明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



携帯電話の落し物だと深川警察より。家の中のどこかだと思っていたのだが個展の前日辺りに木場のヨーカドーに忘れたらしい。オキュルスに行く前に深警へ。遺失物の受付に行くと数人の婦警。T千穂でKさんに太股を触られた婦警?とつい見てしまう。 実在した人物をテーマに個展をやると、縁のある人であったり、当時が懐かしく、という方々がみえる。本日は、昔平岡家の隣に住んでいた、という方とお会いした。子供に対しても気軽に声をかけてくれる人だったそうである。私のことを始めて知り、会社を休んで来た、という方もみえた。実に有り難いことである。仮に自分の作品が原因で誰かが死んだとしよう。顔で沈痛な表情を浮かべていても、どこか満更ではない。そんなロクでもない人間だけが、何かを作ればよいと思う。 また次にこういう人物を扱って欲しい、という方もみえる。三島関連で2・26事件を調べるうち、私自身、北一輝の風格あるポートレイトに興味が湧いたが、夢野久作の父親、杉山茂丸の話から頭山満、さらに、と話は盛り上がり、次回は『憂國の士』シリーズへ、などと勝手な話に花が咲くのも個展会場ならではである。しかし、好きな人物を制作するにしても形だけでなく、その人物にかこつけ、どさくさに紛れて自分自身の某かを表現するわけなので、それに応えられる人物を選ぶべきである。そういった意味で“鳩が豆鉄砲”のような表情しか浮かばない川端康成で個展を開くような展開は難しく、私生活的にも表情豊かな谷崎潤一郎はいくらでも創作のしようがある、というわけである。
帰りに久しぶりに一杯、などという知人が来ない場合、K本へ急ぎ、30分ほど飲むことができる。さらに常連二人とKさんのホームグラウンドT千穂へ流れる。私のブログを読んでKさんに会いたがる人がいるが、このオジサン、女性に対してくだらないこと企んで無邪気に笑ったり、酔っ払ってコケたりする様が面白いので、さあ師匠、面白いところ一つお願いします。と対面したところで、ただ頭の薄い小さなオジサンである。

去の雑記
HOME

 

 

 

 

 



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




三島由紀夫が亡くなる数日前まで撮影された写真集『男の死』は三島自身が様々なシチュエーションの中で死んでいる様子が撮影された十数カットであるという。没後四十数年経た今日も未だ刊行されていない。私は三島を制作するにあたり、『男の死』の存在を知らずに、三島自身を三島好みの人物に仕立て、様々な状態で死んでいる、ということを考えた。三島自身がヤクザや魚屋や兵隊を演じた『男の死』と違い、私の場合は作り物であるし、あくまで三島作品、あるいは三島が言及した事柄などの中で死んでいるというイメージであり、オリジナルの『男の死』とは違うわけだが、それでもオリジナルの『男の死』の発表の後では、単なるみすぼらしいバッタ物になってしまうだろう。『中央公論Adagio』の表紙を担当した4年の間もずっとそんな気持ちを抱えていた。最大の危機は没後40年であったが、タイミングの天才、撮影者の篠山紀信はまだ出さない。そして終刊が決まった直後、いよいよ、というわけで、三島の愛刀、事件の際にも使われた『関の孫六』のレプリカを入手し、最終号の田中角栄を作りながら、抜き差ししていたわけである。気持ちがそちらへ行ってしまい、田中角栄は随分手こずった。元薔薇十字社の社主で『男の死』の企画者である内藤三津子さんにお会いした時にも、オリジナルが先に発表されたなら、私の『男の死』は止める、とお話していた。内藤さんは、あなたのイメージとは違うものだから、といっていただいたが、その気持ちは変わらなかった。 以後制作しながら発表の場を探したが、“右翼の街宣車に来られても”と、同じ理由で断わられた。そしてギャラリーオキュルスの渡辺東さんに『渡辺温へのオマージュ展』に声をかけていただき、個展の開催をうかがってみると「面白そう」の一言であった。 来年あたりに、というつもりだったが、偶然三島の命日がキャンセルになり、発作的にお願いしてしまった。おかげでそれ以来、寝床に本を敷いて寝心地を悪くして睡眠時間を削り、急ピッチの制作となったわけである。 そして本日、内藤三津子さんに静岡より来廊いただいた。三島さんもここに来ていて喜んでいるだろう、といっていただき感無量である。そしてもっと怖いものを想像していたら、そうではなく、と伝説の編集者の予想と違っていたことも私にはまた嬉しい。そこに内藤さんから声をかけていただき、個展の案内に一文を寄せていただいた中田耕治さんもお見えになり、内藤さんと旧交を温められた。私が内藤さんの存在を知るきっかけになった『平凡パンチの三島由紀夫』の著者、椎根 和さんにも来ていただき、編集者として触れた三島についてお話を伺った。三島がバチカンで惚れた大理石のアンティノウス像はまるで森田必勝にそっくりで、活字化されたのは椎根さんが初めてだそうだが、私も森田の頭にモップでもかぶせるとまるでアンティノウスだ、と過去にブログに書いている。来てもらいたい、と思っていた方に観に来るよう伝えてくださるという。
興奮を抱えたまま友人等と大崎で飲み、地元へ帰り、閉店間際のT千穂に向かうと出てきたKさんとばったり。想えばKさんとは浜松や房総他、撮影に行き、貢献もしてもらった。しかしこのオジサンに今日の興奮を伝えようにも伝えようがない。結局昨日オキュルスに連れてきた女性と、明日オキュルスに連れてくる女性の話を聞かされ続けた。

去の雑記
HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




一時過ぎにオキュルスに出かけると、高校卒業して入った工芸の専門学校で陶芸を教わったY先生の名が芳名帳に。三十数年ぶりにお会いする機会を逸してしまった。そこでは酒ばかり飲んでグウタラな駄目生徒であった。誰かがY先生の私に対する評価が書かれたものを覗き見て、続くかどうか、というようなことが書かれていたと聞いたことがある。個展をされたら尋ねてみよう。 午後、T屋のHさんやKさん、タクシー運転手のTさん来廊。Tさんは楯の会に入ろうとして身長ではねられた人である。冗談ばかりの愉快な人だが、オキュルスの東さんも居酒屋の女将さん扱いなのには困った。 こんな個展だと、三島を実際目撃したことがある方がみえるが、事件当日記者クラブにいた写真家の方から聞いた話で、一報が入ったとたん、記者たちが爆笑した、という話には驚いた。割腹自殺と聞いて記者に爆笑される人物。当時ある種の人々に三島がどう見えていたのか、その一片が端的に伺える話であった。いつか三島展を開催した神奈川近代文学館の方が、三島について話をされてきたばかりという研究者の方とみえる。冷や汗をかくが私なりの三島へのアプローチも喜んでいただけたようであった。 専門学校で一緒だった連中が集まったので五反田まで歩いて飲みに行く。Hには三島が握る刀身を作ってもらった。ここまで付き合いが長いと、誰かが誰かの棺おけを覗き込むハメになるのは間違いがない。

追記:記者クラブが爆笑したのは「市ヶ谷の総監室を占拠した」という第一報の時で、「割腹した」とわかった時は、なんともいえない空気で、みな真顔だったそうである。それはそうであろう。翌26日の新聞にもそう書かれている。

去の雑記
HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




初日の朝まで三島像の制作にかかってしまった。塗りムラも目立つが、とりあえず後で修正することとして。案の定そんな状態になってしまったが、土俵際で粘って完成させた2カットの出来が良いので、ねばる価値はやはりある。前日プリント作品だけは搬入していたので立体をタクシーで。通りまで運ぶさいにKさんに手伝ってもらうつもりだったが、自転車を買った日に酔っ払ってコケ、アバラが折れたと唸っているので、急遽ベーシストの谷口さんにお願いして会場へ。 前日プリント作品の飾りつけは、DMをデザインしていただいた高山ケンタさんにやってもらっていた。私は飾り付けに関してはまったく役立たずで、個展の際は、ギャラリーの方にお任せするのが常であり、たまたま居合わせた見ず知らずの画廊の客に配置してもらったことさえある。小学生の時、通信簿に書かれた『掃除の時間、何をやってよいか判らずふらふらしています』そんな状態である。開場そうそう来ていただいた新保博久さんには、キャプションの間違えを添削してもらってしまった。 2日間ほとんど寝ていないのでクラクラしてくる。会場で流そうと用意したサントラの『MISHIMA』のフィリップ・グラスの繰り返しの波がまた眠気を誘う。 個展というものは、自分の作品を客観視するには良い機会である。ジャズ・ブルースシリーズから一転、作家シリーズに転換したのも、個展会場で作品を眺めたことがきっかけである。あれほどの大転換ではないが、初日すでにムラッときたことがある。 帰りに旧知の編集者と居酒屋へ。この男は会うたび勤める出版社が違う、とうくらい尻が軽い男だが、私でどうか、という彼の企画がまた私がムラッときたことと無縁でないから面白い。地元へ帰り飲みに行くとカウンター席にKさん。私の個展にかこつけ複数の女性を誘う腹で、私の計算では三回は来るだろう。あばら骨折ったくらいでめげるKサンではない。

 

去の雑記
HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




手持ちの案内状、最後の数枚を郵便局に出しに行くと定形外で百何十円だという。そこで思いだしたのは、最初の頃、店内にポストのあるコンビニで出していたのだが、店員に80円で行くのか聞いたところ大丈夫だというので、20数通は出している。クリアな封筒にあて先だけシールを貼ってあるので、料金不足で帰ってくることもない。最初に制作の合間にポツリポツリ出していたので、大事な方宛だったのではないか。申し訳ないことになった。個展開催を知らずじまいになってしまう方もいるだろう。今となってはしかたがない。他はほとんど知人にお願いしたし、私も大体がメール便だったので助かったのだが。もうこれからは向かいのコンビにを贔屓にする。 そもそも私は理由は謎だが、郵便局が嫌いである。坊主憎けりゃ、というわけではないだろうが、切手も嫌いだし封筒もそういえば好きではないし、ポストだって。 宅急便や、メールの発達は非常に助かっている。

それはともかく。これから着彩、撮影という作品が残っている。

去の雑記
HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




東京は下町の昭和三十年代。男は諦めが肝心である。という風潮があった。もしかすると某区二丁目の傾向だったかもしれないが、あっさりしているのが男らしく、しつこい男など言語道断。もちろん男はスカしてはならない。男の条件。鉄の掟といってもよかったが、子供の頃身についたものは恐ろしいもので、この見得のおかげで未だに苦しめらている。女性に振られてもいないのに早々に自決、という人生上の痛恨事も指折り数える。だがしかし、こと作ることに関しては見得も何もなく、実に諦めが悪い。いやまったく諦めることができない。個展の案内や告知のページに使っている『潮騒あるいは男の死』だが、出品するのとは一部違っている。諦めきれずに変えている。というわけで、もう個展だというのにまだ制作中である。 「だって幽霊ってみんな女だろ?諦め悪いったらないよな」。小学生の私にいったのは上級生の洗濯屋の倅のSちゃんかペンキ屋の倅のKちゃんだったか。

去の雑記
HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


一日  


出品するプリント作品は20~23。マットは一応23注文する。 『黒蜥蜴』は無事江戸川乱歩を登場させることができた。三島は私の先回りして自分でやってしまっている、という困った人物である。映画で黒蜥蜴と共演しているので、私としては黒蜥蜴と三島を並べるだけでは悔しくてしょうがない。よほど出品するのを止めようと思ったが、剥製の三島を鑑賞する黒蜥蜴。その光景を背後で眺める原作者乱歩。といった場面が完成した。たしか鮎川哲也賞の会場で思いついたのだが、会場で乱歩の御令孫、平井憲太郎さんの姿をお見かけしたせいではなかったか、と今思うとそんな気がしてきた。 三島の戯曲で『ボクシング』という作品がある。竹本敏男對ホセ・ゴンザレス バンタム級タイトルマッチ。観客席に怪しげな女が現れる。拳闘界で囁かれる噂どおり、竹本敏男はゴンザレスに負ける。当初リング上でのKO死、というのをイメージしていて、どこかの試合会場でリングを撮影しようと思いながら時間が経ってしまい、諦めてラインナップから外していたのであったが、そうこうして、試合後の控え室か廊下、その片隅でひっそりと死んでいる竹本。そんな画が浮かんで、無事完成させた。かえってこちらの方が良かったという気がする。逆転KO勝ち、といいたいところである。 撮影にも使った像を、平面的なところを利用して額装する、というのを一点考えていたのだが、額は注文したが、初日までに間に合うかどうか、少々あやしい。

去の雑記
HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




二・二六事件の将校の仕上げをしながら曇天から雨天を撮影をできるのは、今日が最後だろうと思うと気が気ではない。今日撮影したところでラボにプリントを発注するのは月曜日が限界。立体の仕上げに集中するか、背景を撮影するか迷い続け、我慢ができず雨降りの中、本郷方面へ。迷っていた分外は暗い。片手に傘、片手にカメラで撮影。人形とカメラを手持ちで撮影していた頃、いつもシャッタースピードは十五分の一秒だったので、シャッタースピード優先でサッサと撮り、濡れながら帰り、仕上げの続き。今日撮影した背景はイメージ通り撮れていたが、出品できるかどうかは判らない。

去の雑記
HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


一日  


買ったばかりのTVのリモコンを濡らしてしまい、TVなど見ている場合じゃないということだ、と以来、一切見ていない。市川崑の『東京オリンピック』での後姿が印象的で、モハメド・アリと激闘を演じたジョー・フレイジャーが知らないうちに亡くなっていた。知人の妹がアメリカ滞在中に書いてもらったノートに書かれたサインを持っている。キンシャサの奇跡といわれたアリとジョージ・フォアマンの試合は、アリとあれだけの激闘を演じたフレイジャーがフォアマンにボロ雑巾のように倒されたせいで賭けが成立しなかった高校の休み時間。フックの多段打ちは、タイソンも参考にしていたであろう。 元横綱隆の里も亡くなっていた。糖尿病対策で考えたレシピ本を出していたような気がする。宴席で目の前の刺身を食べずツマだけ食べ、シミッタレなどの声にも耐えて横綱を張ったのだが、現役時代より随分大きくなっていたから、続かなかったのであろう。 巨人が内紛だそうである。まったく日本の野球に興味がない私にはどうでも良い話であるが、『中央公論Adajio』は、創刊号の江戸川乱歩のパイロット版を見た渡辺恒雄の、カラーにしろ。の一言で、最終的に私にお鉢が回ってきたと聞いた。確かに江戸川乱歩のカラー写真は数える程度しか存在しない。 今回、唯一制作を躊躇したプリント作品完成。三島が派手なマントに弓を持っている。

去の雑記
HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




二・二六事件の将校。どう考えても、これが個展に向けて最後の作品になるはずである。 昨日T千穂にて夕食ついでに三杯ほど飲んだ。横にはKさん。大分疲れている様子でちょっと飲んで帰るといっていた。ところが本日朝。T屋にいるKさんより意味不明なメール。結局昨晩から飲み続けてしまったようである。朝食を食べに行くと、入れ違いに酔っ払ったまま高尾山に向かったという。ここ数日高尾山に行く、といいながら行かないので周囲にからかわれていたのだが、あれは例によってパチンコ屋だよ。とかみさんと話した。帰宅し制作を続けていると。そこからKさんより、解読不明なメールが十数通。昨日会った女性の話だ、ということだけはかろうじて判る。ほんとに高尾山に行ったようである。 夜、帰ってきたKさん。T千穂カウンターにて、体力を使い果たし憔悴しきっている。 朝日新聞夕刊に個展の告知がでていたのでKさんに見せる。水の流れを作るためだけに房総の波打ち際にKさんに寝転がってもらったカットである。するとKさん、すぐに近所の販売店で数部買ってきた。どうやら自分が協力したこれをネタに、私の個展に女性を誘う腹らしい。再び酔い始めニコニコしだした。私の計算によると、そんな調子で三回は個展に来ることになる。帰ろうとすると、お目当ての女性が出没する時刻まで粘るそうである。2日目だぜ?そのエネルギーもっと有効な使い道ないの?

去の雑記
HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


一日  


ラボにプリント用データ用をいつまでに持っていけば間に合うか聞いてみたが、担当者が回りくどい物言いで、そのまま鵜呑みにすると来週半ばに完成していないとならないことになる。工場への便の分がよけいな時間である。来週工場の方に直接訊いてみることにした。最初に上げてみたタイトルのうち、今回作品になるのは、65パーセントといったところであろう。 個展の案内の宛名書きをして外出のたびに投函しているが、誰に出したか出さないか、そろそろ良く判らなくなってきた。なんでこうも同じことをくりかえすのか。ちゃんとチェックしろ、という話である。特に今回は記憶がない。二度出してしつこい奴と思われるのも嫌だしということで、結局ウチには来なかったぞ、ということになる。そんなこともあり、DMに頂いた御三方の文章も告知ページにアップさせていただいた。個展の案内に文章を頂戴したのは初めてで、大変有り難いことである。オリジナルの『男の死』の企画者、元薔薇十字社の内藤三津子さんには心配までしていただいている。

告知ページ

去の雑記
HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




喫茶店で知人と会い、制作中の作品について話す。追い詰められているせいか、多少ハイになって説明していると、あきらかに頭を冷やしたほうが良い、という顔。「ヘンなことしてるの判ってんの?」。「特殊すぎて人は来ないよ」。「今の若い人は三島知ってるのかな?」。「最近、作る物について誰か話し相手いないの?」何処へいってしまうのか、とブレーキをかけているつもりらしい。しかし止めるにはすでに手遅れだし、「ヘンなことしてる~のくだりが、今の私には妙なる調べ、褒め言葉に聴こえてしまう。こうなると、どういうことになるかというと。 昨日おおよそ完成し、着彩を待つばかりの作品があり、これを額装したらどうだろう、と思いついて話すと、「良いと思うけど、できるだけシンプルな額がいいよ」。それが私の耳に届き、次に私の口から出たのは「そうだ。ゴテゴテした悪趣味な額がいいよな!」。
届いた個展のDMを見たとたん爆笑した、という人がいた。“真面目に、やり過ぎると可笑しくなる”。という効果には薄々感づいており、私の芸風の一つになりつつあるが、あくまで作者が本気でカッコイイ、と思って作っていないと、この効果は生まれないことはいうまでもない。

去の雑記
HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


一日  


いくらKさんがパチンコで儲けたからとはいえ、作品を乾燥機にかけている間とはいえ、この切羽詰った時期に二人で何処へ行っているんだ、という話は置いておいて。 プリントの発注を考えると、立体はともかく、プリント作品の制作は来週一杯が限度であろう。立体作品の方を見たいといっていただくことも多いが、私としては、背景から考えたプリント作品が最終的な形であると考えている。残された僅かな間に出来ることを考える。予定通りアレだけにするか、一応アレもやってみるか。考えどころである。
個展の時に、いつもお願いしていた近所の赤帽のB運送に5年ぶりに電話したら、使われていない。センターに聞いてみたら赤帽を辞めているという。この人は典型的な下町の人で、せっかちで、予定より早く着きすぎてしまい、まだ開いていないビルの前で、作品とともに一人で時間を潰したことが二回程ある。とにかくテキパキしており、地元の祭りの話など楽しかった。どうも諦めきれず、近所の焼き鳥屋の女将さんに聞くと、マンションが立ち退きだとかで、引越しの最中だという。引越し先は近所で、引越し後も仕事を続けるらしいので、奥さんに会った時に聞いてもらうことにした。

去の雑記
HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




昨日、DM送付用の透明な封筒は百円ショップにあるというので思いつくまま何軒かいってみたが、どこにもなく、ホームセンターにいってもなかった。散歩がてらと思ったが、こんな時期に随分時間をとってしまった。本日は朝から回ったが、町の文房具、画材屋は次々と姿を消してしまって適当なところがない。こんなものに電車乗ってまで、と思ったのが間違いであった。ヨーカド-など回ったが丁度良いサイズがどこにもない。ついでに小さなラジオを買ったら音が出ない。 判った々。まあ落ち着け。丁度携帯の電源も切れた。今日はとにかく他の事はいっさいせず、とにかく閉じこもって制作に集中すべし。

去の雑記
HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


現状  


予定している作品で、背景はともかく、三島像が手付かずの作品は二点である。あとは乾燥中で、最終仕上げや着彩はまだだが、ゴールは見えている。 寝床をわざわざ寝心地悪くして睡眠時間を減らす作戦は、薄いガス室の中で制作しているような感じで具合が良くない。起きても30分くらいの細かい睡眠を何度もとることになる。そこで最近は夜飲みに行ってしまい、帰宅後すぐ寝て、起きてすぐ制作。これが良いようである。飲み時間、睡眠時間を合わせて5~8時間というところか。確実に熟睡するところが良い。それは良いのだが、やはりここへきて創作の悪魔が、今さら出来もしないニューアイディアを抱えてやってくる。もう無理、といいながら考えてしまう。T千穂の女将さんによると、私はある時カウンターで居眠りしながら指折り数えていたそうである。どう考えても夢の中でニューアイディアの制作が可能か、考えていたのは間違いがない。この悪魔は乾物屋の御用聞きのように頻繁に顔を出す。先日突然パソコンの調子が悪くなり冷や汗をかいた。これも悪魔の手先の仕業に違いはない。念のため三段構えでバックアップを取ってこちらは対処済みである。

去の雑記
HOME



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ