たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

ホームコースの20年

2012年03月07日 | ゴルフ

ホームコース1番ホール

ついでにゴルフの話題3連発です。このホームコースは良くも悪くも、私の人生で大きなウエイトを占めるゴルフ場です。また私の大事な退職金を吸い取ってしまったグリーンでもあります。

在職中もたいした趣味や息抜きの場を持てず、野暮天だったので仕事の息抜きが月一も行けないコースや、週一の練習場通いが長い習慣だった。公共サービス業の現場管理職で責任だけ重く、深夜に1人でヤクザ事務所に呼び出されるなど日常茶飯の仕事だった。

平成5年末に会社の合理化で希望退職を勧奨され、ギリギリの57歳でこれに応じ、心底ホッとした開放感に満たされた。世間はこういう輩を見逃さず退職金を狙う。
即刻あろうことかまだ現職の同輩からゴルフ会員権業者の友人がいる、買わないかとのセールスが来た。勧める方は善意かも知れないが未だ現職、感心しない内職だ。それに乗る方がもっと馬鹿だった。

評判の芳しくないゴルフ場なので手を出すなと、退職時の任地、名門コース の会員に言われていた。大いに迷ったが少し退職金を上増しされたし、OBの会員が既に大勢いたことが決め手で、亡妻に嘆き呆れさせて大金の600万円を投資した。(預託金350万+プレミアム250万)この始末は振り込め詐欺で怪しいと感じながらも罠にはまるようなものだった。

この頃はまだバブルの尾を引いていて、ゴルフ会員権が投資の対象となっていた。少なくとも倒産するとか会社更生法の対象になるとは思わなかった。
当時は村山内閣の末期だったが、雲行きは段々怪しくなり、年毎に百万単位で会員権相場は値下がりして行った。
5年後の平成10年には経営する親会社が倒産、子会社であるこのゴルフ場は地の利もよく、利益を上げていて継続されたが経営実態は不透明となり、よく分らない会社が経営代行することになった。
この変な会社は平成15年に所得隠し5億の脱税で新聞を賑わした。登記上の会社はとうとう平成17年に負債額690億円で倒産してしまった。

預託証券という財産は紙屑と化して、裁判所の命令で大阪の大手弁護士事務所が破産管財人に指定され、破産整理中は管財人が新会社を設立し売却まで経営代行した。
19年に破産整理が終わり競売され、27ホールのゴルフ場は10億円で買い取られた。

管財人の説明では競売には「任意売却」と「競売手続」の二通りがあり、裁判所の監督の下で「任意売却」で競売し「既存会員のプレー権だけは保護」してくれることになった。そのお陰で買い取った新会社にプレー権だけ引き継がれ、預託証券分はチャラになった。
継続された会員は年会費5年分(5年で時効)を払っている会員だけが対象とされ、継続会員は3001人と新会社はネットで株主公開した。
旧経営会社の会員は5~6千人と言われていたから、後は年会費を払わずメンバーフィーでプレーさせていた乱脈経営だったことになる。

このゴルフ場破産はまだ序の口で、以後日本のゴルフ場は次々とおかしくなって行った。
1985年(平成60年)プラザ合意によって、ドル高是正の政策がとらた。これに連動して日本は低金利政策がとられ、不動産や株式に対する投機を促進し、やがてバブル景気をもたらすこととなる。アメリカを助け日本の円は行き場を失って国内投資に向かいバブル景気に発展し、これがゴルフ場開発のラッシュとなり日本中を掘り返した。地価や住宅新築は高騰した。

5、6年前には銀行や証券会社に、わずかな老後資金の金利ゼロの定期預金を投資信託にと勧められ、これがまた何年も経たないのに、今度は2008年(平成20年)アメリカの証券銀行リーマン・ブラザーズが破綻し、リーマンショックで世界金融危機となり、投信もまた二束三文となってしまった。貧乏人はいつも損するばかり。そこへギリシャ危機、欧州信用危機、超円高と続いている。

元来お金には縁がないものと諦めて、ゴルフは退職後20年間弱、しっかり楽しんだので愚痴ってはなるまいと自分に言い聞かせている。
過日、石原都知事が日本はアメリカを随分助けてきたので、日本が国難のこの時期、もっと助けてくれてもいいとテレビで言っていたがそのとおりだ。