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クールジャパン★Cool Japan

今、日本のポップカルチャーが世界でどのように受け入られ影響を広げているのか。WEB等で探ってその最新情報を紹介。

『日本はアニメで再興する』(1)

2010年04月12日 | coolJapan関連本のレビュー
◆『日本はアニメで再興する・クルマと家電が外貨を稼ぐ時代は終わった (アスキー新書 146)

今日は、「日本の長所」の続きは休んで、昨日触れた櫻井孝昌のこの本について、印象が強い間にレビューしておこうと思う。

この著者の本は、『アニメ文化外交 (ちくま新書)』、『世界カワイイ革命 (PHP新書)』と、出版されるたびにこのブログでも取り上げている。外務省アニメ文化外交に関する有識者会議委員や、カワイイ大使アドバイザーなどの役目を持ち、世界を飛び回って、いま世界で日本のポップカルチャーがどのように熱狂的に迎えられているかを、生々しくレポートしてくれる。世界中の現場の熱を肌でじかに感じ、日本人がいちばんその熱狂を分かっていない、これでいいのか、と読者に訴えかける。三冊の中ではこの本がいちばん著者の熱っぽさを感じた。

本の冒頭では、2009年11月に氷点下のモスクワで開催された第一回目の『ジャパン・ポップ・カルチャー・フェスティバル』の様子が語られる。オープニングで特別上映される『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』を観るため氷点下の中を4時間近く並んで待つロシアの若者たち。会場をおおうマグマのような日本熱。日本への片思いにも似た熱い想いとジャパン情報への「飢餓感」等々が、著者の強い驚き・衝撃とともに報告される。

同様の報告が、フランス、ブラジル、スペインと続く。著者は、世界のあちこちで何度もこの種のフェスティバルを開催したり、招かれて講演したりしているが、行くたびに新たな驚きがあるようだ。

今度の本で強調されていることをいくつか紹介しよう。

まず、海外に出るたびに現地のメディアからされる質問。
「若者たちの考え方や生き方に、アニメやマンガがものすごい影響を与えていることを日本人は知っているのですか?」

この質問は、以前の本にも紹介されていたが、同じような質問が色々な国で何度も出るとは知らなかった。ということは、アニメ・マンガが世界の若者の生き方に与える影響がかなり普遍的なものになっているということだろう。そしてその事実を知らないのは日本人だけということに、世界の人々がうすうす気づいているから、こういう質問が何度も出るのだろう。

逆の言い方をすれば、若者の考え方や生き方に大きな影響を与えるだけの内容や魅力や力があるからこそ、これだけ世界の若者に受け入れられているということだ。

では、アニメ・マンガに表現される日本人の考え方や生き方のどういう面が世界の若者に影響を与えているのか。こういうことについても日本人は無自覚だ。

ちなみに、その辺を少しでも明らかにしていきたいというのが、私自身の重要なテーマになっている。

今年アクセス数の多かった本・ベスト10

2009年12月28日 | coolJapan関連本のレビュー
年末でもあるので、今年このブログで取り上げてきた本のなかでいちばんアクセス数が多かった本のベスト10を選んでみました。
(リンク先は、amazonのその本の画面です。)
最近紹介した本は、それだけアクセス数が少なくなるので、基準は厳密なものではありません。
関連図書として何回か紹介したものは、それだけアクセス数が多くなるでしょう。
タイトルやサブタイトルが関心を引くものであれば、それも影響しますし、私の紹介の仕方にもかなり左右されると思います。
要するに、かなりおおざっぱなランキングですが、何かしら参考にはなると思います。

①『日本のポップパワー―世界を変えるコンテンツの実像

②『日本にノーベル賞が来る理由 (朝日新書)

③『格差社会論はウソである

④『日本の「世界商品」力 (集英社新書)

⑤『日本人はなぜ日本を愛せないのか (新潮選書)

⑥『数年後に起きていること―日本の「反撃力」が世界を変える

⑦『アニメ文化外交 (ちくま新書)

⑧『縄文思想が世界を変える―呉善花が見た日本のミステリアスな力 (麗沢「知の泉」シリーズ)

⑨『日本型ヒーローが世界を救う!

⑩『あと3年で、世界は江戸になる!-新「風流」経済学

世界カワイイ革命(2)

2009年12月19日 | coolJapan関連本のレビュー
◆『世界カワイイ革命 (PHP新書)

日本のファッションにしてもサブカルチャーにしても、なぜ世界で支持されるのかを考えると、結局は「自由」という言葉に突き当たると著者lはいう。たとえば、日本人は、「何よりも、自由に服をつくっています。いろいろな種類のファッションがあるのもいいですね」など、これに類する感想がじつに多いようだ。アニメの特徴のひとつにそれが扱う世界の「多様性」があるように、東京のファッションは「選択肢の多さ」が素晴らしいという外国人が多い。

外国人は、日本、とくに東京に「選択肢の多さ」、そして「自由」、「可能性」というイメージをもっているようである。日本には、クリエイティブなジャンルにおけるタブーが少なく、製作者が自由に表現したりつくったりできる風土があるのだろうか。アニメは子どもが見るものという呪縛を打ち破ったのも、そうした自由の結果かもしれない。

ではなぜ日本で、そのような自由な風土が生まれたのだろうか。この本では、そうした問いへの分析はしていない。ここからはこの本のレビューを離れて、いくつか理由を考えてみる。

とりあえずマンガにしぼっていえば、ひとつ興味深い指摘がある。欧米のマンガ市場はおとなが子どもに読ませたいものを買う市場なのに、日本のマンガ市場は子どもが自分で選んだ本を買う市場だった。それで、おとなが読ませたいものを書いたマンガではなく、子どもが読みたいものを書いたマンガが発達した。その結果、日本のマンガは欧米ではとうてい考えられないような表現の自由をかなり早くから確立していたのだという。

(この指摘については増田悦佐の『日本型ヒーローが世界を救う!』を参照されたい。実に面白い本なのでこのブログで近々、書評するつもりだ。)

もうひとつ挙げるなら、やはり宗教的なタブーが少ないということ。また、島国であり、ユーラシア大陸から適度が距離で離れているため、大陸の諸民族からの攻撃や暴力的な支配をほとんど経験しなかった。それで、大陸の文化のうち自分たちに合う要素を抵抗感なく自由に取り入れ、自分のものにすることができた。かつては中国やインドから、近現代ではヨーロッパやアメリカから。

そして、昭和の一時期を除いて、強力なイデオロギーによる文化の一元支配が、長い歴史のなかでほとんどなかったから、多様な文化アイテムが自由に並存することができた。その、一元的にしばられない何でもありのごった煮のような状態から、自由な発想や組み合わせが生まれてくるのではないだろうか。

もちろんこれは日本のサブカルチャーの自由な創造性を説明する、ほんの一側面にすぎないだろう。今後、折に触れてこの問題を深めていきたい。

世界カワイイ革命(1)

2009年12月12日 | coolJapan関連本のレビュー
◆『世界カワイイ革命 (PHP新書)

著者は、コンテンツメディアプロデューサーという肩書きで、外務省アニメ文化外交に関する有識者会議委員であり、外務省のポップカルチャー外交全般に関するアドバイザーも務めるという。

前著『アニメ文化外交 (ちくま新書)』でも感じたが、この著者の素晴らしいところは、世界中をかけまわって取材し、活きのいい最新の情報を伝えてくれることだ。アニメ外交というテーマからさらに進め、ファッション、カワイイを追いかけて世界各地を回った結果の報告が本書だ。日本発のファッションに嬉々として身にまとう世界中の女の子の写真が満載なのもいい。

「制服を着ると、日本人になれたような気がするんです。」
「東京に恋しているんです。」
「私はロリータにななることで、自分になれました。」
「日本人は『カワイイ』民族だと思います。」

等々、世界の若者が日本のファッション(原宿ファッション)やポップカルチャーに向ける思いは熱い。世界の若者は、日本人が思っているよりもはるかに日本人が好きらしいということが
この本を読むとわかる。

この本で著者が強調していることのひとつは、原宿と秋葉原が、パリでは融合しているということだ。日本では、原宿系とアニメオタクはそれほど交わらない印象があるが、ヨーロッパではちがう。クールジャパンが世界に広がっていく流れは、アニメ・マンガから始まり、それに日本食、ファッション、日本語などが追随していくかたちになっている。たとえば現在のヨーロッパのゴスロリファッションの定着には、『NANA』、『DEATH NOTE デスノート』などが与えた影響が大きいという。日本発が渾然一体となって影響を与えているのだ。

日本の制服も人気で、そこにもマンガやアニメのなかの制服姿の主人公の影響が見られる。『新世紀エヴァンゲリオン』、『犬夜叉』、『時をかける少女』、『涼宮ハルヒの憂鬱』などがそうだ。

著者はスペインの大規模なアニメ・マンガ関係イベントで日本の制服風の服を着た二人組みに会い、彼女たちが

「日本の女子高生の制服は自由の象徴です」

と語ったことに衝撃を受けたという。制服も含めた日本発の「ファッション」全体が、何か新しい「可能性」、「自由」、「未来」などにつながる憧れの対象になっているのだろう。

ハリウッドではみんな日本人のマネをしている

2009年12月10日 | coolJapan関連本のレビュー
◆『ハリウッドではみんな日本人のマネをしている (講談社+α新書)

著者は、ハリウッドでプロデューサーをする日本人。ハリウッドの映画人を中心としたアメリカ人が今、日本に大きな関心をもち、日本からいかに必死に吸収しようとしているかを、ハリウッドでの豊富な人脈とビジネス経験から、具体的に語っている。

たとえば10歳の天才野球少女を主人公にした映画の企画会議中に、重役がいった、「『スラムダンク』を知ってかい。あのマンガがまさにリアルタッチなんだ」。だからこの映画もリアルタッチで行こうというわけだ。この重役は、『スラムダンク』だけでなく、『おおきく振りかぶって』や『バッテリー』など、近年のリアル系スポーツ作品を読んでいたという。

映画関係者が集まるブレインストーミング(自由に意見を出し合う)の場でも、「いま日本で何が流行っている?」が合言葉なのだそうで、こうした情報交換の場で日本がもっとも注目されているそうだ。日本のマンガをアイディアの源泉にする脚本家もいるという。流行にもっとも敏感で、つねに最先端の面白いものを探している彼らの最新トレンドが日本のサブカルチャーなのである。日本発がかっこいい=クールというのが、いまやハリウッドだけでなくアメリカ都市部の共通認識になりつつあるという。

さらに著者は、自身の経験から、現在のアメリカは日本文化を抜きにしては考えられなくなっており、とくにアメリカ文化の「進化」、「成長」と思える部分で、日本に学んだ部分が多いと指摘する。あくまでもハリウッド・プロデューサーとしての個人的見聞からかかれた本ではあり、その点はものたりないが、話は具体的で面白い。

著者のこういう主張が容易に信じられないという人には、このブログでも取り上げた『ジャパナメリカ 日本発ポップカルチャー革命』を合わせて読んでもらえば、ある程度納得してもらえるかも知れない。日本人を母に持つアメリカ人のライターが、今、アメリカに大きな影響を与えている「日本発ポップカルチャー革命」を丹念に取材して報告している。

日本人、オタク、萌えの本

2009年10月25日 | coolJapan関連本のレビュー
「クールジャパン現象」を追うのに関係ありそうで、最近読んで面白かった本を挙げておく。それぞれ、近々、きちんとレビューをかくつもり。

★小笠原 泰『なんとなく、日本人―世界に通用する強さの秘密 (PHP新書)』題名からは軽い読み物という印象を受けるかも知れないが、実は本格的な日本文化論だ。これまでの日本論の成果を受け継ぎながらも新しい切り口で日本語や日本人を論じていてとても面白かった。日本人の、場や集団に依存する相対的な自己構造や、外来の文化をその歴史と切り離して結論だけ純化したり細切れにして取り込んでいく日本文化の特徴は、マンガやアニメに反映されているものと思う。

★東 浩紀『動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)』東 浩紀は、ポストモダンの代表的な論客だという。オタク文化の構造には、ポストモダンの本質がよく現れている。オタク文化の展開を世界的なポストモダンの流れの中で理解しようとする試み。私には、日本のサブカルチャーの展開を伝統と切り離して論じることで、著者が何か大切なものを見失ってしまったような気がしてならない。 この本も本格的に書評していみたい

★鳴海 丈 『「萌え」の起源 (PHP新書) (PHP新書 628)』東 浩紀の上の本とは逆に、日本のサブカルチャーを、伝統との密接な関係の中で論じており、興味深かった。私も、文化がたとえ伝統から切り離されたように見えようとも、少なくとも深層のレベルでは密接にからんでいるものと思う。 「チャンバラ小説や捕り物帳を書くこと」を本職にしている著者だけあって、そのジャンルとアニメ・マンガとの比較も面白いし、手塚治虫の特異な作家性が、その後の日本のマンガ界に与えた影響の大きさを強調している点も興味深かった。

クールジャパン関連図書の一覧(2)

2009年09月19日 | coolJapan関連本のレビュー
★『私は日本のここが好き!―外国人54人が語る
この本は、『文藝春秋・特別版』平成18年8月臨時増刊号の中の特集「私は日本のここが好き!」で、この中でそれぞれ日本のよさを語った外国人52人に、さらに2人へのインタビューを加えて一冊の本にしたものだ。日本人がもっている良さを自覚し、それを持続していくことの大切さをつくづく感じさせる本だ。

★『格差社会論はウソである
この本のタイトルは刺激的だが、けっして現実にある格差を容認しようとする議論ではない。痛ましい現実に正面から立ち向かおうしない言葉だけの格差社会論は論外だが、統計資料などの根拠を示さず、日本の社会を否定的、悲観的にばかり見るのは危険だといっているのだ。マスコミによって暗い情報ばかり与えられていると見えにくいが、日本は今、困難な状況を克服してすばらしい国をつくっていくのにきわめて有利な立場にあるとし、それをしっかりとしたデータに基づいて主張している。この本でいちばん面白かったのは、日本のポップカルチャーが今世界に広がっている理由を日本の社会のユニークさ(知的な格差の少なさ)から論じている部分であった。

★『日本の曖昧力 (PHP新書)
著者、呉善花の「日本文化論」のほど、ながい歴史的なスパンの中でその特質を論じたものはないのではないか。欧米との比較ではなく、中国や彼女の出身国である韓国と比較することで、日本文化の特色を説得力をもって語ることに成功している。そして何よりも魅力なのは、日本のポップカルチャーが世界で受け入れられる理由を、縄文文化という歴史の根っこにさかのぼることで見事に解き明かしていることだ。日本のアニメやマンガの魅力をこのような歴史と文化の視点から主張した議論はこれまでなかったように思う。

★『アニメ文化外交 (ちくま新書)
著者は櫻井孝昌。コンテンツメディアプロデューサーという肩書きで、日本のアニメやファッションが世界の中でどのような位置を占め、外交上どのような意義があるかを研究しているという。また、世界中で「アニメ文化外交」講演を行っており、本書は各国で行った講演を通して、世界に日本のアニメがどのように受け入れられているかを、じかに肌で感じ取った最新のレポートになっている。

★『人類は「宗教」に勝てるか―一神教文明の終焉 (NHKブックス)
町田宗鳳はこの本で、縄文文化もそうであったような「多神教的コスモロジー」の復活に、一神教文明行きづまりを打破する重要な意味があるかも知れないと主張する。私は、その多神教的世界観が、日本のアニメやマンガに、たとえ無自覚的にせよ、かなり反映されているのではないかと思っている。

★『日本の「世界商品」力 (集英社新書)
世界が、日本のサブカルチャーに魅せられ、日本が想像する以上にクールジャパン現象が広がっている。アニメ、マンガ、ゲームや映画だけでなく、商品のデザインのセンスのよさ、さらに歌舞伎などの伝統文化の華麗さ、優雅さにも関心が強まっている。クールという言葉を広く、上品、上等といった視点で見ると、日本には上質、上等な文化的産業や、商品がきわめて多い。こうした日本の産業がめざす次のターゲットは、世界中の中流層の人々にマッチしたクール製品を提供することにあるのではないか。著者・嶌信彦は、それらがこれからの日本経済の成長エンジンとなる可能性があるとし、成長戦略としてのプレゼンテーションを、本書で試みている。

★『ウォーター・マネー「水資源大国」日本の逆襲 (Kobunsha Paperbacks123)<imgsrc="https://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=ishiinbr-22&l=as2&o=9&a=4334934420" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;">』
日本の水関連技術は、きわめてハイレベルで、世界リードしており、世界の水危機を救う可能性を秘めている。その「水テクパワー」は、世界が強く求める不可欠のものなので、水技術で、石油や食糧との取引おこなうこともありうる。ここから日本の逆襲がはじまるだろう、というのが著者の主張だ。

★『ジャパナメリカ 日本発ポップカルチャー革命
ジャパナメリカ」は、もちろん日本のポップカルチャーが、アメリカに影響を与えている現代の状況を表現する造語である。本書の目的は、海外の人々が日本文化に心酔するジャパノフィリアと呼ぶもの(このブログでクールジャパン現象といっているもの)がどうして起ったのか、その原因を探ることである。

クールジャパン関連図書の一覧(1)

2009年09月16日 | coolJapan関連本のレビュー
これまでに、このブログで取り上げたクールジャパン関連本の一覧を作ってみました。取り上げた本を、取り上げた順に並べただけですが、紹介した時の文章から数行抜き出した文をそえておきました。これは、その(1)ということで、そのうち続編を出す予定です。

★『日本のポップパワー―世界を変えるコンテンツの実像』(中村知哉、小野打恵編著,日本経済新聞社2006年)
スタンフォード日本研究センター所長の中村知哉氏らが、「日本ポップカルチャー委員会」なる産学官コミュニティで4年にわたる議論をつみあげ、その成果に基づいて分担執筆した本。日本のポップカルチャーの現状と影響力を非常に広い視野からとらえた貴重な本だ。

★『数年後に起きていること―日本の「反撃力」が世界を変える』(日下公人著、PHP、2006年)
日本のアニメ・マンガが急速に世界中に広がり、そこに込められている日本的な生き方・考え方(日本精神)が、国境を超えて広がりつつあるという。ちょうと古代のギリシャ、ローマが、法律、思想、生活文化を輸出することで、国境の外に「ギリシャ、ローマ圏」を持っていたのと同じようなことを、今の日本のマンガ・アニメが行っている。

★『世界が認めた和食の知恵―マクロビオティック物語 (新潮新書)』(持田鋼一郎著、新潮社、2005年)アメリカと世界の和食ブームのきっかけを作った一人・久司道夫の世界での活躍や、日本古来の食の知恵を生かした食養法・マクロビオティックの考え方を紹介する。

★『日本にノーベル賞が来る理由 (朝日新書)
ノーベル賞という話題を通して、日本が非西欧世界の中でかなり特殊な位置にあることが明らかにされる。今、世界では先端的な科学研究が推進されている場は、北米大陸とヨーロッパに限られる。それは、科学分野のノーベル賞でどの国の授賞者が多いかを見れば一目瞭然だろう。それに対するきわめて少ない例外が、日本やオーストラリア、そしてイスラエルなのである。その中でも日本は、「自国で生まれ、自国語で世界最高度の教育を受けた科学者が、内外で世界をリードする研究を進めている」非常に例外的な国だという。

★『あと3年で、世界は江戸になる!-新「風流」経済学
平和と繁栄が長く続く国の典型は、江戸時代と今の日本であるという。江戸時代と、ここ50年ほどに日本が築いてきた文化は、世界に受け入れられる普遍性がある。江戸時代に創造され流行した文化は現在に受け継がれ、そして世界の人々が憧れるものとなった。寿司、天ぷら、サムライ文化、和服などがそうだ。が、それだけではなく、現代日本のマンガやアニメ、JPOPなどにも、日本の伝統的な精神が反映され、それが世界に受け入れられている。

★『「ニッポン社会」入門―英国人記者の抱腹レポート (生活人新書)
「ニッポン」社会入門というタイトルは、一見堅そうだが、サブタイトルからも分かるように、イギリス人記者のユーモア溢れる日本観察エッセイである。ちょっと皮肉っぽい、しかし新鮮な目で日本人を観察し、私たち日本人も「そうかも知れない」と思わず苦笑いする‥‥そんな文章もある。しかし、日本と日本人への共感に溢れた温かい文章も多い。私たちの知らない日本の魅力がこんなところにもあったのかと沢山の発見ができる本でもある。笑いながら、一気に読み通すことのできる面白さだ。
 
★『上品で美しい国家―日本人の伝統と美意識
伊藤洋一氏と日下公人氏との対話。日本の文化が庶民文化だからこそ、世界を席巻するという。たとえば歌舞伎は、江戸初期に貧しい芸人がやっていた町人の娯楽が人気となり、それが急速に地位が上がって、今では伝統と格式の代表のようになっている。料理でも、フランス料理や中国料理は宮廷料理として発展したが、日本料理は完全に庶民のものだ。たとえば寿司や天ぷらは、江戸の街角で職人が食べていた。寿司は当時のファーストフードだったのが、いつの間にか高級料理となって世界に広がった。カラオケも庶民の娯楽だが、これがひろがり始めた1970年代ごろから世界の「日本化」が始まったのではないか。
 
★『カウンターから日本が見える 板前文化論の冒険 (新潮新書)
カウンターでは、食べる人とつくる人が目と鼻の先にいて会話しながら料理をつくる。カウンターを挟んでの料理人と客の関係はいつも対等で、客がえばって失礼な態度をとると追い出されたたりする。またカウンターでは、料理人とそこに居合わせた見ず知らずの客たちが一体となって会話を楽しんだりする。こういう平等性や否権威性が、日本の庶民文化の底に流れているという。著者・伊藤洋一氏は、こういう日本独特のカウンターの店の特徴を「基本的に上座下座がない」、「形状は閉じているが、座る人間の関係は、店と客、客同士を含めてきわめてフラットだ」、「面と向かって座るテーブル席より場の雰囲気がほぐれる」、「常に情報の宝庫である」、「店と客のバトルの場でもある」などから捉えて、そこから日本文化の特質を描くことに成功している。

ジャパナメリカ01

2009年08月17日 | coolJapan関連本のレビュー
◆『ジャパナメリカ 日本発ポップカルチャー革命

ジャパナメリカ」は、もちろん日本のポップカルチャーが、アメリカに影響を与えている現代の状況を表現する造語である。本書の目的は、海外の人々が日本文化に心酔するジャパノフィリアと呼ぶもの(このブログでクール・ジャパン現象といっているもの)がどうして起ったのか、その原因を探ることである。

著者は、アメリカ人の父と日本人の母との間に生まれ、日米両国に育ち、住んでいるので、両国の事情に通じ、偏らない見方ができるようだ。しかも、取材やインタビューを丹念に繰り返して、この本を執筆している。本格的なレポートといってよい。日本側でインタビューをした人物には、村上春樹、村上隆をはじめ、日本のアニメ産業にたずさわる中心的な人物たちにもふくまれる。著者のあとがきによれば、この本の英語圏での反応は圧倒的で、アメリカ、日本(英字)、イギリスの主要紙で取り上げられ、称讃されたという。

なぜ今、日本のポップカルチャーがアメリカ、そして世界に広汎に受け入れられるようになったのか。日米のこの分野にかかわる何人かが、著者とのインタビューでこの問いに答えている。著者自身は、それらのインタビューに刺激されながら、この問いに次のように答えている。

「1970年代や1980年代、日本が世界的に認められるようになる中で、活躍中の前衛的なアーティストたちはアメリカ、ヨーロッパ、そしてアジアの諸文化から気に入ったものだけを習得し、独創的な作品を作り出した。ただし、彼らアーティストの作品は、ものの見方、視覚的アイコン、物語上の前提、そして空想で構成された文化的基盤の核心部分を共有する、自国の列島に住む観衆だけに向けられていた。徳川時代と同じように、日本は熱心に他国の文化を研究しながら、国内の観衆だけを相手に、クリエイティブな表現を磨いていたのだ。」

外国から習得したものを伝統と融合させながら、文化を共有する日本人だけにむけて表現を熟成していった結果、アメリカの若者にとって新鮮に感じられるポップカルチャーが出現したというわけだ。それが今や硬直ぎみのアメリカのポップカルチャーの代替物になろうとしている。

もちろん以上は、日本のポップカルチャーが世界に受け入れられる原因のひとつに過ぎないだろう。この本自身が、もっと多方面にわたる分析をしている。追ってそれを紹介しながら、この本ではほとんど触れられていない、日本の文化的な伝統という要素も視点に入れて、私もこの問いを考えてみたい。

ウォーター・マネー「水資源大国」日本の逆襲

2009年08月08日 | coolJapan関連本のレビュー
◆『ウォーター・マネー「水資源大国」日本の逆襲 (Kobunsha Paperbacks 123)

日本の水関連技術は、きわめてハイレベルで、世界リードしており、世界の水危機を救う可能性を秘めている。その「水テクパワー」は、世界が強く求める不可欠のものなので、水技術で、石油や食糧との取引おこなうこともありうる。ここから日本の逆襲がはじまるだろう、というのが著者の主張だ。

今、地球規模で水不足や水汚染が深刻となっている。すでに世界の46カ国で27億人が水に関して危機的状況におかれている。とくに安心して水を飲めない人々が13億人もいる。国連は「現在の汚染が続けば、2020年までに1億7000万人が命を失う」といい、現事務総長は「水をめぐる対立は、いつ戦争に発展するかわからない」と警告する。アフリカや中東、中国やインドは急速に水不足が日常化するようになった。

そのなか、日本の造水技術や水浄化技術が、世界で欠かせない役割を果たすようになった。具体的には、海水の淡水化に必要な逆浸透膜の技術や、排水や汚水を生活用水としてよみがえらせるリサイクル技術では、日本が世界で圧倒的なシェアを誇っているのだ。日本の淡水化プラントによる水を、10億人を超える人々が日々利用している。しかも、1トンあたり10円の安さでだ。

著者は、日本の水技術の詳細だけでなく、世界の水問題の深刻さ、とくに中国の水不足と環境汚染が世界にもたらすだろう深刻などを丹念に調べ上げてこの本をまとめている。水の豊かな日本では盲点になりがちな水問題が、世界ではここまで深刻であることについて認識を新たにするだろう。そして、この問題に関して日本が果たすべき役割が、いかに大きく、急を要するものであるかについても。

ペーパーバックスの安価な本だが、きわめて情報量は多い。

『日本の「世界商品」力』

2009年07月25日 | coolJapan関連本のレビュー
◆『日本の「世界商品」力 (集英社新書)

世界が、日本のサブカルチャーに魅せられ、日本が想像する以上にクールジャパン現象が広がっている。アニメ、マンガ、ゲームや映画だけでなく、商品のデザインのセンスのよさ、さらに歌舞伎などの伝統文化の華麗さ、優雅さにも関心が強まっている。クールという言葉を広く、上品、上等といった視点で見ると、日本には上質、上等な文化的産業や、商品がきわめて多い。

日本の産業、企業がめざす次のターゲットは、世界中の中流層の人々にマッチしたクール製品を提供することにあるのではないか。著者・嶌信彦は、それらがこれからの日本経済の成長エンジンとなる可能性があるとし、成長戦略としてのプレゼンテーションを、本書で試みている。

おりしも7月15日付けのニュースで国内で食品最大手のキリンホールディングスと2位のサントリーホールディングスが経営統合の交渉を始めたというニュースが流れた。 「世帯の可処分所得が年50万~350万円くらいのアジアの中間層は、ここ20年で6倍以上に膨らみ、9億人規模と言われる。縮小する国内市場に引きこもらず、高成長のこの新市場を「わが市場」ととらえて活路を開かねば、日本企業の飛躍はあり得ない。 典型的な内需型ビジネスだった飲料業界の両雄がその先駆けとなれば、日本にとって心強いモデルになる。」(同日、朝日新聞社説)  増大しつつアジアの中間層はまさに本書が提示する狙いと同じである。

本書の最初の5章までは、クールジャパン現象を主なジャンル毎に、その歴史的な経緯から現代の興隆まで適確に概観しており、それぞれの分野のクールジャパン現象への入門的な読み物としても価値がある。

たとえは第2章の「世界に誇る日本の美」は、200年前のフランスでのジャポニズムと呼ばれる日本ブームから始まり、現代の最先端の日本発のファッションにまで言及される。つづいて第3章「世界を席巻する日本のコンテンツ」では、手塚アニメのアメリカ進出から、日本アニメ輸出の歴史、アニメからマンガへの広がり、和製ホラーから村上春樹までが語られる。同様に第4章では和食文化と農業製品が、第5章では日本の伝統技術分野でのクールジャパン現象が語られる。

第6章以下では、それらのクールジャパン現象が、「世界商品」戦略にとってどれだけ可能性があるかが、やはり分野ごとに語られる。しかしそれは可能性に留まる場合が多く、これだけ世界に注目されているのに、それらが戦略的な企画として世界に発信される力が弱い。著者の提案をひとつだけ挙げれば、クールジャパンの諸要素を個別に売り込むのではなく、大きなショー、展示、イベントとして世界へプレゼンテーションを行うという構想だ。様々なクールジャパンを束ね、日本発の国際的イベントとしていくつも発信する。たとえば、日本の代表的な祭りをいくつか東京などに集めて二日間ほどの祭中心イベントを行えば、それがクールジャパンの総合的な一大発信力になるだろう。

世界のクールジャパン現象を受身でいい気持になっているだけではなく、いくつもの分野を束ねてイベント化するなど、みずから打ち出していく構想力もって世界に発信する姿勢が今、問われている。


世界一の「一般人」がいる日本

2009年05月20日 | coolJapan関連本のレビュー
◆『私は日本のここが好き!―外国人54人が語る』(出窓社)という本がある。この本は、『文藝春秋・特別版』平成18年8月臨時増刊号の中の特集「私は日本のここが好き!」で、この中でそれぞれ日本のよさを語った外国人52人に、さらに2人へのインタビューを加えて一冊の本にしたものだ。

今後、この中の何人かのインタビューを取り上げ、若干のコメントをつけていく予定だ。今回は、スコット・キャロンというアメリカ人男性のインタビューを取り上げたい。投資顧問会社の社長で滞日期間は通算17年になる。

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研修生として来日した頃の私は、アバウトな性格で「もう、いいや」と途中で諦めてしまうタイプでした。けれども日本に来たからこそ成長できたのだと思います。日本人は、真面目で勤勉、そして「質」をとても大事にすると思います。社会全体で常にエクセレンスをめざす。自分たちは気がついていないかもしれませんが、これはとても明白な素晴らしい利点です。そして、日本社会の最大の強みは、「一般人」です。日本には世界一の「一般人」がいますよ。米国のエリート教育はすごいと思いますが、エリートは一部の人間だけです。日本には優れた一般の人々が大勢いて、いつだって一生懸命。日本は健全な社会だと実感します。米国は貧富の差が激しいですから、それこそ健康保険にも加入していないような人々がたくさんいます。日本は最低保障、セイフティーネットがあります。豊かな社会なのです。治安も世界一です。東京では、子どもを自由に外で遊ばせておくことができますし、バスや電車に一人で乗せることもできます。マンハッタンで子どもを一人で外に出すなんて到底考えられません。東京での生活の方がよっぽど充実した子ども時代を遅れると思います。

★★★~~~~~★★★~~~~~★★★

これまで紹介してきたいくつかの記事に重なることに気づかれると思う。多くの外国人が日本に来て、同じような印象を持つということである。ここで第一に比較したいのは、かつて紹介した『平凡な日本人のレベルの高さ』というタイトルで紹介した朝鮮日報の記事だ。そこで「‥‥しかし、日本も政治家の実力と実績は客観的に言って三流だ。日本に住んでみると、はし店・魚屋・米屋・工事作業員の努力や実力が、韓国とは明らかに違うように思える。一部の政治家ではなく、国民全員が国の現実に責任を負っているのだ。」 と語られたことを思い起こす。

「米国のエリート教育はすごい」から、エリート政治家だけを比較すると明らかにアメリカは一流、日本は三流だ。しかし、平凡な日本人、「一般人」である日本人は、きわめてレベルが高いのだ。それでいて日本人はそのことに気づいていない。

日本の「一般人」のレベルの高さを指摘するのはこの二人だけではない。きわめて多くの外国人がそれを感じるようだ。気づいていないのは日本人だけ。だからこそ、日本人自身が気づいていない日本人のよさを客観的に把握して、明確に自覚することが、そのよさを失わないためにも、とても大切なのだと思う。

欧米にない日本の大衆社会のユニークさ

2009年04月05日 | coolJapan関連本のレビュー
◆『格差社会論はウソである』(2)

世界中のほとんどどの国にも大衆をがっちり支配する知的エリート階級が存在する。しかし日本ではそのような階級はすでに崩壊してしまったか、崩壊寸前だと著者はいう。何とか自分たちの失地を回復したい日本の知的エリートは、日本について悲観論を繰りかえし、大衆を脅しつけることで支配したいのだ。あらゆる格差の中で知的エリートと大衆との間の格差ほど深刻で、根絶するのが難しい格差はない。ところが日本では、この知的能力格差が消滅寸前に近いという。政治家を一種の知的エリートと捉えれば、そのお粗末さは誰もが納得するだろう。

先に紹介した『上品で美しい国家―日本人の伝統と美意識』や『カウンターから日本が見える 板前文化論の冒険 (新潮新書)』の中で伊藤洋一氏は、日本の文化のいちばん強いところは庶民的であるとともに、民主主義的であることだといった。日本文化が庶民から生まれた民主主義的な文化だからこそ、世界に受け入れられる。これは、知識人と大衆のあいだで知的能力格差が少なく、大衆の知的レベルが高いとうこととも深く関係するだろう。

日本の大衆のレベルは高い。「大衆・女・子どもこそが、日本経済の今後の繁栄を約束する世界一貴重な資源なのだ」と著者はいう。日本では、「女子どもののために」中年男が作りだす消費社会ではない、本当に女子どもが主人公の消費社会、知的エリートに統制されない大衆社会が形成されつつあるというのだ。

よく知られるように連載マンガのストーリーは、読者である子どもからのフィードバックを通して変えられたり発展されたりする。これは、子どもが独立した消費者となっているからこそ可能なことだ。欧米では、子どもが何を買わせるかついて親が支配する度合いが高いようだ。

日本の子どもは、ひとりで電車で学校に通うこともある。小学高学年なら、友だち同士で電車に乗り、遊んで帰ってくる。こんな安全な社会環境が存在するのは日本だけだ。それに比べアメリカの子どもたちにとって自由に動きまわれる街は、郊外ショッピングモールぐらいのものだ。

さらに日本では、おたくや若者が主導する形で新しい文化や街が出来ていく。秋葉原や、池袋の乙女ロードなどがそれだ。子どもが一方的に巨大資本の餌食となっているとしか思えない欧米社会とは、文明の成り立ちが違っている。

日本のポップカルチャーが世界に受け入れられる背景には、女子どもが主人公の消費社会、知的エリートに統制されない独特の大衆社会が形成されているということがあるのかも知れない。

大著といってもよい厚い本なので、その内容のごく一部しか紹介できないのは残念だが、すこぶる興味深くいっきに読んだ。電車の中で夢中になって読み続け、2回も乗り越してしまった。あわや3回目の乗り越しかと思ったが、ドアが閉まる直前に降りることができた。それぐらい、新鮮な視点とデータなどによる説得力に満ちた本であり、強く勧めたい本の一冊だ。

日本の庶民文化の力

2009年04月02日 | coolJapan関連本のレビュー
日本のアニメやマンガが世界にクールと受けとめられ、広がっているひとつの理由は、それが子ども、庶民、大衆の中から自然に生まれ、展開していったからかも知れない。

伊藤洋一氏と日下公人氏との対話本『上品で美しい国家―日本人の伝統と美意識』のなかで、日本の文化が庶民文化だからこそ、世界を席巻するという。たとえば歌舞伎は、江戸初期にに貧しい芸人がやっていた町人の娯楽が人気となり、それが急速に地位が上がって、今では伝統と格式の代表のようになっている。

料理でも、フランス料理や中国料理は宮廷料理として発展したが、日本料理は完全に庶民のものだ。たとえば寿司や天ぷらは、江戸の街角で職人が食べていた。寿司は当時のファーストフードだったのが、いつの間にか高級料理となって世界に広がった。カラオケも庶民の娯楽だが、これがひろがり始めた1970年代ごろから世界の「日本化」が始まったのではないか、と伊藤氏はいう。

伊藤氏はまた、日本の文化のいちばん強いところは庶民的であることだけでなく、民主主義的であることだという。それは「偉ぶった文化」ではないということだ。そこに日本文化のパワーの秘密があるという。日本の文化がなぜ「民主主義的」といえるのかどうか、一見わかりずらいが、氏は日本のカウンターの例をとって説明する。

カウンターでは、食べる人とつくる人が目と鼻の先にいて会話しながら料理をつくる。カウンターを挟んでの料理人と客の関係はいつも対等で、客がえばって失礼な態度をとると追い出されたたりする。またカウンターでは、料理人とそこに居合わせた見ず知らずの客たちが一体となって会話を楽しんだりする。こういう平等性や否権威性が、日本の庶民文化の底に流れているという。

実は伊藤氏は、このカウンターに注目して『カウンターから日本が見える 板前文化論の冒険 (新潮新書)』というユニークな本も書いている。そこでは、カウンターの店の特徴を「基本的に上座下座がない」、「形状は閉じているが、座る人間の関係は、店と客、客同士を含めてきわめてフラットだ」、「面と向かって座るテーブル席より場の雰囲気がほぐれる」、「常に情報の宝庫である」、「店と客のバトルの場でもある」などから捉えて、そこから日本文化の特質を描くことに成功している。

日本文化が庶民から生まれた民主主義的な文化だからこそ、世界に受け入れられるという主張は、最近、ある別の著者の本を読んで、やや別の角度から同様のことが言われているのを知って、ますますそうかも知れないと思うようになった。その本とは、増田悦佐氏の『格差社会論はウソである』だが、これについてはまた項を改めてじっくり語ろう。

『日本にノーベル賞が来る理由』

2009年01月02日 | coolJapan関連本のレビュー
◆『日本にノーベル賞が来る理由 (朝日新書)

興味深く読むことが出来たひとつの理由のは、ノーベル賞という話題を通して、日本が非西欧世界の中でかなり特殊な位置にあることが明らかにされるからだろう。今、世界では先端的な科学研究が推進されている場は、北米大陸とヨーロッパに限られる。それは、科学分野のノーベル賞でどの国の授賞者が多いかを見れば一目瞭然だろう。それに対するきわめて少ない例外が、日本やオーストラリア、そしてイスラエルなのである。その中でも日本は、「自国で生まれ、自国語で世界最高度の教育を受けた科学者が、内外で世界をリードする研究を進めている」非常に例外的な国だという。

ノーベルの授賞式に先立ち、益川敏英・京大名誉教授は、英語に自信がなく日本語で記念講演を行ったが、これはむしろ恥ずべきことではなく、自国語で世界最高度の教育を受けて最先端の研究を成し遂げることができるということの証しなのだろう。

もうひとつ面白かったのは、ノーベル賞が持っている個性であり、科学分野のノーベル賞でもそこにかなりの政治的な判断が入り込んでいるということである。ノーベル賞には、個別審査以前に「企画段階」が存在し、たとえば湯川秀樹へのノーベル賞の授与は、「原爆投下への謝罪の意を込めて、日本科学を世界の第一線のものと承認するセレモニー」としても企画されたのだという。これ以外にも、朝永振一郎や川端康成などへのノーベル賞授与にどんな企画性が潜んでいたかなどが次々に明らかにされて興味深い。

著者はまた、日本の科学研究は「知の好循環」が充分ではないと指摘する。科学的な発見が特許収入とスムーズに結びつき、その資金がさらに基礎研究の推進に投入されるような好循環。iPS細胞で話題の山中教授が直面している状況を考えると、日本の現状がまだいかに「知の好循環」と縁遠いかが、よくわかるという。

小著だが、ノーベル賞という賞そのものの性格を浮き彫りにし、またノーベル賞をめぐる科学分野の知識も吸収できるように工夫された好著である。