たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

仏教講座

2013年10月21日 | お寺参り

昨日は終日雨だった。夕方に止んだので少し億劫だったが仏教講座に行った。夕食は途中のカレー屋で採った。いつも少量の200gを頼む。
少し時間が早かったのでお寺の周辺を散歩した。古い町並みで暗く人通りもなかった。

いつも、真宗宗歌で始まる。~ふかきみ法(のり)に あいまつる・・~
その後別院輪番の導師でお勤め、~帰命無量寿如来~・・。同朋奉讃式(どうぼうほうさんしき)という省略形です。
ここまでが15分かかる。その後講師紹介で、登壇される。昨日の講師は本山の出仕のお坊さんだった。大谷大博士課程まで学ばれた学僧で、教学研修所を歴任され、著書もある方だった。講演の内容はうまく老人頭には入らなかった。哲学的というかお話の筋が良く追えなかった。終わって質問する人もいなかった。
講演に入る前に、僧籍の方は三帰依文を(さんきえもん)を読まれ一部を唱和する慣わしだ。

        三帰依文(さんきえもん)
人身受け難し、いますでに受く。仏法聞き難し、いますでに聞く。
この身今生において度せずんば、さらにいずれの生においてかこの身を度せん。
大衆(だいしゅう)もろともに、至心に三宝に帰依し奉るべし。
~・自ら仏に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、大道を体解(たいげ)して、無上意(むじょうい)を発(おこ)さん。
・自ら法に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、深く経蔵に入りて、智慧海(ちえうみ)のごとくならん。
・自ら僧に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、大衆(だいしゅう)を統理して、一切無碍(いっさいむげ)ならん。~
無上甚深微妙(むじょうじんじんみみょう)の法は、百千万劫(ごう)にも遭遇(あいあう)うこと難(かた)し。
我いま見聞(けんもん)し受持(じゅじ)することを得たり。願わくは如来の真実義を解(げ)したてまつらん。

(~から~までは唱和する。後は導師の朗読)
仏法僧に帰依する誓いです。今回は珍しくパーリ文で歌った。

                 三帰依文(パーリ文)
Buddham   saranam  gacchami
ぶったん さらなん  がっちゃ~み (下腺半音上げる)
Dhammam  saranam  gacchami
だんまん さらなん   がっちゃ (下腺半音づつ上げる)
Snmgham  saranam  gacchami
さんがん さらなん  がっちゃーみ (下腺半音下げる)

導師が先に歌い、大衆はつづいて歌うのである。