御託専科

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ナイトの不確実性 -あんまり振り回さぬほうがいいいっすよ

2009-12-06 22:33:59 | 時評・論評
ナイトの不確実性、ということを持ち出す人が多い。まあ昨年の金融危機におったまげて確率事象からはみ出たことが生じ、それを論議したのはそういえばナイトだ、ということで持ち出されるようだ。まずは定義とか論じられ方を見ておく。

Wikipediaより
「このタイプの最大の特徴は、第1や第2のタイプと異なり、確率形成の基礎となるべき状態の特定と分類が不可能なことである。さらに、推定の基礎となる状況が1回限りで特異であり、大数の法則が成立しない。ナイトは推定の良き例証として企業の意思決定を挙げている。企業が直面する不確定状況は、数学的な先験的確率でもなく、経験的な統計的確率でもない、先験的にも統計的にも確率を与えることができない推定であると主張した。」

池田信夫Blogより
「ブラック=ショールズ公式でもわかるように、正規分布になっているようなリスクは、オプションや保険などの金融商品で(理論的には完全に)ヘッジできる。しかしナイトのいう不確実性は、そもそもそういう分布関数の存在しない突発的なショックである。それは誰も予想できないがゆえに社会に大きなインパクトを与え、危機管理を困難にすると同時に、企業の利潤機会ともなる。」

で、こう言う論議でいつも不満なのだが、通常の統計量であれば(ウィキペディアの言う第一、第二)不確実性がぐっと減るとか、ヘッジ可能とか随分無邪気に言っていることである。それから、サンプルが圧倒的に不足しているということも考慮にのぼらない。
まず後者からいえば、いまのような金融市場が出来たのはせいぜいここ50年ぐらい、資本移動の自由化が進んできた世の中、ということでは20年ぐらいのものではなかろうか。そういう世界でサンプルが不足しているのは全く否定は出来ない。あっさりナイトナイトといわず、統計量の不足を論じたり、あるいは別の読み方でアジアの金融危機などもクライシスに勘定するなどの工夫があってもよいのではないだろうか? なにやら知的な怠惰を感じさせる話である。
前者についても知的怠惰感は否めない。単純とされる統計量であるさいころだって、1回限りだとどういう結末があるかわかったものではない。ロシアンルーレットを想像すればわかるように、統計的処理とかヘッジができた話じゃあない。見る立場と捉え方によれば何でも不確実なものは不確実なんである。ベルカーブ現象であっても致命的なことは生じうるわけだ。その辺しっかりと考察した上でやってほしいねえ。それもしっかりやらずナイトナイトと軽々しく言っちゃあいけない。

ということで。ナイトナイトと軽々しく言う人はそれだけ軽薄、という意味においてナイトの不確実性は役に立つ指標だと思う(笑)。