初心者のクラシック

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モーリス・ラヴェル(第5話)

2008年02月22日 | 作曲家の生涯
たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?

今日はジョセフ・モーリス・ラヴェル(第5話)です。

≪作曲家ゆかりの曲≫
ラヴェル:バレエ音楽〈ダフニスとクロエ〉
ブーレーズ(ピエール),ベルリン放送合唱団
ユニバーサル ミュージック クラシック

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【Joseph-Maurice Ravel】

スペイン狂詩曲が注目される中、父親の不幸に落ち込むラヴェルでしたが・・・、今日はその続きからです。

(第5話)【第一次世界大戦】
父親の死をどうにか乗り越えながら、ラヴェルは音楽に取り組みます。その甲斐もあってか、やや波乱含みではあるものの、その作品は話題を呼び作曲家ラヴェルの名声も次第に大きくなっていくのでした。

そんなラヴェルの名声を聞きつけたのか、1909年にロシア・バレエ団のディアギレフから、「ダフニスとクロエ」の作曲を依頼されるのでした。

このディアギレフ率いるロシアバレエ団は、パリで既に成功を収めていたため、次の公演のために新作を求めて、新人の作曲家にその音楽を依頼します。そのひとりがラヴェルだったのでした。

そして遂に完成した「ダフニスとクロエ」が1912年に初演されると、大成功を収めるのでした。この成功をきっかけに作曲家ラヴェルも一躍有名になっていきます。

作曲家としても、ようやく名前の売れてきたこの頃、1914年第一次世界大戦が勃発します。
ラヴェルはこの時、既に39歳になっていましたが、「祖国のために!」とフランス軍に志願するのでした。

小柄だったラヴェルは、最初に空軍に志願したようですが、徴兵検査にひっかかってしまい、入隊を拒否されてしまいます。しかし、どうしても諦めきれなかったラヴェルは、どうにかして志願し、輸送部隊に配属となり1916年からいよいよ戦地に赴く事になります。

ところが、いざ戦場に着いたものの、ラヴェルにとって戦地は想像以上に過酷なものだったのか?早くも赤痢を患ってしまい、戦場から引き返し病院に入る事になってしまいます。

結局、散々な思いをして戦地から引き返してきますが、悪い事は重なるもので、1917年母親が亡くなってしまうのでした。
体調を崩し戦地から帰ってくると、まるで追い打ちをかけるように不幸がラヴェルを待ち受けていたのです。

「なんでオレだけがこんなヒドイ目に遭うんだろう!」度重なる不運にラヴェルもきっと打ちひしがれていた事でしょう。


「ダフニスとクロエ」でようやく名前が売れてきたラヴェルでしたが、大戦の中、愛国心のあまり従軍するも、体調不良で引き返し、そこへ母の死が突き付けられてしまうラヴェル…。このつづきはまた来週。

このブログの組曲「ダフニスとクロエ」第2組曲の記事はこちら

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