今、日本には50基ほどの原子力発電所があるが、稼働しているのは数機程度だ。 政府や電力会社は盛んに再稼働を急いでいる。東日本大震災以後、東京電力福島第一原子力発電所の爆発によって 受けた被害はいまだに終焉していない。犠牲者は先の見えない中で日々苦しい生活を送っているに違いない。
一向に進まない対策、政府は関連省庁を設け、非力な大臣のポストを設け、口先では花火を上げるが、後が続いていない。 わずかな賠償ももう底をついていることだろう。これからどうして生きていけばよいのか、支援するシステムも整っているわけでも なさそうだ。さらに加えて、心ない人々が陰に陽にかける言葉や排除的態度、差別や蔑視によって、ひとかけらの愛や同情もなく、 非難する許せない人もいるようだ。
政界も経済界も教育界も到底真摯な取り組みをしているとは思えない動きで、怒りさえ感じる人も多かろう。 そんな中、先ごろ民進党は原発を「2030年」で廃止すると発表した。当時は「2030年代」と言っていたものを前倒しだ。 なかなか勇気ある決断だと思っていたところ、前言取り消して「2030年代」に戻してしまった。どうやら「連合」が 待ったをかけたからだ。
どう話し合ったかは知らないが、連合という組織は弱者やモノを言えない人々を守ろうとして組織ではなかったのか。 まるで経団連のお抱え組合のような誰の立場に立っているのか、大いに疑問を感じる。 この言い分が本当なら明らかに間違っている。計画とは、まずはゴールを設定して、その期間になすべきことを時系列的に示し、 一つ一つつぶしていくという手法は企業ならどこでもやっていることだ。
連合は解決への道を断念したかのようだ。先見的的立場で計画する能力がないからだろう。政党が自らの政治信念で 発表したものを外郭団体の圧力によって転向するというのは理不尽な話だ。自民党がとる各種団体とのなれ合いを 日常茶飯事年、集票を目的とする党なら、やっぱりかと思うが、この重大な事故対応にゴールを表現しないというのは、 政党も連合も期待のかけらもないことを露呈してしまった。そんなことをいうと、「お前ら素人に政治のことなどわからないのだから、 黙ってみていろ」というのかもしれないが、私は一人の人間として断じて許せない動きだ。
民進党が本当に市民の側に立った政治を志すのなら、堂々と意志をつらぬて行くべきではないのか。 こんな態度では与党を利するだけだ。失望を禁じ得ない。考えてもみてほしい。原発爆発以後、何が解決して安心さてくれたのか。 放射能の汚染の処理は済んだか。核廃棄物の処理や埋め立て地は決まったか。それはどこか。 再稼働の条件、厳しい事故への多様な環境作り、条件など整ったか。再稼働に相応しい条件を国民に提示したか。 国民も納得しているか。
これに対して政府はまともに誠実に真実を語れまい。何も解決していないからだ。にもかかわらずインドと原子力の輸出の 締結をしているし、虎視眈々と相手先を探している。次々と発する政府や自民党の矢はまるで毒矢のようなものだ。 これを「積極的平和」の中に包み込んでしまうのなら、国民の思いとは到底相容れない反対の道を進みつつあるということに なるだかろう。そんな宰相を幼い子供たちに「応援しましょう」と唱和させる幼稚園が大阪にあるそうだ。 こんな幼稚園に通わせる親のの心の内側をのぞいてみたい気がする。
やさしいタイガー
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