平成25年 3月20日・23日・24日
春の合同慰霊祭をとり行わせていただきました。
期間中は天気の崩れもなく多くのご家族が来園されました。
暖かな陽射しを浴び咲き出したムスカリ達
来園されたご家族を出迎える猫達
読経が済んだ後にご挨拶でお話をしましたコブシの花。
霊園から見て北側(川崎十字路)から来ましたら遠くからも見る事が出来ます。
戒名紙にお書きしました可愛い子達のお名前を供養の際、全て読み上げをさせていただきました。
行事前、彼岸入りの17日からもたくさんのご家族がお参りにいらっしゃいました。
中には、霊園の準備活動を手伝ってくださった方やお弁当を作ってくださった方もおられました。
この場を借りて厚く御礼を申し上げます。
春の合同慰霊祭をとり行わせていただきました。
期間中は天気の崩れもなく多くのご家族が来園されました。
暖かな陽射しを浴び咲き出したムスカリ達
来園されたご家族を出迎える猫達
読経が済んだ後にご挨拶でお話をしましたコブシの花。
霊園から見て北側(川崎十字路)から来ましたら遠くからも見る事が出来ます。
戒名紙にお書きしました可愛い子達のお名前を供養の際、全て読み上げをさせていただきました。
行事前、彼岸入りの17日からもたくさんのご家族がお参りにいらっしゃいました。
中には、霊園の準備活動を手伝ってくださった方やお弁当を作ってくださった方もおられました。
この場を借りて厚く御礼を申し上げます。
三寒四温の暖かい昼前、県内に於いて大きな亀さんのお迎えをいたしました。
亡くなった亀さんはお家のご主人が若かった頃、ペットショップで買い求められ、当時は手の平に乗る位に小さな子亀だったそうです。
数年の月日が経ち、およそ動物園でしかお目に掛かれない程の大きさに亀さんは育ちました。
食べ物は野菜が主食ですが、ある日贈り物の洋菓子を与えたところ、成分に洋酒が入っており、亀さんは酔っぱらってしまったそうです。
ご主人は県内で工場を営んでおり、ある時、作業所で留守番をしていた亀さんは出入りの業者の方々に頭を撫でてもらう事もありました。
「鶴は千年、亀は万年」と言われる様に縁起の良い動物と捉え、抜け変わった時に取っておいた旧い爪を事務所の神棚に祀ってあげたいと、ご主人がおっしゃられました。
亡くなった亀さんはお家のご主人が若かった頃、ペットショップで買い求められ、当時は手の平に乗る位に小さな子亀だったそうです。
数年の月日が経ち、およそ動物園でしかお目に掛かれない程の大きさに亀さんは育ちました。
食べ物は野菜が主食ですが、ある日贈り物の洋菓子を与えたところ、成分に洋酒が入っており、亀さんは酔っぱらってしまったそうです。
ご主人は県内で工場を営んでおり、ある時、作業所で留守番をしていた亀さんは出入りの業者の方々に頭を撫でてもらう事もありました。
「鶴は千年、亀は万年」と言われる様に縁起の良い動物と捉え、抜け変わった時に取っておいた旧い爪を事務所の神棚に祀ってあげたいと、ご主人がおっしゃられました。
今回の冬が厳しく寒い日が続いたからなのか、季節の変わり目であるこの時期特有の春の嵐も猛威を奮っております。
乾燥した畑の細かい粒子の土が強い季節風で舞い散り風食となって、道路の脇などに堆積します。
乾燥した畑の細かい粒子の土が強い季節風で舞い散り風食となって、道路の脇などに堆積します。
本日3月3日は雛祭りです
ひな祭りは、古くは「上巳の節句」「弥生の節句」などの呼び名があり、五節句(「人日」「上巳」「端午」「七夕」「重陽」)の一つにあたります。女の子がいる家ではこの時期にひな人形を飾り、白酒や桃の花を供えてお祝いします。
ひな祭りの起源は中国までさかのぼれるとされています。昔、漢の時代の徐肇(じょちょう)という男おり、3人の女児をもうけたにも関わらず、3人とも3日以内に死んでしまいました。その嘆き悲しむ様子を見た同じ村の人たちが酒を持ち、3人の女児の亡骸を清めて水葬したことに由来しているとされています。それが平安時代になると、「上巳の祓い」といって、3月3日に陰陽師を呼びお祓いをさせ、自分の身に降りかかる災難を自分の生年月日を書いた紙の人形(ひとがた)に移らせて川に流しました。この厄払い様子は今でも下鴨神社で行われる「流しびな」の行事に再現されています。
この紙のひな人形が発展し、現在の豪華なひな人形になったとされています。
また、ひな壇を設けるようになったのは、江戸中期からだそうで、
それまでは畳に直にじゅうたんを敷き、人形や調度を飾っていたとか。
ちなみに、京都では宝鏡寺が別名「人形寺」とも言われ、
光格天皇遺愛の品のほか、多くの人形が納められています。
10月には人形供養の行事も行われます
ひな祭りは、古くは「上巳の節句」「弥生の節句」などの呼び名があり、五節句(「人日」「上巳」「端午」「七夕」「重陽」)の一つにあたります。女の子がいる家ではこの時期にひな人形を飾り、白酒や桃の花を供えてお祝いします。
ひな祭りの起源は中国までさかのぼれるとされています。昔、漢の時代の徐肇(じょちょう)という男おり、3人の女児をもうけたにも関わらず、3人とも3日以内に死んでしまいました。その嘆き悲しむ様子を見た同じ村の人たちが酒を持ち、3人の女児の亡骸を清めて水葬したことに由来しているとされています。それが平安時代になると、「上巳の祓い」といって、3月3日に陰陽師を呼びお祓いをさせ、自分の身に降りかかる災難を自分の生年月日を書いた紙の人形(ひとがた)に移らせて川に流しました。この厄払い様子は今でも下鴨神社で行われる「流しびな」の行事に再現されています。
この紙のひな人形が発展し、現在の豪華なひな人形になったとされています。
また、ひな壇を設けるようになったのは、江戸中期からだそうで、
それまでは畳に直にじゅうたんを敷き、人形や調度を飾っていたとか。
ちなみに、京都では宝鏡寺が別名「人形寺」とも言われ、
光格天皇遺愛の品のほか、多くの人形が納められています。
10月には人形供養の行事も行われます