きのうは快晴でした。
朝から晴れ渡っていたのでさっそく登山を検討。いつもの福智山はや
めて近場の山にしました。以前から大坂山・障子ヶ岳間を尾根伝いに
縦走したいと思っていたのです。そこで,きのうは大坂山から七曲峠
までというコースに決めました。
下の地図をご覧ください。
地図の中央下が大坂山,中央上が障子ヶ岳です。緑のマーカーで囲ん
でいます。
地図中央付近のPの位置に駐車して反時計回りに歩きました。目的地
の七曲峠はこのコースの一番上になります。
7時45分登山開始。
九十九折れの車道を串刺しに登山道が通っています。最上部付近から
尾根道に近道。今回は大坂山頂上はパスしました。
この付近,白い花が奇麗です。ヤマボウシかと思って近寄ってみると
違いました。
どうもオオカメノキ(大亀の木?)のようです。(下山帰宅後調べま
した。)
さて,尾根道を歩きます。登山者が少ないようで,道はかなり荒れて
います。途中何度も方向を見失うことも。
森林地帯の鬱蒼としたところを抜けたとき,背後に大坂山が望まれま
した。
アンテナの鉄塔が林立しています。お分かりいただけますか?
再び眺望の利かないところを進みます。アップダウンがありますが,
尾根歩きですから軽快です。
途中ほほえましいものが‥‥。
やはりこの道が好きな人がいるのですね。
そろそろ峠の鞍部に出るだろうと予測していると,突然大岩が出現。
こんな岩があるとは思いもよりませんでした。
近づくと抜群の眺望。眼下に香春町。香春岳も見えます。
しかも,何と!三角点の表示があったのです。このような形の物は
初めてではないにしても,珍しい。
目を北に転ずれば遥か彼方に障子ヶ岳が望まれました。
峠に向かって下り始めます。
鞍部の一番低いと思われるところに表示が。
「仲哀越」とあります。
???わたしが目指しているのは「七曲峠」。
以前地元の歴史研究者から「昔は七曲峠と言っていた。それが,明
治から仲哀峠といわれるようになった。」と聞いたことがあります。
では,ここが七曲峠?しかし,降る道が判然としません。どうも違
うような気がしてさらに進みました。
広い場所に出ました。看板があります。
看板の文字は消えかかっていましたが,何とか「七曲峠」と読めま
した。
ここが七曲峠でしょう。スマートフォンを取り出して緯度・経度を
測定:
N33°41' 3.68",E130°52' 47.98"
帰宅後資料と照らし合わせたところ,ここが七曲峠に間違いありま
せんでした。
さあ,下山。
しかし,下山道に関しては全く予備知識がありませんでした。ただ
漠然と「古道が残っているはずだ。」という考えでした。
案の定2度3度と進路を見失いました。そのたびに元の確かな場所
まで戻ります。ただし,山道なので戻ると言っても容易ではありま
せん。
それでも11時半頃には舗装された道路に到達しました。あとは駐車
場までの長い道を歩くのみ。
その途中で久しぶりに奇麗な竹林を見ました。
最近の竹林はどこも荒れ放題です。しかも誰彼が勝手に筍を掘り散
らかしたりして荒廃に拍車がかかります。
もちろん荒れているのは竹林だけではありません。
駐車場に戻ると,付近には快晴の休日を楽しむ人たちが思い思いの
時間を過ごしていました。
補足
昔(明治以前)この付近には2つの峠があったそうです。一つは石
鍋峠,もう一つは七曲峠だとのこと。七曲峠は昨日わたしが通りま
した。石鍋峠はこの七曲峠からさらに北の障子ヶ岳427mとその南
側の394mのピークとの間の鞍部だとのことです。
さらに明治期に七曲峠の南側にトンネル(仲哀隧道)を開通させま
した。このことからこのコースを仲哀峠と呼ぶようになったそうで
す。したがって,七曲峠と仲哀峠とは別物だと。
なお,仲哀隧道は当初仲哀谷隧道だったそうです。
1960年代に新仲哀隧道(と言う名前だったと思う)が開通して通行
が非常に楽になりました。さらに今から10年ほど前もう1本のトン
ネル(新仲哀トンネル)が開通して現在に至っています。
以上