新宿区角筈図書館が開催した「角筈まちあるき」に参加した。十数人でのたのしい街歩きだった。
案内人(講師)は顔なじみの方だ。ひさしぶりにお会いしたのだが、おげんきそうだった。

説明(歩く地域の地形や歴史など)を1時間弱聞いて、出かける。角筈の地名は現在はないが、戦国時代にあらわれて、
江戸時代には角筈村として幕府直轄領だったとのこと。おおざっぱには、伊勢丹の西側で青梅街道と甲州街道にはさまれた
現在の新宿区のあたりらしい。
まず、十二社の池跡を見に行く。都庁は西側から見た方がかっこいい。

この家の今歩いている道路の端あたりから池だったらしい。昭和40年(1965年)ごろまで、池はあったらしいので、
ぼくが和泉町から新宿行のバスで水道道路を通っていた時にはあったはずだが気がつかなかった。
今日ご一緒した地元の方は、この家に住んでいた方と友達でむかしは遊びに行って、池も眺めたとのこと。

昔の写真に写っている屋号のお店とイチョウの老大木。写真では、このお店は池に面していた。



人があるいているあたりも池だった。

シェヤーハウスになっているが昔は池の周りのお店だったのだろうなーと名残の残る家屋。

いかにもというガラス窓。

昔の地図に載っている名前と同じ名前のお宅。多分、ずっと住み伝えられているのだろう。

塀にも趣きがある。

付近のようす、名残かなーと思ってしまう。

新旧が入り混じる。


東側の十二社の地名のもとである熊野神社に向かう。交番の後ろのちょっとした丘にある。


丘の上にある熊野神社。

結婚式があった。急に野次馬になる。



熊野神社の東側、中央公園の西北の端。このあたりを玉川上水から受水して、神田川に給水していた神田上水助水掘
が流れ下って来ていた。滝があったといわれている場所。

助水掘の川跡。児童公園になっている。

西新宿5丁目の淀橋庚申堂、青面金剛が祀られている。堂内の石碑の方には、今は摩耗して読めないが、1664年(寛文4年)
と書かれていたらしい。

神田川笹塚支流・和泉川の川跡。

ここにきて、またまたお宅っぽくなる。

橋跡には柳橋と書いてあった。

昭和7年だ。

まわりの雰囲気。とりのこされたような風景。

川跡を笹塚方向にすこし進むとまた橋があった。榎橋。


こちらは大正十三年のようだ。

この先はまだまだ続くようだがここでお別れ、お宅っぽさも終わり。

神田川に向かう途中、丘の上にあった地域の人達が使う階段。崖が急なので、すごいことになっている。大人数で
下るのははばかれるので行かなかった。

崖が急なので、崖に沿って下りる坂道になっている。


斜面に実っていたミカン。

神田川沿いの遊歩道。

神田川笹塚支流跡の下水管が神田川に流れ込んでいる場所。


西新宿5丁目再開発(ザ・パークハウス西新宿タワー60)。1000戸近くの一大マンション計画。

カメラをフェンスより高くして、中を覗くともともとの道があった、この計画によって道が付け替えられていた。

もともとの道の東側のアーケード入口がまだ残っていた。


街はどんどん便利になるのだがなんとなくさびしい、

またまた助水堀跡に出る。

淀橋に到着。

石森製粉(株)に保存されている石臼を見に行く。中野坂上駅の近く。



東方向を見ると新宿駅付近まで見通せる。

再び淀橋へ。


税務署通り沿いで、顔見知りの方が設計されたビルを教えてもらった。

北側から成子天神におまいり。まず、富士塚がある。

成子天神。後ろと横の2棟のマンションは境内の再開発で三井不動産が建てたもの。人によって評価は分かれるが、ぼくは
上手く収まっていると思う。
すぐ近くの丸ノ内線西新宿駅で解散、小田急百貨店地下に寄って帰った。たのしかった。
案内人(講師)は顔なじみの方だ。ひさしぶりにお会いしたのだが、おげんきそうだった。

説明(歩く地域の地形や歴史など)を1時間弱聞いて、出かける。角筈の地名は現在はないが、戦国時代にあらわれて、
江戸時代には角筈村として幕府直轄領だったとのこと。おおざっぱには、伊勢丹の西側で青梅街道と甲州街道にはさまれた
現在の新宿区のあたりらしい。
まず、十二社の池跡を見に行く。都庁は西側から見た方がかっこいい。

この家の今歩いている道路の端あたりから池だったらしい。昭和40年(1965年)ごろまで、池はあったらしいので、
ぼくが和泉町から新宿行のバスで水道道路を通っていた時にはあったはずだが気がつかなかった。
今日ご一緒した地元の方は、この家に住んでいた方と友達でむかしは遊びに行って、池も眺めたとのこと。

昔の写真に写っている屋号のお店とイチョウの老大木。写真では、このお店は池に面していた。



人があるいているあたりも池だった。

シェヤーハウスになっているが昔は池の周りのお店だったのだろうなーと名残の残る家屋。

いかにもというガラス窓。

昔の地図に載っている名前と同じ名前のお宅。多分、ずっと住み伝えられているのだろう。

塀にも趣きがある。

付近のようす、名残かなーと思ってしまう。

新旧が入り混じる。


東側の十二社の地名のもとである熊野神社に向かう。交番の後ろのちょっとした丘にある。


丘の上にある熊野神社。

結婚式があった。急に野次馬になる。



熊野神社の東側、中央公園の西北の端。このあたりを玉川上水から受水して、神田川に給水していた神田上水助水掘
が流れ下って来ていた。滝があったといわれている場所。

助水掘の川跡。児童公園になっている。

西新宿5丁目の淀橋庚申堂、青面金剛が祀られている。堂内の石碑の方には、今は摩耗して読めないが、1664年(寛文4年)
と書かれていたらしい。

神田川笹塚支流・和泉川の川跡。

ここにきて、またまたお宅っぽくなる。

橋跡には柳橋と書いてあった。

昭和7年だ。

まわりの雰囲気。とりのこされたような風景。

川跡を笹塚方向にすこし進むとまた橋があった。榎橋。


こちらは大正十三年のようだ。

この先はまだまだ続くようだがここでお別れ、お宅っぽさも終わり。

神田川に向かう途中、丘の上にあった地域の人達が使う階段。崖が急なので、すごいことになっている。大人数で
下るのははばかれるので行かなかった。

崖が急なので、崖に沿って下りる坂道になっている。


斜面に実っていたミカン。

神田川沿いの遊歩道。

神田川笹塚支流跡の下水管が神田川に流れ込んでいる場所。


西新宿5丁目再開発(ザ・パークハウス西新宿タワー60)。1000戸近くの一大マンション計画。

カメラをフェンスより高くして、中を覗くともともとの道があった、この計画によって道が付け替えられていた。

もともとの道の東側のアーケード入口がまだ残っていた。


街はどんどん便利になるのだがなんとなくさびしい、

またまた助水堀跡に出る。

淀橋に到着。

石森製粉(株)に保存されている石臼を見に行く。中野坂上駅の近く。



東方向を見ると新宿駅付近まで見通せる。

再び淀橋へ。


税務署通り沿いで、顔見知りの方が設計されたビルを教えてもらった。

北側から成子天神におまいり。まず、富士塚がある。

成子天神。後ろと横の2棟のマンションは境内の再開発で三井不動産が建てたもの。人によって評価は分かれるが、ぼくは
上手く収まっていると思う。
すぐ近くの丸ノ内線西新宿駅で解散、小田急百貨店地下に寄って帰った。たのしかった。