初心者のクラシック

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モーリス・ラヴェル(第4話)

2008年02月21日 | 作曲家の生涯
たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?

今日はジョセフ・モーリス・ラヴェル(第4話)です。

≪作曲家ゆかりの曲≫
ラヴェル:管弦楽曲集(第1集) ボレロ/スペイン狂詩曲/ラ・ヴァルス
パリ音楽院管弦楽団
EMIミュージック・ジャパン

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【Joseph-Maurice Ravel】

度重なる“ローマ大賞”への挑戦も虚しく不本意な結果に終わってしまうラヴェルでしたが、今日はその続きからです。

(第4話)【批判とスペイン狂詩曲】
ローマ大賞こそは逃してしまったものの、作曲家としての道を歩むべく作曲を本格的にはじめたラヴェルは1906年に歌曲集「博物誌」を作曲し初演します。

ところが、この曲に対して(スペイン交響曲で有名なラロの息子)ピエール・ラロから「これはドビュッシーの盗作だ!」として非難を受ける事になってしまいます。

これにめげず?同時期に作曲した「スペイン狂詩曲」が1908年に初演されると、まずまずの成功を収め、スペインの作曲家ファリャからも絶賛を受ける事が出来たのでした。

この「スペイン協奏曲」は4部構成で出来たオーケストラ作品でしたが、3曲目の「ハバネラ」だけは既に1895年にピアノ曲として完成していたものでした。この曲と他3曲を合わせて「スペイン狂詩曲」として初演されたのですが、3曲目の「ハバネラ」が加えられたのは、その後1903年にドビュッシーの作曲したピアノ曲「版画」の第2曲「グラナダの夕べ」を聴いたラヴェルが「自分のハバネラに似てない?!」なんて事を言ったとか言わなかったとか・・・。

そんないきさつがあったため、ピエール・ラロからの批判にあてつけるために、ラヴェルは、わざわざ既に作曲していた「ハバネラ」を新作の「スペイン狂詩曲」に取り入れる事によって、批判を逆手に取ろうとしたのではないか?という説までささやかれるようになるのでした。

ともあれ、「スペイン狂詩曲」はその後も大きな支持を集め、現在ではラヴェルの作品を代表する一曲になっている事だけは間違いないようです。

スペイン狂詩曲が話題になっていた頃、1908年父のジョセフが亡くなるのでした。数年前から体調を崩し、闘病生活を送っていた父でしたが・・・、思えば父親のピアノを聴いて育ったラヴェルが、その道を選んだ事にも大きく影響を与え、息子ラヴェルのよき理解者でもあった父ジョセフの死は、少なからずラヴェルにショックを与え、その後しばらくはラヴェルも失意の日々を送るのでした。



せっかくの作品を“盗作”呼ばわりされてしまうラヴェルでしたが、スペイン狂詩曲を初演すると、その汚名もいくらかは返上することができたようです。しかしながら、父親の死に触れることになってしまったラヴェル。このつづきはまた明日。

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