明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



K本のことを隔月で1年ほど『タウン誌深川』に連載していた“常連席にて日が暮れる”を許可を貰っていずれHPにアップして、女将真寿美さんの追悼ページを作ってみたい。私が自慢できることは、K本史上もっとも真寿美さんに注いでもらった客であるということである。多分私は唯一だと思うが、「うちはホッピー屋だよ」と真寿美さんがいうK本でホッピーでなくチューハイ一筋で、注いでもらえるのは焼酎を別にすれば炭酸だけなのだが、それも最初の1本だけということに気付かず、真寿美さんも何もいわず毎本ずっと注いでくれていた。 一時写真集を作りたい、と考えていた写真もアップしたい。ただ他のお客に迷惑がかからないよう、休業中の間に撮った物なので、写っているのは常連がほとんどなので限定公開としたい。しかし当初はK本として撮るつもりが、結局は真寿美さんの写真集の如きものになってしまったので、私と会話を交わしたことがある方々には、せめてお見せしたいと考えている。ただ私は人見知りなので、30年通おうと、常連以外で会話を交わした人は僅かしかいない。 高校生の時など、テストの期日が迫ると、作りもしないエレキギターのデザインや自転車の改造計画をしないではいられなかったものだが、本日のブログもその類いのもので、追悼ページはずっと先になるとお考えいただきたいのだが
※2016年深川江戸資料館での朗読ライブ映像。
『人間椅子』
『白昼夢』
『屋根裏の散歩者』
ピアノ嶋津健一 朗読田中完

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載6回「夏目漱石の鼻」

HP

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次回の個展の開催期日が決まった。銀座青木画廊『ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)。ピクトリアリズム展Ⅰ、Ⅱは共にオイルプリントであった。1回目は2000年。今回は、広義の絵画主義ということでピクトリアリズム展とした。 昔のピクトリアリズム運動は、写真の発明からしばらく経ち、その記録性から、より表現としての可能性を追求しようとした運動であった。私も写真の身も蓋のなさからなんとか脱却したい、とやってきた。そういう意味ではピクトリアリストとしては直系といえるかもしれない。昔はHPのトップにピクトリアリストと謳っていたが、誰にも通じないだろうといつか消した。私が現在行き着いたのは、手本にしたのが印象派絵画ではなく浮世絵、日本画というところが先達とは大分違うのだが。 蛸に絡まれた北斎が出来てしまったせいで『寒山拾得』また虎にまたがった豊干までやれるのではないか、と浮かれているおり、5月12日からの開催は絶妙に悩ましい。手法だけでも始めて間もなく、テーマまで冒険するのはいかがなものか、と私の頭は考えている。そこでまずは予定していた富士見の北斎、江戸川乱歩と森鴎外3作品を制作してから考えることにした。 友人から98年に千葉市美術館で『曾我蕭白展』観たのを憶えているか、とメールが着た。当然『寒山拾得』もあったはずだから、案外頭に残っていたかもしれない。しかし行きのタクシーのドライバーが、家の掛け軸の髪が伸びる、といったことばかりが鮮明なのであった。

※2016年深川江戸資料館での朗読ライブ映像。
『人間椅子』
『白昼夢』
『屋根裏の散歩者』
ピアノ嶋津健一 朗読田中完

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載6回「夏目漱石の鼻」

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一日  


昨日はサイゼリヤにて、かつてK本の常連席で瓶を並べたMさんとTさんと11時から飲み始めた。Tさんは女将の真寿美さんが亡くなり木場に住む意味がなくなったという。写真嫌いの真寿美さんには店内も含め、写真集ができるくらい撮影させてもらったが、今の所ちゃんとは見られないでいる。 マグナム1本目がなくなる頃にTさんは用事があり退出。その後Mさんと真寿美さんについて語りあった。見送ることができなかった無念。その後、赤白赤白と交互に、さらにマグナム2本、デキャンタの500ミリを4、5本。おじさん二人が涙であった。 私は二日酔いを一度しかしたことがない。そのせいで反省の機会を逸し続けているわけだが、朝から予定より遅れた葛飾北斎の仕上げを続ける。結局葛飾北斎はどんな容貌の人だったかというと、数種ある自画像の中でもウイキペデイアに載っている画像が近いだろう。これは小学校3年から4年になる頃、人物伝の類いがそれほど好きなら、と担任の田中先生が、学校をかわる際、内緒で買ってくれた世界の偉人が載っている本にも、これが載っていた。以来、北斎というと私の中ではこれである。田中先生が貧しい炭坑暮らしの家族を描いた子供の日記『にあんちゃん』の話しをされていたのを覚えていて、数年前、ようやく今村昌平の映画で観た。これにより子供達に何かを伝えようとしていた先生の人柄が思い出された。

※荷風の後ろには、割烹着姿でまだ50代の真寿美さん。


次回個展の期日決まる。 銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)

※2016年深川江戸資料館での朗読ライブ映像。
『人間椅子』
『白昼夢』
『屋根裏の散歩者』
ピアノ嶋津健一 朗読田中完

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30年通った店の女将さんが24日に亡くなっていた。何も知らされなかったので見送ることも出来ず。 女将さんが熱中症で病院に運ばれたのをきっかけに休業の間、厨房担当の弟さんに、常連だけは来てもいいよ。ただ何もできないから、他の客は断って欲しい、といわれた。それはそうである。自分たちで栓を抜いて注いで片付け、カウンターを拭いて勘定を済ませ、くらいは出来るが、我々もただの客、他の客に店の人みたいな顔してとても対処できない。女将さんは我々の声を聴いていれば寂しくないだろう。と常連は通い続けた。 その頃、地元の『タウン誌深川』に店のことを連載させてもらった。“常連席にて陽が暮れる” 営業再開を信じ、多少のつなぎにでもなれば、という思いだったが、1年経つ頃、時折元気な様子を見せていた女将さんも、以前と同じような営業の再開は無理だな、名物の煮込みも止めてしまったし。それを近々再開するような顔をして連載を続けるのも心苦しく、連載終了を願い出た。我々は月水金土通っていたが、火木土の営業を再開をするというので最終回に読者に向け朗報があります、と火木土の再開を告知した。それを店に届けた翌日、月水金土の我々に対して出入り禁止の貼り紙が貼られた。晴天の霹靂とはこのことである。以来女将さんの様子を心配しながら常連は“落ち武者”となり、別の店でたまに顔を合わせるだけになっていた。そこに女将さんの訃報である。店は喪中休業の貼り紙もなく、どういう訳か何事もなかったかのように営業を続けている。

※2016年深川江戸資料館での朗読ライブ映像。
『人間椅子』
『白昼夢』
『屋根裏の散歩者』
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昨年、谷中全生庵で幽霊画公開のおり御一緒させていただいた円山応挙は(と書ける嬉しさ)虎など見たことがないので、虎の敷物を写生している。毛皮とはいえ、まだ本物を見ているだけマシで、その頃の日本では。これのどこが虎なんだ、という北斎の娘のお栄でさえ妙なオリジナル模様の虎を描いている。幸い現代人の私は、動物園で実物を見ている。幼い頃読んだキップリングの「ジャングルブック」に人間の眼を猛獣が怖がる場面(昔の読書体験ゆえ、詳細は不明)そこで上野動物園で、ライオンと虎ににらめっこを挑んだ私であった。しばらくすると確かに向こうが眼をそらせたように感じたが、頭の悪そうな人間のガキがこちらを睨んでいる、とほとんど相手にされていなかったであろう。それはともかく。象でも獏でも麒麟でもなんだって、見たことがなくても日本人は想像力を持って描いて来た。寺山修司はかつて“どんな鳥も想像力ほど高くは飛べないだろう”なんていって私を痺れさせた。 TVドラマで北斎が西洋画を見て「見たまま描いていやがる」、つまり、かつての日本人は西洋人のように見たまま世界を描くなんて下品?なことはしなかった。写実画家のクールベが、「私は天使など見たことがないので描かない」といったそうだが、ワイフ以外とはキスしない、とキスシーンを拒んだパット・ブーンくらい嫌いになった。 見たまま写ってしまう写真の身も蓋もなさにあらがい続けた私は寒山と拾得の前を、想像上の虎の上に豊干を乗せて登場させてみたくなる。

※2016年深川江戸資料館での朗読ライブ映像。
『人間椅子』
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奇手  


三遊亭円朝像が完成する頃のブログを読むと、まだ心と身体がバラバラのようで、自分が何をしようとしているのか良く判らないまま、一歩一歩イメージに近づこうとしている。その頃の私が『蛸と画狂老人葛飾北斎』を見たら唖然とすることは間違いない。ザマアミロである。その私がさらに唖然とするようなことを、しでかさないとならない。 絵画と違って写真という手段を使って創作しようとすると正否を分けるのは虚実のバランスである。北斎では本物の蛸のリアル感に、北斎の身体や着物も本物を使わないとバランスが取れなかった。ポーの『モルグ街の殺人』はオランウータンが本物だからこそ良かった。しかし『寒山拾得』は実在したかどうかも判らない物語の中の住人である。ここに本物の虎は北斎の蛸と違ってどうも合わない。昨日思い付いたのは、もうこれしかない、という妙案である。虚実のバランスもこれで取れるだろう。私らしい奇手なので書きたいのだが、個展会場でお会いした方が、何年も前にブログでちょっと書いた事を覚えておられて、びっくりすることがある。「あれはどうなったんですか?」。 という訳で北斎の立像ペーパーがけ。来週早々着彩に入り、富士見の北斎の撮影もできるだろう。 

※2016年深川江戸資料館での朗読ライブ映像。
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ホームの母に頼まれた荷物があった。昨日送るといって送らなかったので、今日は送らなければ、と思ってはいた。最近の宅急便は人出不足で集荷が午後4時の一回きりらしい。立像の北斎を仕上げていて、なかなか腰が上がらない。気がつけば30分過ぎていた。小学校の図書室で、始業のチャイムが鳴っていても図書室から出て来ず、しばらく図書室出禁になってしまったが、未だに同じことをやっている。教師の声が聴こえていないのでは、と担任の薦めで母に耳鼻科に連れて行かれた。母と買い物に行くと、手を繋いだまま小さな声で私の名を呼んで試すのだった。一度、近所まで来ていただいた方を随分待たせてしまい、20分前まで気にしていたのに、と反省して作業中用の目覚まし時計を買ったこともある。母には噓の言い訳をして、明日は必ず送るといっておいた。 しかしその甲斐あって?北斎を作りながらアイデアが浮んだ。『寒山拾得』にはもう一人、豊干という僧侶が登場する。いつも虎に乗っていたり、虎をソファがわりに寝ていたりする。豊干は作る予定はないが、もし作るとしたら虎はどうする?エドガー・ポーの『モルグ街の殺人』では多摩動物園のオランウータンを殺人鬼に仕立てたのは面白かった。しかしどうも今回は物語上の人物で、上野動物園の虎ではピンと来ない。ホントとウソのブレンドの妙が感じられない。と思ったその時、名案が棚からボタモチのように湧いた。このアイデアを使うためだけに虎と豊干を作っても良い。そして時刻は4時半になっていた。

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昨年末、ブルースハープ(ハーモニカ)の草分けにして第一人者である妹尾隆一郎さんが亡くなった。昨晩、フェイスブックの書き込みを見ていて、ひょいとヤフオクを検索したら『ブルースのすべて』が出ていて即落札。私の人生を変えた1冊である。人に貸したまま帰って来ず、見るのは30年以上ぶりであろう。怪獣、妖怪、プロレスラー図鑑のようにブルースミュージシャンが載っていたが、ジャズマンとはあきらかに異なるヘアスタイル、プロレスラーのような芸名。そして面魂。そのビジュアルに打ちのめされた。これがきっかけにブルースファンとなる。そしてブルースブームの到来。街の普通のレコード屋にも並ぶという有様で、残っている高校時代のノートの悪戯描きは、プロレス、ボクシング、相撲、そしてブルースマンだらけである。その数年後、自分の陶芸用窯を作るため、溶接工をしていたが、暇つぶしに悪戯描きの延長のように粘土で、架空の黒人ブルースマンを作り始め、それが最初の個展につながった。『ブルースのすべて』には妹尾さんによるブルースハープの吹き方、妹尾式ハープ譜というのが載っており、半音、いわゆるベントが始めて出来て、すぐ近所の同好の友人宅に走った。 高校時代、東京でも東の土俵際生まれからすると、中央線沿線は、フォークやブルースマンが毎日酔っぱらって喧嘩していると思い込んでいたが、実際出かけるようになり、特に始めて妹尾さんにお会いしたとき、若いミュージシャン等と飲みながら割り勘の会計をされてるのを見て驚いた。なにしろ『ブルースのすべて』とともに“始めての人” である。その後お宅にお邪魔したり、我が家にも来ていただいたが、どうしてもあがってしまった。そういえば、私の最後のジャズシリーズの個展にも来ていただき、突然、ハーモニカを吹いていただいた。それは客が居ようと居まいと続き、その様子を写真に撮った記憶があるが、私がへたくそで、ギャラリーでサンドイッチをむさぼり食べてる人にしか見えなかった。
 

※2016年深川江戸資料館での朗読ライブ映像。
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1年前の私に『蛸と画狂人葛飾北斎』を見せたらどう思うだろうか。始めて試みた『鏑木清方作三遊亭円朝像へのオマージュ』は、やってみたら案外あっけなく出来てしまって、とまどった。調子に乗って私の大リーグボール3号完成だ、とはしゃいでしまったが、その後、光の表現や遠近法で迷いに迷い、調子に乗り過ぎたと少々反省した。しかし、当初は頭が付いてこなかったものの、ここに来て、腹の中の私が何をしようとしているのか大分判って来た。なのでそろそろ始めから私の考えた計算通りである。みたいな顔をし始めよう。ああだこうだ迷走していたことは、当ブログを読んでいる方々しか知らない。四六時中作っていて他に書くことがないので、つい制作における葛藤を全部書いてしまうのだが。今後は、最初の計画通りここに至った、という演技プランで行くことにしよう。 ということまで何も書くことはない。

※2016年深川江戸資料館での朗読ライブ映像。
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『白昼夢』
『屋根裏の散歩者』
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土曜日に『蛸と画狂人葛飾北斎』と『ゲンセンカンの女』を田村写真にプリントに行くはずが、北斎の頭部の処理に時間がかかり本日に。その間、手直ししたのでかえって良かった。やはり最後の一粘りが大事である。粘ったといえば変更4カット目の『ゲンセンカンの女』も。 超が付く出不精が、雪が降ろうと脚が痛かろうと、早く見たくて我慢できず田村写真へ。陶芸の学生時代、焼き上がりを早く見たくて、学校に忍び込んでちょっと窯を明け、急に冷えてピンピンと貫入(釉に入るヒビ)の入る音にビビって逃げた。様々な理由で私は陶芸家に向いていなかった。プリントを終えた田村さんが声を上げて笑った。これは私にとって作品の成功を意味する。見ると鮮やかさを別にすれば、江戸時代より以前の絵巻や絵馬のように見える。 葛飾北斎なんて手を出してはいけない、腹の中で葛藤しながらうつむいて歩いていたのはつい最近のことだったのだが。


※2016年深川江戸資料館での朗読ライブ映像。
『人間椅子』
『白昼夢』
『屋根裏の散歩者』
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被写体から陰影をなくそうとすると、画面内の各被写体の影響が出ないよう配するパーツを別々に撮る必要がある。これが結果的により日本画調になる。都合が良いのは、着物や蛸などは陰影が作る立体感がないので、ちぎったり貼ったりしても境目が目立たない。ようやくこの手法の要領が判って来た。多分最初の一作『鏑木清方作三遊亭円朝像へのオマージュ』が完成した頃は、自分が向かっている先を理解しておらず、しかしなんだか判らず作った、では馬鹿みたいだから、後に検証を済ませ、始めからそうするつもりで予定通りだった。という顔をしよう。とおそらく書いていたはずである。私の腹の中には表層の脳より多少判ってる奴がいて、やりたくてたまらなければ、よく判らずともそちらを選ぶ事にしている。そんな訳で、寄席の前の円朝と牡丹灯籠の幽霊二人や、グループ展出品中に二度差し替えたゲンセンカン主人も無駄ではなかった。 円朝を作った直後のただボンヤリしている私に、半年後にこれを作るぞ、と『蛸と画狂老人北斎』を見せてやりたい。


※2016年深川江戸資料館での朗読ライブ映像。
『人間椅子』
『白昼夢』
『屋根裏の散歩者』
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佳境  


青春学園ドラマの草分け夏木陽介が亡くなった。先日『太陽野郎』の主題歌をカラオケで歌ったばかりである。当時同名のラジオが発売された『ワールドボーイ』も寺内タケシとバニーズで、私のレパートリーである。一連の学園物の前に放映されたのがこの牧場シリーズだと記憶違いしていた。夏木陽介は眉間にシワ寄せ「えっ?」とか「なに?」というと頭皮ごと動くのが子供心に気になった。夏目漱石の『ぼっちゃん』をもとにしたであろう学園物は夏木陽介が最も硬派っぽかったろう。小学生の私は高校生になれば楽しそうだと思ったが、現実は違った。そもそも男子校に入ったのが間違いの元であった。
正月の腰痛から始まった脚の痛み。特に歩く度にすねの激痛には参ったが、今年一番休まずに歩けた。極々近所ではあるが。 歳をとって歩けなくなっても手さえ動けば作り続けられる、と考えていたのは少々甘かったかもしれない。90まで生きた葛飾北斎は、おそらく娘のお栄が付き添っていたからこそだったに違いない。眼鏡も必要だっただろうし、180センチの身長は晩年は負担であっただろう。これは私の想像だが、晩年はそれまでの記憶の蓄積だけを頼りに描いていたのではないだろうか。私は動けなくなる晩年に備えるつもりで空や水から眼についた物をパーツとして撮影しておいて寝床でも世界が描けるように、と真面目に考えていたことがあったが、頭には別の世界が浮ぶので、思ったほどは役に立たなそうである。そんなことに備えていずに、健康に気を付けろという話しであろう。 間に合えば明日にでも「蛸と画狂老人葛飾北斎」を手漉き和紙にプリントしてみたい。

※2016年深川江戸資料館での朗読ライブ映像。
『人間椅子』
『白昼夢』
『屋根裏の散歩者』
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特に背景は描かないことにしたが、原作が岩場で、北斎は大蛸をスケッチしていたら大小2匹の蛸に襲われ、しかしスケッチブックと筆は離さず、というシーンである。裸足でも良かったが、倒された勢いで草履が脱げた、ということで、空中に飛んだ草履を加えてみた。動きは出たが、あってもなくてもどちらでも良いのでこれは最後に決めることにした。後は北斎の首に着彩して、上に乗せるだけである。口にくわえる筆も画面内ですでに待っている。 一方立像の方は、杖に両手を乗せている。後は足首から下を仕上げ、草履を履かせ、全体の仕上げを済ませれば着彩に入れる。もう1カット構想ができているのは画室の北斎である。窓から遠くの富士。立像が眺めるのは北斎描いた富士の予定だが、こちらは実物を使いたい。しかし北斎像1点、画像2点に時間がかかりすぎた。3点目は後回しにすることになるだろう。 これが終われば寒山拾得図と行きたいが、本当にいいのか?少々急ぎ過ぎてはいないだろうか?迷わず行けよ行けばわかるさ、とアントニオ猪木もいっているが、猪木は一休禅師の言葉だと勘違いしている。 北斎を襲う蛸、一緒に成仏させたIさんが写真に収めていた。


※2016年深川江戸資料館での朗読ライブ映像。
『人間椅子』
『白昼夢』
『屋根裏の散歩者』
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北斎は筆を一本口に銜え、右手に2本の予定であったが画狂人北斎は過剰な人物ということで3本持たせた。 現在ほど古典技法を試みる人がいなかったころ、オイルプリント初披露の個展会場、始めて見る手法に、解説を一通りするまで来廊者の眼に灯りがともらない、という経験が私は忘れられない。日本人の多くは絵画を観るとき。横のキャプションを読んでから作品に眼を移す。画廊の受付嬢がクスクス笑うほど同じ話しを一日中繰り返し、たまりかねて技法公開のためHPを立ち上げたのが2000年である。 古典レンズを使ったり、絵の具を使うオイルプリントを試みたり、ずっとまことを写すという、身も蓋もなく写る写真にあらがってきた。肝腎なのは自分の中に浮かぶイメージであり、真など一切関わりたくない。よってデジタル時代になり、写真が真を写すための物ではなくなりつつある今日この頃、私にとれば良い時代になった。 そしてここに至り、“人形作って陰影が出ないよう撮影してただ配しただけ”という、実にシンプルな手法に至ったのも目出たい。解説する必要もないだろう。人は出来るから浮ぶのか、浮ぶから出来るのか、少なくともこれを始める前は、蛸に絡まれる葛飾北斎は、思い付きもしなかったし、やれるとは思わなかったであろうことは間違いない。

※2016年深川江戸資料館での朗読ライブ映像。
『人間椅子』
『白昼夢』
『屋根裏の散歩者』
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一日  


数百メガになってしまった蛸と北斎をなんとか統合した。蛸はまるで金魚のような色だが、このぐらいしないとグロテスク感が消えない。いずれ機会があれば拡大プリントしてみたいと思っているが、それを考えても、このぐらいしておかないと気持ち悪くて笑えないだろう。遠目には目出たい何事かが描かれているように見えないだろうか? これで後は手に筆を握らせ(複数本)口にも横銜えさせた頭部を合成するだけである。 並行して立っている北斎の仕上げを続ける。この2点をプリントした時点で、個展の開催日時を決めたい。 昨年陶芸の学校時代の7歳年上の同級生の連絡が取れず、沖縄のうるま市役所に聞いてみたら、職員の女性がわざわざ見に行ってくれ、仕事場はそのままだが人の気配がないといわれたが、沖縄で陶芸家と結婚した同級生が訪ねてくれた。たまたま弟さんがおり、3年前にすでに亡くなったという。トラックドライバーでお金を貯め沖縄で陶芸家になるべく同級生となった。学生時代は随分世話になった。卒業後随分経ち、物干の溶接しながら人形を作っていた私を訪ねて来て、中東で石油タンクの溶接に一緒にいかないか、と誘われた。サムライになれるといわれたらしい。おかげでその後、住まい兼の立派な工房を建て、私はサムライになり損ねた。

※削除されていた2016年深川江戸資料館での朗読ライブ映像、人間椅子を再アップしました。
『人間椅子』
※初アップの『白昼夢』
『屋根裏の散歩者』
ピアノ嶋津健一 朗読田中完



2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

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