タイ・チェンライの少年サッカーグループのメンバー13名が18日ぶりに全員無事に 洞窟から救済されたニュース、はらはらしながら経過を見守っていた。 無事完了のニュースを知ったときは、思わずよかった、と独り言を発するほどだった。
少しずつ実態が報じられるようになって事情がわかってきたが、メンバーは25歳の リーダーと共にトレーニングの一環ということで行っていったらしい。洞窟に入ることが トレーニングの一環というのはどう言う意味かわからないが。大変な冒険のように思える。
それにしても5キロ先の洞窟の奥深くによく入ったものだ。おそらく気がついて大変な 事が起っていると感じたかもしrない。タイの救急専門家はもとより、世界中の英知と 経験を踏まえた救援スタッフが懸命の行動による成果だということは誰しも感銘を受け たに違いない。
こんなとき決まってメンバーを批判するものがツイッターなどで出現してくる。向こう見 ずな行動に対してであり、指導者がついていながら何をしているのか、というようなことだ。
しかし、多くの人は一刻も早く救出される事を固唾を呑んで祈るような思いで見つめて いたはずだ。ましてや家族にとっては、どんなに叱られ、批判されようとも助かってほしいと 思い続けたことは間違いあるまい。
ぼくがおどろいたのは、そんなやり取りではない。連日洞窟内の水が放出されていた水が 近くの農業を営む人の田んぼにあふれ、植えたばかりの米を台無しになってしまったにも かかわらず、命を救うためには喜んで協力する。まずは命だ、と語っていたことだ。
いい得て簡単にいえることではない。もしかして「この損害をどうしてくれる」といったとしても 不思議ではない。西日本では連日の豪雨で広範囲に犠牲者を生んでしまった。こんなとき、 被害に遭わなかったものは何が出来るのか、せいぜい募金に応じることくらいいだろうか。 今回の出来事は決して小さいことではない。またタイだけの話ではない。ぼくたちもまた 一緒に考える教訓を見出す必要がありそうだ。いずれにしてもよかった。早く回復することを 祈っていたい。理屈や批判は後だ。世界の優しさが届いたような気がする。
やさしいタイガー
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