本日2回目の投稿は、明日の原発アクションのこと。
明日で震災3か月です。
先日載せたように、明日は全国129か所、外国でも11か国20か所で
「脱原発100万人アクション」が行われます。
11時~4時くらいまで続く、青森のいろんなイベントですが、
私は時間の都合上、たぶん、署名活動と、その後でフリートークの様子を
見に行きます。
きのう、「25年後のチェルノブイリ」についての動画を見ました。
高世(たかせ)仁(じん)さんの「仁ネット」のもの。
ちょうど25年前の4月に起こったチェルノブイリの原発事故。
今もって、原発近くの土地は進入禁止区域になっていて、一般人は入れません。
30キロ圏内では、しかし、今普通に生活している人たちも多くいるようです。
「ふるさとだから」。この人たちにとっては、捨てることができないものです。
決して、原発を赦して(許して)いません。憎しみがあるといいます。
福島もそうですが、ガイガーカウンターで計ると、放射線量は決して一律に
きれいに分布しているわけでなく、まだらなので、チェルノブイリ近郊に
住む人たちも、割に放射線量が低めの所に生活しているようですね。
当時の政府は、避難の必要な人たちに「3日間だけ」とうそをついて避難させ
たようです。その結果、避難民は軽いものだけを数個持って避難したため、
空き家には泥棒が入ってしまったそうです。
また、政府が事態の緊急性を隠し、しばらくの間、正しい情報を伝えなかった地域もあり、その人達は何も知らずに畑仕事をしていたので、多くの人が被曝して
しまったといいます。
似ていませんか?福島の事態と日本政府の対応と。
当時の政府は、外国にも事故について隠していました。
ヨーロッパのある国の原発施設の放射線量が異常を示したことから、ばれて、
ようやく原発事故を認めたようです。
話を日本に戻して・・・。
福島の人たちの葛藤が、先日NHKの「アサイチ」で放送されました。
それは、福島から県外に避難している人たちの思いと、福島県内に留まっている人の思いの隔たりです。
福島から出たママ達(避難区域ではない人たち)は、自分のこと以上に、子供の
ことを考えて「出た」わけです。
それは親としては、自然な、当然な、賢明な選択ですよね。
ところが、県内に残ったママ達は、子供の事を気にしながらも、家族が離ればなれに
なるよりも、そして、違う土地になじめなかった子供のストレスなどを考慮して
「出なかった」のです。
これもまた、放射能を恐れながらも、必死で家族の絆を守ろうとしている、当然の
選択かも知れません。
ただ、この両者の思いは、決して理解し合えていないという現実がある、という
ことなんです。
それぞれの選択は尊重されるべきです。
でも、福島県内に留まる方達にとって、テレビで「出た」人たちのことが放送される
こと自体が、とても心に動揺を起こすし、不安にもなる。
そしてまた、逆に、福島を「出た」人たちは、福島県内の方達に対して、自分が
出たことをかたくなに言わないようにしているのです。
「肩身が狭い」とのことでした。
同じ県民なのに、こんな溝を作ってしまうのは、やはり原発自体の問題なのだから、本当に悲しいばかりです。
原発と「核」は関連したものです。
日本は広島と長崎で、核爆弾の犠牲になった唯一の国なのです。
それが今度は、原発でチェルノブイリと並ぶ事故になってしまった。
大江健三郎さんは3月の時点で、アメリカのメディアに文章で訴えました。
日本は、かつての核の犠牲になって亡くなっていった人たちに、どう弁明するのか。
非核三原則は今は形骸化されている。
原発事故という事態に対して何を日本は学んでいくのか。
これは日本人の私たち一人一人に問いかけられた問ではないかと思います。
原発のない、核のない、そんな世界が創られいくように願い、祈ります。
ここあでした。
明日で震災3か月です。
先日載せたように、明日は全国129か所、外国でも11か国20か所で
「脱原発100万人アクション」が行われます。
11時~4時くらいまで続く、青森のいろんなイベントですが、
私は時間の都合上、たぶん、署名活動と、その後でフリートークの様子を
見に行きます。
きのう、「25年後のチェルノブイリ」についての動画を見ました。
高世(たかせ)仁(じん)さんの「仁ネット」のもの。
ちょうど25年前の4月に起こったチェルノブイリの原発事故。
今もって、原発近くの土地は進入禁止区域になっていて、一般人は入れません。
30キロ圏内では、しかし、今普通に生活している人たちも多くいるようです。
「ふるさとだから」。この人たちにとっては、捨てることができないものです。
決して、原発を赦して(許して)いません。憎しみがあるといいます。
福島もそうですが、ガイガーカウンターで計ると、放射線量は決して一律に
きれいに分布しているわけでなく、まだらなので、チェルノブイリ近郊に
住む人たちも、割に放射線量が低めの所に生活しているようですね。
当時の政府は、避難の必要な人たちに「3日間だけ」とうそをついて避難させ
たようです。その結果、避難民は軽いものだけを数個持って避難したため、
空き家には泥棒が入ってしまったそうです。
また、政府が事態の緊急性を隠し、しばらくの間、正しい情報を伝えなかった地域もあり、その人達は何も知らずに畑仕事をしていたので、多くの人が被曝して
しまったといいます。
似ていませんか?福島の事態と日本政府の対応と。
当時の政府は、外国にも事故について隠していました。
ヨーロッパのある国の原発施設の放射線量が異常を示したことから、ばれて、
ようやく原発事故を認めたようです。
話を日本に戻して・・・。
福島の人たちの葛藤が、先日NHKの「アサイチ」で放送されました。
それは、福島から県外に避難している人たちの思いと、福島県内に留まっている人の思いの隔たりです。
福島から出たママ達(避難区域ではない人たち)は、自分のこと以上に、子供の
ことを考えて「出た」わけです。
それは親としては、自然な、当然な、賢明な選択ですよね。
ところが、県内に残ったママ達は、子供の事を気にしながらも、家族が離ればなれに
なるよりも、そして、違う土地になじめなかった子供のストレスなどを考慮して
「出なかった」のです。
これもまた、放射能を恐れながらも、必死で家族の絆を守ろうとしている、当然の
選択かも知れません。
ただ、この両者の思いは、決して理解し合えていないという現実がある、という
ことなんです。
それぞれの選択は尊重されるべきです。
でも、福島県内に留まる方達にとって、テレビで「出た」人たちのことが放送される
こと自体が、とても心に動揺を起こすし、不安にもなる。
そしてまた、逆に、福島を「出た」人たちは、福島県内の方達に対して、自分が
出たことをかたくなに言わないようにしているのです。
「肩身が狭い」とのことでした。
同じ県民なのに、こんな溝を作ってしまうのは、やはり原発自体の問題なのだから、本当に悲しいばかりです。
原発と「核」は関連したものです。
日本は広島と長崎で、核爆弾の犠牲になった唯一の国なのです。
それが今度は、原発でチェルノブイリと並ぶ事故になってしまった。
大江健三郎さんは3月の時点で、アメリカのメディアに文章で訴えました。
日本は、かつての核の犠牲になって亡くなっていった人たちに、どう弁明するのか。
非核三原則は今は形骸化されている。
原発事故という事態に対して何を日本は学んでいくのか。
これは日本人の私たち一人一人に問いかけられた問ではないかと思います。
原発のない、核のない、そんな世界が創られいくように願い、祈ります。
ここあでした。