鍵がないことに気が付いた。
玄関のあるべきところにない。
ポケットを探り、持ち物をひっくり返し、頭の中で必死で再現ドラマ化する数時間前の行動・・・
私の記憶では失くしたのは家でしかありえない、という結論に達し、予定通りとりあえず夫と外出することにした。
ところが、車中、夫の記憶を聞くと、私のその結論はあっさり崩れることが分かった。
気が気じゃない。
私の脳内は、何か小さなヒントがあるはずだ、と再現ドラマの精度を上げることに専念しており、
楽しめるはずの風呂も食事も半分以上、上の空。
こんなとき、私を決して追い詰めない、責めない夫に申し訳なさと、自分の情けなさにげんなり。
「あらら、どこ置いた?」は日常茶飯事の私であるが、致命的なミスはない(ので、繰り返す、とも言える)。
and ナクシモノに対する執念深さは自分の物はもちろん、家族の物に対しても同じだ。
「物はね!いくらおうちに帰りたくても、自分で帰ってこれないんだよっ!!!」と息子を叱る。
感情移入しやすいタチなのだ。
しかし今回はそういうレベルじゃない。
鍵なんだから。。。
もういいかげん記憶をたどることに疲れた脳が、さらに私を滅入らせたころ、犬の散歩のため
公園にいた。トランクを開ける、犬を出す、リードをつける、一連の動作を横目に夫がごそごそ
しながら言った。「ははは、こーんなとこにあったりしてね」と犬グッズを入れたカゴを探った手が
止まった。
「あった」
私が絶対ないと思った場所。
それは朝の行動から私がそこに鍵を落とす可能性がない場所。
つまり、つまり、犯人はちみだあっっっ!!!
おそらく朝、犬を車に乗せるとき、なぜか家の鍵を手にしていた夫は
リードと一緒にカゴに入れた、という図が浮かび上がった。
見つかった喜びと同時に湧き上がる感情。
「今までの時間返してーーーっ」
散歩の間、「オレかなーホントに?」「あーたしかいないでしょ」を繰り返し、
彼はコンビニでスイーツをねだられるハメになりました。
ああよかった、あって。
玄関のあるべきところにない。
ポケットを探り、持ち物をひっくり返し、頭の中で必死で再現ドラマ化する数時間前の行動・・・
私の記憶では失くしたのは家でしかありえない、という結論に達し、予定通りとりあえず夫と外出することにした。
ところが、車中、夫の記憶を聞くと、私のその結論はあっさり崩れることが分かった。
気が気じゃない。
私の脳内は、何か小さなヒントがあるはずだ、と再現ドラマの精度を上げることに専念しており、
楽しめるはずの風呂も食事も半分以上、上の空。
こんなとき、私を決して追い詰めない、責めない夫に申し訳なさと、自分の情けなさにげんなり。
「あらら、どこ置いた?」は日常茶飯事の私であるが、致命的なミスはない(ので、繰り返す、とも言える)。
and ナクシモノに対する執念深さは自分の物はもちろん、家族の物に対しても同じだ。
「物はね!いくらおうちに帰りたくても、自分で帰ってこれないんだよっ!!!」と息子を叱る。
感情移入しやすいタチなのだ。
しかし今回はそういうレベルじゃない。
鍵なんだから。。。
もういいかげん記憶をたどることに疲れた脳が、さらに私を滅入らせたころ、犬の散歩のため
公園にいた。トランクを開ける、犬を出す、リードをつける、一連の動作を横目に夫がごそごそ
しながら言った。「ははは、こーんなとこにあったりしてね」と犬グッズを入れたカゴを探った手が
止まった。
「あった」
私が絶対ないと思った場所。
それは朝の行動から私がそこに鍵を落とす可能性がない場所。
つまり、つまり、犯人はちみだあっっっ!!!
おそらく朝、犬を車に乗せるとき、なぜか家の鍵を手にしていた夫は
リードと一緒にカゴに入れた、という図が浮かび上がった。
見つかった喜びと同時に湧き上がる感情。
「今までの時間返してーーーっ」
散歩の間、「オレかなーホントに?」「あーたしかいないでしょ」を繰り返し、
彼はコンビニでスイーツをねだられるハメになりました。
ああよかった、あって。