1週間ほど前,国道沿いで「胸の観音・春の大祭」の看板を認めました。そうそう,たしか毎年5月14日は春の大祭があったことを思い出しました。今年は日曜日になるので久しぶりに2人で行って(登って)みることにしました。
胸の観音は観音山の中腹にあるお寺のような信仰対象の場所です。わたしとしては久しぶりの「低い山歩き」を兼ねる意味もあります。
水と軽食を持って9時頃出発。
広い駐車場からいきなり上り坂です。
遠くでうぐいすやしじゅうからの鳴き声がします。声の大きいのはそうしちょう(相思鳥?)でしょう。
道はさらに急になり,ジグザグに登りきると巨岩の前に設営された祭壇のある場所に到着しました。側には休憩所と寺務所のような売店がありました。
仏教と言うより,それ以前から存在していた巨石信仰が発展したものと思われます。裏手というか横手というか,巨岩の周囲には沢山の仏像人形が置かれていました。信者が持ち寄ったものでしょう。方々に所狭しと陳列されています。
多くは仏像ですが,中にはタノカンサーや北海道土産の人形なども交じっています。寄進者はそれぞれの思いをもって奉納したのでしょう。
さて,その巨岩の裏側から観音山の頂上に向かう登山道がついています。細い道ですが,はっきりしていて迷うことはありません。
最初広葉樹の間をとおり,つぎに針葉樹となりました。
まもなく頂上です。周囲を樹木で遮られ眺望はほとんどありません。わずかな空間から町並みが望まれました。
上を見ると何やら札がかかっています。ほとんど消えかかっていますが,「観音山 232m」と読めます。
ここでこの山の諸元を掲げておきましょう。
(1)山名 観音山(かんのんやま)
(2)標高 232 m
(3)所在地 福岡県行橋市大字入覚と福岡県京都郡みやこ町勝山黒田の境界
(4)位置 北緯33°43'15",東経130°54'50" (33.7210,130.9138)
(5)登山日 2017(平成29)年5月14日
小休止の後下山開始。
巨岩の裏手の方に行くと,護摩焚(漢字はこれでよかったかな?)きの準備が進められていました。現場を見るのは初めてです。
護摩というはハオマがなまったもので,ハオマは確か火という意味ではなかったでしょうか?松本清張の小説などで詠んだ知識ですので偏見かもしれません。拝火教の流れをくむ神事と関係があるとか……。よく分かりません。
まもなく3人の僧による護摩焚きが始まりました。
その中の一人が弓を構え,四方に矢を放ちました。邪気を払うものでしょうか?
集まった人はしきりに矢の落下場所を気にしていました。そのうち,一人が矢を拾ってきました。この矢を持っていると何かご利益があるのでしょうか?
僧侶による読経が続きます。
わたしたちはほどなくその場を離れました。
およそ30年ぶりの胸の観音・観音山登山でした。
胸の観音は観音山の中腹にあるお寺のような信仰対象の場所です。わたしとしては久しぶりの「低い山歩き」を兼ねる意味もあります。
水と軽食を持って9時頃出発。
広い駐車場からいきなり上り坂です。
遠くでうぐいすやしじゅうからの鳴き声がします。声の大きいのはそうしちょう(相思鳥?)でしょう。
道はさらに急になり,ジグザグに登りきると巨岩の前に設営された祭壇のある場所に到着しました。側には休憩所と寺務所のような売店がありました。
仏教と言うより,それ以前から存在していた巨石信仰が発展したものと思われます。裏手というか横手というか,巨岩の周囲には沢山の仏像人形が置かれていました。信者が持ち寄ったものでしょう。方々に所狭しと陳列されています。
多くは仏像ですが,中にはタノカンサーや北海道土産の人形なども交じっています。寄進者はそれぞれの思いをもって奉納したのでしょう。
さて,その巨岩の裏側から観音山の頂上に向かう登山道がついています。細い道ですが,はっきりしていて迷うことはありません。
最初広葉樹の間をとおり,つぎに針葉樹となりました。
まもなく頂上です。周囲を樹木で遮られ眺望はほとんどありません。わずかな空間から町並みが望まれました。
上を見ると何やら札がかかっています。ほとんど消えかかっていますが,「観音山 232m」と読めます。
ここでこの山の諸元を掲げておきましょう。
(1)山名 観音山(かんのんやま)
(2)標高 232 m
(3)所在地 福岡県行橋市大字入覚と福岡県京都郡みやこ町勝山黒田の境界
(4)位置 北緯33°43'15",東経130°54'50" (33.7210,130.9138)
(5)登山日 2017(平成29)年5月14日
小休止の後下山開始。
巨岩の裏手の方に行くと,護摩焚(漢字はこれでよかったかな?)きの準備が進められていました。現場を見るのは初めてです。
護摩というはハオマがなまったもので,ハオマは確か火という意味ではなかったでしょうか?松本清張の小説などで詠んだ知識ですので偏見かもしれません。拝火教の流れをくむ神事と関係があるとか……。よく分かりません。
まもなく3人の僧による護摩焚きが始まりました。
その中の一人が弓を構え,四方に矢を放ちました。邪気を払うものでしょうか?
集まった人はしきりに矢の落下場所を気にしていました。そのうち,一人が矢を拾ってきました。この矢を持っていると何かご利益があるのでしょうか?
僧侶による読経が続きます。
わたしたちはほどなくその場を離れました。
およそ30年ぶりの胸の観音・観音山登山でした。