ホクレア夜話/第五夜~太平洋民族の叡智を今に伝える男

2006年09月24日 | 風の旅人日乗
台風14号が本州の東海上を北東へ進み、日本列島から徐々に遠ざかっていく。
スッキリ秋晴れとなった湘南の海は、台風が残したスウェルを目当てに、沢山のサーファーで溢れ返っていた。
さて、『ホクレア夜話』の第五夜目は、2003年の舵誌に掲載された『海人ウォーターマンの肖像‐ナイノア・トンプソン(Nainoa Thompson)』の前半から。
(text by Compass3号)

『海人ウォーターマンの肖像‐ナイノア・トンプソン(Nainoa Thompson)』
 <<舵2003年掲載>>

文/西村一広
Text by Kazu Nishimura

太平洋民族の叡智を今に伝える、
"NAINOA, The Navigator"と呼ばれる男

ナイノア・トンプソンというハワイ人のことを書こうと思う。
私が、彼の名前を初めて知ったのは4年前のことだ。そして、彼のことを書いた本や彼を取材した映画を通じて、この人物が、太平洋を舞台に非常に意義深い航海や活動を成し遂げてきたことを知るようになった。
その後、実際にナイノア・トンプソンに会い、ハワイの海を一緒にセーリングしたり、沖縄の海でパドリングを共にするようになると、彼の存在と生き様は、私自身の考え方や生き方そのものに大きな影響を及ぼすようになった。
・・・海で生きる人間として、こういう男に自分はなりたかったのではなかったか・・・。彼のような姿勢で海とセーリングに関わりたくて、現在に至る自分の生き方を選んだのではなかったか・・・。
ナイノアという男に触れて以来、自分が日本人であることの意味や、自分たち日本人が海に出ることの意味、そしてセーリングという文化に自分が関わる意味について、真剣に考える時間が増えた。そうすると、セーリングの技に長けることやヨットレースで勝とうとすることだけに意義を見出そうとしていたそれまでに比べて、海の上で過ごす時間やセーリングそのものに、一層の愛着を感じるようになった。また、それから派生したものだと思うのだが、日本人であることや、海で生きることを選んだ自分への誇りが、我ながら驚くほど、強く湧いてくるようになった。
ナイノア・トンプソンは、太平洋民族が遥か数千年前から伝承してきた航海術を現代に引き継ぐナビゲーターである。彼は、祖先から伝わる航海能力と文化を太平洋民族が誇りに思い、それを未来に伝えていくことを願っている。彼は、ポリネシア人と同じように太平洋に浮かぶ島に住む日本人もまた、祖先を同じくする太平洋民族の一員であると強く感じている。

ノルウエーの故トール・ヘイエルダールは、太平洋の島々に生活するポリネシア人たちが南米大陸から海流に乗って太平洋に拡散したという仮説を実証するためにバルサ筏〈コンティキ号〉での実験航海を行なった。だが、ヘイエルダールの立てた仮説はいかにも西洋人らしい固定観念に縛りつけられていた。彼は、他のほとんどの西洋知識人と同様、古代太平洋民族が西欧の航海術を上回る航海能力や知的水準を持っていたはずがないと考えた。ポリネシア人たちが海流と貿易風を遡って西から東へ移動した可能性を検討することなど、彼には思いもよらないことであった。
しかしヘイエルダールの実験航海後しばらくすると、動かしがたい考古学上の発見や科学的調査分析を通じて、彼の仮説が間違っていたことが明らかになる。今では、太平洋の民族と文化圏は西から東へ、つまり現在のミクロネシア、メラネシアを経てポリネシアに拡散していったこと、そしてその一部が南米まで到達したこと、などが明らかになっている。相変わらずの固定観念から抜け出せない多くの西洋人考古学者たちも、この学説については渋々認めざるを得なくなっている。だがこの学説の大部分は、実は今から200年以上も前に、皮肉なことに、西洋人の英雄であるキャプテン・クックがすでに看破していたのだ。
クックは複数回に渡る太平洋への遠征航海を通じて、広大な太平洋に広がる、ポリネシアからメラネシアに至る島々で使われている言葉や文化が同じ系列であることに気付いた。そして、彼らが操る全長30メートルを越すセーリング航海カヌーが高速で走るのを目の当たりにする。また、彼の西洋型帆船に水先案内として同乗したタヒチの長老が示した驚くべき航海能力から、彼らが太平洋についての深い知識と高度な航海術を持っていることを知った。それらのことから、太平洋の民族が非常に古い時代から太平洋の島々を自在に行き来してきたことを、クックは驚きを持って確信するに至ったのだった。
キャプテン・クックは、太平洋民族の航海術の詳細について、西洋航海術では不可欠な、時計をはじめとする天測用具を一切必要としないらしいことと、彼らがそれぞれの島への方位、距離を正確に把握していること以外、具体的に知ることはできなかった。その後、比較的最近になって、ミクロネシアの島々に辛うじて残っている伝承や、数少ない航海士の末裔の記憶から、その航海術の実際が世に知られるようになった。
この伝統航海術はそれぞれの島の、航海士として特殊な能力を備えた子孫だけに伝承されていく。その航海術はすべて、数千年の昔から脈々と受け継がれてきた”記憶”だけで成り立っている。どんな道具も使わなければ、データを記録する筆記用具の類も必要としない。歌として記憶した星や太陽の位置、脳に記憶した航海時間とスピード、カヌーを通して体に伝わる海のうねりなどの情報を元に目的地へと向かう。
次世代の航海士と定められた者は、生れた直後からそのための教育を受け始めるが、それは、膨大なデータを記憶し海での感覚を研ぎ澄ますために、みずみずしい状態の脳細胞が必要とされるからだ。
ナイノア・トンプソンは、この航海術を自らの意思で学んだ。そのとき彼はすでに20歳を越えていた。遅すぎるスタートだった。祖先から伝わる伝統を、自分が後生に伝えなければならないという情熱が、彼を衝き動かした。

(第六夜へ続く)