2015年5月25日 葉山 輪島功一さんを思い出したのに、浜ランさぼる

2015年05月25日 | 風の旅人日乗
浜ランを
さぼる。

先週末、
このグラウンドを



約40年ぶりに
走りながら



思い出していた人がいる。

プロボクサー
輪島功一。

ぼくがこのグラウンドを
走っていたのと同じ頃、
このグラウンドを
走っていた人。

その頃、輪島さんは
柳済斗(りゅう さいと)
を挑戦者に迎えた
世界タイトルマッチに敗れ、
世界王者の座から
滑り落ちていた。

再起をかけた
雪辱戦に向けて、
人気のいない早朝、
上下、ゴム引きのカッパを
着込み
フードで頭を覆い、
晴れの日も、
雨の日も、
風の日も、
黙々と
このグラウンドを



何周も、何周も
走っていた。

ボクサーとしては
遅咲きの輪島さんの
テレビで見る
ひょうきんな笑顔とは
まったく別人の、
暗い、暗い、
でも、
とても強い目をして
黙々と走っていた。

輪島さんが所属する
ボクシングジムは
このグラウンドの
すぐ近くにあった。

黙々と走り込む輪島さんの
その怖いような目を見ると
とても話しかけられずに
恐る恐る目礼をしたら、
目礼を返してくれた。

その頃ぼくは、
夜の海を怖がる自分の
心を強くしたくて
門前仲町にあった
プロボクシングジムに
通っていた。

逃げ場のないリングの中で
打ち合いをしなければいけない
ボクシングの怖さに
耐えることができれば、
船の上から見る夜の海を怖がる
自分の弱い心を
克服できるはずだと考えて
身体と心を鍛錬していたのだ。

そのジムに
輪島さんとの世界戦のために
来日した柳済斗が、
減量のための練習と
仕上げのスパーリングのために
かよってきていた。

ぼくがロープスキップをしている横で
サンドバッグを打つ
柳済斗のパンチは
怖いくらいに速く、重く、
そのジムで
最も重いサンドバッグが、
そのパンチを受けるたびに
キーン、という
悲鳴のような
高い金属音を発していた。

この、
韓国から来た若者が繰り出す
凶器のようなパンチを
数日後に
輪島さんが受けるのかと思うと
心が重くなった。


でもね、
輪島さんは
旧両国国技館で行われた
その世界タイトルマッチで、
大方の予想を覆して
この若者を倒して
雪辱を果たしたんだよね。

多くのスポーツ評論家は、
『奇跡』という言葉でしか
輪島さんの頑張りを
評価できなかったけど、
奇跡じゃない。

その裏には
普通の人が思いもよらないような
努力が隠されていたのさ。



そんなことをね、
このグラウンドを
久しぶりに走りながら
思い出していましたのさ。

そういうことを
知っているにもかかわらず
本日ワタクシは
浜ランを
さぼってしまいました。

自分が
情けなかとです。