古文書に親しむ

古文書の初歩の学習

第十八章 潮御崎神社・古記録その四十二

2013年07月26日 07時19分17秒 | 古文書の初歩

 

 

潮御崎神社古記録「乍恐口上」第十一ページ、上の三~四行目

 

解読 より下田原迄壱組与究御崎ニ而潮祭仕来申候御事。

    一、右三ヶ浦より申来候者、我々儀御崎之事

読み より下田原迄一組と究め御崎にて潮祭り仕来たり申し候御事。

    一つ、右三ヶ浦より申し来たり候は、我々儀御崎の事

 

解説 (見老津)「より下田原迄」・・・潮岬会合へ参加の十八ヶ浦の事。 「壱組与究」・・・一つの組合と決め。「究」は「究める」ですが、この場合は当て字で「決め」「定め」と解釈しました。文意・・・十八ヶ浦を一つの組と定め、御崎神社で潮祭りをしてきたと言う事。 「申来候者」・・・点は「候」で、「右三ヶ浦より申して来たのは。 次は難解ですが、「我々」です。六行目にも出て来ます。 「我々儀」・・・私達三ヶ浦は。 「御崎之事」・・・御崎神社の事は。


第十八章 潮御崎神社・古記録その四十一

2013年07月25日 07時43分14秒 | 古文書の初歩

 

潮御崎神社古記録「乍恐口上」第十一ページ、上の一~二行目

 

解読 迄之庄屋中御崎ニ寄合相談仕目安認、和

    哥山江罷登り願之通ニ罷成候。其節より見老津

読み 迄の庄屋じゅう御崎に寄り合い相談仕り目安認め、和

    哥山へ罷り登り願いの通りに罷り成り候。其の節見老津

 

解説 「庄屋中」・・・庄屋じゅう。庄屋連中。 「御崎」・・・『みさき』御崎神社のこと。 「目安」・・・訴状『そじょう』のこと。訴え状。 「認」・・・『したためる』書くこと。訴状を書いて。 「哥」・・・「歌」の略字。 「罷登り」・・・「罷る」は謙譲語。和歌山藩へ参上し。 「願之通ニ罷成候」・・・願いの通りに相成りました。 「其の節より」・・・其の時より。 最後は難しいですが、何度も出て来る「見老津」浦です。現在のすさみ町見老津『みろづ』地区。


第十八章 潮御崎神社・古記録その四十

2013年07月24日 07時28分25秒 | 古文書の初歩

 

潮御崎神社古記録「乍恐口上」第九ページ、上の七~八行目

解読 多ク此邊江参稼候刻、鰹ゑと場之義ニ付、口

    論出来仕、出入ニ罷成候。其節下田原より見老津

読み 多く此の辺へ参り稼ぎ候刻、鰹ゑと場の義に付き口論

    出来仕り、出入りに罷り成り候。其の節下田原より見老津

解説 最初の字は難解ですが、「多ク」です。「多」は変体仮名の「た」としても使います。 次の字は「此邊江」・・・此の辺へ。「此」は形で覚える。「邊」は「辺」の旧字体。 「参稼候刻」・・・参り稼ぎ候時。田辺あたりの漁船が来て、鰹漁をして稼いだ時。「刻」は「とき」と読み「時」「時間」と同じ。 「鰹ゑと場之義ニ付」・・・鰹を釣る為の餌場の件について。 「口論出来仕」・・・口論出来『こうろんしゅったい』仕り。言い争いになり。「出来」は『しゅつらい』が転じて『しゅったい』とよむ様になりました。 「出入ニ罷成候」・・・喧嘩になりました。「出入」は『でいり』と読み、「もめごと」「喧嘩」。 「其節」・・・其の節。そのとき。 「下田原より見老津」前回習いました、潮岬会合の参加十八ヶ浦の事を言っています。


第十八章 潮御崎神社・古記録その三十九

2013年07月23日 06時43分36秒 | 古文書の初歩

 

潮御崎神社古記録「乍恐口上」第十ページ、上の五~六行目

解読 於尓今其作法御座候御事。

    一、中頃潮下り申節、印南・田邊・芳養浦々より漁船

読み 今に於いて其の作法御座候おん事。

  一つ、中頃潮下り申す節、印南・田辺・芳養浦々より漁船

解説 「於尓今」・・・下から返って、「今に於いて」と読みます。「今でも」「現在でも」「尓」は変体仮名の「に」。 「其作法」・・・其のしきたり。 「御座候御事」・・・其のしきたりが残っていると言う事実があります。 出雲・大嶋・串本三ヶ浦の者が海へはまった時は、「うけながし」と言って「見のがし」をする事で、正式な神事を免除するため、其の旨、ことわりを言って来るようにと申し渡しているので、今でもその慣習は残っています。 「一」・・・ひとつ書きの第十二番目。 「中頃」・・・串本町史によりますと、中頃とは、寛永十四年(一六三七年)頃の事で、前に習った潮岬会合が発足した頃と書いています。現在習っている神社古記録は「元禄七年」(一六九四年)の日付になっています。 「潮下り申節」・・・潮の流れが下り潮になった時。西から東へ流れる黒潮本流のこと。この潮でカツオをはじめ、回遊魚の群れがやってくる。 「印南」難しい崩しです。『いなみ』と読みます。御坊市と田辺市の中間で、鰹節発祥の地と言われています。 田邊の次は「芳養」『はや』と読みます。現在は田辺市の一部。 最後も難解で、「漁船」。 二十一日第三十七の「解説」中、「うけながし」を形式だけの簡単な神事の一種と思われると書きましたが、串本町史によりますと、「見逃し」『みのがし』する事で認めたと書いています。訂正してお詫びします。


第十八章 潮御崎神社・古記録その三十八

2013年07月22日 05時36分55秒 | 古文書の初歩

 

 

潮御崎神社古記録「乍恐口上」第十ページ、上の三~四行目

解読 申候間、右三ヶ浦之内ニ而自今以後御崎西ニ而

    海江はまり申候者、断を申参候様ニ与申渡候ニ付

読み 申し候間、右三ヶ浦の内にて自今以後御崎西にて

    海へはまり申し候わば、断りを申し参り候様にと申し渡し候に付き

解説 「申候間」・・・申し候あいだ。免除する事を申したので。 「三ヶ浦之内ニ而」・・・出雲・大嶋・串本三ヶ村の内で。 「自今以後」・・・今よりのち。「自今『じこん』」も「以後」も同じ意味ですが、二つ重ねる方が強調の意になるのでしょうか。 「御崎西ニ而」・・・潮岬西側で。 「海江はまり申候者」・・・海へはまったら。ここでは「申候者」を「申し候もの」と読まず、「申し候わば」と習いました。本文の筆者は、こういう書き方を前にもしています。本来なら「申し候ハゝ」と書くところです。 「断」・・・断り『ことわり』。 「申参候様ニ与」・・・申し参り候様にと。断りを言ってくる様にと。 「申渡候ニ付」・・・言い渡したので。