daisukeとhanakoの部屋

わが家の愛犬 daisuke(MD、13歳)とhanako(MD、6歳)の刺激的仙台生活

子平神社のお祭り 2

2015年07月25日 21時58分32秒 | 仙台の街並み・店

 

林子平は蒲生君平・高山彦九郎とともに、寛政三奇人と言われた。

著書に「海国兵談」がある。

 

林子平は、宝暦6年(1756)、兄が仙台藩に召し抱えられたのに従って仙台に移り、藩に殖産興業の必要性や学制についての上書をしばしば提出した。

その後、江戸や長崎の遊学して、仙台藩医丈庵の養子工藤平助と親交を結んだ。

さらに、オランダ商館長から海外事情を聞き及んで国防の必要性を痛感し、地理学・兵学の研究に没頭した。


林子平は、「海国兵談」で大胆に幕府の国防策を批判したが、それが幕府の忌諱に触れ、翌年すべて没収の上蟄居幽囚を申し渡された。 

 

夜は万城目正にちなんでのど自慢大会が開かれます。

 

 準備は万端。

 

林子平の墓。

仙台で林子平を慕う人は多い。

 

林子平は、「親もなし妻なし子なし板木なし 金もなければ死にたくもなし」と狂歌を詠み、自ら六無斎と称した。

 

林子平が作った日時計。

 

六無斎にちなんだ六角堂。

六角堂の前には伊藤博文、大規文彦寄贈の顕彰碑が建ち、林子平の偉業を顕彰している。

 

六角堂の中には林子平の座像が安置されている。 

  

辞世歌 「救うべき力の甲斐も長年の恵みにもれて死ぬぞ惜しき」

寛政5(1793)年、56歳で世を去った。

墓の建立が許されたのは、約50年後の天保12(1841)年である。 

 

みんなのテレビ 仙ぶら~仙台、ひと、まちの中へ~

龍雲院の近くには子平堂という和菓子屋があり、子平まんじゅうを販売している。

このお祭りでも出店を出していたが、すでに売り切れていた。

以前、子平神社についてのテレビ番組が放送されました↓

http://cat-vnet.tv/movie/senbura/20080530.html

 

(続く)