健康維持のため,毎週登山に取り組んでいます。ただし,場合によってはサイクリングで
これに代えることもできます。
きょうはあまりいい天気ではないが雨は降らないだろうとのことでサイクリングに出かけ
ました。朝7時出発予定が,いつもの愚図で10分遅れ。目的地はいつもの故郷の町。往復
50kmになります。
家を出て間もなく今川河川敷のサイクリング道路に入ります。
草むらの中に赤い花が目立ちます。
彼岸花ですね。彼岸の中日は過ぎましたが,まだまだ彼岸花は健在です。
白い彼岸花も咲いています。
最近この白い彼岸花が多くみられるようになりました。最近と言っても10年,20年という
時間です。
わたしが最初に白い彼岸花のことを知ったのは1970年代初頭のこと。当地の近くの築上郡
(ちくじょうぐん)築城(ついき)町に白い彼岸花が咲くということでした。それから半
世紀。白い彼岸花はほとんど普通に見られるようになりました。
しかし,わたしは彼岸花はやっぱり赤がいいですね。
サイクリング道路に沿って延々と咲いています。
ペダルをこぎ,写真を撮り,風景を眺めながらのサイクリングです。風もなく,暑くもな
くまさにサイクリング日和です。
1時間ほどで赤村(特産物センター付近)に到着です。南のほうに故郷のシンボル岩岩山
(がんじゃくさん)が見えてきました。
間もなく岩岩トンネルへの急坂です。これは新しくできた道路ですので自動車で通ること
を前提としているのでしょう。自転車ではとてもこいで登れません。仕方なく押して行き
ました。
ところどころに落ちている栗を拾いながらふと見上げるとあけびの実があります。
子どもの頃おやつなどに飢えていて,野山のあけびやいちごの実を見つけては喜んで食べ
たものです。あけびを見つけると今でも嬉しくなります。
トンネルを抜けるとわたしの生まれ故郷の添田(そえだ)町。
添田公園から中学校の裏側を通って大通りに出ます。そうそう,中学校ではその校庭内を
鹿が我が物顔で飛び跳ねていました。(なかなかいい光景です。)
廃線となる日田彦山線の踏切を越え,彦山川を渡れば上り坂になります。この道は昔から
あるので自転車に乗ったまま通れます。トンネルを抜けると目的地の中元寺(ちゅうがん
じ)。宝ヶ岳(ほうがたけ)が奇麗な姿を見せました。
この山はその形から添田富士と呼ばれていました。(多分今でもそう呼ばれていると思い
ます。)
中学生時代の同級生宅で30分ほど休憩しました。
帰りは逆風に苦しみました。崎山付近をのろのろと進んでいると何やら笛と太鼓の音が響
いてきます。秋祭りかな?神楽でも演じられているのかな?
寄り道してみました。稲刈りの神事のような雰囲気です。スマートフォンなどで写真を撮
る人が周りを取り巻いていて行事の詳細はよく見えません。
天幕の側に立て札がありました。つぎのように記されています:
令和二年度 奉納者
新嘗祭献穀田 〇〇〇〇
〇〇〇〇
〇〇〇〇
原文は縦書きです。
見物していた老女に「毎年行われているのですか?」と聞くと,「いえ,初めてです。
最初で最後でしょう。天皇に献納する米の収穫です。」との返事。なるほど,それで新
嘗祭という言葉に納得しました。すると春には御田植祭があったのでしょう。
12時15分家に帰着しました。
きょうの収穫です。
あけびはまだ少し早いのですが,米びつの中に入れておけば食べられるようになるはず
です。栗は数個は栗ご飯にして,残りは茹でていただきましょう。
以上
これに代えることもできます。
きょうはあまりいい天気ではないが雨は降らないだろうとのことでサイクリングに出かけ
ました。朝7時出発予定が,いつもの愚図で10分遅れ。目的地はいつもの故郷の町。往復
50kmになります。
家を出て間もなく今川河川敷のサイクリング道路に入ります。
草むらの中に赤い花が目立ちます。
彼岸花ですね。彼岸の中日は過ぎましたが,まだまだ彼岸花は健在です。
白い彼岸花も咲いています。
最近この白い彼岸花が多くみられるようになりました。最近と言っても10年,20年という
時間です。
わたしが最初に白い彼岸花のことを知ったのは1970年代初頭のこと。当地の近くの築上郡
(ちくじょうぐん)築城(ついき)町に白い彼岸花が咲くということでした。それから半
世紀。白い彼岸花はほとんど普通に見られるようになりました。
しかし,わたしは彼岸花はやっぱり赤がいいですね。
サイクリング道路に沿って延々と咲いています。
ペダルをこぎ,写真を撮り,風景を眺めながらのサイクリングです。風もなく,暑くもな
くまさにサイクリング日和です。
1時間ほどで赤村(特産物センター付近)に到着です。南のほうに故郷のシンボル岩岩山
(がんじゃくさん)が見えてきました。
間もなく岩岩トンネルへの急坂です。これは新しくできた道路ですので自動車で通ること
を前提としているのでしょう。自転車ではとてもこいで登れません。仕方なく押して行き
ました。
ところどころに落ちている栗を拾いながらふと見上げるとあけびの実があります。
子どもの頃おやつなどに飢えていて,野山のあけびやいちごの実を見つけては喜んで食べ
たものです。あけびを見つけると今でも嬉しくなります。
トンネルを抜けるとわたしの生まれ故郷の添田(そえだ)町。
添田公園から中学校の裏側を通って大通りに出ます。そうそう,中学校ではその校庭内を
鹿が我が物顔で飛び跳ねていました。(なかなかいい光景です。)
廃線となる日田彦山線の踏切を越え,彦山川を渡れば上り坂になります。この道は昔から
あるので自転車に乗ったまま通れます。トンネルを抜けると目的地の中元寺(ちゅうがん
じ)。宝ヶ岳(ほうがたけ)が奇麗な姿を見せました。
この山はその形から添田富士と呼ばれていました。(多分今でもそう呼ばれていると思い
ます。)
中学生時代の同級生宅で30分ほど休憩しました。
帰りは逆風に苦しみました。崎山付近をのろのろと進んでいると何やら笛と太鼓の音が響
いてきます。秋祭りかな?神楽でも演じられているのかな?
寄り道してみました。稲刈りの神事のような雰囲気です。スマートフォンなどで写真を撮
る人が周りを取り巻いていて行事の詳細はよく見えません。
天幕の側に立て札がありました。つぎのように記されています:
令和二年度 奉納者
新嘗祭献穀田 〇〇〇〇
〇〇〇〇
〇〇〇〇
原文は縦書きです。
見物していた老女に「毎年行われているのですか?」と聞くと,「いえ,初めてです。
最初で最後でしょう。天皇に献納する米の収穫です。」との返事。なるほど,それで新
嘗祭という言葉に納得しました。すると春には御田植祭があったのでしょう。
12時15分家に帰着しました。
きょうの収穫です。
あけびはまだ少し早いのですが,米びつの中に入れておけば食べられるようになるはず
です。栗は数個は栗ご飯にして,残りは茹でていただきましょう。
以上