寒く、惨めな氷雨の振る中を、ポート・アメリカスカップの水面の中にショートコースを作って、どこかのチームがワンデザイン12を使ってマッチレースの練習をしている。若手のトレーニングなのだろうか、ずいぶんへたくそだ。
昨日、アメリカスカップの第2レースで見たことを整理してみる。
まずは、12日の第1レースが終わった後での、記者会見のあとでのことから。
アリンギのベルタレッリは、風が、気象予報チームが予想したよりも強く、艇のセットアップに失敗した、と記者会見で語った。
ウエブ・サイトの「セーリングアナーキー」関係者が、
「今日見た限りでは10%ほど〈アリンギ5〉が遅いことがはっきりしたようだが…」
とロルフ・ヴローリックに質問したときには、ベルタレッリはその質問を奪い取り、答えているうちに激昂してきて、ぼくは、ベルタレッリが壇上から降りて、ぼくの隣に座っているその質問者の胸ぐらを掴みに来るのではないか、と半ば心配になったほどだ。
ベルタレッリは、セッティングのミスばかりを強調した。
その記者会見からの帰り道、アリンギの気象チームのボスのジョン・ビルジャーとすれ違った。ジョンは、がっくりと首を落として、ソシエテドノティークジュネーブのバレンシアにおける仮設本部に向かっているところだったが、こちらから声をかけないと気が付かないくらい、下を向いて深刻な顔をしていた。
ジョンとぼくは、同じ時期にノースセール・ニュージーランドでトム・シュネッケンバーグからセール・デザインを学んでいた。
ぼくは日本から派遣され、ジョンはノースセールオーストラリアのボスのグラント・シマー(現アリンギのデザイン・コーディネーター)の命令で勉強に来ていた。元々はオーストラリア期待の470セーラーだったジョンとはそれ以来の仲だ。御学友、っていうんですかね。
急いでいるようだったので、
「明後日は風の予報を当てろよ」なんて軽口だけで別れようとしたら、
「いや、今日も予想は当てたんだぞ」と、ジョンはちょっとむきになって話し始めた。
詳しく聞いてみると、アリンギにとってこの日の風は完全に想定内だったようだ。
ベルタレッリは、メディアに嘘をついたんだな。それで、記者会見席の横でロルフ・ヴローリックがモゴモゴ口を動かしていて困ったような顔をしていた理由がのみこめた。ロルフは、そういう、とても実直な人なのだ。
そして、昨日14日。
〈アリンギ5〉は、みんなでうたた寝してたらしく、アテンションシグナル(10分前)のときにはスタートラインのずっと左側にいて、本部船のほうにスタートラインの下側を慌てて戻ろうとしたが、5分前までに本部船の右外まで出ることができず、
「準備信号掲揚時(5分前)には、エントリーマークの外側(スターボ艇は本部船の右外、ポートエントリー艇はポートエントリーマークの左外)にいなければならない」
という、セーリングインストラクションだったかノティスオブレースだったかに、自分たちでわざわざ強調して追加した一文に、自分たちで引っかかり、ペナルティーを課せられた。
で、もう、そこからスタートはグチャグチャ。
〈USA〉が見事なタイム・ディスタンスの感覚でいいスタートを見せたから少し救われたものの、
〈アリンギ5〉のほうは、
「アメリカスカップってすごいんだって?」
と純真な興味を持ってくれている新しいセーリングファンには絶対に見せたくないような、スットコドッコイのスタートをしてくれた。
ポートタックでスタートせざるを得ず、〈アリンギ5〉は最初に右方向に走った。(最初から右を狙った、とアリンギサイドは試合後に語った)。
見事なスタートをしてそのまま左に伸ばした〈USA〉に対し、スタート後数分で右海面に強いパフとシフトが入り、そのおかげで(アリンギ5〉はスタートの失敗による遅れを取り戻し、それだけでなく、〈USA〉に対してリードも奪うことに成功した。
そのリードをしっかりとした形にするために〈アリンギ5〉はスターボードへタックしたが、この日のスターボードタックは、東から押し寄せる大きなうねりに向かって走るクローズホールドだった。したがって、両艇とも大きく、激しくピッチングしながらのクローズホールドとなる。
こうなると〈アリンギ5〉のステアリングは、うねりのない平水のレマン湖でのチャンピオンであるベルタレッリの手に余るようになり、外洋マルチハルのフランスの英雄、ルック・ペイロンに、いきなりステアリングを渡してしまう。
しかし、ルック・ペイロンがステアリングしても、〈アリンギ5〉の、パタコン、パタコンと、うねり向かってお辞儀をするようなピッチングは、収まらない。
一方、もちろんピッチングはしているものの、〈アリンギ5〉ほどではなく、風下側のフロートがドルフィンスルーでうねりを突っ切っていく〈USA〉は、ウエイブピアサーバウが大波の中でどんなふうに仕事をするのかを分かりやすくで説明してくれていた。
〈アリンギ5〉は、海のうねりの中を走ることなど考えてもいなかった、レイク専用の、スイス・デザインなのではないのかな、と思った。そして〈アリンギ5〉のウエイブピアサー・バウは、〈USA〉のそれに比べると、うねりの中でほとんど仕事をしていなかった。
ところで、テレビ画面でバーチャルアイが表示する高さの差を見ていると、2隻が反対タックで接近してくると、その差の値がどんどん変化して参考にならない。
今回のマルチハル対決のアメリカスカップでは、バーチャルアイのソフトは、必ずしも正確な真の風向を割り出していないのではないか、という印象を受けた。
3,4週間前に突然、今度バレンシアでやりますのでよろしくね、ってレース運営サイドに言われ、予算的にも準備時間的にも、バーチャルアイは納得できる仕事ができなかったのではないだろうか。
さて、このスターボードタックのときに〈アリンギ5〉が揚げた抗議旗は、スタート・プロシージャーの規則に違反して5分前の時点で本部船の左側にいたのは、観戦艇が邪魔になって戻れなかったから、とコース・マーシャル(これも自分たちの子飼い)の職務怠慢のせいにして、救済の要求をして、被っているペナルティーをチャラにしようと思ってのことだったという。
しかし、その後上マーク手前のオタオタで〈USA〉抜かれ、その後もどんどん差を広げられ、ペナルティーに関係なく着順で負けたんじゃ、救済の要求の意味もなかろう、ということになって、フィニッシュ時に抗議を取り下げた、ということのようだ。
で、ペナルティーターンもしてない。なので厳密にはDNFのはずだけど、記録は5分26秒差のフィニッシュ、となってる。変だけど、ま、もうどうでもいいってことなのかな。
リーチングのレグに入ってからの〈USA〉は本当に速かった。
レース後に、〈アリンギ〉のブラッド・バタワースが、飛行機にヨットは敵わない、みたいなことを言っていたが、ホント、〈USA〉はヨットではなかった。ダガーボードへの揚力を液体からもらうためだけの目的で船体の一部を海水という液体に浸けて飛ぶ、巨大な飛行物体だ。
空飛ぶ〈USA〉を見ていると
「スーパーボートが舞い上がるっ、トーキオっ、トキオが空を飛ぶうー、」
と沢田研二(ええ、どうせ古い人間なんですよ、アタシ)が頭の中で大声で歌い始め、沢田もうやめてくれよと言ってもやめてくれず、困った。
そうして、アメリカスカップは15年ぶりにアメリカに戻ることになった。
思い返してみれば、アメリカからアメリカスカップを奪ったのも、アメリカにアメリカスカップを戻したのも、ニュージーランド人のラッセル・クーツということになる。
ついでに言えば、ニュージーランドにアメリカスカップをもたらせたのも、ニュージーランドからアメリカスカップを奪ったのも、ラッセル・クーツだということになる。
別の言い方をすれば、ラッセル・クーツが行くところにアメリカスカップが行く、ということにもなりますね。
アメリカスカップを私有化しようとしたベルタレッリが敗退し、チャレンジャーみんなが望む形の第34回アメリカスカップを標榜する、と言明しているラリー・エリソンとラッセル・クーツが勝ったことで、これから先、最初から1対1の『贈与証書マッチ』の形態のアメリカスカップは、自分が生きているうちにはもう観ることができないだろう、とボクは思う。
もうちょっと接戦のレースを楽しみたかったなぁ、とも思うが、でも今回このレースを見られたことは、とてもいい思い出になった。
あともう少しここに残って、関係者にも会って話を聞いて、第33回アメリカスカップで見落としたものがないか、再確認してから、日本に帰ることにしようと思う。
マスカルゾーネラティーノのボス、ヴィンチェント・オノラトを、BMWオラクルのベースキャンプでよく見かける。
オノラトは他の挑戦者たちが一時期アリンギになびいたときも、頑としてアリンギを許さず、BMWオラクルと常に同じ側に立つことを貫いた。
ラッセル・クーツのことも信頼していて、RC44クラスの初期のミーティングなどのために、サルディニアのポルトチェルボのコスタスメラルダヨットクラブの隣にある素晴らしい別荘を関係者に解放してくれたりもした。
マスカルゾーネの所属するヨットクラブが次回のチャレンジャー代表になっても、不思議はないかもしれない。
ルイヴィトンのブルーノ・テューブレは、BMWオラクルのクルーたちが出港するときには常に見送りに行っていたし、昨日の勝利の後は、本気で踊って喜んでいた。
ルイヴィトンカップが、アメリカスカップ予選レースとして復活することも、現実的なことのように思える。
昨日、アメリカスカップの第2レースで見たことを整理してみる。
まずは、12日の第1レースが終わった後での、記者会見のあとでのことから。
アリンギのベルタレッリは、風が、気象予報チームが予想したよりも強く、艇のセットアップに失敗した、と記者会見で語った。
ウエブ・サイトの「セーリングアナーキー」関係者が、
「今日見た限りでは10%ほど〈アリンギ5〉が遅いことがはっきりしたようだが…」
とロルフ・ヴローリックに質問したときには、ベルタレッリはその質問を奪い取り、答えているうちに激昂してきて、ぼくは、ベルタレッリが壇上から降りて、ぼくの隣に座っているその質問者の胸ぐらを掴みに来るのではないか、と半ば心配になったほどだ。
ベルタレッリは、セッティングのミスばかりを強調した。
その記者会見からの帰り道、アリンギの気象チームのボスのジョン・ビルジャーとすれ違った。ジョンは、がっくりと首を落として、ソシエテドノティークジュネーブのバレンシアにおける仮設本部に向かっているところだったが、こちらから声をかけないと気が付かないくらい、下を向いて深刻な顔をしていた。
ジョンとぼくは、同じ時期にノースセール・ニュージーランドでトム・シュネッケンバーグからセール・デザインを学んでいた。
ぼくは日本から派遣され、ジョンはノースセールオーストラリアのボスのグラント・シマー(現アリンギのデザイン・コーディネーター)の命令で勉強に来ていた。元々はオーストラリア期待の470セーラーだったジョンとはそれ以来の仲だ。御学友、っていうんですかね。
急いでいるようだったので、
「明後日は風の予報を当てろよ」なんて軽口だけで別れようとしたら、
「いや、今日も予想は当てたんだぞ」と、ジョンはちょっとむきになって話し始めた。
詳しく聞いてみると、アリンギにとってこの日の風は完全に想定内だったようだ。
ベルタレッリは、メディアに嘘をついたんだな。それで、記者会見席の横でロルフ・ヴローリックがモゴモゴ口を動かしていて困ったような顔をしていた理由がのみこめた。ロルフは、そういう、とても実直な人なのだ。
そして、昨日14日。
〈アリンギ5〉は、みんなでうたた寝してたらしく、アテンションシグナル(10分前)のときにはスタートラインのずっと左側にいて、本部船のほうにスタートラインの下側を慌てて戻ろうとしたが、5分前までに本部船の右外まで出ることができず、
「準備信号掲揚時(5分前)には、エントリーマークの外側(スターボ艇は本部船の右外、ポートエントリー艇はポートエントリーマークの左外)にいなければならない」
という、セーリングインストラクションだったかノティスオブレースだったかに、自分たちでわざわざ強調して追加した一文に、自分たちで引っかかり、ペナルティーを課せられた。
で、もう、そこからスタートはグチャグチャ。
〈USA〉が見事なタイム・ディスタンスの感覚でいいスタートを見せたから少し救われたものの、
〈アリンギ5〉のほうは、
「アメリカスカップってすごいんだって?」
と純真な興味を持ってくれている新しいセーリングファンには絶対に見せたくないような、スットコドッコイのスタートをしてくれた。
ポートタックでスタートせざるを得ず、〈アリンギ5〉は最初に右方向に走った。(最初から右を狙った、とアリンギサイドは試合後に語った)。
見事なスタートをしてそのまま左に伸ばした〈USA〉に対し、スタート後数分で右海面に強いパフとシフトが入り、そのおかげで(アリンギ5〉はスタートの失敗による遅れを取り戻し、それだけでなく、〈USA〉に対してリードも奪うことに成功した。
そのリードをしっかりとした形にするために〈アリンギ5〉はスターボードへタックしたが、この日のスターボードタックは、東から押し寄せる大きなうねりに向かって走るクローズホールドだった。したがって、両艇とも大きく、激しくピッチングしながらのクローズホールドとなる。
こうなると〈アリンギ5〉のステアリングは、うねりのない平水のレマン湖でのチャンピオンであるベルタレッリの手に余るようになり、外洋マルチハルのフランスの英雄、ルック・ペイロンに、いきなりステアリングを渡してしまう。
しかし、ルック・ペイロンがステアリングしても、〈アリンギ5〉の、パタコン、パタコンと、うねり向かってお辞儀をするようなピッチングは、収まらない。
一方、もちろんピッチングはしているものの、〈アリンギ5〉ほどではなく、風下側のフロートがドルフィンスルーでうねりを突っ切っていく〈USA〉は、ウエイブピアサーバウが大波の中でどんなふうに仕事をするのかを分かりやすくで説明してくれていた。
〈アリンギ5〉は、海のうねりの中を走ることなど考えてもいなかった、レイク専用の、スイス・デザインなのではないのかな、と思った。そして〈アリンギ5〉のウエイブピアサー・バウは、〈USA〉のそれに比べると、うねりの中でほとんど仕事をしていなかった。
ところで、テレビ画面でバーチャルアイが表示する高さの差を見ていると、2隻が反対タックで接近してくると、その差の値がどんどん変化して参考にならない。
今回のマルチハル対決のアメリカスカップでは、バーチャルアイのソフトは、必ずしも正確な真の風向を割り出していないのではないか、という印象を受けた。
3,4週間前に突然、今度バレンシアでやりますのでよろしくね、ってレース運営サイドに言われ、予算的にも準備時間的にも、バーチャルアイは納得できる仕事ができなかったのではないだろうか。
さて、このスターボードタックのときに〈アリンギ5〉が揚げた抗議旗は、スタート・プロシージャーの規則に違反して5分前の時点で本部船の左側にいたのは、観戦艇が邪魔になって戻れなかったから、とコース・マーシャル(これも自分たちの子飼い)の職務怠慢のせいにして、救済の要求をして、被っているペナルティーをチャラにしようと思ってのことだったという。
しかし、その後上マーク手前のオタオタで〈USA〉抜かれ、その後もどんどん差を広げられ、ペナルティーに関係なく着順で負けたんじゃ、救済の要求の意味もなかろう、ということになって、フィニッシュ時に抗議を取り下げた、ということのようだ。
で、ペナルティーターンもしてない。なので厳密にはDNFのはずだけど、記録は5分26秒差のフィニッシュ、となってる。変だけど、ま、もうどうでもいいってことなのかな。
リーチングのレグに入ってからの〈USA〉は本当に速かった。
レース後に、〈アリンギ〉のブラッド・バタワースが、飛行機にヨットは敵わない、みたいなことを言っていたが、ホント、〈USA〉はヨットではなかった。ダガーボードへの揚力を液体からもらうためだけの目的で船体の一部を海水という液体に浸けて飛ぶ、巨大な飛行物体だ。
空飛ぶ〈USA〉を見ていると
「スーパーボートが舞い上がるっ、トーキオっ、トキオが空を飛ぶうー、」
と沢田研二(ええ、どうせ古い人間なんですよ、アタシ)が頭の中で大声で歌い始め、沢田もうやめてくれよと言ってもやめてくれず、困った。
そうして、アメリカスカップは15年ぶりにアメリカに戻ることになった。
思い返してみれば、アメリカからアメリカスカップを奪ったのも、アメリカにアメリカスカップを戻したのも、ニュージーランド人のラッセル・クーツということになる。
ついでに言えば、ニュージーランドにアメリカスカップをもたらせたのも、ニュージーランドからアメリカスカップを奪ったのも、ラッセル・クーツだということになる。
別の言い方をすれば、ラッセル・クーツが行くところにアメリカスカップが行く、ということにもなりますね。
アメリカスカップを私有化しようとしたベルタレッリが敗退し、チャレンジャーみんなが望む形の第34回アメリカスカップを標榜する、と言明しているラリー・エリソンとラッセル・クーツが勝ったことで、これから先、最初から1対1の『贈与証書マッチ』の形態のアメリカスカップは、自分が生きているうちにはもう観ることができないだろう、とボクは思う。
もうちょっと接戦のレースを楽しみたかったなぁ、とも思うが、でも今回このレースを見られたことは、とてもいい思い出になった。
あともう少しここに残って、関係者にも会って話を聞いて、第33回アメリカスカップで見落としたものがないか、再確認してから、日本に帰ることにしようと思う。
マスカルゾーネラティーノのボス、ヴィンチェント・オノラトを、BMWオラクルのベースキャンプでよく見かける。
オノラトは他の挑戦者たちが一時期アリンギになびいたときも、頑としてアリンギを許さず、BMWオラクルと常に同じ側に立つことを貫いた。
ラッセル・クーツのことも信頼していて、RC44クラスの初期のミーティングなどのために、サルディニアのポルトチェルボのコスタスメラルダヨットクラブの隣にある素晴らしい別荘を関係者に解放してくれたりもした。
マスカルゾーネの所属するヨットクラブが次回のチャレンジャー代表になっても、不思議はないかもしれない。
ルイヴィトンのブルーノ・テューブレは、BMWオラクルのクルーたちが出港するときには常に見送りに行っていたし、昨日の勝利の後は、本気で踊って喜んでいた。
ルイヴィトンカップが、アメリカスカップ予選レースとして復活することも、現実的なことのように思える。