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《がんばらない》 昨日も紹介した長野県、諏訪中央病院院長、鎌田 實氏の著書のタイトルである。
幽霊が出そうな汚くて小さな、つぶれかけていた田舎の病院は、若くして自ら進んで赴任した鎌田医師の信念と情熱によって、なかなか心を開かない田舎の人たちとの交流を通して徐々に信頼され、立ち直る。
患者の立場に立ち、往診もし、地域に密着した医療をする、生きるか死ぬかのとき頼りになる病院として全国に知れ渡る病院となるのである。その諏訪中央病院の話である。
僕も経験あるのだが、末期がん患者に対する病院の対応は冷たい。患者の心というものを何も考えていない。ましてや家族のことなど・・・
鎌田医師はその末期がん患者のターミナルケアーに対して、残された生命を如何に人間らしく、ありのままに生きるかということを大切に考え、医師も看護士も、患者個人個人に対し心から接してくれるのである。患者や家族との関わりを綴った心温まる幾つものエピソードは、その経験を持つ僕にとって、涙なくして読むことはできなかった。
痛みと苦しみに耐え、がんばってがんばって生きている患者にとって『がんばれ』というのは、これ以上どうやってがんばればいいの?と思う。がんばれではなく、よくがんばったね、そんなにがんばらなくてもいいよ、と言うほうがやさしさなのかもしれない。そう問いかけてくれるのである。そして如何に人間らしく死を迎えるかということにも取り組み、家に帰りたい、家で死にたいという患者や家族に対してのケアーも、それぞれの立場、事情にあった接し方をしてくれる。
もし、僕がその立場になったとき、出来るならこの病院を選びたい。
東京にも、末期がん患者のターミナルケアーとして、在宅ホスピスケアーをしてくれる医師がいるのをご存知だろうか?
ホームケアークリニック川越といい、末期のがん患者の訪問看護をしてくれるクリニックである。誰もが思う家で死にたいという希望を叶えてくれるのだ。
僕にも、痛みで身動きできなくなりながらも、病院は嫌だと言うので我が家に連れて帰り、その最期を家で看取った経験がある。
人生の最期は、特別の場合を除いて病院でなくてはならないと思っていた僕は、このとき途方に暮れ、探し当てたのがホームケアークリニック川越。その川越先生のおかげで安心して介護が出来、最期を家で看取る事が出来たのだ。
最期が近づいたとき、やはり先生に言われた、「もうがんばれと言うのはやめて、よくがんばったね、と言ってあげてください」と。
その晩、言った。先生が誉めてたよ、「よくがんばった」って。するとまわらなくなった舌で「がんばった?がんばった?」と言って、両手を合わせようとする。その手を握って泣いたのが昨日のことのように思い出される。
この 《がんばらない》 という言葉、いつもがんばって生きている我々にも当てはまる言葉ではないだろうか?
鎌田先生、川越先生、両医師に共通して言えることは、患者が亡くなった後も残された家族や愛する者たちへのケアーもしてくれることである。こんな医師もいる事を知って欲しい。
川越先生とは、今も年に一度はお逢いしている。
2005.05.15
幽霊が出そうな汚くて小さな、つぶれかけていた田舎の病院は、若くして自ら進んで赴任した鎌田医師の信念と情熱によって、なかなか心を開かない田舎の人たちとの交流を通して徐々に信頼され、立ち直る。
患者の立場に立ち、往診もし、地域に密着した医療をする、生きるか死ぬかのとき頼りになる病院として全国に知れ渡る病院となるのである。その諏訪中央病院の話である。
僕も経験あるのだが、末期がん患者に対する病院の対応は冷たい。患者の心というものを何も考えていない。ましてや家族のことなど・・・
鎌田医師はその末期がん患者のターミナルケアーに対して、残された生命を如何に人間らしく、ありのままに生きるかということを大切に考え、医師も看護士も、患者個人個人に対し心から接してくれるのである。患者や家族との関わりを綴った心温まる幾つものエピソードは、その経験を持つ僕にとって、涙なくして読むことはできなかった。
痛みと苦しみに耐え、がんばってがんばって生きている患者にとって『がんばれ』というのは、これ以上どうやってがんばればいいの?と思う。がんばれではなく、よくがんばったね、そんなにがんばらなくてもいいよ、と言うほうがやさしさなのかもしれない。そう問いかけてくれるのである。そして如何に人間らしく死を迎えるかということにも取り組み、家に帰りたい、家で死にたいという患者や家族に対してのケアーも、それぞれの立場、事情にあった接し方をしてくれる。
もし、僕がその立場になったとき、出来るならこの病院を選びたい。
東京にも、末期がん患者のターミナルケアーとして、在宅ホスピスケアーをしてくれる医師がいるのをご存知だろうか?
ホームケアークリニック川越といい、末期のがん患者の訪問看護をしてくれるクリニックである。誰もが思う家で死にたいという希望を叶えてくれるのだ。
僕にも、痛みで身動きできなくなりながらも、病院は嫌だと言うので我が家に連れて帰り、その最期を家で看取った経験がある。
人生の最期は、特別の場合を除いて病院でなくてはならないと思っていた僕は、このとき途方に暮れ、探し当てたのがホームケアークリニック川越。その川越先生のおかげで安心して介護が出来、最期を家で看取る事が出来たのだ。
最期が近づいたとき、やはり先生に言われた、「もうがんばれと言うのはやめて、よくがんばったね、と言ってあげてください」と。
その晩、言った。先生が誉めてたよ、「よくがんばった」って。するとまわらなくなった舌で「がんばった?がんばった?」と言って、両手を合わせようとする。その手を握って泣いたのが昨日のことのように思い出される。
この 《がんばらない》 という言葉、いつもがんばって生きている我々にも当てはまる言葉ではないだろうか?
鎌田先生、川越先生、両医師に共通して言えることは、患者が亡くなった後も残された家族や愛する者たちへのケアーもしてくれることである。こんな医師もいる事を知って欲しい。
川越先生とは、今も年に一度はお逢いしている。
2005.05.15
私は一時期(今もかな?)医者不信でした。
「どいつもこいつもいい加減な診察しやがって!所詮人事なんでしょう!」(失礼
医者も免許更新制にして欲しいと考えています。
実は良いも悪いもあまりお医者さんとは無縁なのです
十数年前主人が夜中救急車で運ばれた
もちろんついて病院へ行ったのだが、当直の先生私の顔見て、娘さんですか?私、いいえと、すると今度は、あー息子さんのお嫁さんですか?私、またいいえと答えた、後先生は
黙った、今だから、笑い話になる
主人、俺そんなに年取って見えたのかなー
雰囲気で、勉強に、スポーツに取り組んでいました。
でも「頑張らない勇気」というのは、極限状態におかれた人間のみが持つ選択肢なのだと思います・・・
やるべきことをやった上での決断なのですね
私はまだ30代前半。
まだまだ「頑張らないと」いけない年代です
そういう考え方もあるということはとても
参考になりました。
しかしがんばって病気になってもいけません。そんな時は、いいお医者さんにめぐり会いたいものですね。
私をここに置いて下さいませんかぁ~(笑)
うふふ
何回読んでも、良い所ですねぇ~~
必ず泣けちゃうのです
ス~っと涙か・・・流れる
読むたんびに 爽さんは良い出会いをしたわねぇ~って。。
思っています
そして。。良い事を教えてくださって
ありがとうございます(合掌)
どうぞごゆっくりおくつろぎ下さい。
良い出会い、良い仲間、そんな皆さんに合掌です。
良い出会いに教えられ、良い仲間に励まされ、自分勝手に禿げてきて、幸せいっぱいです。
こちらこそありがとうございます。