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2017年の年頭所感



いつもの新年の台詞で申し訳ないが、謹賀新年申し上げたい。こんなに日が経っても未だ正月気分を引き摺っている。
今年も完全寝正月だった。未だ初詣もままならずの状態。年賀状の回収率は少し上がったが、ぼちぼち年賀状に絡んで訃報が増えて来た。自分の年齢がそうさせる悲しさだ。

昨年末の挨拶で言い忘れたが、スマップ解散でテレビは持ちきりだったが、これは所属事務所の都合だという冷めた見方もできるであろう。もし、それが真相ならば事務所の顧客無視も極まれりの所業である。とは言うものの、まぁ40過ぎたアイドルというのもさすがにキモイ。ここはもう一世代下のアイドル・グループにその地位を譲るのも当然のことかも知れない。とはいえ、事務所の顧客無視戦略が成功するか否かはこれからの様子見だろう。とにかく、日本の芸能ビジネスは事務所の横暴が随所に目立つ歴史だが、いずれにせよ、ある種“コップの中の嵐”として見過ごしても構わない問題かも知れない。
そうは言っても理不尽を見過ごすのもいかがなものか、との思いも交錯する。理不尽がまかり通るのは日本社会の随所に見られる現象だが、それを極力明らかにし是正できるかどうかが、その社会の健全性を示すものではないか。だが、日本の社会にはそ点に大きく欠けるのではないだろうか。

いかに正義を語ろうが、寄らば大樹で無難を好む人々が多いため無視されるのが、アメリカン・ドリームが語られる米国と大きく異なる点ではないか。そして、どうも日本人には“人物”を見抜く力が欠落していると、思うことが多い。だから、未だに学歴が重視され、同じ企業に長く務めることが良いように見られるのではないか。
そして日本人は権威にすこぶる弱い。最近は少し弱まったかも知れないが、“御上”を絶対条件とみてそれに従う傾向が強い。また外国の権威にも弱い。例えばノーベル賞はその頂点にある。日本社会で認められなかった学者が、ノーベル賞を受賞すれば文化勲章などを即座に授与されるようになった事例もかつてあったように思う。
だから、もし日本社会で敗者となったとすれば、米国社会に飛び込んで成果を挙げられれば、そこで日本社会に戻ると大いに賞賛されて歓迎され、以前との待遇の差に驚きつつも復帰できる。米国人はどんなに無名であっても“使える”人材は登用する傾向にある。だから有能な人物が成功する確率は高いのではないかと思われる。そして米国社会で獲得した成果を権威として、日本では有効に活用できるのだ。だが、進んで米国社会に飛び込むには、相当な勇気と決断が要る。飛び込む準備にも何をするべきか、手掛かりが乏しい。特に、日本人には英語が大きな障壁となっている。なので米国社会に飛び込もうとする日本人は少ない。
こういう日本の社会の特性が、自己革新性を阻害している。つまり日本社会の閉塞性はここに原因があると言って良い。一人一人の強い他者依存性に問題がある。こういう社会的傾向をどうすれば、修正できるのだろうか。是を是とし、非を非と公認する社会をどうすれば実現できるのだろうか。寄らば大樹を排し、一人一人が自分の頭で考え、判断できる社会にするのはどうするべきであろうか。
こうした革新性のない閉塞性の結果として日本経済は停滞し、米国経済は好況期に入った。米国にはIT技術とそれと結びついた金融をはじめとした様々なマネジメントのノウハウがある。特に彼らは“戦略”に強い。これらは彼等の革新性による結果だ。そこにシェール・オイル革命という大きな天佑が降りた。ここの社会的格差の是正が完遂できれば、米国社会の今後は無敵となる。しかし、これこそは米国社会の唯一の 宿痾と言うべき弱点である。機会均等は言うものの、結果の不平等は当然というのは米国の歴史そのものと言って良い。それがアメリカン・ドリームの源泉とも言える。
日本経済に革新性のないのは、主に会社経営者、特に大手企業経営者の無能によるのもその一因ではある。そんな無能者がどうして経営者に就けるのか。そこにはある種、“寄らば大樹”の意識や無難を好む意識が、社会的に共有されている結果ではないだろうか。
常に、そういった思いでこのブログを書いているつもりだが、今年もこの意識を通奏低音として維持したいと思っている。

ここまで来て日常に目を向けたい。そうは言っても、正月の話。気になったのは、年賀状の扱いだ。
日本郵便㈱は年末には従業員に寒風吹きすさぶ中の臨時の販売所を設けて、年賀はがきを売らせていた。私は気の毒とは思いつつも、そこからは買わなかった。都会に出たついでに、金券ショップの少しでも安い所で必用枚数プラス余分の枚数を入手した。それでも正規で買ったより損はしていない。この取引構造で誰が損をしているのか。それは、日本郵便㈱の社員だ。日本郵便社員は会社から年賀はがきを割り当てられ、それを正規の価格よりはるかに安く金券ショップに横流ししているのだ。
それにしても、そこまでして販売した年賀状の扱いに会社として気合が入っておらず、今年は特に届くまで時間がかかっている。今やE-mailは即時に届くにもかかわらず、ここで送達に時間をかけるのでは、本気で年賀状ビジネスを展開しているとは思えない姿勢に疑問を感じる。
日本郵便は“ふるさと小包便”でも、社員にノルマとして課していると以前聞いたことがある。売る当てのない社員は、自腹で買って自宅に積上げているという。今もやっているのだろうか。こんなことを社員に押し付けている日本郵便は、ブラック企業ではないか。
経営者は一体何を考えているのだろうか。社員ばかりではなく自らにはどのようなノルマを課しているのだろうか。もし、その現場実態を知らないとしたら言語道断だ。いずれにしても、こうしたブラック企業の経営者は無能としか言いようがない。電通ばかりではないのが日本企業の実態ではないか。

正月にはNHKの番組で“覆面リサーチ・ボス潜入”というのを見た。会社社長が自分の会社の最前線に、変装して潜入するというものだ。いずれの社長も、自社従業員の実態を改めて知って驚いている。これには、呆れるばかりだ。本当に自社の現場を知っていれば、チョッと聞いただけで現場でどのような苦労があるのかが分かるのが社長だと思っていたが、今の経営者は自社の現場を知らなさすぎるのではないか。特に、社長を業として他所からやって来た社長は重々自戒するべきだと思う。こんな事実を放送で使われることを恥ずかしいとは思わないのだろうか。
昔、大卒社員は必ず現場を経験させるのが一般的だったように思うが、今はそうではないのか。例えば、電鉄会社の新入社員は理系は電車の運転手となり、文系は車掌や駅務をやると聞いたことがある。私も鉄鋼メーカだったが、現場の技師という位置付けで交代勤務をやったものだ。勿論、その程度のことで現場の苦労全てが分かる訳ではない。だからこそ、経営者は現場の苦労には常に気を配るべきだと言いたいのだ。
それにしても、先の番組で取上げた会社の現場は優秀な社員ばかりだった。しかも、全員アルバイト従業員。そんな重要な仕事をアルバイトでこき使って、それでも会社が傾かない、そんな社会に日本はなっているのだ。アルバイトにもかかわらず、登場した従業員全員が仕事に責任を持って真剣に向き合い、どうすれば改善できるのか常に考えながら働いている。これを見れば日本の労働者は搾取されている、と言って過言ではない。それが現状なのだ。正に日本は経営者天国なのだ。
日本の経営者は会社の未来を示すビジネス戦略の構築には怠惰で、従って将来投資もしないが、内部留保には熱心。内部留保は無思考で実行可能だ。にもかかわらず、自らの報酬引き上げには御執心のようで、何とか世界水準に近づけようと努力しているように見える。このように羞恥心すら喪失した彼等は醜悪な存在だ。
日本軍の司令官は無能だが下士官、兵は優秀だと言うアナロジーは現在も健全なのか。下士官、兵が今も優秀なのは救いを感じるが、この層が今疲弊し始めている危機感を覚えるのは私だけだろうか。

日本の経営者には期待できない。ならば、経済全体を考える経済学者や政府の対応はどうだろうか。否、世論をリードする新聞に呆れた記事を見た。朝日新聞1月4日朝刊に“経済成長は必要か” との見出しで出た記事には仰天したのだ。日本経済が瀬戸際にあると思う時に、こんな暢気な記事をもっともらしく書いている危機感の欠落した認識に呆れ返るのだ。これは特異な見解だとは思うが、世論をリードすべき層が如何にお気楽な認識に覆われているかを示す好例なのかも知れないと思う。記事は次のように言っている。
“ゼロ成長はそれほど「悪」なのか。失われた20年と言われたその間も、私たちの豊かさへの歩みが止まっていたわけではない。その間、日本のミシュラン三つ星店は世界最多になったし、宅配便のおかげで遠方の特産生鮮品が手軽に手に入るようになった。温水洗浄便座の急普及でトイレは格段に快適になった。若者たちが当たり前に使う1台8万円の最新スマホが、25年前ならいくらの価値があったか想像してほしい。ずっと性能が劣るパソコンは30万円、テレビ20万円、固定電話7万円、カメラ3万円、世界大百科事典は全35巻で20万円超……。控えめに見積もったとしても、軽く80万円を超える。”
ここには“失われた20年”に何があったかの重要な視点がすっぽり抜け落ちていることがある。それは中産階級が崩壊して、貧困層が増大していることだ。先に書いたように、優秀な管理職労働者すら臨時従業員が担っている現状なのだ。お気楽な大新聞の記者ではそのような認識は持ち得ないのであろうか。若者たちが命の次に大切にしているスマホの所持を持続することすら四苦八苦している現状を知らなさ過ぎるのではないか。社会認識の薄い記者にしたり顔で“社会”を語って欲しくないものだ。
これを聞いた竹中平蔵氏ですら、“今、日本の一人当たり所得は、北欧諸国の半分前後だ。それにもかかわらず、経済成長できないというのはバカげた発想だ。”と一笑に付した。彼のこの言葉は、“中産階級が崩壊して、貧困層が増大している”ことの裏返しになっている。その点で、正しい認識だ。しかし、では日本の景気をどうすれば高揚させられるかとの問いに対しては、途端に些末な手法を示し、空港の運営民営化を例に挙げ、その改革の必要性をしたり顔で説く。そんなことで日本の景気が回復するとはとても思えない。
繰り返すが、“中産階級が崩壊して、貧困層が増大している”ことへの認識が重要で、中産階級の健全化が大切なのだ。かつて日本社会が世界第2の経済を誇り強靭だったのは、“一億総中流”と思えたし、それが事実だったからだ。
テレビでの今年の問題点は一層先鋭化するポピュリズムを警戒するべきだとの意見が注目される。しかし、ポピュリズムが何故台頭するのかの話は出て来ていない。ポピュリズムを支持する人々は、否応なく貧困化する又は貧困に向かいつつある中産階級であることに注目するべきだ。ヒトラーを生んだドイツ社会や米国のトランプ支持派はプアー・ホワイトであることに気付くべきだ。日本で言えば、具体的にはNHKの番組で“覆面リサーチ・ボス潜入”で見たアルバイト従業員達のような人々の階層ではないか。人々の経済格差が、いびつな不正義を生む温床であることに気付くべきだ。健全な中産階級は政治勢力としては最大のものであったことを再認識するべきだ。

特に日本の場合、まじめな中産階級が貧困層に転落し、這い上がれない状況を促進させているのは、労働組合の弱体化があるのではないか。労働者の権利、人権を相互に協力して保護、保障する組織であるべき組合が全く機能していない。従来、権力側は政府経営者一体で組合の弱体化に努めて来て、ものごとに“反対”することにそのものに疎ましさを感じさせるような社会的風潮を作ってきたような気がする。そうした風潮が、パワハラの蔓延やイジメの子供の世界への浸透となっているのではないか。しかも組合の側もその活動が非正規労働者には冷たいものがあったのではないか。また、その冷淡さという差別意識が堕落を生み、組合弱体化の一因となったのではないか。

経済のフロンティアがなくなったので、最早成長は望めないという議論がある。それは地理的なフロンティアに限定した視野狭窄の論理だ。フロンティアは目の前にある。それは格差が生んだ貧困だ。アラブ人のテロは貧困が大きな主要因である。従い何にもまして、格差是正を最大の政治課題とするべきだが、竹中氏をはじめ日本の政治・経済の専門家はこの点については何故か口を閉ざす。
従って、当分日本経済は浮揚しないだろう。いたずらに時を浪費してしまう危険性もある。このまま一旦落ちるところまで落ちる必要があるのかも知れない。夥しい犠牲者を出してようやく気付くのは賢者の選択とは言えないが、そこまで賢くないのだから仕方ないのかも知れない。歴史を学ばない愚者達が指導者では致し方あるまい。そういう愚者を指導者に選ぶ国民の側にも問題がある。世の中が無思考の反知性主義に傾く中、温故知新はまさに至言なのだ。

それにもかかわらずトランプ氏の言動も反知性主義に基づくものだと言うことが、いよいよ明らかになって来た。米国政界はこれから混乱の極に入り、日本とは違いモノ言うマスコミとの衝突も激しくなるだろう。したがって、随所で政治的停滞とそれによる経済的大混乱が始まるのではないか。それによる日本の相場の激しい混乱は必至ではないかと思っている。
まぁ同じ反知性主義の安倍首相は、正反対のオバマ氏とは反りが合わず無理をしていたが、トランプ氏とはどこかでウマが合うのではないか。

とは言うものの、相場のチャート分析専門家によれば、日経平均は昨年で大底を打ったとして、今年は否応なく上昇相場に入るだろうと予測している。果たして、今年の相場格言“申酉騒ぐ”はどっちに傾くのであろうか。
早々に思わず長くなってしまった。今年も、よろしくお願いしたい。

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