チョイさんの沖縄日記

辺野古や高江の問題等に関する日々の備忘録
 

多くの法的不備にもかかわらず、県は評価書受理を表明。怒りの知事交渉!

2011年12月29日 | 沖縄日記・辺野古

 28日(水)午前4時に評価書が運び込まれたという知らせに、あわてて県庁にかけつけた。朝7時前、たった一人で泊まり込み、防衛局への抗議を続けたYさんから、その一部始終の報告を受ける。

          (評価書が持ち込まれた守衛室)

 午前7時半、県庁前広場で怒りの決起集会。ただちに県庁4Fの生活環境部、そして、評価書が持ち込まれた守衛室等に別れて座り込み態勢に入った。

 我々市民グループは、評価書が守衛室から運ばれて受理されるを阻止するため、生活環境部の前の廊下に座り込んだ。同時に、県会議員団が、県当局と交渉に入る。このころは、まだ、県当局は、「今回の手続きには不備がある」と表明していた。

 1Fの守衛室の前には、評価書を動かさせないと、平和運動センターの労組グループが座り込んだ。午後からは、市民グループもここに合流した。

 また、不足分の評価書が持ち込まれるかもしれないということで、通用口付近でも、防衛局の車が来ないかと監視体制が続けられた。

 県選出の国会議員ら(糸数、照屋、赤嶺、山内議員)は、午前7時から守衛室に詰め、評価書が動かされないよう監視を続けた。まさに闘う沖縄の国会議員、本土の議員とはくらべものにならない行動力だ。

 午後、県選出国会議員団らは、今回の未明の評価書提出に対して、「あまりにも卑劣、姑息で、強い怒りをもって抗議する」、「今回のやり方は、関係法令に照らしても無効だ」という緊急声明を発表した。この声明には、自民党の島尻議員は名前を連ねなかったが、下地議員をはじめ、民主党の2人の議員も賛同表明している。

 夕刻まで懸命の取組が続いたが、県は、評価書を受理するという最終見解を出してしまった。午後5時半、県庁1Fロビーで抗議集会。未明、たった一人で抗議活動を続けたYさんが、涙ぐみながら、すっかり嗄れてしまった声を振り絞るように、「知事室に抗議に行こう!」と訴える。議員団からも、「知事が評価書の受け取りに当初から反対していれば、防衛局のこんなひどいやり方はあり得なかった。知事はもう辞めるべきだ。」という怒りのアピールがだされた。

 集会後、平和運動センターの労組グループは、守衛室の評価書の監視に残ったが、我々市民グループと、統一連のメンバーら約150名が6Fの知事室に向かった。入口付近で、制止しようとする職員らと、しばらくもみ合いが続く。

 市民らは、整然と廊下に座り込み、「知事が出てくるまで動かない」と通告。

 秘書課長が出てきて、「公室長が代表者数名となら会う」と言ってきたが、もちろん拒否。

 1時間半ほどのやりとりの末、市民らの怒りの声に、もう逃げられないと思ったのか、仲井真知事がとうとう顔を見せた。市民らの抗議行動が知事を引っ張りだしたのだから、これは画期的なことだろう。

 知事は、「(評価書については)同じ行政組織としては、きちっと事務的に処理をしていくという段階に入らざるを得ないと思う。」と、数々の不備にもかかわらず受理を表明、市民らから「おかしい!」などの怒号があがる。それでも、埋立申請については、「基本的に県外という公約の立場で対応する。」と表明した。このとき、一部の市民らから拍手がおこった。

 知事が埋立申請を「承認しない」というのは、この日の朝刊でも大きく報道されていたことだ。今夜の知事との直接交渉の目的は、何故、評価書を受理するのかということだったはずだが、時間の制約もあり、十分な追及ができなかったことは残念だ。

 午後8時すぎ、県庁1Fロビーで、この日の総括集会。幹事会の相談の結果、ひとまず3日間の闘いを終結すると報告された。「えー! もう諦めるの?」と納得のいかない思いで帰途についた。

 

 

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