三島自決の現場は、かつての市ヶ谷駐屯地を再現した巨大な模型が鎮座し、巨大なガラスケースが部屋一杯を締めている。自衛隊にとっては三島事件は黒歴史であることは間違いなく、ドアに残った刀傷についてツアーガイドは触れるものの、無駄に部屋一杯を占めるかつての様子を伝える模型は、この部屋が聖地になるのを防ぐために、設置しているかのようである。もっとも、ツアーには刀傷を撮影する三島ファンが一人いるくらいであった。 3つ並んだ窓のうち、三島等が出入りした窓は左側で、割腹したのは、丁度それを正面に見た位置である。付き添いの担当者に確認もした。どうやってもケースが邪魔で、思ったようには撮れなかった。もちろん、撮れないからといってめげる私ではない。こんなピンチはいくらでも経験している。頭にあるイメージのためなら、どんな卑怯な?手だって使う所存である。外側にレンズを向けず、眉間にレンズを向ける念写が理想である私が、見たまんまで許す訳には行かない。帰宅後、日が変わる1時頃には、私が本気で部屋を片付けたらこうなる。ただしイメージの中だがな。部屋には窓と赤い絨毯以外何もなくなり、正座した人物が、左側の窓を正面に見た光景が完成した。“勲は深く呼吸をして、左手で腹を撫でると、瞑目して、右手の小刀の刃先をそこへ押しあて、左手の指さきで位置を定め、右腕に力をこめて突っ込んだ。正に刀を腹へ突き立てた瞬間、日輪は瞼の裏に赫奕と昇った。” 豊穣の海 奔馬より
そしてこれが三島由紀夫由紀夫へのオマージュ椿説男の死の最後を飾るカットになる予定である。