動物霊園グリーンメモリアルのブログ

「いとしい子たちよ安らかに」

盂蘭盆会行事について

2024年07月01日 | お知らせ
{盂蘭盆会行事について}
可愛い子たちのお盆のご供養を以下の日程で予定させていただきます。
期日:令和6年8月15日(木)読教時間:午後1時より
施餓鬼のお塔婆も受付しております。


通信紙 第184号

2024年06月29日 | 通信紙版バックナンバー
令和6年(2024) 7月








今年も折り返しとなり7月を迎えました。今年は遅い梅雨入りで6月から夏日となり、
蒸し暑い日が続き気分が曇りがちになります。そんな時こそ晴れた心を持ちたいですね。
7月7日は新暦の七夕です。
七夕は年に一度、天帝の娘である織姫星(こと座のベガ)と夏彦星(牽牛星、わし座のアルタイル)が天の川を渡って会うことを許された特別な日とされております。
二人は共に働き者でしたが結婚生活があまりに楽しく仕事をしなくなり、
結婚を許した天帝が怒り、二人を天の川を隔て引き離しました。
7月7日だけ会う事が許され、現れたカササギが
橋を架けてくれるのだそうです。
七夕の由来
五節句の1つに数えられる七夕は、日本古来の年中行事である「棚機(たなばた)」と、
中国から伝わった「乞巧奠(きこうでん)」が由来していると考えられています。
棚機(たなばた)は古代日本における禊(みそぎ)の行事、つまり穢れ(けがれ)を清める行事
です。毎年稲の開花時期に合わせて、主に農村部で盛んに行われていたと言われています。
棚機行事では、まず村の乙女が水辺の小屋にこもり、着物を織って棚に供えます。
神様を迎えて豊作を祈り、村の人々の穢れを清めるのです。着物を織る際に使用されたものが、
棚機という機織り機でした。やがて日本に仏教が伝えられ、棚機はお盆を迎える準備のための行事として旧暦7月に行われるようになりました。
乞巧奠(きこうでん)は、織姫にあやかり機織りや裁縫の上達を祈る中国の行事です。
7月7日に庭先の祭壇に針や五色の糸を供え、星に祈りを捧げます。後の世には、
機織りや手芸だけではなく芸事や書道といった手習い事の上達を願う行事となりました。
乞巧奠が奈良時代に日本に伝わると、日本にあった棚機と融合し、七夕(しちせき)と呼ばれる宮中行事になりました。七夕(しちせき)は、織姫と彦星の逢瀬と詩歌・裁縫の上達を願って星に祈りを捧げ、五色の糸や金銀の針、山海の幸を供える行事です。供物の祭壇の左右には笹が立てられ、五色の糸がかけられたと言われています。また、梶の葉に和歌をしたため祀りました。この五色の糸と梶の葉が、笹飾りの始まりと伝えられています。室町時代になると、宮中行事である七夕、そして織姫と彦星の物語が民間に伝わりました。そして、農村で古来より広く
行われていた棚機にちなみ、七夕(たなばた)と読むようになったと言われています。

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{盂蘭盆会行事について}
可愛い子たちのお盆のご供養を以下の日程で予定させていただきます。
期日:令和6年8月15日(木)読教時間:午後1時より
施餓鬼のお塔婆も受付しております。


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通信紙第183号

2024年05月31日 | 通信紙版バックナンバー
令和6年(2024) 6月








入梅
梅雨に入ることを「入梅」といいますが、農作業をする上で雨期を知ることはとても
重要なことなので、江戸時代に暦の上での「入梅」が設けられ、雑節のひとつとなりました。
昔は芒種以降の最初の壬(みずのえ)の日、立春から135日目などとされていましたが、
現在は太陽の黄経が80度に達した日とされています。
暦の上ではこの日から梅雨ですが、実際は気象庁の発表する「梅雨入り宣言」が目安。
南北に細長い日本は、北と南では気候も大きく違い、
梅雨入りも梅雨明けも、ほぼ南の方から順にやっています。
梅雨の期間は約1ヶ月半から2ヶ月くらいで、年によって変動します。
「入梅」に対し、梅雨明けすることを「出梅」といいます。
ちなみに、暦の上の入梅は毎年6月11日頃。
関東地方の梅雨入りの平年値は
6月8日頃で、梅雨明けの平年値は7月21日頃です。
梅が実る頃だからその名が付けられた「入梅」。つゆも「梅雨」と書きます。
梅雨の時期になると、紫陽花をよく目にするようになります。


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6月16日は父の日です
父の日は5月の母の日と同じくアメリカ合衆国で発祥しました。
ワシントン州に住むジョン・ブルース・ドット夫人(ソノラ・スマート・ドット)が、
南北戦争後、男手ひとつで6人の子を育ててくれた父への感謝の気持ちを表すため、
「母の日のように父の日もあるべき」と1909年ごろから活動し、
1966年にはアメリカ合衆国第36代大統領リンドン・ジョンソンが
父の日を称賛する大統領告示を発し、6月の第3日曜日を父の日に定め
1972年にアメリカ国民の祝日になりました。
ドット夫人が父の墓前に白いバラを供えたことから、
アメリカではお父さんへバラを贈るのが習わしになりました。


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今年の夏至は6月21日にあたります。
夏至とは、この日を過ぎると本格的な夏が始まると意味です。
冬至にかぼちゃを食べるように、この日も何かを食べる習慣がありますが、
何を食べるかは地方によってまちまちです。例えば関西地方では、
タコの八本足のようにイネが深く根を張ることを祈願してタコを食べます。
「夏至」という言葉が入って来たのは、中世になって中国から二十四節気が入ってきてからのようです。
その各地で太陽の生命力を得るために夏至の日を祝うお祭りが開催されるようになりました。2003年から、夏至の日はの時間が長いので「電気を消してスローな夜を」というタイトルで節電を呼びかけるイベントが行われています。


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通信紙 第182号

2024年04月28日 | 通信紙版バックナンバー
令和6年(2024) 5月





風薫る5月を迎え外は暖かくなりましたね。
八十八夜(はちじゅうはちや)は雑節の一つで、
立春を決算日として88日目の事で毎年5月2日にあたります。
「八十八夜の泣き霜」などと言われる様に遅霜が発生する時期であり、
農家に対して特に注意を喚起するためにこの雑節が作られました。
八十八夜は日本独特の雑節です。
また、この日に摘んだお茶は上等な物とされ、この日にお茶を飲むと長生きするとも言われます。

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鯉のぼり
子供の日が近づいてまいりましたので、構内休憩所に小さいのですが
鯉のぼりを立てました。クリスマス同様に小さな子たちが喜んでくれたらと、
願いを込め飾り付けをいたしました。

鯉のぼりとは
「江戸っ子は皐月の鯉の吹流し」と言われるように、こいのぼりは
「幟(のぼり)」とは名づけられているものの、形状は魚を模した吹流し形です。
そもそも、こいのぼりは門松や雛人形と同じく、
江戸時代中期の裕福な庶民の家庭で始まった習慣でした。
端午の節句には厄払いに菖蒲を用いることから、別名「菖蒲の節句」と呼ばれ、武家では菖蒲と「尚武」と結びつけて男児の立身出世・武運長久を祈る年中行事となりました。 この日武士の
家庭では、虫干しをかねて先祖伝来の鎧や兜を奥座敷に、玄関には旗指物(のぼり)を飾り、
家長が子供達に訓示を垂れました。

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立夏
ようやく暖房器具を必要としないくらいの気候になりました。
5月5日は立夏にあたります。
立夏は夏が始まる日です。この時期は大地が草で覆われ木々が繁ってきます。
カレンダーには「夏が立つ」などと記載されている場合もあります。
これは、簡単に言うと「夏がきたよ」という意味です。
立夏の頃(ちょうどGW〔ゴールデンウィーク〕頃ですね)は
気持ちの良い風が吹き、
晴天が続くので外に出ることが楽しみな時期でもあります。


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通信紙 第181号

2024年03月31日 | 通信紙版バックナンバー
令和6年(2024) 4月








令和6年春彼岸行事を行いました。
彼岸入りの朝はウグイスの第一声が囀りわたり、
園内のスイセンの花とともに春の到来を喜んでおりました。
3月17日・20日両日とも雨のこそ当たりませんでしたが
季節の入れ替わり、南風と北風が一日置きに吹きすさぶ中
多くのご家族が来園されました。
中には去年、命に関わる病気から治療回復した方が
御家族の介助をうけ可愛い子達に感謝し参拝する姿も見受けられました。
今回も皆さまのご健勝を祈願し名前を書いた全ての
戒名紙を祭壇に奉納させていただきました。


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穀雨
2024年4月19日~5月5日は二十四節気の一つ『穀雨(こくう)』にあたります。
日本には1年を24分割し、それぞれに季節を表す言葉をつけた二十四節気という季節の呼び方があります。そのうちのひとつが穀雨(こくう)であり、例年4月20日頃であるとされています。
穀雨は春雨が降って百穀を潤す頃という意味があります。
穀雨の頃には南から水蒸気を多く含んだ空気が流れ込むようになり、低気圧が
通過するときにはまとまった雨が降るため、田畑を潤して農作物の新芽を盛んに成長させます。
穀雨の次は暦の上で夏が始まる立夏ですが、この時季を過ぎると次第に天候は安定し、
日差しも強くなって初夏を迎えるようになり、植物や農作物はいっそう成長していきます。

そもそも穀雨とは、どんな意味を指すのでしょうか。
穀雨は「種まきや田植えの時期に降る雨」とされています。
この時期の雨は「百殻春雨(ひゃくこくはるさめ)」とも呼ばれており、
あらゆる穀物を潤し育てる恵の雨と考えられてきました。
作物を上手に育てるためには、この穀雨の前に種まきを終える必要があります。
そのため昔は穀雨を目安としての作業の準備が行われます。
由来ははっきりしてはいないものの、江戸時代に太玄斎(常陸宍戸藩の第5代藩主松平頼救)が記した暦についての解説書「暦便覧」において「春雨降りて百穀を生化すればなり」と記されています。この点からも穀雨が種まきの際にどれだけ重要視されていたか伺えます。
穀雨の前は清明、後は立夏と徐々に夏が近づいてくる時期でもあります。
特に穀雨の終わりには、「八十八夜(はちじゅうはちや)」が訪れます。
「八」「十」「八」の三つの字を組み合わせると
「米」になることから、農作業に縁起のいい日ともされてきたようです。


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令和6年春彼岸行事を行いました

2024年03月24日 | 行事・出来事
令和6年春彼岸行事を行いました。
彼岸入りの朝はウグイスの第一声が囀りわたり、園内のスイセンの花とともに
春の到来を喜んでおりました。
3月17日・20日両日とも雨のこそ当たりませんでしたが
季節の入れ替わり、南風と北風が一日置きに吹きすさぶ中
多くのご家族が来園されました。
中には去年、命に関わる病気から治療回復した方が御家族の介助をうけ
可愛い子達に感謝し参拝する姿も見受けられました。
今回も皆さまのご健勝を祈願し名前を書いた全ての戒名紙を祭壇に奉納させていただきました。

通信紙 第180号

2024年02月26日 | 通信紙版バックナンバー
令和6年(2024) 3月







合 掌
春暖の候、皆様には益々ご健勝の事とお慶び申し上げます。
愛しい子達のやすらぎを祈り、ご家族との絆と幸せを念願いたします
令和六年春彼岸会合同慰霊祭日程のお知らせをさせて頂きます。
・期日   三月十七日 () 
   三月二十日 (春分の日) 
・読経開始 両日とも 午前十一時と午後二時の二回
       (天候不順の場合は電話にてお問い合わせ下さい)
・お参り時間 午前八時~午後五時まで開園しております。
・お塔婆料 二、〇〇〇円より三種 ・供養料 ご予算の範囲内で
何卒皆様のご参列を心よりお待ち申し上げます。


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春分
二十四節気のひとつ「春分」は、昼と夜の長さがほぼ同じになり、この日を境に昼間の時間が
長くなっていきます。「自然をたたえ、生物をいつくしむ日」という国民の祝日でもあります。
春分の日の前後3日間、合計7日間は春の彼岸(春彼岸)といい、
先祖の墓参りをする習慣があります。仏教では、あの世は西に、
この世は東にあるとされ、太陽が真東から昇って、真西に沈む
春分の日と秋分の日は、あの世とこの世が最も通じやすい日と考えられ、
春と秋の彼岸にお墓参りをするようになったのです。
彼岸のお供え物といえば「ぼたもち」と「おはぎ」ですが、漢字で書くと
「牡丹餅」「御萩」となり、春は牡丹、秋は萩と、季節の花にちなんだ名前で呼ばれています。

また、餡の材料となる小豆は秋に収穫されるので、秋のおはぎには
小豆を皮ごと用いた粒餡が用いられ、春のぼたもちには固くなった
小豆の皮を取ったこし餡が用いられました。いまでは、
いろいろとアレンジされたぼたもちやおはぎがあります。
彼岸といえばお墓参りが頭に浮かびますが、彼岸はインドなど他の仏教国にはない
日本だけの行事です。日本では、神仏両方を共にまつるという風土があるので、
太陽神を信仰する「日願」と仏教の「彼岸」が結びついたからという説があります。
また、春の種まきや秋の収穫とも結びつき、自然に対する感謝や祈りがご先祖様に
感謝する気持ちにもつながって、お彼岸は大切な行事となりました。
彼岸には春彼岸と秋彼岸があります。それぞれ、春分の日(3月21日頃)、
秋分の日(9月23日頃)を中日とし、その前後の3日を合わせた7日間を彼岸といいます。


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通信紙第179号

2024年01月27日 | 通信紙版バックナンバー
令和6年(2024) 2月






2024年の「節分」は、明治30年(1897年)以来124年ぶりに「2月3日」になります。
節分は立春の前日。ほとんどの年で「2月3日」がその日に当たります。
ですが立春は「2月4日」に固定されたものではなく、3日や5日に変わることがあります。
季節は春夏秋冬と変化しますが、春分や秋分といった二十四節気(および雑節)に分けて、
その変化を表現しています。季節が変化する理由は、地球が傾いた状態で公転しているため。例えば日本では、北極側が太陽を向く時期は夏、南極側が太陽を向く時期は冬となります。
地球が太陽の周りを1周すると1年ですが、1周にかかる時間は厳密には365日ではなく
365日と約6時間かかります。わずかなズレを調節するためにうるう年がありますが、
地球が立春の位置を通過する時間単位で見るとわずかに
ゆらぎがあるため、立春の日付が前後します。
立春の日付が前後することにあわせて、
前日の節分も動くことになるので、
「2月4日」や「2月2日」になります。
「2月2日」の節分は、2022年に「2月3日」へ戻りますが、2025年から
4年ごとに再び2月2日が続き、今世紀末にかけて頻度が増えていくとされています。




【豆まきの由来】
節分には豆をまきますが、これは中国の習俗が伝わったものとされています。
豆は「魔滅(まめ)」に通じ、無病息災を祈る意味があります。
昔、京都の鞍馬に鬼が出たとき、毘沙門天のお告げによって
大豆を鬼の目に投げつけたところ、鬼を退治できたという話が
残っており、「魔の目(魔目=まめ)」に豆を投げつけて
「魔を滅する(魔滅=まめ)」に通じるということです。
豆まきは一般的に、一家の主人あるいは「年男」(その年の干支生まれの人)が豆をまくものとされていますが、家庭によっては家族全員で、というところも多いようです。家族は自分の数え年の数だけ豆を食べると病気にならず健康でいられると言われています。
ただ、豆まきに使う豆は炒った豆でなくてはなりません。なぜなら、生の豆を使うと拾い忘れた豆から芽が出てしまうと縁起が悪いからです。「炒る」は「射る」にも通じ、また、鬼や大豆は陰陽五行説(「木」「火」「土」「金」「水」の五行)の「金」にあたり、この「金」の作用を滅するといわれる「火」で大豆を炒ることで、鬼を封じ込めるという意味があります。
そして最後は、豆を人間が食べてしまうことにより、鬼を退治した、ということになるわけです。


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【春彼岸会行事日程】
期日:令和6年3月17日()と3月20日()・読経時間:午前11時と2時の予定です。

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令和6年春彼岸会の日程

2023年12月27日 | お知らせ
令和6年春彼岸会行事日程は以下の予定でございます。


期日:3月17日()と3月20日(春分の日

読経時間:午前11時と午後2時  です。



通信紙 第178号

2023年12月27日 | 通信紙版バックナンバー
令和6年(2024) 1月







【お知らせ】冬期閉園時間について
早めの日没の為、12月と1月は午後4時の閉園とさせていただきます。

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辰年
令和6年2024年の干支(えと)は甲辰(きのえたつ)です。
干支はもともと、古代中国の思想・陰陽五行説から発生したもので、
本来は十干(じっかん)と十二支(じゅうにし)の組み合わせました。
動物と結びついた十二支は年賀状のイラストやその年を象徴する
キャラクターとして使われることも多く、小さな子どもにまで定着してます。
干支の中で辰(龍)だけが架空の動物です。
他の干支は実在する動物なのになぜ龍だけが架空の動物なのか?
これについてもはっきりとした理由はわかっていません。
「本来干支の各文字に動物は関係なかったのに、
あとから同音の動物を紐づけたせいで架空の動物が入ってしまった」という説や、
「龍という文字に鰐(ワニ)の意味もあったので、そもそもは龍ではなくワニを指していた」
とする説があります。
龍は古来より中国で権力の象徴とされ、縁起の良い生き物とされています。
干支を広く浸透させるために、縁起が良い龍を干支に選んだのかもしれません。
西アジアや東ヨーロッパの一部の地域にも十二支の風習があります。
ただし、各国で少しずつ十二支の内容に差異があります。

本来龍を指す「辰」に関していうと、アラビアでは辰がワニに置き換わっており、
イランでは辰がクジラに置き換わっています。
ですが、イランの人々が日常でクジラを目にすることはほぼないそうです。

「辰」という字は「蜃(しん、はまぐり)」の原字で、
二枚貝が足を出して動いている形態を表しており、肉片などが動くという意味があります。
中国の『漢書 律暦志』では、辰は「ふるう、ととのう」を意味する「振」で、
陽気が動いて万物が振動し、草木もよく成長して形がととのった状態を
表すと解釈されています。
中国伝来の十二支は、もともと植物が循環する様子を表しているので、
十二支の5番目に、草木の形がととのった様子を表す「辰」がきます。

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【お知らせ】
令和6年春彼岸会行事日程は以下の予定でございます。
期日:3月17日()と3月20日(春分の日
読経時間:午前11時と午後2時  です。


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通信紙 第177号

2023年11月29日 | 通信紙版バックナンバー
令和5年(2023) 12月







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【お知らせ】冬期閉園時間について
早めの日没の為、12月と1月は午後4時の閉園とさせていただきます。

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師走を迎え、日々寒さが増してきました。12月5日は納めの水天宮にあたります。
「水天宮」(すいてんぐう)は、福岡県久留米市の水天宮「久留米水天宮」を総本社として、
古来、農業、漁業、航海業者間に信仰が篤いのみならず、子供の守護神、安産の神として、
また、病難、水難除け、火災などの除災招福の神として信仰されてきたそうです。
毎月5日が縁日となっています。一年最後の縁日である
12月5日が「納めの水天宮」ということで、
多くの参拝客で賑わうそうです
師走(しわす)とは陰暦12月の異称であることはよく知られています。
ただし語源については12月なると、家々で師(僧)を迎えて読経などの仏事を行うため、
師が忙しく走り回るということから「師馳(しは)せ月」といったのを誤ったものだという
説をはじめいくつかあるといいます。


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針供養12月8日は針供養です。
「事八日」に1年間お世話になった道具を片付け、供養する風習があります。
道具の供養として代表的な行事が「針供養」です。「針供養」は12月8日に行う地域と
2月8日に行う地域があり様々ですが、
東日本では2月8日に西日本では12月8日に
行われる事が多いようです。この日付の違いは、
「事始め・事納め」の捉え方の違いが影響しています。
針は着物の時代の大切な道具。
江戸時代に針の労をねぎらい裁縫上達を祈る祭りとして広まりました。針仕事は女性にとってとても大切な仕事でしたので、お世話になった折れた針や古くなった針を、感謝の気持ちを込めて柔らかい豆腐やこんにゃくに刺し、川に流したり、神社に納めたりして、裁縫の上達を
願いました。また、色白の美人になる、まめに働けるようになど、由来には諸説あるようです。
東日本では、「事八日」に妖怪や厄神が家を訪れるので身をつつしむ日とされ、
この日は一日、針に触れないようにしました。江戸の町では、妖怪や厄神を追い払うまじない
として、目籠をくくりつけた竹竿が町中に立ち並んだそうです。
また、「お事汁」というみそ味の汁ものを魔よけのために食べる習慣もありました。
現在でも、事八日には目籠やニンニクなどを庭先に置くという
風習が残っている地域もあります。


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通信紙第176号

2023年10月29日 | 通信紙版バックナンバー
令和5年(2023) 11月








11月15日は七五三です。
七五三とは、子どもの成長を祝う日本の伝統的な行事の一つです。地域によって違いは
ありますが、それぞれ数え年で男の子は5歳・女の子は3歳と7歳でお祝いをします。
起原は、3歳から髪を伸ばし始める「髪置き」、5歳の男児が袴を着用する「着袴」、
7歳の女児が紐付の子ども用のきものから本仕立てのきものを着る「帯解き」が始まりです。
乳児死亡率の高かった近世以前は、子どもは神からの預かりものなので7歳までは
神様である、という考え方をしていました。
(子どもが夭折しても「神様の元に帰った」と、気持ちを慰めていた。)
そこで、無事に子どもが育っていることを神に感謝するとともに、成人までの通過儀礼として、
3歳・5歳・7歳にお祝いの儀式をしたのです。現在では日本全国に広まっている
年中行事の一つですが、もともとは関東地方だけの風習でした。
家庭ごと・地域ごとに違いがあるものの、現代の七五三では、子供が晴れ着姿で移動しても疲れない近所の神社仏閣を参拝・ご祈祷をしていただき、その後は家族揃って内祝いの
お食事をしたり、写真館で子どもの衣装を借り記念撮影したりするのが一般的です。
記念の写真撮影に関しては、昨今では写真館の混み合う七五三シーズン(10月、11月)を
避け6月頃から前撮り撮影をすることも一般的になってきています。
その場合ハイシーズンよりもだいぶお安く撮影をすることができるようです。
もともとは、11月の満月=明月の昼間に氏子神社にお参りをしていました。
けれどこちらも最近では両親共働きの家庭も多いので、11月15日前後の
土日・祝日にお参りやご祈祷をするのが一般的です。
あまりこだわらずに、10月~11月くらいで、家族がそろってお祝いできる日にします。
男の子と女の子でお祝いする歳が違ったり、数え年や満年齢などいろいろと言われている
七五三のお祝い時期をここでわかりやすくまとめてみます
女の子・数え年3歳(満2歳の年)    女の子・満3歳になる年
男の子・数え年5歳(満4歳の年)    男の子・満5歳になる年
女の子・数え年7歳(満6歳の年)    女の子・満7歳になる年  
七五三自体古くからあるお祝い事ですので、その昔は数え年しかなくそれを基準に行事を行っていました。ですが、現代のお祝い事は満年齢で行うほうが一般的なようです。
さらに上の子と下の子でタイミングを合わせるケース(例:ひとりは満年齢、もうひとりは数え年)もあり、お祝いする年齢に決まりはありませんので、家庭ごとのちょうどいいタイミングで
お祝いしてあげれば良いのではないかと思います。



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{お知らせ}
12月より冬季閉園時間は午後4時とさせていただきます。

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通信紙第175号

2023年09月29日 | 通信紙版バックナンバー
令和5年(2023) 10月








令和5年9月、秋彼岸会供養を行いました。
コロナ5類移行後、外出自粛義務はなくなり粛々と日を空けた期日での読経におきまして
彼岸明けとなる9月26日までお書きしました戒名紙は全て
祭壇あるいは墓前お堂にて読み上げいたしました。
暑かった夏を乗り切り笑顔で来園された多くの方々、
小さな子達に明るい未来でありますようにと手を合わせていただいたと思います。
秋は実りを表します。
近隣の田園では初夏に植えた作物が実を成して収穫を待ちわびております。
ご家族と可愛い子たちとの縁が心の田園で
実を結んでいただけますように今回の行事も供養をさせていただきました。





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秋土用
土用とは、年に4回訪れる、立春・立夏・立秋・立冬の直前の約18日間を指します。
4つの土用それぞれ、「春土用」「夏土用」「秋土用」「冬土用」とも呼ばれています。
また、土用は雑節(ざっせつ)と呼ばれる、季節の移り変わりをより的確に
つかむために設けられた暦日(こよみで定められた日)のひとつです。
その他の雑節には「節分」や「彼岸」などが代表的な例としてあげられます。
日本において土用などの雑節は、古くから季節の変化を知らせる大切な役割を担ってきました。
土用の起源は、古来中国から伝わる「陰陽五行思想」に由来します。
陰陽五行思想とは「万物は木、火、土、金、水の5つの元素から成り立っている」という考えのこと。
季節においても、「木」は春、「火」は夏、「金」は秋、
「水」は冬、というように「土」以外の元素が各季節に割り当てられています。
それでは「土」はというと、それぞれの季節の変わり目である
「立春」「立夏」「立秋」「立冬」の直前約18日の期間に割り当てられました。
季節の変わり目であるこの期間は”土の気が旺(さかん)になる”期間といわれており、
元々は「土旺用事(どおうようじ)」と呼ばれていたとされています。
この「土旺用事」の旺と事が省略され、「土用」となったといわれています。
秋土用(10月下旬~11月上旬)
秋の土用は夏の疲れが出る時期ともいわれています。
秋土用は「辰の日(たつのひ)」に「た」のつくものや「青いもの」を食べると良いとされています。
「た」のつく食べ物としては、「玉ねぎ」や「たこ」。
「青いもの」なら「さんま」や「鯖」などの青魚が良いでしょう。


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秋彼岸会行事を行いました

2023年09月27日 | 行事・出来事
令和5年9月、秋彼岸会供養を行いました。
コロナ5類移行後、外出自粛義務はなくなり粛々と日を空けた期日での読経におきまして
彼岸明けとなる9月26日までお書きしました戒名紙は全て
祭壇あるいは墓前お堂にて読み上げいたしました。


暑かった夏を乗り切り笑顔で来園された多くの方々、
小さな子達に明るい未来でありますようにと手を合わせていただいたと思います。
秋は実りを表します。
近隣の田園では初夏に植えた作物が実を成して収穫を待ちわびております。
ご家族と可愛い子たちとの縁が心の田園で
実を結んでいただけますように今回の行事も供養をさせていただきました。


通信紙 第174号

2023年08月30日 | 通信紙版バックナンバー
令和5年(2023) 9月








{おしらせ} 秋彼岸会行事日程 

合 掌 

残暑の候、皆様には益々のご健勝の事とお慶び申し上げます。
いとしき子達との絆、ご家族の幸福への祈願をさせて頂く、
令和五年秋彼岸会合同慰霊祭日程のお知らせをさせて頂きます。
 期日  九月二十三日(秋分の日) 
     九月二十四日(
読経開始 両日とも午前十一時よりと午後二時
         (天候不順の場合は電話にてお問い合わせ下さい)
お参り時間 午前八時~午後五時まで開園しております。
お塔婆料 二、〇〇〇円より三種    
供養料 ご予算の範囲内で
何卒皆様のご参列を心よりお待ち申し上げます。


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長月
長月(ながつき)とは、陰暦(旧暦)の9月を意味し、
陽暦(新暦)9月の和風月名として知られています。
明治初頭より陽暦(新暦)を採用した日本では、
12か月を1月〜12月の数字で表しています。しかし、
それ以前は、季節感がわかるような和風月名で各月を表現しており、
その9番目の月を「長月」としていました。現在でも、
陽暦(新暦)9月に当てはめ「長月=9月の別名」として用いています。
陰暦の9月は、陽暦の9月と時期が違います。陽暦は陰暦から1か月ほど遅れています。陰暦の9月は、陽暦の9月下旬から11月上旬頃に当たるのです。
長月の語源は諸説あり、新暦の10月上旬から11月の上旬にあたり、夜がだんだん長くなる月で「夜長月(よながつき)」の略とする説。雨が多く降る時季であるため、「長雨月(ながめつき)」からとする説。「稲刈月(いなかりづき)」「稲熟月(いなあがりつき)」「穂長月(ほながづき)」の約や、稲を刈り収める時期のため、「長」は稲が毎年実ることを祝う意味からといった説。「名残月(なこりのつき)」が転じたとする説などがあります。この中でも「夜長月」の略とする説は、中古より広く信じられている説で最も有力とされます。


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