明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



只今制作中の人物について、誰といえないのは、身辺雑記としては困ったものである。私の場合、誰かを作るとなれば関連の本しか読まないし、考えることも、そのことばかりになってしまうので、制作中の人物に触れないとなれば、書くことがほとんどない。後はせいぜい、K本かT屋で飲むくらいの話だが、それもちょっと大人しくしていると、制作中の人物のことを考えているのだろう、などと常連にいわれる始末だが、事実その通りなのである。先日も知人から、誰を作っているか知っているからいいようなもので、そうじゃなければ、雑記を読んでも面白くないだろう、といわれたばかりである。それでも、たとえばアダージョの今号などは、やはり芭蕉だったか、という人もいたから、中には判る人もいるようである。
目が覚めれば、昨日までのことは悪夢で、すでに首は完成しているのではないか、と真っ先に手を伸ばしてガッカリする。とうことをくりかえしている。例によって、完成が見えてきたと思ったら、駄目だ、というくりかえしだが、小さい物なので、駄目になるときは、あっという間で、つい昨日も、数週間作っていたDの首が、作りはじめに戻ってしまったが、色々な蓄積が頭に入っているし、なんとなく人の形をしているだけになってしまった粘土にも、数週間の念がこもっている。おかげで一日で回復した。 先日入手したD直筆の掛け軸に続き、先日オークションで落札した、Dの娘婿の、直筆の絵の色紙が届いた。この人物は元銀行員である。十代の頃は、銀行員の歌なんて誰が聴くか、といっていた私だが。こうなってくると、色々欲しくなってきてしまい、ネットで骨董店のサイトを、つい覗いてしまう。Dの家の印の付いた皿を見つけた。『こんな物は制作には関係ないだろう?』『いや、こんな物を手に入れたら、良いDを作らないわけにいかなくなるだろう?』
ところで今年でHPを開設して10年である。ついては制作中の人物を当てた人に、プリントを差上げる、というのはどうだろうか。何人かおられたら、毎朝T屋で酔っ払ってる、九州で中学卒業まで裸足だった運送会社勤務のKさん(冬はさすがに靴を履いたそうだが)か、日大射撃部出身で、地獄の鬼も4人くらいなら鉄砲で倒せるというタクシー運転手のTさんに選んでもらうことにしようか。完成近くなったら考えてみよう。

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明け方目が覚めると、作品に乾燥を防ぐための東京都推奨ゴミ袋を被せずに寝てしまい、表面が乾燥し始めていたので、慌てて霧吹きで水をかけ、袋を被せ、元に戻るのを待つことにした。その間GYOで『巨人の星』を観る。大リーグボール一号をついに打ち、倒れる花形とライバルに駆け寄る飛雄馬の姿に、つい涙。朝っぱらから何をしているのだ。始めてみた小学生の時には考えられないことである。  T屋に向かおうとすると、T屋の一番下のAちゃんが、ブレザーにチェックのスカートで見違える。今日は小学校の卒業式だという。T屋に行くと、かみさんは卒業式に出るので、昼から息子の高校の入学の手続きは、主人のHさんが行くことになったという。授業参観などいくと、先生に物申してもめるので、子供達には学校には来てくれるな、といわれている親父である。そうこうすると、Hさん腹が痛いと、顔をしかめて腹を押さえている。私が思うに、シラフで学校に行こうとしているからではないか。さすがに入学早々、親が先生ともめてはまずい。  夜のアダージョの編集会議までには、乾燥手前まで持っていきたかったが、片手と、尺八が間に合わなかった。打ち合わせの後、居酒屋へ移動し、編集長より、次号の特集人物候補を聞く。そうきましたか。 現在の東京、まして都営地下鉄駅周辺では、背景にするには無理がある場合がある。仕方がないときはイメージ重視で、ということに。編集長の所へは、様々な問い合わせがくるそうだが、たまたまアダージョを手にしたお年寄りが、配布日の隔月の25日に、東京に来ることにしている、とか耳の遠いお年寄りから是非バックナンバーを、と熱心にいわれた話など聞く。「もう二杯飲んでたら泣いちゃうとこでしたよ」。男が一日に二回も涙するわけにはいかない。 帰りにT屋を覗くと、カーテン越しにHさんの姿、仕上げに飲ませてもらう。今日の学校での出来事など聞く。それにしても子供が五人もいて、つくずくたいしたものである。最近は身体に気を使ってアルコールを控えているようで顔色も良く、午前中起きてきても、二日酔いで、今人を殺してきたばかり、という血が滴った包丁が似合うような顔をしていない。

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“月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり”『おくの細道』冒頭より。 私の制作した芭蕉像には、おそらく多くの人が違和感を感じるに違いない。芭蕉の肖像画、銅像、石像、木像の類は、没後数百年の間に、全国各地に膨大な数が作られ、今も作られ続けている。しかし芭蕉の門弟達が、師匠の肖像を描き残しているのに、なぜか無視され、勝手な老人像が作られ続けている。さらに、いくら現在より寿命が短い時代で、老け顔だっらしいとはいえ、私より年下で、一日4、50キロ歩いたという人物を、あまりな老人扱いである。そこで芭蕉像を作るにあたり、それが例え与謝蕪村だろうと、創作された芭蕉像はすべて無視し、間違いなく芭蕉と面識のあった門弟、森川許六、小川破笠、杉山杉風が残した肖像画のみを参考にした。当然、芭蕉はこうだったらいいな、という私の創作者としての欲もできるだけ排除した。  そうはいっても、西洋的写実表現の存在しない時代の日本画であるから、デフォルメされた表現の中から、実像をイメージするのは難しいが、画風が異なるにも係わらず、大きな鼻と耳に、小さめの口の形は、ほぼ共通であった。輪郭、目つきは、破笠のみが異なっていたが、許六、杉風は、いくらかつり気味の目に、下膨れの輪郭が共通なことから、多数決で、こちらを採用した。そう思うと、本文に掲載されている、森川許六が描いた『おくのほそ道』旅立ちの図として、曾良と思われる人物と共に描かれた作品が、その画力からしても、もっとも芭蕉像に近いと私には思える。加えて、芭蕉の存命中に描かれているところにも意味がある。  背景は清澄庭園である。『蛙飛こむ水の音』の図だが、普通頭に浮かぶのは“チャポン”という音だと思うが、実際は最初の水しぶきが“チャ”であり、直後の波紋で“ポン”となる。つまり実際はこうはならないが“チャポン”という音を捏造してみた。嵐山光三郎さんの『悪党芭蕉』(新潮社)によると、蛙はヘビなどの天敵に襲われそうになったときだけ、水中に飛び込むそうで、しかも音を立てずにするりと水中にもぐりこむので、これは芭蕉のフィクションだ、ということである。 撮影したのは実際は晴天の真昼間である。夜にしたことにより、水の音が、より周囲に響いたような気がする。月はスペースの関係上、ロゴのiの点に代用させてもらった。
《大きな表紙画像》

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午前中にT屋に行くと、タクシーの運転手の集団。同じ会社でも二派に分かれているようで、私の好きな、地獄の鬼も4人まで倒せるというTさんは、このグループでは無いようで、ここには、組合の話ばかりする、客のクレームナンバー1のオヤジがいる。  連中を放っておいて、運送会社のKさん等とオリンピックを観ながら飲み始める。オリンピックや世界陸上の期間は、本来TVに釘付けのはずだが、Dの制作のおかげでロクに観ていない。主人のHさん、最近、外で飲んでいないようで、50にもなってお菓子ばかり食べてるそうで、1週間で5K太ったという。おかげで、この辺りの飲食店はホッとしているだろう。そうとう出入り禁止になっているはずである。そうこうしたら、Hさん突然鼻血。店で夜中にチョコレートを食べながらオリンピックを観ていたという。子供の頃、チョコレートを食べ過ぎると、とは訊いていたが。はやく保健室行って来い。
カーリングを観る度、子供の頃のビーダマ遊びを思い出してしまう。名人上手がいたものだが、ビーダマといえばKちゃんだった。今頃孫を膝にでも乗せ、おじいちゃんがカーリングやってたら、こんなもんじゃなかったぞ、などといっているような気がする。しかし膝の上の孫も、幼稚園に上がっているようなら、お爺ちゃんに、フェアプレイ精神が欠けていることがバレている頃であろう。あらゆる遊びでイカサマばかりやっていたが、賭場でイカサマがばれて殺されるヤクザを、映画で観る度Kちゃんを思い出した。おかげでよく中学生に殴られ泣いていた。馬鹿だなあ、と思いながらも、めげないところに感心したが、高校生の兄ちゃんのパンチに慣れてるから、中学生のパンチは平気だ、といっていた。

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藤田まことが亡くなったが、この程度でどこが馬面なんだ、と思いながら本日もDの頭部と向かい合う。入手した掛け軸のおかげかどうか、大分感じが出てきた。しかしどう見ても某公園の銅像と顔が違う。  今月25日配布号の特集人物は、出来上がった作品を、見せる人ごとに意外な顔をする。それは世間の銅像とイメージが違うからである。本文にも某所の銅像が小さく写ってしまっているが、Dの特集の時は、銅像の写真は載せないようお願いしよう。エライ先生の銅像だけに、比べてみたら、表紙のDはおかしいじゃないか、と思われるのも迷惑である。 Dは力が入っていないところに凄みがあるので、公園の先生はまったく判ってない。別の大先生もDは“決して力まない。力まないで大きい”といっているし、この銅像に対しては“まるで披け殼のように硬ばって居り”といっている。ウィキペディアによると、この作者は、軍人になろうとして士官候補生の試験に落ちて、がっかりしていて、遊びで作った木彫りの馬が隊内で評判になり、上官に勧められて彫刻家志望になったそうである。おかげで、○○親王だ、元帥だ伯爵だと、エライ人を、エライように作るのが得意なので、こういう表現になるのであろう。彫刻家を目指すきっかけからして、とんだ野暮天である。 それにしても銅像の建造には、未亡人や、物事が判っている人が係わっていたはずなのに、どうしたことかと思うのだが、Dを実際観ているだけに、そのオーラに当てられ、当時の人にはああ見えたのだろうか。

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制作中のDが亡くなって十年目の、雑誌の記念号を入手した。全体的にまだ生々しいが、網点のないコロタイプ印刷の口絵は、一点が小さいとはいえ、かなりの数のポートレイトが掲載されており嬉しい。それにしたって相変わらず長い顔である。 未亡人の寄稿文を読むと、家庭内ではただの釣りバカに近い。立派だ、とは誰しもいうので、女房ならではのエピソードを、ということなのだろうが実に面白い。借金取りを怖がり、家の奥で小さくなっていたなど、意外な話も多いが、誰の話かいわないでいると、さっぱり面白くないので、この辺にしておく。  古い雑誌の楽しみの一つは広告である。子供ができない、できても育たないと諦めて居られる人が沢山あるが、それは知らないからだ、という広告。『此の事に就きましては、私まで三代も研究して居ります、之を多くの人に御知らせしたいと廣告を致しますからどなたでも男女にかかはらず一度尋ねて御らんなさい。又遠方の方やお暇のないお方は、はがきにて、子供はどうすれば出来るのかと書いて、東京本所横田友治として出して御覧なさい。さうすれば婦人病の治る事と子供の出来る譯を公益の為に詳しく御知らせいたします。』このウド鈴木が紋付を着ているような横田友治。医者でもなんでもないようだが、三代かけて何が解ったのであろう。三越も白木屋も、まだ呉服店である。
もう一つ手に入れたのが、Dの直筆の、滝が描かれた掛け軸である。勿論制作上、なんの資料にもなりはしない。確かなのは、こんなものを入手し、あげくに作ったものがお粗末では、あまりに馬鹿だということである。背後にダラリと垂れ下げた掛け軸に妙な気配を感じながら、“責任取ってくれよな”とたまに振り返る私であった。

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D像  


制作中の人物Dは、巨匠が制作した像が、私が知っただけで2種あるが、デッサンもろくすっぽやったことのない私がいうのもおかしいが、どうも私がDの写真から受ける印象と違うのである。各先生の生年月日を調べてみたら、間違いなく生前のDを観ている。『こいつはいけねェ』。観ていないのなら、残された写真だけを参考にしたのだから、私と条件は一緒だが、本人を観ていたなら話は違う。1人の彫刻家など、制作現場でDの未亡人がアドバイスまでしていた。これは私の目が間違っているのか、とも思うが、もう1人、これまた特別巨匠が文章を残していて、Dを若い頃随分見たらしく、Dの像を作るのが、長年の念願だったそうで、この巨匠が前述の二人の作品に対して、ボロクソにいっていた。そして、Dに対する印象が、少々調子に乗っていえば、私と全く一緒なのである。そして有り難いことに?事情は解らないが自身のD像は未完に終ったようなのである。ホッと胸を撫で下ろす私であった。こんなものがあったら気になってしょうがない。
オリンピック、スノーボードのハーフパイプの選手が、服装の乱れと、謝罪のコメントが批判を呼び、危なく出場できなくなるところ、無事出場できることになったようである。亀田兄弟も、世間からバッシングを受け騒ぎになったが、あれなど、言葉の最後に“です、ます”さえ付ければ、何てこともなかったと思うのだが。 本音など、見せる必要がある相手にだけ出していればいいので、あとは言葉使いと約束の時間さえ守っていれば、“腹の中で何を考えていても”なんとかなる。と狭い下町などの地域で育つと、小学生のうちに覚えるものである。特に腹の中でロクなことを考えていない子供は、大人から身を守るためには必須のテクニックである。本音を常にさらして生きなければならないなんて、とんでもない野蛮な話で、つくづく日本に生まれてよかった。

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頭部の制作に入る。何度か書いたことだが、日本人の顔で、今では失われたタイプの顔が、長い顔である。大きな耳に、長くしっかりとした鼻。食べ物との関係があるのかどうか、とにかく今ではめったに見ない。制作に入った人物が、これが飛び切り長い。写真が残されている江戸末期から明治の頃は、いくらでもあったはずだが、現在だったら、道を歩いていたら、振り返られるのではないか、というほどの長さである。私がこの人物を知らなかった頃、外国人が制作した石版画を見たことがあったが、妙な扮装をしていたこともあり、日本人を何だと思っている。と思った程である。しかし、長くはあるが、実に風格のある立派な顔である。何故こうも立派なのか、その理由を事前に知ろうとして、色々調べていたが、あまり知ってしまうと荷が重くなりそうで、怖いものを知る前に始めてしまうことにした。何事においてもそうだが、適切な距離というものがある。私もさすがに、対象にただ闇雲に突っ込むべきではないことを知っている。それにしても、興味が尽きない人物である。
アダージョ13号に使われた小津安二郎が、古石場文化センター(財団法人江東区地域文化振興会)に収蔵されることになった。ここは小津の生誕地にちなんで、映画に力を入れており、小津コーナーもある。小津ファンが東京を散策するときは、まずここから、という人も多いようである。いつから展示されるか未定だが、いつでも見てもらえるのは嬉しいことである。

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一日  


人物を作る時、よく知っている人なら別だが、そうでない場合、その人となり、背景、歴史など、最低限は知っておきたい。色々調べながら、同時にどういう画にするか、イメージ作りのための手掛かりを探すわけである。 これから制作に入る人物は、調べるほどに興味はつのるばかりだが、一方知れば知るほど、後ずさりたくなる。朝起きても、その気分を引きずっており、こんな朝は、T屋に行き、タクシー運転手のTさんや、運送会社のKさん等と、可笑しいだけで、何のタメにもならない話でもしたいところだが、今日は休みだろう、と思っていたら昼近くなり、T屋のHさんから電話があった。運送会社のKさんと門前仲町の蕎麦屋に行くが、Kさんが私と会いたがっているという。そういえば、昨日もT屋に行かなかった。二人の酒があまり回ったらまずい、と自転車で急ぐ。Hさんは、50になり、思う所があったのか、最近酒を控えているらしいが、Kさんは朝から飲みっぱなしらしく、すでに泥酔状態である。ほとんど何をいっているか解らないが、カナカナカナと聞こえる笑い声で、女性の話をしていると、いかにも楽しそうである。ただ昼間から蕎麦屋で妙なジェスチャーは止めなさい。焼酎の蕎麦湯割りで温まり、蕎麦を食べ帰る。帰宅後、この辺りで考え方を変えることにした。人物に関する文献など、しばらく読むのを止め、肖像写真から受けるイメージだけに集中することにした。明日から制作に入ることにする。

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資料  


近所の古石場図書館に行くと、コンピューターの検索では確かに収蔵されているはずの本を、探してもらったが見当たらないという。深川図書館にもあるので、これから取りにいくというと、問い合わせしてくれたのはいいが、そこにも、収蔵されているはずの本がないという。しかたが無いので予約をして取り寄せてもらうことにした。万引きでもされたのだろうが、こうなると、検索しても意味がない。江東区のHPでは“他区及び都立図書館等から図書のみ取り寄せ”しか謳っていないが、複写取り寄せもできるし、私の場合必用な、写真複写をしてくれる図書館を、探してもらって取り寄せることも可能だそうだが、公にしていないのは、業務が増えるのが面倒なのだろうか。 先日深川図書館で館内閲覧のみで写真複写は駄目といわれた資料だが、著作権云々といっていたが、古すぎて、とっくにそんな物は切れている。版は相当小さいようだが、復刻の復刻が、10年ほど前に出ていたことが判り、図書館、研究機関用らしく、探しても無いので、都立の図書館から取り寄せてもらうことにした。そうこうしていて、編集長のつてで、某大学図書館より、オリジナルが借りられることになった。待てば海路の日和あり。というわけである。これで、この人物のポートレイトが、私には何故、他と違って見えるかが解るだろう。
最近、浮世絵を眺める機会が多い。浮世絵は型にはまったもので、こんな顔に見えているはずがない、と思っていたが、先月来、古い日本画から実在した人物の実像を読み取ろうと眺めるうち、浮世絵も思っていた以上に、リアリズムの世界だということが解ってきた。

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母とスカイプでTV電話。そもそも80の母にパソコンでインターネットをやらせたのは、サンフランシスコにいる孫とTV電話をさせたかったからなのだが、教えるつもりの私が始めないまま、日にちが過ぎてしまっていた。それがアリゾナの友人とやってみたら、なんとも簡単で、サンフランシスコとの電話も上手くいった。  先日、おそくまで外で飲んでいて、帰ると母からの留守電が入っていたので、電話をしたのだが、寝転がって話をするうち寝てしまった。私は寝るとなったら、数秒で寝てしまうようなのだが、母としてみれば、今話していたと思ったら鼾が聞こえてきたので、私が脳溢血でも起したのでは、と思ったらしく、耳元の母のうるさく呼ぶ声に目を覚ました。危うく救急車でも、呼ばれかねないところであった。その点、TV電話なら、母の顔がこちらに向いていたら、安らかに眠れる気はしない。  カメラからもう少し離れて、というのだが、目が悪いので、操作しながらついモニターに顔を寄せることになる。モニターの上に装着するはずのウエブカメラが、うまく装着できない、というので、下に置かせたが、鼻の穴が強調されたド・アップの映像になる。そこへもってきて無理な体勢でいたのだろう。足がつったといいだした。痛がる母の顔をアップで観ていると、申し訳ないと思いながら、こちらで観てると妙に可笑しい。  妹のところは、常にネットに繋がっているわけではないようで、そうすると、私のところにかかってくる。私でも始めは面白かったから、母としてはなおさらだろうが、朝の5時頃っかってきたりする。丁度一眠りしようか、T屋にいこうか、考えているところである。それはいいのだが、朝っぱらから母をアップで観るのも、という時は、音声だけで応対することにしている。それにしても、この面白がりの好奇心。さすが私の母という気がする。

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一日  


朝玄関を出ると物凄く寒い。これから冬に向かうのか夏に向かうのか、2メートル歩く間だけ考えた。方向音痴も私のレベルになると、方向のジャンルは問わない。
このところ、次に制作する人物Dの、評伝その他を読んでいるのだが、先日、近所の古書店で入手した特集号の中で、残された写真について書かれている一文に目が留まった。 この人物の写真は、見る側の期待や欲求に応えていないという。(確かに、先日図書館で閲覧した写真集でも、その多くが二コリともせず、力の入ったポーズをとったカットは数えるほどしかなかった) 本人が写真嫌いなことは有名なのだが、そういうことではなく、ここには“美ならざるもの”がある。という。“美たりえないもの”それまで対象たり得なかった物が呈示されている異様さが感じられる。何も美化されることなく、ただ眼前にあるものがただ写っている。そこにあるものがただ写ってしまっているという不思議な感覚であり、そこからDの写真が持つ独自の迫真性や奇妙な切迫感が生じている。と書かれていた。これはまさに、私がDの写真を見たときに感じたことであり、ニジンスキーの写真を始めてみた時に感じたことと似ている。 問題はニジンスキーの時がそうであったが、人物のことを何も知らずに、そんなところばかりに反応してしまって、その気になってしまうから後が大変なのである。初めて知ってから1年で個展を開いてしまったニジンスキーの場合は、私が勝手にやったことだし、個展は観たくない人は来ないが、アダージョは都営地下鉄駅に置かれるので、そうもいっていられない。  この人物も銅像の類が複数残されているが、有名彫刻家が制作した像を、これまた巨匠が、ボロクソにけなしているエッセイを見つけて、作る前に読まなければ良かった、と後悔しているところである。どこぞの銅像がどうだのといっていたバチが、さっそく当たってしまった気分である。

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先日完成したアダージョ用の人物画像を、人物にゆかりの某所にお住まいのNさんにお知らせすると、『老いさらばえていないところが、じつにいい』とお褒めいただいた。地元にも像が1体あるが、地域ぐるみで年寄り扱いしているそうである。私でも知っている有名書家も、「某所の像は年寄りじみているからあかん」といっていた、と伺った。 日本人が年寄りにしておきたい、年寄りと思い込みたいのには、その方が、人物の発言に趣が感ぜられる、などの理由があるのだろう。Nさんは、アダージョの表紙を見て、翁ではないことにびっくりしてしまう市民も少なくないだろうと思います。とおっしゃっているが、配布されるのは、都営地下鉄駅限定なので、その恐れはないが、妙に生臭そうな私の作品に、まったく違う、と都内の特に、お年寄りからの反発が起きるであろうことは想像に難くない。これじゃ横で鼻毛抜きながらスポーツ新聞読んでる、ウチの息子と変らないじゃないか、などと。だったら、そう思い込んだまま、あの世に行っちまいな、などという酷いことを考えてはいけないと思います。  それにしても、ああだこうだいっているが、俳優が芝居で擬似恋愛をし、芝居が終ると、ケロリとしてしまうのに似て、撮影し終って以来、人物像には一瞥もくれていない。こう書いていて、『どこに置いたっけなー、どこかに寝かせた気がするなー』などと思う始末である。写真作品は、次に制作する人物の伝記その他を読みながら、一日一回眺めては余韻を味わっている。あの頃は良かったなあ、などと思いながら。

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次に制作する人物Dは、幕末から明治にかけての人物であるから、写真資料が潤沢にあるとはいえないが、戦前に作られた豪華な写真集の存在を知った。しかも江東区の図書館に1冊あることも判った。貴重な物ゆえ貸し出しは不可だが、閲覧は自由だという。図書館にはコピーサービスというものがあるが、できればカメラで複写したい。旧知の江東区の職員に、複写の許可がでるかメールで訊いてみたが、実物をすぐにでも観たくて、メールの返事を待たずに出かける。普段の出不精が、こういうときは一変する。 行ってみると、空調の効いた閲覧室は、先客の老人が1人いるだけであった。写真集は、初版は大正時代に制作されたが、震災で多くが失われ、昭和の始めに再販されたものであった。このためにわざわざ漉かれた紙にコロタイプ印刷された物で、制作者が、オリジナルと遜色の無い物ができたと自賛しているだけあった。  この人物Dに、何故興味を持ったかというと、ある雑誌で数カットの肖像写真を見たことに始まる。なぜ魅かれたか、それは良く判らないが、天才バレエダンサー、ニジンスキーの肖像写真を始めて見た時と似ていて、何か形容しがたい、異様な何かが立ちのぼっていた。溜息とともに閲覧を果たしたが、さてここからがお役所である。コピーサービスはできるが、カメラによる複写はできない、という。つまり前例がない、というお馴染みの状態なのであろう。では誰に許可を得ればいいか聞いても、口の中でゴムを噛んでるような答えしか返ってこない。とりあえず引き上げる事にした。 帰り道、先日まで、私が制作していた人物の銅像の前を通った。門弟の別邸跡で、ここに師匠を一時住まわせたらしい。その門弟も師匠の肖像画を残しているんだから、せめて少しは参考にして作ってやるべきではないのか?。銅像なんて頑丈な物作っちゃって。お役所も、こんな所は気前が良い。いったい何処の誰なんだこのジジイは。

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一日  


門弟が、師匠の肖像画を残しているに係わらず、ほとんど無視され作り続けられた肖像画、像の類に、門弟等の無念を感じ、彼等のために、できる限り師匠を再現したつもりであったし、そうもいっていたのであるが、昨日の雑記を読むと、むしろ、私より若くして亡くなった人物が、老人扱いされていることが、まず気になっていたような感じで、胸に手を当ててみると、確かにそうだったかもしれない。この人物、若くして周囲から翁と呼ばれ、本人もそう名乗ったりしていたようだが、私が思うに、トレードマークになっている杖がいけないのではないか。あれは老人だから、というより旅行道具と見るのが妥当であろう。
昨日、雪が降ったことも知らず、T屋で朝食をとり、麻布十番の田村写真に行き、色見本を受け取り、京橋の中央公論新社に届け、ついでに次号用のロケハン。  私は、例えば学生の時など、試験のために勉強をしなければならないが、眠くてしょうがない時。ここで寝てしまうと、追い詰められた明日の私は必ず勉強しないとならないわけだから、今日の私は寝てしまって、すべて明日の私に任せることにしよう。と考えたものだが、結局、明後日の私が、駄目な人間であることを証明する結果になったのだが。 4月号は私が提案した人物なので、人のせいにもできない。2月号の色見本ができたばかりだから、まだ猫を噛むほど追い詰められてはいないが、窮鼠のパワーに期待するしかない。色見本を届けた足で、次号のロケハンをしているのだから、明後日の私をかなり心配している、本日の私であった。  帰宅後階下のYさんとK本に行き、4杯ほど飲む。本日は常連席に、K本では貴重な、ちゃんと人の話を聴けるタイプの“捕手連”が並んだ。かくいう私も、相槌が上手すぎて、相手の長話に苦しむタイプである。帰宅し、しばらくネットで検索していると、酔いが覚めてきたので、T屋で、もうちょっと飲もうとK本の前を通り、丁度閉店時間で出てきた、すでにロレツの回らない捕手の1人Tさんと向かう。  T屋で主人のHさんに、教えてもらった土曜日の満月、アダージョの表紙になるよ、と色見本を見せる。この男、極々たまに良いことをいう。

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