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坪内逍遥の没年

2018-01-30 21:26:42 | 本・雑誌
宮崎翁からお借りした本『父 逍遥の背中』を読み終える。

逍遥の養女、飯塚くにの話をもとに小西聖一が書いたもの。
見事な聞き書きだった。
逍遥の人柄を、余すところなく語っている。
逍遥、その人に触れたような気にさせられる。
恥ずかしながら、わたしは『小説神髄』をまだ読んだことはないのだが、ぜひ読まなければならない気になった。
宮崎翁の思惑通りなのだろう。
『父 逍遥の背中』には10葉ばかりの写真が載っている。
その一枚。
逍遥は昭和10年に75歳で亡くなっている。
この写真の時は、大正10年とあるから、60歳前後か。
しかし、今の人なら70歳以上に見える。
昔の文人は若くして老成していたのですね。
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内藤國雄さん

2018-01-30 10:30:54 | 将棋
今日の神戸新聞「発言」欄。
←クリック。
この投稿者はわたしのお師匠さんです。
昔、将棋を教えていただきました。わたしは、内藤九段の孫弟子というわけです。
A司さんはK大学の将棋部出身。そこで顧問だった内藤さんに指導を受けたことを書いておられます。
もう30年以上も昔にわたしはこのA司さんに教えて頂いたのでした。
当時、兵庫県のアマチュア四天王の一人と新聞に紹介されたことのある人です。
大学の将棋部に所属しながら町の道場でも腕を磨いたという人。
だから、正統派でもあり、また町道場特有の力将棋にも通じていた人。
そんな人にわたしは何年間か教えて頂いたのでした。
毎週一回だけ、この先生(当時高校教師だった)のお宅に伺って一局だけ指導を受けました。
二枚落ち(飛車角落ち)から始めて、香落ちまで進んだところでお互いの生活が忙しくなり、終了しました。
最初に言われたのは、「三段にはしてあげる」でした。その時わたしは多分2、3級ぐらいだったと思います。
初段ぐらいになるのに約1年かかったと思います。
そして最終的には言われた通り、三段程度に。
すぐにわたしの潜在能力が三段までだと見破られていたのでしょう。
あの、何年間か受けた指導が、今、子どもを指導するわたしの力になっています。
A先生はわたしに正統派の将棋を教えてくださいました。
駒落ち定跡からみっちりと勉強したのでした。
それが今生かされています。
将棋の強い人はいくらでもいますが、子どもを上手に指導できる人は少ないのです。

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