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3つの東日本大震災フォーラムに参加

3月の初めから先週の11日まで様々な東北の震災関連のフォーラムやセミナーが各地で開催された。
私が参加したのは、次のものだった。

(1)3月5日“東日本震災生活復興・兵庫フォーラム”
主催:公益財団法人・ひょうご震災記念21世紀研究機構
会場:神戸ポートピアホテル本館地下“偕楽”の間

(2)3月8日“福島の「今」、そして「未来」へつなぐ―東北への思いを関西の想いへ―”
主催:国立大学法人福島大学・福島大学うつくしまふくしま未来支援センター
会場:大阪大学中之島センター佐治敬三メモリアルホール

(3)3月11日“東日本大震災追悼の夕べ~3年を迎えてあの日を振り返り、共有する~”
主催:一般社団法人・東日本大震災復興サポート協会
会場:リバティおおさか研修室

そして、私の得た結論は“できるだけ東北復興に寄り添い、祈ること”と言ったところだろうか。寄り添うと言っても関西からは空間的に遠いので、それこそ精神的なものにならざるを得ないが、“金も力も無い”私にできることと言えばそんなところだ。そして これらフォーラムで誰かが言っていたが“個々の被災者の選択”に対する理解に寛容は必須であり、無理解な“急かし”は禁物なのである。とは言うものの被災者間の利益相反もあるようで、ことは複雑なのが実態のようだ。

(1)の“東日本震災生活復興・兵庫フォーラム”は、兵庫県の復興協力PRとの印象が強い。“平成25年度復興庁委託事業”とあることから、活動資金は潤沢な印象であった。だからといって“浪費はしていない”とのPRも抜け目ない。例えば、復興プロジェクトで行われる“復興円卓会議”は、“復興庁は20回程度を想定(つまりその分の予算を計上)していたが、実際には44回も開催していただいた。”と谷公一復興副大臣は挨拶の中で紹介し、活動のリーダーである“ひょうご震災記念21世紀研究機構”の清原桂子副理事長を持ち上げていた。しかしながら、中にはこうした公金で“出張にグリーン車で行こうとして断られた。”と内幕を暴露してジョークとしたつもりの“上司の理事長”が居たのは顰蹙モノである。どうやら、彼らの中では、それが常識らしい。この理事長様は こうした行政の各機関を渡り歩いて その都度良い目をしているのが習い性で、公金支出を何とも思わなくなっているのだろう。
セレモニーとしては、室崎益輝氏の基調講演、現地の復興活動報告、関係者によるパネルディスカッションが行われた。

どうやら、この活動の目玉はこの“復興円卓会議”のようで、ひょうご震災記念21世紀研究機構が東北三県復興局と協力して神戸側と東北側の被災者のメンバーで委員会を構成し、東北三県の各地で現地の人々と復興に関し生の問題点を協議し、解決に向けて活動しているというもののようだ。その成果の一つとして、3月中に活動を総括した “生活復興のための15章”が発刊される予定とのことだった。

(2)の“福島の「今」、そして「未来」へつなぐ―東北への思いを関西の想いへ―”は、福島大学が活動主体で、それを大阪大学がサポートしている活動との印象である。大学のフィールド活動なので、変な“行政臭”が無く 知的な雰囲気もあり、私を好ましい気分にさせてくれた。
プログラムは、前阪大総長鷲田清一氏の基調講演と、福島の現状報告として、福島大学のFURE(うつくしまふくしま未来支援センター)の活動状況全般、作物の放射性セシウムの汚染からの回復、地域コミュニティの再生について、各々中井勝己FUREセンター長、塚田祥文FURE特命教授、開沼博FURE特任研究員からの報告であった。特に、OECD東北スクールについて報告した女子高生は、しっかりした報告をして目立っていた。それから、作物のセシウム汚染は希望の持てる報告で、福島の農作物で放射能汚染で出荷不可レベルのものはわずかになっているという事実と符合するものであった。
その後は、参加者によるパネル・ディスカッションで終了。神戸の(1)で参加されていた開沼氏が、ここにも参加されていて引っ張りだこの印象。ここで、“「先行きなき急かし」は、復興を「理解」と「生活」への接続を妨げる。・・・例えば、「帰還か、移住か」への第三の道「待機」の導入”が必要との主張は印象的であった。

哲学者でもある鷲田氏による基調講演は、次のような内容だった。
震災後まず同氏は関係文化人への“関西からのメッセージ”参加の呼びかけから始めた。しかし、福島のある小女が“(避難するなら)福島ごと引っ越したい。”と言っていて、原発事故により生活の場が壊れたことには慟哭させられた。その後こうした震災の記憶の風化が始まってしまっているが、復興事業は遅れ、3・11の震災は未だ続いていると認識しなければならない。
そんな中で現状を考察すると次のようになる。①社会は、自己完結的でなければならないが、東北地方のように部品の製造だけで成り立っていて今後の健全な発展は望めるのか。②未来は現状と言う枠にはめられているのであって、無限定なものではない。マイナスからの再スタートがどのような未来に行き着くのか。③暮らしが制御不能のものの上に在る。原発ばかりでなく、経済社会もグローバル資本主義となりマネー・ゲームに翻弄されていて、経世済民になっていない。④責任を負うものと、負わないものの合わせ鏡の世の中になった。利益を受ける者の裏に犠牲となる者が必ずいる社会になった。池内了氏が言うように原発は4つの押付(過疎地立地/作業者の被曝/子孫/事故被害)がある一方、それで莫大な利益を得る者が居る。それは、命の世話を小さな共同体の中でやって来れたものを、近代国家が免許制等によって効率的な社会構造にして、“安全で安心な社会”という近代化の理想を実現したことに起因しているのではないか。つまり、効率化の裏に市民の生きる力量の劣化があり、クレーマーばかり存在してしまっている。
こうなったのには、本来は未来世代を案じるべき大学にも責任がある。右肩上がりの時代には、今できることをしておけば、未来には解決できると信じて、(国の)借金、環境破壊等 現在を良くするために未来を破壊している。数千年否、数十億年の先を見た研究を行うべきはずだが、今や専門家や科学者への信頼は地に落ち、不信は増大している。科学技術にフィロソフィーが無くなっている。
と、いうような大変重い内容であったように思う。

(3)は、参加者も20名前後の小規模のもので、“手づくり”感があふれていて、親しみがあるものだった。それでも、朝日や毎日新聞の記者が取材に来ていたのには驚いた。主催の東日本大震災復興サポート協会は、“福島県から関西に避難している避難者自身が運営している被災避難者支援団体”である“関西県外避難者の会福島フォーラム”の代表・遠藤雅彦氏が、新たに起こした団体である。

ここでは、その代表の遠藤氏の講演で3・11発災後 関西に避難した経過を詳しく聞き、その後 非常食の紹介と試食をかねて、参加者各人の震災への関わり方についてグループで語り合う、という形式で進行した。
非常食はアルファ米の混ぜご飯2種(五目とわかめ*)の紹介で、水とお湯で戻すものであった。お湯で戻す方が、暖かくて美味いはずだが、災害時はお湯が手に入らないことが多いので、水で戻しとどの程度のモノか知っておくのが良い、と比較のためになされた。遠藤氏の講演の間約40分間で戻されたものを試食。結構 普通の食べ物として十分食べられるもので、参加者のほとんどは納得するものであった。
他に、災害時に持ち出す“まもっぺ防災セット”の展示もあった。救援物資が届くまで5日間を考慮する必要があるとの想定で43点詰め合わされている。



遠藤氏は、福島県いわき市の豊間地区の人で、震災後東電社員家族からの東電情報を知ることで原発が危険な状態であることが分かり、周囲との連絡が不自由な中、出身大学のある関西に避難したとの話。ところが被災者以外の人々の共感が 得られる場面が少なく、残念な気持ちになることが多いと言う。
私も、神戸の震災で大阪に一時避難したことがあったが、同様な気分になった経験がある。そのように、人の共感とは中々得難いものであることが普通なので、それを前提に 物事を考える必要があるのではないかと思っている。
そういう観点からでも、“寄り添い、祈る”という姿勢が大切で、これは宗教の原点であるとも言われるらしいが そういった共感が大切なのだと改めて思い至ったのだった。

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