動物霊園グリーンメモリアルのブログ

「いとしい子たちよ安らかに」

令和7年春行事日程

2025年01月28日 | お知らせ
{お知らせ}
令和7年 春彼岸会合同慰霊祭の日程は以下の予定とさせていただきます。
期日:3月20日(祝)と23日(日)
読経時間:11時と午後2時の2回 です。

通信紙 第191号

2025年01月28日 | 通信紙版バックナンバー
令和7年(2025) 2月







2月3日は節分です。言葉の通り季節を分けるこの日を境に日々暖かくなっていきます。
節分といえば豆撒きですね。以下は怖い象徴である鬼と人との交流を表した雪国の民話です。
節分の福鬼
昔、ある村に貧しい百姓のおじいさんとおばあさんが住んでおりました。この年まで一生懸命働いても、福の神にもめぐり会えず、働いても働いても貧乏でした。今日は節分だというのに、豆一粒買うお金もありません。そこで二人は着物を質に入れて、豆を買う金を工面しようとしました。しかし、
街の質屋へ行くと二人の着物だけでは足りず、おばあさんの腰巻きまで質に入れるはめになります。
こうしてやっと豆を買うことができた二人は、家に帰ると早速豆を炒り、いつもの年のように豆まきを始めました。しかしおばあさんの腰巻きまで質に入れての豆まきです。二人はなんだか悲しくなってしまいます。そこでおじいさんは言います。
「この年まで一生懸命働いても福の神様は来られなかった。いっそのこと、「鬼は外、
福は内」を反対に言ってみよう。」そこで二人は、「鬼は内、福は外」と言いながら豆を撒き始めました。
その瞬間、雷のような大きな音がして、気がつくと家の中に大きな赤鬼と青鬼がいました。鬼たちは、
「節分の日に人間の家に招かれるのは有り難い。存分に楽しませてもらおう。」と言うと、おじいさんの案内で街の質屋まで飛んで行き、そこで自分のはいている虎のふんどしを質に入れ千両の大金を借ります。
ところが、そこには鬼退治で有名な鍾馗様(しょうきさま)の掛け軸があったので、鬼はこれを見て震え上がり千両箱を抱えて質屋を飛び出してしまいます。夜中なので店を閉めていた魚屋、米屋、酒屋を起こすと、そこでたくさんの酒や食べ物を買い、おじいさんの家に帰って飲めや歌えの大騒ぎをする鬼たち。この鬼たちのドンチャン騒ぎは、寝静まっていた近所の家々を起こしてしまい、とうとう我慢できなくなった隣家のおじいさんが苦情を言いに来ます。
隣家のおじいさんは戸をたたきながら言います。「うるさい、この酔っ払い!!」するとこれを聞いた鬼たちは「お主こそ、この夜中に大声を張り上げて酔っ払っておるんじゃろ?」隣のおじいさんがまた言います。「わしは酔ってなどおらぬ。わしは正気じゃ。」
これを聞いた鬼たちは、なぜか震え上がって怯えだしました。鬼たちは、隣のおじいさんの言った“正気”と鬼退治の“鍾馗様”を聞き間違えたのでした。鍾馗様に退治されてはかなわないと思った鬼たちは、天井を破り、家を飛び出し夜空を飛んで逃げて行きました。鬼たちは最後に、「じいさん、ばあさん達者で暮らせよ。千両箱の残りは世話になった礼じゃ。」と言って去って行きました。
これを見たおじいさんとおばあさんは、あの鬼たちは、福の神さまだったのかもしれないと思うのでした。その後、おじいさんとおばあさんは、鬼たちの言った通りいつまでも達者に長生きしたそうです。
                                         おしまい

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{お知らせ}
令和7年 春彼岸会合同慰霊祭の日程は以下の予定とさせていただきます。
期日:3月20日()と23日()
読経時間:11時と午後2時の2回 です。


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通信紙 第190号

2024年12月28日 | 通信紙版バックナンバー
令和7年(2025) 1月






今年は巳年にあたります。以下は干支の巳(蛇)にまつわる昔話です。
むかしむかし、村人たちが集まって、お寺の掃除をしていました。 
掃除が終わると、お坊さんがお酒を入れたツボを持ってきました。
みんなはお礼を言って、お酒を受け取りました。
 ところが村人は五人いるのに、お酒はツボに一人分しか入っていません。
みんなで飲むには、とてもたりません。すると、一人の男が言いました。
 「では、こうしたらどうだろう。みんなで地面に、ヘビの絵をかく競争をするのさ。
 一番速くかきあげた者が、一人でお酒をいただくんだ」「それは面白い。よし、それで決めよう」
「ではいくぞ。よーい、ドン!」みんなはいっせいに、ヘビの絵をかきはじめました。
 すると一人の男が、一番はやくかきあげました。
「出来たぞ! おれが一番だ! あっははは。みんなには悪いが、この酒はおれがちょうだいするよ」
 男はそう言って酒ツボに手をのばそうとしましたが、ふと気がついて、
「しまった! これはしくじったぞ。ヘビに足をつける事を忘れていた」
と、あわててヘビの足をかきはじめたのです。するとそれより先に、ほかの男がヘビをかきあげました。
「出来た。酒は、おれの物だ」男はそう言うと、お酒をおいしそうに飲みました。
 はじめの男が残念そうに見ていると、酒を飲んだ男が笑って言いました。
 「バカだな、お前は。よく考えてみろ、ヘビに足があってたまるもんか。
  そんなよけいな物をくっつけようとするから、こんなうまい酒を飲みそこねるんだよ」
 余分な物をつける事を『蛇足(だそく)』と言うようになったのはここから始まりました。


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1年の始まりとなる1月。その代表的な和風月名は、「睦月(むつき)」ですが、
それ以外にも多くの異称があるのです。
なぜ「睦月」と呼ぶのか?
「睦(むつ)ぶ」とは、仲よくすること。新年を祝って、
家族や親族が集まり、睦び親しむ月だからというのです。
睦月は、「睦び月(むつびづき)」が略されたものというのが、一般的な説です。
ほかにも異説があるのですが、説得力のある説が少なく、もっぱらこの説が通っています。
年の初めを、みんな仲よく過ごしたいという気持ちは、誰もが持っていることだからでしょう。
語源とされる「睦び月」も、そのまま1月の異称として使われました。


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【お知らせ】冬期閉園時間について
早めの日没の為、12月・1月は
午後4時を閉園時間とさせていただきます。


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通信紙 第189号

2024年11月30日 | 通信紙版バックナンバー
令和6年(2024) 12月







師走
師走(しわす)とは陰暦12月の異称であることはよく知られています。
ただし語源については12月なると、家々で師(僧)を迎えて読経などの仏事を行うため、
師が忙しく走り回るということから「師馳(しは)せ月」といったのを
誤ったものだという説をはじめいくつかあるといいます。
明治初頭より陽暦(新暦)を採用した日本では、12か月を1月〜12月の数字で表しています。
しかし、それ以前は、季節感がわかるような和風月名で各月を表現しており、
その最後の月を「師走」と呼んでいました。現在の日本では、これを陽暦(新暦)の
12月に当てはめ「師走=12月の和風月名」として用いています。
陰暦の12月は、陽暦の12月と時期が違います。陽暦は陰暦から1か月ほど遅れています。
陰暦の12月は、陽暦の12月下旬から翌年2月上旬頃に当たるのです。
師走は「しわす、しはす」と読み、その意味・由来・語源には諸説あります。
もっとも有名な説は、師匠である僧侶が、お経をあげるために東西を馳せる月という意味の
「師馳す(しはす)」だというものです。
この「師馳す」は、平安末期の「色葉字類抄(いろはじるいしょう)」の説明によると民間語源とされ、
現代の「師走」は、この説をもとに字が当てられたと考えられています。
ほかにも、年が果てる(終わる)という意味の「年果つ(としはつ)」が
「しはす」に変化したという説もあり、万葉集のころから「シハス」と呼ばれていたとの説もあります。
四季の果てる月を意味する「四極(しはつ)」を語源とする説、
一年の最後になし終えるという意味の「為果つ(しはつ)」を語源とする説などもあります。
陰暦でも陽暦でも、一年の最後の日は「大晦日(おおみそか)」「大晦(おおつごもり)」といいます。
晦日(みそか)が、毎月の末日を指すため、年の最後の末日に「大」を付けて
大晦日になったというわけです。
一方の「晦(つごもり)」とは、月が隠れる「月隠(つきごもり)」が変化したものであり、
こちらも毎月末日となる新月を意味します。陰暦では新月から満月、
満月から新月までを1か月としたため、毎月末日には新月で月が見えなかった、
隠れたように感じたということでしょう。こうした部分にも、
陰暦が月や自然に密着した暦であるとわかりますね。


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【お知らせ】冬期閉園時間について
早めの日没の為、12月・1月は
午後4時を閉園時間とさせていただきます。

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通信紙 第188号

2024年10月27日 | 通信紙版バックナンバー
令和6年(2024) 11月







今年の立冬は11月7日です。
立冬とは、冬の気配がたち始めることを意味しています。かつて二十四節気が使われていた時代とは、暦が少しずれている現代。立冬といっても「冬が来た」と感じられるほどではないかもしれませんが、
ニュースなどでは立冬を迎えると「いよいよ冬の訪れ」と表されることも多いですね。
江戸時代に太玄斎(常陸宍戸藩の第5代藩主松平頼救)が記した暦についての解説書「暦便覧」には、「冬の気立ち始めて、いよいよ冷ゆれば也」と記されています。
これは秋がもっとも深まりついに冬らしい冷え込みを感じられるようになったことを示しているのでしょう。
立冬の時期は木枯らしが吹き、早いところでは初雪が降る時期です。
この時期に旬になるものは、どんなものがあるのでしょうか。
ヨーロッパでは「1日1個のりんごは医者いらず」といわれるほど栄養なフルーツです。
食物繊維が豊富であることから便通改善や腸内環境の改善に効果があり、またクエン酸やリンゴ酸は
疲労回復に効果があります。ほかにもビタミンBやビタミンC、抗酸化物質などが豊富なので、
風邪やインフルエンザがはやり始めるこの時期にぴったりの食べ物なのです。
レンコンは穴が開いていることから「見通しが良い」とされ、縁起が良い食べ物とされています
牡蠣はビタミンB12や鉄が豊富に含まれており、貧血予防や疲労回復に効果的です。
そのほかにも亜鉛が豊富に含まれており、免疫力アップが期待できます。
立冬は冬の始まり。日中はぽかぽか陽気でも風が冷たく、朝晩の寒さが一段と増します。
風邪やインフルエンザが流行りだす時期ですね。まだまだそこまで寒くないからと油断せず、
混雑する前にインフルエンザの予防接種を予約しておきましょう。


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小雪(しょうせつ)
今年の11月22日は二十四節気のひとつ「小雪(しょうせつ)」にあたります。
わずかな雪が降る頃という意味です。山などに雪がみられる時期となりますが、
それほど雪は多くないことから小雪と呼ばれるようになりました。
江戸時代の暦の解説書『暦便欄』では、小雪の気候を
「冷ゆるが故に雨も雪と也てくだるが故也」(冷え込むようになってきて
雨が雪になって降ってくるから)と説明しています。
また、「小春日和」という言葉は、小雪の季節に使われます。
冷たい風が吹いたり、寒さの合間に春のような陽気が訪れたり…
本格的な冬を迎える前の小雪の季節ならではの情景を表しています。
二十四節気では、小雪の前は冬の兆しがみえてくる頃の「立冬」で、
小雪の次は、山の峰に雪がかぶり平地でも雪が降りだす頃の「大雪」となります。


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【お知らせ】 冬期閉園時間について  早めの日没の為、12月~翌年2月まで
午後4時を閉園時間とさせていただきます。

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通信紙 第187号

2024年09月30日 | 通信紙版バックナンバー
令和6年(2024) 10月







令和6年秋彼岸会行事を行いました
彼岸入りから天候不順に見舞われましたが、連日たくさんのご家族が来園しお参りされておりました。








     
秋は実りを表し、皆様の願いや思いが可愛い子たちに届き実を結んでいいただけるように
ご供養を務め、戒名紙に書いたお名前は全て読み上げさせていただきました。

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秋土用
土用とは、年に4回訪れる、立春・立夏・立秋・立冬の直前の約18日間を指します。
4つの土用それぞれ、「春土用」「夏土用」「秋土用」「冬土用」とも呼ばれています。
また、土用は雑節(ざっせつ)と呼ばれる、季節の移り変わりをより的確に
つかむために設けられた暦日(こよみで定められた日)のひとつです。
その他の雑節には「節分」や「彼岸」などが代表的な例としてあげられます。
日本において土用などの雑節は、古くから季節の変化を知らせる大切な役割を担ってきました。
土用の起源は、古来中国から伝わる「陰陽五行思想」に由来します。
陰陽五行思想とは「万物は木、火、土、金、水の5つの元素から成り立っている」という考えのこと。
季節においても、「木」は春、「火」は夏、「金」は秋、
「水」は冬、というように「土」以外の元素が各季節に割り当てられています。
それでは「土」はというと、それぞれの季節の変わり目である
「立春」「立夏」「立秋」「立冬」の直前約18日の期間に割り当てられました。
季節の変わり目であるこの期間は”土の気が旺(さかん)になる”期間といわれており、
元々は「土旺用事(どおうようじ)」と呼ばれていたとされています。
この「土旺用事」の旺と事が省略され、「土用」となったといわれています。
秋土用(10月下旬~11月上旬)
秋の土用は夏の疲れが出る時期ともいわれています。秋土用は「辰の日(たつのひ)」に「た」のつくものや「青いもの」を食べると良いとされています。
「た」のつく食べ物としては、「玉ねぎ」や「たこ」。
「青いもの」なら「さんま」や「鯖」などの青魚が良いでしょう。


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令和6年秋彼岸会行事を行いました

2024年09月27日 | 行事・出来事








彼岸入りから天候不順に見舞われましたが、連日たくさんのご家族が来園しお参りされておりました。

秋は実りを表し、皆様の願いや思いが可愛い子たちに届き実を結んでいいただけるように
ご供養を務め、戒名紙に書いたお名前は全て読み上げさせていただきました。


通信紙 第186号

2024年08月28日 | 通信紙版バックナンバー
令和6年(2024) 9月







合 掌
残暑の候、皆様には益々のご健勝の事とお慶び申し上げます。
いとしき子達との絆、つぶらな瞳への思い出を
御家族への幸福を念願させていただく
令和6年秋彼岸会合同慰霊祭日程のお知らせをさせて頂きます。
期日   :9月22日(秋分の日)と9月23日(振替休日
読経開始 :午前11時よりと午後2時よりの2回
(天候不順の場合は電話にてお問い合わせ下さい)
お参り時間:午前8時~午後5時まで開園しております。
お塔婆料 :2000円より3種
供養料  :ご予算の範囲内で
何卒皆様のご参列を心よりお待ち申し上げます。




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十五夜
今年の9月17日は中秋の名月にあたります。
中秋とは旧暦の秋(7月、8月、9月)の真ん中の"日"を
指す言葉で旧暦8月15日のことです。
「中秋秋」の方の意味は秋の真ん中の"月"を指す言葉で旧暦8月を指します。
旧暦では月の満ち欠けを見て日付決めており、
新月のときが1日となり、満月になる頃が15日、
その後また新月になる日に新しい月に切り替わります。
ただ、新月から満月になるまでの日数が
毎回15日であるとは限らないため、
15日は満月ではない可能性があるそうです。
というか、むしろ満月ではないことが多い様です。
また、旧暦8月15日は年によって
9月だったり10月だったりもするそうです。


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秋彼岸会合同慰霊祭日程

2024年08月28日 | お知らせ
合 掌
残暑の候、皆様には益々のご健勝の事とお慶び申し上げます。
いとしき子達との絆、つぶらな瞳への思い出を
御家族への幸福を念願させていただく
令和6年秋彼岸会合同慰霊祭日程のお知らせをさせて頂きます。
期日   :9月22日(秋分の日)と9月23日(振替休日
読経開始 :午前11時よりと午後2時よりの2回
(天候不順の場合は電話にてお問い合わせ下さい)
お参り時間:午前8時~午後5時まで開園しております。
お塔婆料 :2000円より3種
供養料  :ご予算の範囲内で
何卒皆様のご参列を心よりお待ち申し上げます。




通信紙第185号

2024年07月28日 | 通信紙版バックナンバー
令和6年(2024) 8月









処暑
今年は梅雨明けが例年並みで猛暑日が続きました。8月に入ると立秋が過ぎ処暑を迎えます。
処暑とは二十四節気の1つで、8月23日頃、暑さが終わるという意味です。
まだ昼間は暑い日が続きますが、
朝夕は涼しい風が吹き渡わたり、気持ちのよい時期です。
この頃には秋の台風が訪れます。


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盂蘭盆会追善供養のお知らせ
愛しき子たちの盂蘭盆会追善供養をいたします日程です。
8月15日(木)・ 時間:午後1時より読経開始
皆様方のご参列を心よりお待ち申し上げます。


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お盆講座
「お盆」とは一般的に、先祖や亡くなった人たちが苦しむことなく、成仏してくれるようにと、
子孫が、報恩や追善の供養をする期間を「お盆」と呼びます。
特に、亡くなって49日法要が終わってから最初に迎えるお盆を
初盆(はつぼん)または新盆(しんぼん、にいぼん、あらぼん)と呼び、家の門口や、
お墓に白一色の提灯を立て、初盆以外のお墓には白と赤の色が入った提灯を立てるなど、
特に厚く供養する風習があります。
現在は、8月の13日から16日までの4日間を指すことが多い(関東の一部などでは
7月13日から16日までの4日間を指す場合もあります)。
13日の夕方に迎え火を焚き先祖の霊を迎え、期間中に僧侶を招き供養をしていただき、
16日の夕方、送り火を焚きご先祖様に帰ってもらいます。
キュウリの馬はご先祖様を少しでも早く迎えられる様に、
ナスの牛はのんびり帰っていただける様にと動物に見立てた物です。
日本では、推古天皇が606年に、
はじめてお盆の行事を行ったと伝えられています。
各地で行われるお盆の行事は、各地の風習などが加わったり、
宗派による違いなどによって様々ですが、一般的に先祖の霊が帰ってくると考えられています。
お寺では施餓鬼供養をしますが、家庭では先祖の霊が帰ってくる日としてさまざまな行事を行います。

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{お知らせ}
秋彼岸行事の日程は9月22日()・23日()と予定させていただきます。

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盂蘭盆会行事について

2024年07月01日 | お知らせ
{盂蘭盆会行事について}
可愛い子たちのお盆のご供養を以下の日程で予定させていただきます。
期日:令和6年8月15日(木)読教時間:午後1時より
施餓鬼のお塔婆も受付しております。


通信紙 第184号

2024年06月29日 | 通信紙版バックナンバー
令和6年(2024) 7月








今年も折り返しとなり7月を迎えました。今年は遅い梅雨入りで6月から夏日となり、
蒸し暑い日が続き気分が曇りがちになります。そんな時こそ晴れた心を持ちたいですね。
7月7日は新暦の七夕です。
七夕は年に一度、天帝の娘である織姫星(こと座のベガ)と夏彦星(牽牛星、わし座のアルタイル)が天の川を渡って会うことを許された特別な日とされております。
二人は共に働き者でしたが結婚生活があまりに楽しく仕事をしなくなり、
結婚を許した天帝が怒り、二人を天の川を隔て引き離しました。
7月7日だけ会う事が許され、現れたカササギが
橋を架けてくれるのだそうです。
七夕の由来
五節句の1つに数えられる七夕は、日本古来の年中行事である「棚機(たなばた)」と、
中国から伝わった「乞巧奠(きこうでん)」が由来していると考えられています。
棚機(たなばた)は古代日本における禊(みそぎ)の行事、つまり穢れ(けがれ)を清める行事
です。毎年稲の開花時期に合わせて、主に農村部で盛んに行われていたと言われています。
棚機行事では、まず村の乙女が水辺の小屋にこもり、着物を織って棚に供えます。
神様を迎えて豊作を祈り、村の人々の穢れを清めるのです。着物を織る際に使用されたものが、
棚機という機織り機でした。やがて日本に仏教が伝えられ、棚機はお盆を迎える準備のための行事として旧暦7月に行われるようになりました。
乞巧奠(きこうでん)は、織姫にあやかり機織りや裁縫の上達を祈る中国の行事です。
7月7日に庭先の祭壇に針や五色の糸を供え、星に祈りを捧げます。後の世には、
機織りや手芸だけではなく芸事や書道といった手習い事の上達を願う行事となりました。
乞巧奠が奈良時代に日本に伝わると、日本にあった棚機と融合し、七夕(しちせき)と呼ばれる宮中行事になりました。七夕(しちせき)は、織姫と彦星の逢瀬と詩歌・裁縫の上達を願って星に祈りを捧げ、五色の糸や金銀の針、山海の幸を供える行事です。供物の祭壇の左右には笹が立てられ、五色の糸がかけられたと言われています。また、梶の葉に和歌をしたため祀りました。この五色の糸と梶の葉が、笹飾りの始まりと伝えられています。室町時代になると、宮中行事である七夕、そして織姫と彦星の物語が民間に伝わりました。そして、農村で古来より広く
行われていた棚機にちなみ、七夕(たなばた)と読むようになったと言われています。

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{盂蘭盆会行事について}
可愛い子たちのお盆のご供養を以下の日程で予定させていただきます。
期日:令和6年8月15日(木)読教時間:午後1時より
施餓鬼のお塔婆も受付しております。


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通信紙第183号

2024年05月31日 | 通信紙版バックナンバー
令和6年(2024) 6月








入梅
梅雨に入ることを「入梅」といいますが、農作業をする上で雨期を知ることはとても
重要なことなので、江戸時代に暦の上での「入梅」が設けられ、雑節のひとつとなりました。
昔は芒種以降の最初の壬(みずのえ)の日、立春から135日目などとされていましたが、
現在は太陽の黄経が80度に達した日とされています。
暦の上ではこの日から梅雨ですが、実際は気象庁の発表する「梅雨入り宣言」が目安。
南北に細長い日本は、北と南では気候も大きく違い、
梅雨入りも梅雨明けも、ほぼ南の方から順にやっています。
梅雨の期間は約1ヶ月半から2ヶ月くらいで、年によって変動します。
「入梅」に対し、梅雨明けすることを「出梅」といいます。
ちなみに、暦の上の入梅は毎年6月11日頃。
関東地方の梅雨入りの平年値は
6月8日頃で、梅雨明けの平年値は7月21日頃です。
梅が実る頃だからその名が付けられた「入梅」。つゆも「梅雨」と書きます。
梅雨の時期になると、紫陽花をよく目にするようになります。


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6月16日は父の日です
父の日は5月の母の日と同じくアメリカ合衆国で発祥しました。
ワシントン州に住むジョン・ブルース・ドット夫人(ソノラ・スマート・ドット)が、
南北戦争後、男手ひとつで6人の子を育ててくれた父への感謝の気持ちを表すため、
「母の日のように父の日もあるべき」と1909年ごろから活動し、
1966年にはアメリカ合衆国第36代大統領リンドン・ジョンソンが
父の日を称賛する大統領告示を発し、6月の第3日曜日を父の日に定め
1972年にアメリカ国民の祝日になりました。
ドット夫人が父の墓前に白いバラを供えたことから、
アメリカではお父さんへバラを贈るのが習わしになりました。


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今年の夏至は6月21日にあたります。
夏至とは、この日を過ぎると本格的な夏が始まると意味です。
冬至にかぼちゃを食べるように、この日も何かを食べる習慣がありますが、
何を食べるかは地方によってまちまちです。例えば関西地方では、
タコの八本足のようにイネが深く根を張ることを祈願してタコを食べます。
「夏至」という言葉が入って来たのは、中世になって中国から二十四節気が入ってきてからのようです。
その各地で太陽の生命力を得るために夏至の日を祝うお祭りが開催されるようになりました。2003年から、夏至の日はの時間が長いので「電気を消してスローな夜を」というタイトルで節電を呼びかけるイベントが行われています。


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通信紙 第182号

2024年04月28日 | 通信紙版バックナンバー
令和6年(2024) 5月





風薫る5月を迎え外は暖かくなりましたね。
八十八夜(はちじゅうはちや)は雑節の一つで、
立春を決算日として88日目の事で毎年5月2日にあたります。
「八十八夜の泣き霜」などと言われる様に遅霜が発生する時期であり、
農家に対して特に注意を喚起するためにこの雑節が作られました。
八十八夜は日本独特の雑節です。
また、この日に摘んだお茶は上等な物とされ、この日にお茶を飲むと長生きするとも言われます。

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鯉のぼり
子供の日が近づいてまいりましたので、構内休憩所に小さいのですが
鯉のぼりを立てました。クリスマス同様に小さな子たちが喜んでくれたらと、
願いを込め飾り付けをいたしました。

鯉のぼりとは
「江戸っ子は皐月の鯉の吹流し」と言われるように、こいのぼりは
「幟(のぼり)」とは名づけられているものの、形状は魚を模した吹流し形です。
そもそも、こいのぼりは門松や雛人形と同じく、
江戸時代中期の裕福な庶民の家庭で始まった習慣でした。
端午の節句には厄払いに菖蒲を用いることから、別名「菖蒲の節句」と呼ばれ、武家では菖蒲と「尚武」と結びつけて男児の立身出世・武運長久を祈る年中行事となりました。 この日武士の
家庭では、虫干しをかねて先祖伝来の鎧や兜を奥座敷に、玄関には旗指物(のぼり)を飾り、
家長が子供達に訓示を垂れました。

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立夏
ようやく暖房器具を必要としないくらいの気候になりました。
5月5日は立夏にあたります。
立夏は夏が始まる日です。この時期は大地が草で覆われ木々が繁ってきます。
カレンダーには「夏が立つ」などと記載されている場合もあります。
これは、簡単に言うと「夏がきたよ」という意味です。
立夏の頃(ちょうどGW〔ゴールデンウィーク〕頃ですね)は
気持ちの良い風が吹き、
晴天が続くので外に出ることが楽しみな時期でもあります。


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通信紙 第181号

2024年03月31日 | 通信紙版バックナンバー
令和6年(2024) 4月








令和6年春彼岸行事を行いました。
彼岸入りの朝はウグイスの第一声が囀りわたり、
園内のスイセンの花とともに春の到来を喜んでおりました。
3月17日・20日両日とも雨のこそ当たりませんでしたが
季節の入れ替わり、南風と北風が一日置きに吹きすさぶ中
多くのご家族が来園されました。
中には去年、命に関わる病気から治療回復した方が
御家族の介助をうけ可愛い子達に感謝し参拝する姿も見受けられました。
今回も皆さまのご健勝を祈願し名前を書いた全ての
戒名紙を祭壇に奉納させていただきました。


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穀雨
2024年4月19日~5月5日は二十四節気の一つ『穀雨(こくう)』にあたります。
日本には1年を24分割し、それぞれに季節を表す言葉をつけた二十四節気という季節の呼び方があります。そのうちのひとつが穀雨(こくう)であり、例年4月20日頃であるとされています。
穀雨は春雨が降って百穀を潤す頃という意味があります。
穀雨の頃には南から水蒸気を多く含んだ空気が流れ込むようになり、低気圧が
通過するときにはまとまった雨が降るため、田畑を潤して農作物の新芽を盛んに成長させます。
穀雨の次は暦の上で夏が始まる立夏ですが、この時季を過ぎると次第に天候は安定し、
日差しも強くなって初夏を迎えるようになり、植物や農作物はいっそう成長していきます。

そもそも穀雨とは、どんな意味を指すのでしょうか。
穀雨は「種まきや田植えの時期に降る雨」とされています。
この時期の雨は「百殻春雨(ひゃくこくはるさめ)」とも呼ばれており、
あらゆる穀物を潤し育てる恵の雨と考えられてきました。
作物を上手に育てるためには、この穀雨の前に種まきを終える必要があります。
そのため昔は穀雨を目安としての作業の準備が行われます。
由来ははっきりしてはいないものの、江戸時代に太玄斎(常陸宍戸藩の第5代藩主松平頼救)が記した暦についての解説書「暦便覧」において「春雨降りて百穀を生化すればなり」と記されています。この点からも穀雨が種まきの際にどれだけ重要視されていたか伺えます。
穀雨の前は清明、後は立夏と徐々に夏が近づいてくる時期でもあります。
特に穀雨の終わりには、「八十八夜(はちじゅうはちや)」が訪れます。
「八」「十」「八」の三つの字を組み合わせると
「米」になることから、農作業に縁起のいい日ともされてきたようです。


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