御託専科

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「蛍・納屋を焼く・その他の短編」村上春樹

2009-12-19 08:14:02 | 書評
「蛍」という短編が「ノルウェイ」の元となっているとの話を聞き、注文してみた。「蛍」「納屋を焼く」「踊る小人」「めくらやなぎと眠る女」「三つのドイツ幻想」が収められている。
年代でいえば1982年から84年の作品で、エポックメイキングな「世界の終り・・」と「ノルウェイ」の少し前だ。

さて「蛍」。これはノルウェイの前半にきれいに対応する、というかほぼそのものだ。ただし短編だけにしゃれた会話だの井戸の暗喩などが出てこない。その分なにやら構造というか心情がすっきりと出ている気がした。死んだ友達の恋人が異常に饒舌にあれこれを語った、「僕」はそれに付き合っていたが遂に帰るつもりになった、すると彼女の半日に渡る饒舌はとまり今度は泣き止まなくなった。その夜彼女と寝た、その彼女は初めてだった、なぜ恋人とはなかったのかと聞いたがそれは聞いてはいけないことだったようだ。彼女は沈黙の中に入る。それで僕は翌朝あきらめて書置きをして去る。その後しばらくして彼女から精神病の療養所に入るとの連絡があった。そのあと蛍を放す場面が、村上らしい多義性・象徴性を含む形で記述される。

で、なんだか「ノルウェイ」の正体が判った気がする。これ、率直に言っていい加減なやつのアンニュイな(格好をつけた)自己正当化に過ぎないんじゃないかな。死んだ親友の彼女と寝ちゃいかんよ。それに寝た後の処し方もずいぶん冷たい気がするなあ。寝たあと、いくら相手が心を閉ざしているからと言って(時間的には付き合ったものの)さして言葉もなく去る。なんか情がないよね。

それだけじゃなくてご丁寧に「いろんなことがよくわからん」などというふざけた手紙を出している。相手が精神的な窮地にいるのにこれはなんだ。いささか適切でない、自己中心で甘えた行動である。こういうときは「強者」は凡庸なるものとして振る舞い、むしろ相手に自分を馬鹿にさせることで相手に一種の救いをもたらすべきなのである。凡庸な励ましを(嫌がられても)したりしてもがいて突破口を開こうとしたり、また手紙を書くなら凡庸な手紙を書いて馬鹿にされるべきなんだ。傷口に傷口をあわせてはならず、傷口には凡庸さというガーゼを当てるべきだ。自己中心でなければ考え付くことだと思うんだがなあ。

なんだが漱石以来の高等遊民(=生活が楽なので悩みでもないことを悩みにする人たち)の系列だねえ、こりゃあ。「ノルウェイ」が自伝的、ということはもしかしたら春樹氏は死んだ親友の恋人と寝たのかもしれない。そのことへの反省・反芻がこういう作品になったのか。かっこつけてるが自己弁護臭は強いなあ。

その他の短編。短編のせいか音楽や本の趣味を衒学的に示すことなく進んでいるので長編の気障さ、いやらしさはないな。そのせいか空気は春樹風というよりも安部公房風だったね。なんとはない不条理劇。笑ったのは「踊る小人」で主人公が美人をナンパして断られたりしてたこと(そこで小人に助けられる)。春樹様の小説では主人公には女のほうから寄ってきて、そもそもナンパはしない(ノルウェーではゲームでやってるが)。そういう中でナンパに苦労してるってのは面白いね、ハハ。

ドイツもの三作はわけがわからない。

注)その後「ノルウェイ」の直子(=「蛍」の彼女)は統合失調症の疎通性障害である、との指摘をしたブログを発見した。ああ、そうか、なるほど。統合失調症ならなんだか身に覚えがあるなあ。だからなんとなくハルキ様から離れにくいんだなあ、と妙に納得。
http://petapetahirahira.blog50.fc2.com/blog-entry-629.html