初心者のクラシック

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モーリス・ラヴェル(第7話)

2008年02月26日 | 作曲家の生涯
たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?

今日はジョセフ・モーリス・ラヴェル(第7話)です。

≪作曲家ゆかりの曲≫
ボレロ~ラヴェル:管弦楽曲集
デュトワ(シャルル),モントリオール交響合唱団
ユニバーサル ミュージック クラシック

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【Joseph-Maurice Ravel】

第一次大戦を経て「ク-プランの墓」を作曲し、その後も作曲を続けながらヨーロッパ各地を演奏旅行するラヴェル。今日はその続きからです。

(第7話)【アメリカ演奏旅行】
演奏旅行でヨーロッパ各地を転々とするラヴェルでしたが、1928年には、いよいよアメリカ大陸へ渡ることになります。

フランス、パリでは賛否両論の飛び交うラヴェルの作品でしたが、アメリカではニューヨーク、ボストンをはじめ高い評価を受け、聴衆からも大絶賛を受けるとともに多大な報酬を手にする事ができたのでした。

そしてアメリカでは既に「ラプソディ・イン・ブルー」で成功していたガーシュウィンに会うと、「フランスの作曲家に学びたかった」と、言われたラヴェルは「あなたはもう一流のガーシュウィンじゃないですか。二流のラヴェルになるおつもりですか」と言ったという逸話も残されているようです。

こうして4ヶ月に渡るアメリカ演奏旅行を終えて、フランスに帰国したラヴェルは、バレエ音楽の作曲を依頼されます。そして完成したのが、「ボレロ」だったのです。

今でこそ、ラヴェルの代名詞とも言えるこの曲は、クラシックでも人気があって、一般的にも有名なメロディのこの曲ですが・・・、とにかく同じメロディがひたすら繰り返されるこの曲。
1928年にパリのオペラ座で初演されると、演奏を聴いた一人の女性が「作曲者は狂っている!」と叫ぶと、その事を聞いたラヴェルは「その女性こそこの曲の真の理解者だ」と言ったという。なんともシャレたエピソードもあるようです。

翌1929年にはアメリカでの成功を受けて自らが演奏するための「ピアノ協奏曲」の作曲に取り掛かります。

ピアノ協奏曲の作曲中、別の作品の作曲依頼が入ります。第一次大戦によって右手を失ったピアニストのパウル・ヴィトゲンシュタインからの依頼で、それは左手だけで弾けるピアノ協奏曲を作曲する事でした。


アメリカでは大喝采を受けるラヴェル。パリでは「ボレロ」がまたしても賛否両論?!のような展開を見せるラヴェルでしたが、次はピアノ協奏曲に挑みます。このつづきはまた明日。

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