◆娘・瞳の詩やエッセイが詰まったHP
『烏兎匆匆(ウトソウソウ)』月日が経つのは早いもので、娘の瞳が25歳で私達のもとを去ってこの8月1日で10年目になった。
25歳のままの瞳が私の心の奥に深く刻み込まれていて、時折り微笑んだり、また寂しそうな顔で私の目の前に現れる。
『去る者は日々に疎(ウト)し』という様に、亡くなった人は年月が経つにつれて徐々に忘れられていくものである。
それでは可愛そうだと、瞳がみんなの記憶から消えない様にと、私は娘を題材にした詩やエッセイを書き続けてきたが、今回で250作目になった。
『十年一日』自宅横の川は、瞳が亡くなって以来ずっと何事も無かったかの様にとうとうと流れているが、私は川の流れに合わせていられない。
なぜなら詩やエッセイをずっと書き続ける為には、紆余曲折に満ちた人生を歩んでバラエティに富んだ感性を磨かなくてはならないからだ。
『未来永劫(ミライエイゴウ)』私の命が続く限り、瞳が生きていた25年分の記憶の糸をたぐりながら、ずっとずっと思い出を紡いでいきたい。
それが亡き瞳への供養になるから…。
※烏兎匆匆=月日の過ぎるのが早いさま。「烏」は日の事で「兎」は月。「匆匆」は慌ただしいさま。
※未来永劫=これから未来にわたる、果てしなく長い年月。