初心者のクラシック

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モーリス・ラヴェル(第2話)

2008年02月19日 | 作曲家の生涯
たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?

今日はジョセフ・モーリス・ラヴェル(第2話)です。

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一応右がラヴェルです
【Joseph-Maurice Ravel】

パリ音楽院に若くして学んだものの、あまり熱心には勉強していなかったラヴェルのようですが・・・、今日はその続きからです。

(第2話)【パリ音楽院】
パリ音楽院では、あまり真面目な生徒では無かったようですが、そんなラヴェルは学生時代にも様々なエピソードを残しています。

狂詩曲「スペイン」を作曲した(1883年)作曲家シャブリエにも興味を示し、ラヴェルもこれに強く影響を受けるようになっていきます。

また、1893年には父ジョセフの紹介でエリック・サティとも知り合います。当時のパリではサティの音楽は、その斬新な作風のあまり、異端児扱いされていたようですが、ラヴェルにとってはこの斬新な音楽が新鮮に聴こえたのでしょうか?サティの音楽にも強く関心を示していくのでした。

1897年22歳のときに、パリ音楽院でも多くの出会いと音楽を吸収していたラヴェルの元に、チュニジアで音楽を教える仕事の話が持ち上がります。しかし、常に新しい音楽が生まれるパリには刺激的な音楽を共に味わう友人も多くおり、協力者であり、よき理解者でもある家族の元を離れる事を気にかけたラヴェルはこの話を断り、パリに踏み留まるのでした。

その後もパリ音楽院で学び続けるラヴェルでしたが、1898年にガブリエル・フォーレが作曲の教授に就任すると、彼の講義にも強く関心を示し、フォーレの下で作曲を学んでいくのでした。

フォーレの講義を受けながら、音楽院では大きな出会いがあるのでした。それはドビュッシーとの出会いでした。フォーレと共にパリの音楽家が集まるサロンでドビュッシーと知り合う事になったようですが、ラヴェルは彼の音楽にも強く興味を持ち、その後も敬愛の念を持って接するようになっていきます。

そんな中、既にいくつかの作品を作曲していたラヴェルですが、この頃1899年24歳になると、ルーヴル美術館にある画家ベラスケスの描いた王女の肖像画を見て、これに触発されると、まずはピアノ曲として、現在でも彼の代表作と言われる「亡き王女のためのパバーヌ」を作曲しています。

こうして、新しい音楽に次々と接していくラヴェルは、この事が後の作風にも大きく影響を受ける事にるのでした。


パリ音楽院に入った当初はそれほど真面目に取り組んではいなかったようですが、ドビュッシーをはじめ、フォーレ、サティなど名だたる作曲家との出会いにより新しい音楽に出会っていくのでした。このつづきはまた明日。

【その他の作曲家の生涯はこちら】

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