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忘れられないことと忘れてはならないこと

2011-08-04 09:10:10 | 日記・エッセイ・コラム

 生きている限り、何度か8月を通過していくのですが、ぼくが最も記憶にあるのは、1945年8月です。まだ小学校低学年の頃の話しです。この日は、特別に暑かったように記憶しています。

 8月15日、日本の歴史に永遠に記録される一大事件が起こったのでした。幼な心に衝撃を感じ取っていました。周囲の大人たちは深くうなだれながら、涙を流しているのを見たからです。「日本は戦争に負けたんだよ」という言葉には、安堵感より、「日本は負けるはずがない」と叩き込まれてきたことは、何だったのかという精神的混乱のほうが漂っていたのかもしれません。

 身体を焼き尽くすようなギラギラした太陽が降り注ぎ、風もなく、激しくセミがなき、まさに灼熱そのものでした。畑に様変わりしていた運動場は、トマト、かぼちゃ、さつまいもなどを所狭しと植えられ、それらが隆々と育っていたことも鮮明に覚えています。

 あれからもう66年になるのです。しかし、人びとの心の中には、忘れてしまいたい程、甚大な被害を受けた方も多数いました。ぼくは、事の重大さを実感できないまま、空襲がないことに喜んでいた少年期でした。

 けれども忘れられないのです。今思えば、この日が生きることの尊さを感じ始める原点だったと思い返すのです。いかなる理由でも、戦争だけは、弁明を許されないのです。決して恐怖から解放されることがないからです。

 今の時代、少なくとも戦争がないという現実だけは、何とか保ってきました。しかし、いつしか悲しみや辛さを忘れ、背後から新しい危機感を抱かせる事実が沸き起こり、真実を隠す為政者や戦争礼賛者が隙をついて右旋回を始めているのです。

 人間とは、なんと悲しい動物なのだろう、と思います。「平和」といえば、戦争のない社会を想定するだけでなく、過去の体験を無駄にすることなく、人びとが安心して暮らすことが出来る環境を作ることであり、それを為政者に託しているのです。残念なことに、とても足元がふらついていて、混沌とした政治力に不安を感じているのが実感です。今年も66回目の夏です。

やさしいタイガー


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