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興福寺拝観―無著像と阿修羅像

先週、奈良で経済情勢に関するセミナーがあり出かけることにした。せっかくの古都奈良に出かける機会なので、特別とは言えないまでも何か見ておきたいと思い、セミナー会場に近い興福寺に行ってみることにした。最近、阿修羅像が東京で公開され、人気を博したと聞いていたので 改めて見ておきたいとの気持もあった。

そこで、午後2時半からのセミナーに合わせるように、午前に神戸を出て阪神-近鉄で向かった。神戸からは1本道で便利になり、近鉄奈良に着いたのは11時。地下駅から地上に出て、そこから吸い込まれるように商店街へはまり込む。そこは東向商店街で、飲食店、土産物店などが立ち並んでいて、たとえ昼食を食いっぱぐれてもこれなら大丈夫と心強く思いながら、南下すると南都銀行本店が右手に現れ、三条通に突き当たる。突き当たった先の店は、早餅つきパフォーマンスで有名な餅屋さん。ここで、左に曲がり、そのまま三条通を東へ行くと右手に池が広がる。これが 猿沢の池。小学校低学年の頃 ここへ遠足に来たことがあるが、もっと広々した印象だったが、こじんまりした池だ。その頃よりは 亀が増えて鯉が少なくなったように感じる。後日学校に戻って遠足の絵を描きなさいと言われて、大仏を描くのは難しいので、この池を描いてごまかしたが、タダの池に仕上がって失敗した幼い経験がある。大人なら 向こうに見える五重塔を描いて上手くごまかすのだが そのような知恵がなかった。

ここから興福寺ホームページの案内にあったお勧めコースに従う。猿沢の池の南側から興福寺五重塔を眺め、東側を北上して まさに階段を登り、三条通を横断すれば そこが興福寺境内。屋台とまでは言えないが、鹿煎餅の店が出ている。そこへ10頭弱の鹿がたむろしていて、中には売っている煎餅を直接狙っているのもいて、オバチャンが上手く払っていた。
ここを左に折れ、南円堂に向かう。北側には享保2年(1415)に焼失した 中金堂復元工事の巨大な囲いがある。平成30年落慶予定とある。南円堂創建1200年記念で、特別公開の拝観券\1,200-を手前の仮設売場で買う。この日は天気が良すぎて、無料休憩所でカーディガンを脱ぎ、持参したペットボトルの茶を飲んで一息つく。



南円堂には、南側から回り込んでアプローチ。眼下に、三重塔とその向こうに奈良市街が見張らせる。ここは御堂には北側から入り、靴を脱いで拝観となっている。したがい、東面している仏様の右側から見上げて、東へ回り込んで拝むことになる。歩とけ様は不空羂索観音菩薩像とのこと。見上げている時は気付かなかったが、眉間のしわは、目だという。四方に四天王を従えている。平安末期のような福福しい印象だが 作は鎌倉時代の由。
そとへ出ると 未だしだれ桜が咲いていた。その他にも八重桜が満開。北側には北円堂があり、とっとこ向かう。
ここは土足可。入っていきなり、弥勒如来像を拝む態勢。四隅の四天王以外にその内側に4体の像が安置されている。右側の奥に見たことのある 像。教科書で見た無著菩薩だった。思わぬところで出会って ウヮーっという感想。運慶作で、左側の世親菩薩と対になっている。“無著と世親は4~5世紀頃の北インドの兄弟僧侶。・・・運慶が両像で追求したのは人種や時代を超えた理想的な仏教の求道者の姿であった”とパンフレットにあった。改めて世親像を見ると 少しずんぐりした感じ。なるほど無著像の方が有名になるはずだ。それにしても徹底した写実だ。グルッと1周して もう一度正面から見直したが 少々ハゲハゲなのが残念。御本尊の弥勒如来は そっちのけで申し訳ない。

南円堂と北円堂の間で咲き誇る八重桜をめでつつ東金堂へ向かう。国宝館と共通の拝観券\800-購入。ここは、銅造薬師如来坐像が御本尊。ここも四天王による守護は当然として、十二神将もおわす。
拝観券によれば、“興福寺は、和銅3年(710)に飛鳥から現地に移築造営されて以来、焼失と再建を繰り返しながら1300年の歴史を刻んで”いる、とある。“東金堂は、神亀3年(726)聖武天皇の発願で造営”、“現在の堂宇は・・・応永22年(1415)に再建されたもの”と言う。国宝が18躯、重文が3躯安置、という。

ここを出て、国宝館へ。あいにく高校生の修学旅行団体に 囲まれる。少々イラッとなるが、自分もあんな頃があったが、こういう教育的強制でも無ければ 今頃こんな風に 仏像観賞にやって来る気にはならなかったかも知れないと複雑な思いになった。
ここには、これまでと違って 見上げるばかりの千手観音が鎮座。
さらに進むと乾漆八部衆立像で阿修羅の仲間の像。しかし、どう見ても阿修羅を中心に7体しかない。帰って改めてホームページで確認すると1体は欠損像で展示されていなかったようだ。阿修羅は あさましい人間界を哀れんでいるという表情に何とも言えない感慨が湧き上がってくる。昔 それこそ学校からの遠足か何かで見たことがあったかも知れない・・・。
ここは平氏の南都焼討ち等で 特に酷い目に合ったようで、頭部だけとか、欠損部分のある仏像が多いという印象。修学旅行生の一団をようやくやり過ごしたところで、出口に至った。ここで12時過ぎ。まぁ予定通りか。

しかし、いずれも写真が撮れないのが 残念。数百年経た仏像に著作権があるとでも言うのだろうか。逆に 無いから撮影禁止としているのだろう。国宝や重文なら、国民共有の財産なのではないかと思うので撮影くらい、フラッシュをたかなければ可とするべきではないかと思うのだが。また、同じ国宝で建物は撮影可、仏像は不可は理不尽な感じがする。否、別途これら仏像の写真販売で 寺の収入源としたいというのならそれは チョット違うようにも思う。



さて、さすがに空腹。ここで北へ向かうか南か、チョット悩んだが 南に向かうこととした。食ベログで、この辺りで 丼物を出す店を探していたが、候補が奈良女大の近くの北と この興福寺の南側にある店の2軒だった。昼食後、奈良公園の南側の複数の池を巡って浮見堂を見たいと思っていたので南下することにしたのだった。

ひたすら地図を信じて、南下すると結構あっさり目指す店に出くわす。ヒサゴ屋、最近改装されたようで、店の外観は感じが良い。界隈の人気店のようだ。食ベログではオムライスが 良いとあったが、食べたいのは親子丼なのでそれを頼む。味噌汁、漬物付きだった。お蔭で気持ちよく昼食。

終わって、“奈良ホテル近道”の表示に魅かれて東の辻を入る。やがて、その裏門のようなところへ出る。そこで、東へは行き止まりなので、南下。次の道を東へ。
やがて、“庭園入口無料”との表示がある。予定外なので無視したが すぐにこれが失敗だったと思い知らされる。交差点を北上すると左手に 整備された庭園が、植え込みの間から見える。これも帰ってから調べると名勝旧大乗院庭園とあった。15世紀の半ば過ぎ、銀閣寺の庭を造った善阿弥が作庭したという。また何時か やって来た時には行ってみたい。

その内 奈良ホテルの入口にいたり、さらに行くと右も左も池。左側は荒池との看板。水源は春日山からの率川(いさかわ・菩提川)で、豊臣秀長が開削させたとの記載。江戸期には荒廃したが明治期には用水池として改修し、ほぼ現在の姿となり、さらに平成9年には、農業用水量を確保しながら洪水被害を軽減できる“ため池”として使えるようにしたとあった。ここからも 興福寺の五重塔が見える。

そこから東にある浮見堂を見たいと思っていたが、肝心のセミナー開始の時刻が 迫って来たので、そろそろ会場へ向かうこととした。こうして三条通を西進するコースに入った。
考えてみれば、狭い区域の周回コースを辿った観光であった。

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