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『あふれでたのはやさしさだった』

2022-06-27 16:39:57 | 本・雑誌
『あふれでたのはやさしさだった』(寮美千子著・西日本出版社)。



昨日図書館からお借りしてきた本。
前に紹介した二冊の本、『世界はもっと美しくなる』と『空が青いから白をえらんだのです』に続く寮美千子さんの本です。
読み始めたとこですが、前の二冊とは内容が違います。
奈良少年刑務所の少年たちの詩作品を紹介するものではありません。多少は載ってるようですが。
前の二冊の成り立ちを綴ったものであり、解説したものであり、補完したもの、いや、うまく言えませんが、
また新たな感動を受けています。
これは「目次」です。
←クリック。
いかにも良い内容だと思えます。
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小松左京と六年間

2022-06-27 09:31:57 | 文学
毎朝妻は隣のお地蔵さんに掃除に行っている。
そこには毎朝お参りに来る人があって何人かと顔なじみになっている。
そのうちのお一人にH田さんという90歳ぐらいの老人がおられて、近くの老人介護施設に入所しておられる。
毎朝散歩がてらにお参りに来られるのだ。
今朝のこと、妻が帰ってきて言う。
その人がわたしに会いたいと言っておられると。
で、わたしは初めて境内でお会いし、そこで「読んでほしい」とプリントを手渡された。
「小松実君」という題のエッセイ。
10年ほど前に小松左京が亡くなった時(没年2011年)に書いたものだという。
「実」は左京の本名。
幼稚園から小学校卒業まで家が近所(西宮市若松町)で同学年だったというのだ。
ところが覚えていないとのこと。
戦災で集合写真も残っておらず、確かめられないのだと。
H田さんのお姉さんが図書館に勤めておられて(数十年昔の話だ)「あなたは小松左京と同級生だったね」と言われたのを覚えているのだという。
しかし、自分はそのころ文学には疎く小松左京の名前も知らなかったと。
ところが左京が亡くなった時にその新聞記事を見て、改めて思いをめぐらしたとのこと。だけど、彼のことを全く思い出せないというのだ。
文の最後に書いておられる。
《いろいろ考えたが、彼は所謂、今でいうエリートグループで、私は落ちこぼれだったので、あまり接触がなかったからではないか。》
わたしが考えるには、別の理由がある気がする。
それはH田さんには言わないでおこう。
因みにH田さんがわたしに読んでほしいと言われたわけは、拙著『縁起・小墓圓満地蔵尊』を購入して読んでおられて、話が分かる人と思われたらしい。文学には疎いといわれるわりにはしっかりとした文章を書いておられる。
小松左京については、丁度今読んでいる『星新一』に重要な人物として登場している。
そんな話もしようと思ったのだが…。
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