ホクレア夜話/第七夜~太平洋の航海文化を辿る心の旅

2006年09月26日 | 風の旅人日乗
スロベニアのポルトロッシュでは、RC44の新艇のキールの取り付け、マスト立てと順調に準備が進められ、イタリアのトリエステで開催されるバルコナラ・カップ参戦に向けてのシェイクダウンを始める頃なのかと思います。

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『ホクレア夜話』もこれで第七夜目。
今晩で最後となる夜話は、2005年のCaptain's Worldに掲載された『太平洋の航海文化を辿る心の旅』で締め括る事にしたいと思います。
(text by Compass3号)

太平洋の航海文化を辿る心の旅

取材・文 西村一広

二百年前、キャプテン・クックが初めて西洋社会に伝えた太平洋文化圏。それからの長い年月、我々は太平洋の航海文化の本当の意味を知らずに過ごしてきた。しかし、我々日本人のルーツを辿るとき、太平洋とその大海原に展開する文化が、重要な意味を持つことに気付く

星の航海
自分たちはどこから来て、どこに行こうとしているのか。その答えを見つけるためにハワイ人たちが復元した古代航海セーリングカヌーが、ハワイの島々に数隻存在する。現代のハワイ人たちは、これらのセーリングカヌーに乗り、自分たちの祖先の故郷であるタヒチに至る航海を、幾度も繰り返してきた。それらの航海を通じて、彼らは彼ら自身や彼らの文化に対する誇りを思い出し、民族復興の活動を始めた。
三年前の夏、そのうちの一隻〈ホクレア〉に乗って、オアフ島のハワイカイからマウイ島のラハイナに向けて航海した日のことを思い出す。
夕陽がダイヤモンドヘッドの向こうに落ちる頃、セールを揚げ、ココヘッドを間近に見ながらモロカイ・チャンネルに滑り出る。貿易風が海面を走り、〈ホクレア〉のセールに吹き込む。伝説のカヌーは、その風に乗って力強く加速する。この海峡を西洋型の外洋ヨットで走るときに険しい表情で襲いかかってくる大波が、それと同じ波だとは信じられないくらい、そのハワイアン・カヌーを揺りかごのようにやさしく揺らすだけで、船底を通り抜けていく。
真夜中。〈ホクレア〉の舵を取る。すぐ横で、ナイノア・トンプソンが星空を見上げている。ナイノアは太平洋に伝わる古代航海術だけを使って太平洋を自在に航海することができる数少ない航海士だ。『ザ・ナヴィゲーター』と呼ばれ、現代ハワイ人の英雄である。
〈ホクレア〉の左右両舷の後ろ側、ナイノアが航海中いつも座る場所の手摺には、幾筋かの切り込みが彫り付けられている。タヒチへの行き帰りに使う星の方向の目安なんだ、とナイノアが教えてくれた。
月のない夜。〈ホクレア〉とその周囲の海は、とても不思議な空間と時間に包まれていた。素晴らしい航海の記憶だ。

キャプテン・クックが見た太平洋の航海文化
ポリネシア人たちの祖先は約五千年ほど前にタヒチ周辺に到達し、そこから、ニュージーランド、イースター島、そしてハワイ諸島へと拡散していった。その一部は南米まで足を伸ばした。
ノルウエーの故トール・ヘイエルダール博士は、太平洋の島々に生活するポリネシア人たちが、海流と追い風に乗って南米大陸から太平洋に、東から西へ拡散したという自説を実証するために、〈コンティキ〉と名付けたバルサ筏で実験航海を行なった。だが、ヘイエルダールの立てた仮説はいかにも西洋人らしい固定観念に縛りつけられていた。彼は、ポリネシア人たちが西洋型の帆船よりも高性能なカヌーを操っていた可能性を検証することも、彼らが海流と貿易風をさかのぼって自在に航海する能力を持っていた可能性を検証することもしなかった。そしてその後、ヘイエルダールのその仮説が間違っていたことが判明する。その後の考古学的発見などから、ポリネシア人たちがその文化圏を、太平洋の西から東へと広げていったことが明らかになったのだ。しかし、この最新の学説の大部分は、実は今から二百年以上も前に、イギリス人のジェームズ・クック船長がすでに看破していたことだった。
クックは三度に渡る太平洋への遠征航海を通じて、広大な太平洋に広がるポリネシアからメラネシアに至る島々で使われている言葉や文化が、同じ系列の中にあることに気付いた。クックはさらに、ポリネシア人たちが操る全長三十メートルを越す外洋カヌーが、素晴らしい高速で走るのを目の当たりにする。また、彼の〈エンデヴァー〉号に水先案内として同乗したタヒチ人が示した驚くべき航海能力を見て、彼らが太平洋についての深い知識と高度な航海術を持っていることを知った。それらのことから、太平洋の民族が非常に古い時代から太平洋の島々を自由自在に行き来してきたことを、クックは驚きを持って確信していたのだ。

日本人と太平洋
さらに時代を遡る。ポリネシア人の祖先とされているのは、現在のニューギニア辺りから舟に乗って太平洋に乗り出したラピタ人である。ラピタ人の故郷とされる海域には、二万年ほど前まで『スンダランド』と呼ばれる古代大陸があり、その大陸は現在のスマトラ島、ジャワ島、ボルネオ島を含めマレー半島と繋がり、ユーラシア大陸とも陸続きだった。
その後の地殻変動と海面の上昇でその大陸が沈み始めると、そこに住んでいた人々は舟を造り、海を渡り、島々の間を行き来するようになった。そうしてそのまま太平洋へと乗り出していったのだ。彼らは南だけではなく、黒潮に乗って北にも向かった。そして当時大陸と繋がっていた琉球に達し、その北にある大きな一つの島だった奄美群島にも到達し、そして九州、本州にも到達した。
その長い道程で、彼らの航海術と舟作り技術は格段に進歩していったことだろう。鹿児島県の栫ノ原遺跡からは一万二千年前の丸木舟制作のための石器が発見されている。これは造船用の道具としては世界最古のものである。その事実からすれば、我々日本人の祖先は、世界最古の造船民、海洋民だと言うこともできそうだ。そして、そんなふうに海からこの国にやってきた祖先から受け継がれた我々日本人の血の一部は、南太平洋へ向かった航海民族、ポリネシアの人々とも深く繋がっているはずなのだ。

サバニがつなぐもの
二年前、ナイノア・トンプソンが沖縄を訪れた。サバニに乗って座間味島から那覇までの海を走るためだ。
サバニとは、少なくとも数百年前まで歴史を遡ることができる琉球古来の帆装小舟である。主として漁業に使われてきたが、その船型は非常に洗練されていて、現代の西洋型ヨットをまったく相手にしないほど高速でセーリングすることができる。
しかし、サバニが伝える祖先の海洋文化を、操船法も含めて保存しようという有志が立ち上がらなければ、その存在は二十一世紀を待たずして日本の海洋文化の歴史から忘れ去られていたはずだ。有志たちは「帆装サバニ保存会」という組織を立ち上げ、毎年梅雨明けに慶良間諸島の座間味島から那覇までのレースを行なうことで、サバニとその帆走技術を次世代に伝えていくことを企画した。そのサバニ・レースは年を追う毎に規模を拡大し、最近では新しい木造サバニが続々と進水するようになった。サバニをきっかけに、沖縄の人たちが、海の民である自分たちの祖先とその誇りを思い出すようになったのだ。沖縄の海のルネッサンスである。
日本列島の南端に古い伝統をもつサバニという舟があることを、『帆装サバニ保存会』の活動を通してハワイ人たちが知るところとなる。そして彼らを代表するナイノアが、深い敬意を持ってそのサバニという舟に乗りに来ることになったのだ。サバニに触れ、実際にそれに乗って航海したことで、ナイノアは日本とそこに住む人々が、自分たちポリネシア民族と深く繋がっていることを確信した。我々は太平洋の島々に住む同じ家族だ――
ナイノアは来年2006年、今度は自分たちハワイ人の舟<ホクレア>で沖縄と日本列島を再訪することを計画している。サバニという小舟が、広大な太平洋に拡散していった航海民族の大きな輪を、数千年の時を経てつなぐ役割りを果たそうとしている。ナイノアの確信によれば、二百年前、キャプテン・クックを驚かせた太平洋の航海文化は、実は我々日本人とも密接な関係を持っていることになるのだ。

(無断転載はしないでおくれ)

本の紹介
青い地図㊤㊦ トニー・ホルヴィッツ著 山本光伸訳 バジリコ株式会社
著者のトニー・ホルヴィッツはピューリッツァー賞受賞ジャーナリスト。キャプテン・クックの航海を西洋文化と太平洋文化の両方の側から詳しく取材し、三度に渡るクックの太平洋周航を、斬新な切り口で説き明かしてゆく。