明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


久しぶりにカメラを引っ張り出す。かつて使った特徴的な描写のレンは使わず、カメラに着いていた広角系ズームレンズ一本である。自分で作った被写体がそのまま写れば良く、実物より良く写るというレンズは全く不要である。むしろそんなことがあってはいけない。陰影を排除する石塚式ピクトリアリズムは、何が良いといって、私の原点である人形制作を自覚させてくれることで。被写体が完成した時点で目的の半分は済んでいる。 この手法に至ってから色々考えることも多かった。かつてオイルプリントなどという、修験者の技のような物も経たことも良かった。大リーグボールも1号があったから2号があり、2号があったから3号がある。

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琴高仙人乾燥に入る。鯉と共にローンレンジャーのハイヨーシルバーのような感じで水上にジャンプしたシーンを首の制作時から考えていたが、ジャンプすれば水飛沫が飛ぶ。 被写体から陰影を削除する私の作品は、同時に水の艶も反射もない、ということになる。火は筆描きでこなしたが、解決策は見つかっていない。そう思うとあまりバシャバシャさせたくない。今後私はどうするつもりなのであろうか?学生時代試験前、今日寝てしまったら明日の私は勉強しない訳に行かないはずだ。であれば明日の私に任せて今日は寝てしまおう。そしてお決まりのパターンで、翌日の私は昨日の私を裏切り万事休すとなる。しかし試験勉強と違い、こちらはやりたくてやっている。シャッター押せば写る物を、それでは我慢できないのなら仕方がない。



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一休の法衣を曽我派の絵画を参考にしている。室町時代、今と何が違うか判りはしない。陰影がなく、つまり立体感がないので、良く判らない。西洋画と東洋、日本画の描きたいこと、言いたいことの違いを改めて感じる。今回は平面を立体化した後、最終的に陰影を排除し平面化する訳で、こうして書いてみると、私は何をしている?という、お馴染みとなった感慨が湧いて来るのは仕方がない。そして最終的に写真になる、という所がミソである。ミソであるはずである。ここには私の写真との様々な歴史が在る。 写真初心者の私がブラインド・レモン・ジェファーソンを撮影した時であっだ。外光が三角形を描き、これは面白い、三脚から何までそのままにし、明日も同じ時刻にもう一度撮ってみよう、と考えた、ところが翌日、全て昨日のままのはずなのに、ファインダーの中、何か違っている。私は困惑したが、程なく気が付いた。カメラ、光、被写体は昨日のままだが、唯一昨日と違っていたのは私自身であった。つまりシャッターチャンスも私自身の中に在る、と。 そして外側にレンズを向けず眉間に当てる念写が理想となり、あの経験が、まことを写すという写真にあらがい続け、石塚式ビクトリアリズムに至る、初めの一歩だったろう。



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25.6年前に制作した人形を塗り直し、眼鏡も新たに作った。背景が明日中にメドが立たなければ、左手に国定忠治の名月赤城山撮法のように人形を捧げ持ち、右手に持ったカメラを額に当てて街中で撮り歩く“名月赤城山撮法”を十年以上ぶりに試みなければならないかもしれない。デジカメに転向してからは一度もやっていない。これの難しいところは、カメラ、被写体、背景の関係が上手く行かないと、良く見たら、人物(人形)が脚立の上にでも立っているのか、もしくは地面にめり込んでいるのではないか、ということになってしまう。つまり被写体がおよそ165センチの人であれば、ファインダーの中の人形が165センチの人が、そこに立っているように見えなければならない。人形の脚を鷲掴みしているので、そこから上を撮る訳である。よって地面や床は写らないことになる。しかし見えなくとも、そこにあるであろう地面や床の上に立っているかどうかは、背景との関係で判る人には判る。 そればかりやっていた20年前は、百発百中であったが、勘も鈍っているだろう。その場合は側にいる人を見当代わりに立って貰い、ファインダーを覗いて見れば良い。



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昨日から失せ物探し。本格的にボケが始まっているのか。つい先日まで目の前にあった物が消失するマジック。 出掛けたついでに図書館へ。浮世絵への関心は薄れ、本日は中国絵画。そもそも寒山拾得は舞台が中国だし、風俗、建造物、自然について知りたい。古典絵画を眺めているうちにかつての日本人の視点を取り戻せないものだろうか。 そろそろ新たにデジカメを買おうと思っている。フルサイズのミラーレスは、私のミスから壊し、マイクロフォーサーズの中古を使っていたが、どうも怪しくなって来た。かつて古典レンズを集め、おそらくニジンスキーを写したと同じ4×5インチの水晶製レンズさえ入手した私が、長い旅路の果てにたどり着いたのが、石塚式ピクトリアリズムだが、ここに至ると、カメラ、またそのレンズは、“私という人間の味を出す為の物”であり、”レンズが余計な味を出すんじゃない、私の味が目立たなくなる“とデジタルカメラに、それに付いている広角系安物ズームレンズで充分、いやそれが良い、という所にたどり着いたというのは実に慶賀であり、あまりにも私らしい到達点に、上手く出来ているものだ、と感心してしまうのであった。


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この辺りで寒山詩の再読を始める。同じ物でも興味が有るのと無いのでは違って見える。自分が変われば風景も変わって見える。 ジャズ・ブルースシリーズで個展出品用にテーブルの上に、ベニヤ板に壁、床、石畳など作り、それの組合せで何種かの風景を作れるようにして、そこに人形を立たせ、窓から入る外光で撮影していた。なかなか決まったので、三脚の上のカメラをそのままに明日同じ時間にもう一度撮ろう、とそのままにしておいた。翌日ファインダーを覗いたが、どうもピンと来ない。写真を撮り始め間がない私は首をかしげた。それは昨日とは私の方が変わったのだ、と気がついたのはしばらく経ってからだったろう。フットボールを見た後は赤い色が違って見える、と(かなり不正確か)寺山修司が書いていた気がする。シャッターチャンスは自分の中にある。その後、カメラの前で微動だにしない人形を撮り続けていく上で、これは良い経験となった。
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『石塚公昭 幻想写真展 生き続ける作家たち』 2018年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutube
2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtube



『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載10回『劇場の永井荷風』


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来年、久々に人形とカメラを手持ちの“名月赤城山撮法”を炸裂させる機会がありそうである。縁のある土地で人物を撮るのは愉快である。『帰って参りました』。と唱えながら撮影するのは私ならではであろう。今ではスマホを手に誰でもやっているというのは、ぬいぐるみなどの場合で、人形を人間大に見立ててということは少ないかもしれない。これにはコツがある。手前に持ってくれば人間のように大きくは写るが、そこに居るようにするには、角度が大事であり、そこを間違えると地面にめり込んでいたり、脚立に乗っているかのようになってしまう。何も人形に限らず、人間の合成でもしばしば見受けられる。いったいどこに立っているんた、ということが多いが、見ている人には判るものである。背景と主役の角度は重要である。それとムードを出したいがために、絞りを開け、ボカシたくなるが、これにより、対象が小さな物であることが判ってしまう。背景とのバランスを意識して、あくまで人間を撮影しているつもりにならなければならない。というわけで、まことを写すという写真という言葉にを嫌って文句ばかりいいながら、こういう場合にはこう写り、こういう時はこうボケる、という写真の写り方に対する既存のイメージを利用していたのは私なのであった。
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2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtube



『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載10回『劇場の永井荷風』


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壊れたパソコンから30年通った居酒屋の画像データを取り出した。写真の欠点は無い物は撮れないことである。主人公である女将さんが亡くなってしまい名物もなくなり店も変わってしまった。主人公さえ健在なら名物も店もいらないよ、と思いながら数々の写真を眺めた。モニターで実物大にして店にいる気分で飲むというのも良いな、これは名案と思ったが、開始早々モニター観ながら泣きそうになり止めた。いや間に合わず。 最近某写真家の過去の所業が問題になっているようである。私は写真を始めたのが遅かった。写真の主役はあくまで被写体だと考えるのだが、撮らせてもらっているのに写真家はなんだか偉そうに見えるのが奇妙に見えた。私の場合は実在した人物を作るので、その人物は充分尊敬している。たとえ亡くなっていても、作品を観てもらって本人にウケることを想定しているくらいである。家族がご健在であれば当然それも気になる。しかし作ってしまえば作者としては単なる物である。今後実在した人物を作らなくなれば、もうすべて自分であるから“誰のせいでもありゃしない。みんなオイラが悪いのさ”ということになる。被写体を敬い、気を使う必要もなくなるという寸法である。いうこと聞かなきゃ首をすげ換えるだけである。

銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載7回「“画狂老人葛飾北斎”」

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最近の手法が出来た時、私の大リーグボール3号だ、手法に名前を付けたい、などと調子に乗ってしまったが、陰影を消して配するだけだからそれほどのことではないかもしれない、ただ自らが、自分で作り出した陰影を生かすどころか消す、というのは作っている本人としては、なかなか決心のいることではあった。 私にもし大リーグボール1号があるとすれば、作家シリーズ開始と同時に始めた、片手に人形を捧げ持ち、片手にカメラで街で撮り歩いた手法であろう。左手の人形を刀と見立てて国定忠次にならい『名月赤城山撮法』などといっていた。私が始めたのは96、7年だが、今ではスマホでフィギュアや縫いぐるみでそこら中でやっている。旧いレンズを使い、ピントもほとんど固定。シャッタースピードは15分の1秒。街中でヒョイと御本人と出くわした、という感じを出したくて、ピントの甘さブレなど気にしなかった。 私がこれをやるようになったのは、その前年、ジャズ、ブルースシリーズを背景を作って三脚立てて撮影していた時、今日は上手く行った、このままにしておいて明日少し撮り足そう、と翌日撮影しようとしたが、どうも昨日と違う。人形も立ちっぱなしだし、何も変わっていないはずなのに。初心者だった私は悩み、未練がましく2日間セットをそのままにしたあげくに、変わったのは私の方だ、と気が付いた。寺山修司がウル覚えだが、“フットボールを見た後は赤い色が違って見える”というようなことをいった。昨日の私と今日の私が違っていて当然だ。シャッターチャンスは外側でなく、自らの中にある。この経験が元になり、翌年作家シリーズを始めるにあたり“三脚を捨て街へ出よう”と出かけた。特に寺山と荷風は街中でさえあればどこでも画になった。荷風は後ろを例えルーズソックスの女学生が通っても、ついシャッターを切らされてしまったが、終いには荷風がカツ丼吐いて亡くなった部屋まで行って荷風を撮った。


銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載7回「“画狂老人葛飾北斎”」

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早朝T屋へ撮影機材を持ち込む。三脚と日本髪のカツラは先週のうちに運んでおいた。お茶付けを食べ、父親にAちゃんが起きてくれることと化粧はあくまで薄めにを託して錦糸町のヨドバシへ、調子の良くないバッテリーチャージャーを念のために買う。 T屋に戻り、Aちゃんが降りてくるのを待つ。上で柔道の受け身でもしているのか、という音が聴こえる。起きてはいるようである。念のため、外出中のお米ことT屋のかみさんに、化粧は薄めに、とメールでAちゃんに伝えてもらう。素人を被写体にする面白さと危険さは充分沁みている。何が起きてもおかしくない。 12時ジャストにAちゃん登場。タクシーにてMさんのマンションへ。『貝の穴に河童の居る事』(風濤社)は、海岸のシーンはこちらの駐車場で撮影した。二人の漁師が丸太に巨大魚をぶらさげ運ぶシーンも。本日もお借りした和室のゲストルームでは、座敷に巨大魚が降って来たり、人間どもが、河童に化かされ踊らされたり等々撮影した。特に着物のまま海に足下まで浸かったシーンは自分で見ても上手くできたと思うが、どうやったかは思い出せない。 到着すると、今回も着物をお借りし、着付けをお願いするMさんの奥さんが、すでに着物を並べて準備をしていただいていた。用事で一時間遅れるお米の前にお露の着付けをお願いする。問題はカツラである。なかなか上手く装着できず、なんだか不自然だが撮影を始める。演技をしてもらった河童の時と違い、今回は幽霊である、カランコロンと歩いているといっても棒立ちに近い。室内用と角度違いを2種類撮るだけである。手の位置、見つめる場所だけ伝えて繰り返し撮る。次にお母さんのお米。先に撮ったお露に寄り添う想定で。牡丹灯籠を持ってもらう。今回は4秒の露光時間である。河童で懲りた、かみさんのまばたきだが、Mさんにチェックしていてもらうことにした。おかげでほぼまばたきなし。 帰宅後別々に撮った二人を並べた。カツラの不自然さを直すのに手間がかかったが、一眠りして只今完成。後は背景を撮影し、ヒトダマを配置すれば『牡丹灯籠』は完成である。

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本日は横浜まで、以前から知人の依頼で撮影してきた植物を撮りに行く。今日は圓朝の撮影方法で人形以外の物を撮影してみようと考えていた。懸念していたのは背景から切り抜くこと前提でないと上手くいかないかもしれない、ということであった。私の場合は、そもそもが小さな人形が被写体で、それを人間扱いするので、切り抜いて配置するのが大前提であり、実はそれが肝心要かもしれない。その点も本日確かめたかった。 今まで三脚というものをほとんど使ってこなかったが、この撮影には不可欠である。先方に確認すると、前回、私が置いて行った三脚があるという、いや目の前にあるのだが、と思ったが。先方がそういうので、では別の三脚を持って行ったのだろう。と、しかし、結局先方の勘違いで、圓朝の撮影方法はかなわず。もっとも、今日の撮影にかこつけて、人形以外の被写体で試してみよう、と私が勝手に企んだことで、本日の撮影には支障はない。 それにしても、私の大リーグボール“圓朝の撮影法”は、何か上手いネーミングはないだろうか。私の1号“名月赤城山撮法”は冗談でいっているだけであったが、いつまでも円朝々いっていられない。 以前何度かクイズやアンケートを募集し、ささやかなプリントを差し上げたことがあったが、今度ばかりは先日の青木画廊のグループ展で、“打席”に立ってみた方でないと、ピンとこないだろう。

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外側の世界にレンズを向けず、眉間ににレンズを向ける念写が理想だが、そんな能力はないので、なんて言っている私だが、たまに外側にレンズは向けたら、結果はこんな感じである。川瀬巴水ばりに背景に隅田川でももってこようか、と思ったが、川っぺリの寄席というのも変だと止めた、遠景を描くにはデータが足りないので、明日にでも撮りに行きたい。よって部分である。 昨日書いたように、昨年この明治時代の寄席のイメージが浮かんだ時点では、普通に寄席内部から漏れる光を寄席の前に立っている圓朝に当て、いつものように風景の中に配することを考えていたが、完成まで年を跨いでしまい、時間が経ってしまった。その間にフラットな背景に溶け込ませるため陰影のない圓朝を2点制作した。巴水を意識してこれだけ漏れる灯りを作ってしまうと、私には陰影はありません、なんて顔を圓朝にさせるのは無理があるのではないか。まるで前作と逆のことで頭を悩ませることになった。思いついたら事情が変わらないうちに完成させるべきである。


今月末オイルプリントのワークショップ参加者募集中です。

オイルプリントについてはHPをご覧下さい。更新しておらず旧作品ばかりですが。
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明治の寄席をでっち上げるならここだろう、と思っていた場所で撮影。昔は数百人入る寄席もざらだったようだが。こじんまりと。ほぼこういうアングルで撮ろう、というのはすでに昨年から決めていたので、特に現場で悩むことはなかった。明治の夜景というと川瀬巴水の新版画の世界をイメージするが、巴水は月光映る川面を描いて素晴らしいが、家の中から漏れる灯りがまた素晴らしい。私が寄席を背景にした圓朝を考えた時は、新版画調の寄席にしたい、と考えており、帰宅後制作を続け、すでに7割完成した。 一つ迷っているのは、これを構想した時、まだ立体の陰影を消して絵画調にする、というのを実現していなかったので、これだけ室内からの明りがあると、いつものようなライテイングをせざるをえないだろう。その点巴水は、人物は風景の一部として小さく描いているだけでなので、巴水からは答えは得られない。今の段階では寄席の外観風景として、人物入れない方がいいんじゃないの?なんて思ってしまっている。困った。

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明日の撮影にそなえ、イメージトレーニング。私が風景を撮影する時は主に人形の背景用ということになるが、今回は幽霊を登場させようというのだから、見たまんまの風景である必要はむしろない。深川の、幕末あたりから明治大正にかけての寄席の資料を見ると、各町内ごとに寄席が在るというくらいで実に多い。しかし明治時代の寄席というイメージだから通りも淋しく暗いだろう。 岡本綺堂が、子供の頃、本で読んだ『牡丹灯籠』がたいして怖いと思わなかったが、寄席で圓朝の口演を聴いたら怖くなって帰り道急いだという。舟の話をすると客が船酔いのようになった、というからそのくらい当然であろう。 福富太郎所有の鏑木清方作品に、寄席内部を描いた作品があり、圓朝出演中の看板が軒先に吊る下がっていて、中に灯りを仕込んだであろう看板には、圓朝の名前、大入りなど文字が書かれているので、これを参考に、こんな看板を軒先に吊るしたい。この辺りのイメージは、ここ数ヶ月の間に積み重ね、度々ブログに書いて来ているので、あとは現場でどうするか。である。できれば寄席を背景にしたカットは2カットはものにしたい。これで数ヶ月前に棚からぼた餅のように降ってきたカットは、高座上の圓朝を残すのみである。

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清方や伊藤晴雨が描いた明治時代の寄席に外観が似ている建物があり、撮影許可はすでに出ており8日撮影が決まった。日本画や浮世絵では、夜だからといって例によって陰影を描かず、画面の上部を暗くして、月を配して夜ということにしたり。室内なら行灯がなければ昼夜判らなかったりする。しかし、明治時代の暗い街並を再現するなら、新版画の特に川瀬巴水調がピッタリだが、風景専門の巴水違い、あくまで寄席の前にたたずむ圓朝、遠ざかる後ろ姿のお露とお米が主役なので、どう撮るかである。 ブログというのは書いていて、頭の中を整理するには案外有効で、今思いついたことがある。よって2つのパターンで撮っておこうと思う。それにそなえて立ち姿の圓朝にも着手しないとならない。日本画はフラットな画調のためか、真正面から人物を描かれることは少なそうだが、高座の圓朝を最前の客席から見上げている画などやってみたい。本当はこれをやってみたいのは、フランスやロシアの劇場で、客席から天才バレエダンサー、ニジンスキーの大ジャンプを見上げることなのだが。私がフランス人のピエールだったなら、とっくにやっている。

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