さに耐えられず、畳の上で直接紙を燃やしたというから、横着には定評のある私もこれには負ける。 そういえば、私は煙草を止めたお蔭で、火の始末を心配することがなくなった。以前は煙草の火を消したかどうか心配になり、出先から自宅に電話したものである。燃えてたら留守電にならないだろうというわけだが、聞くと周りには案外、同じことをしている喫煙者がいた。

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私がめったに女性像を作らない理由は女性の場合、その存在自体に笑える要素がないからだと書いたことがある。 只今制作中の荷風を座らせる、小さな畳を汚すことを今から楽しみにしている。七論も汚したいわけだが、これも男の荷風だからいいのであって、たとえば女流作家の○○○などをこの調子で作って、はたして人様の前に披露するようなものができるであろうか。おそらく笑えないであろう。いや、私は人を笑わすために作っているわけではないが、生きてるだけで、幾分かの可笑し味を含んだ人というものを小さく作る。それ自体が変なことだが、それを作っている私自体がすでに可笑しいわけで、できた作品が可笑しくて当然であり、笑ってもらって良いわけである。 夕闇迫る隅田川を、遠い目をして荷風が眺めているから味があるのであって、○○○だったら、ただ心配であり、画にはならない。 存在自体に笑えるところが無いから、女なんて作る気がしないのだと、仮に女性の前でいっても、あまり怒られそうにないところも、なかなか良い理由である。

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釣り  


NHKの朝ドラ『ちりとてちん』を1日見逃しただけで見続けている。こんなことは小学生以来であろう。煙草を止めて以来徐々に、今はすっかり昼夜逆転してしまった。といっても私の場合は普通に戻ったということである。 木場の交差点近くの釣具屋で仕掛けを買う。聞くとハゼは巣穴にもぐりこんで、今はカレイでしょうと言われる。店を出て床屋の前を通ると、煙草を吸う床屋の親仁に「カレイ?どこでやるの?」初対面だが、このあたりが下町。ついでに聞くと、今は荒川でもよほど海に近くないと、ということらしい。 永代通りから明治通りを超え、Kの待つ荒川へ自転車で向かう。しばらく乗っていなかったので息切れ。昨年暮れに来たときは竿が林立していたが、遠くにポツンと一人だけである。床屋の親仁の言うとおりのようなので、若洲海浜公園に向かうが、ここも人が少なく、釣れてる気配は無し。3時半まで粘ったが、あたりすらなく、2回連続のボーズであった。しかし、このあと当然飲みに行くので、ダメージは全くなく、そのために身体を冷やしていたのだと、言わんばかりに笑っている男2人。

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