御託専科

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そういえばカタストロフィ理論って最近聞かないね

2009-12-07 06:17:57 | 時評・論評
直前に、ナイトの不確実性を振り回すやからを批判したが、考えてみると昔もうちょっとましなカタストロフィの理論、ってのがあった気がする。と思ってWikiをみたら以下のとおり
「カタストロフィー理論(または、カタストロフ理論、Catastrophe theory)は、力学系の分岐理論の一種を扱う理論。不連続な現象を説明する、画期的な理論として一時注目をあび、さかんに研究、議論された。」
うん、もはや過去形だ。さびれた感じ。70年代から80年代あたりの流行のようだ。ぼくも確かサイエンス社の本を買った記憶がある。

さて、このカタストロフィの理論を使ったリーマンショックの説明がそういえばさっぱりないなあ。アンチ正規分布の親玉タレブもカタストロフィは触れていないし。でも、「人間行動や経済現象の本質的な要素は変わらないのだが、それを市場証券価格に換算する関数が変形し、大きな崩落につながった」といった解説は随分リーズナブルなんだがなあ。

例えば、おわんの中で行ったりきたりしているビー玉があるとする。ビー玉の動因は人間の行動でありファンダメンタルであるとする。高さを証券価格であるとしよう。行ったりきたりして平和に暮らしていたのだが、おわんが傾いた、あるいは変形してふちの高さが低くなったりすると、ぽんと飛び出してビー玉は暴落する。そんなイメージである。

まあこれは例だが。昔は対象の現象を理解するのに①根本の動因と②それを対象の現象に変換するメカニズム につき頭を悩ませたものである。それこそが経済を構造的に理解すると言うことであった。それがマネタリズムや合理的期待以降、なんだか時系列解析みたいなことになったり先見的・超人的予見力を経済主体に持たせたりして、経済主体の行動や相互関係に関する地道なエンジニアリング的積み上げを馬鹿にするようになった。たぶんそのせいで知性が退化したんだろう。あれだけ研究の対象になりそうな事件があったのにナイトナイトと振り回すバカどもが跋扈するんだもんなあ。フリードマンの大罪はここにもありだな。

9日追記:ビー玉がだんだん大きく重くなった、と言うのはいい記述かもしれないな。経済の諸制度の枠組みの中で動いていたビー玉が、重く大きくなって茶碗と言う諸制度を軋ませるようになり、遂には茶碗を倒して外にでてしまった、と言うのは面白いのでは? このアイデアあげるから誰か煮詰めてちょうだいな!