25年も前にわが家でひと夏を過ごした、当時インドネシア高校生だった彼にメールで返事をしました。
今回はGoogleで自動翻訳しました。おかしな英語でも意思が通じれば無学な私の事を彼はよく知っているので、何の気にもしません。
親愛な○○○○さん
懐かしいお便りありがとう。
12月20日から21日まで、飛行機の中継乗換のため東京に一晩滞在することを了解しました。
貴方に会えないのが残念です。東京の夜を楽しんで下さい。
貴方はカナダ、カルガリに家を新築すること。良いことです。
貴方は南国で育ったので寒い国に暮らせるだろうか。
私は今年77歳になりました。沢山の病気をしましたが、元気に過ごしています。
今日はゴルフに行ってきた。
新しい家が出来たら写真を送って下さい。
貴方の健康と幸福を祈っています。貴方は結婚しましたか。
×××× 日本から
ネットは便利ですね。簡単に異文化交流できます。AFS日本協会はホームステイ先を求めています。どうか心ある方は外国の高校生を引き受けて下さい。
今日のゴルフは天気も良く、78歳、77歳、75歳、67歳と老人組のベテランと組んでいただき、人生もゴルフも老成した方ばかりで楽しんできました。
スコアは100を切れませんでしたが、久し振りに同伴者の署名アテストを貰い、スコアカードを提出しました。倶楽部の掲示板に掲示されます。
インドネシア人のI君から突然メールが来ました。彼は1989年、平成元年月6月24日にひと夏の日本体験のためわが家へやってきました。ちょうどこの日は美空ひばりさんが亡くなった日だった。その晩のテレビはひばり一色だったが、外国からの訪問客でテレビどころではありませんでした。
当時竹下首相がアジア外交の一環で、東南アジアを訪問され、お土産にアジアの高校生を国費で招くことになり、実務をASF(アメリカン・フィールド・サービス)日本協会が引き受けた。わが二男が前年にAFS派遣でアメリカへ1年交換留学した縁で、私が異国文化に興味を持ってホームステイを無償で引き受けました。
I君は1週間の東京での受入研修の後わが家へやってきました。
近くの各務原西高校へ1ヶ月弱通学、ひと夏の日本体験をして帰っていきました。
I君はその後故郷のバンドン工科大学航空工学を卒業し、東工大への留学も決まっていましたが、受入教授の都合がつかず断念し、國際コンサル企業・アクセンチュアに入社し、以後25年余り世界中を飛び回って活躍しています。
私との交流は英語ができないので、新年の賀状交換をするだけです。今はメールなので大変便利です。しかもネットの検索エキサイトやGoogleの自動翻訳で交流でき便利になりました。
彼は国際人のビジネスマンになりました。彼からのメールです。
拝啓、○○○○...
あなたとすべてが順調であることを望む...
私は、12月20日に乗換中継で東京にいることをあなたにただ知らせたい。
私は、12月20日14:30分くらいに到着し、12月21日10:00午前中に去ります。
私は、恐らく迅速な観光のために東京を訪れましょう。
今度、日本でより多くの時間を過ごすことができ、あなたを訪ねることができることを、私は望みます。
ところで、私はカルガリー(カナダ)で暮らします。
私はここで家を建てています。
うまくいけば、それは次の夏/に終えるでしょう。
あなたがカナダを訪れることができれば、素晴らしいでしょう。
敬具、××××
私のiPhone=から送られました。
イスラム教徒の彼は誠実です。私の25年にも及ぶ草の根異国文化交流です。自動翻訳で返事を送ります。