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チョイさんの沖縄日記

辺野古や高江の問題等に関する日々の備忘録
 

南城市長選、端慶覧さんが勝った! // 西原博史先生の訃報 // 23日(火)は稲嶺市長必勝総決起大会に結集しよう!

2018年01月22日 | 沖縄日記・辺野古

 1月21日(日)の南城市長選、深夜まで開票速報にかぶりついていたが、端慶覧さんの勝利にそれこそ歓喜した。古謝市長はチーム沖縄のリーダー、端慶覧さん勝利の意味は大きい。市議会の構成など、これからも大変だろうが、端慶覧さんならきっとやってくれる。

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 1月22日(月)、朝から原稿書きに追われていると、西原博史先生(早大)の突然の訃報が入ってきた。なんと、高速道路で事故を起こし車から出たところ、後続のトラックにはねらてしまったという。あまりのことに言葉もない。

 西原先生と初めてお会いしたのは25年も前のことだ。1986年、私は京都で、小学校の卒業式・入学式で「君が代」を強制することは精神的自由の侵害だとして267名の原告団で「君が代」訴訟を起こした。裁判そのものは、1999年の最高裁判決で決着してしまったが、この訴訟は「君が代」の強制を憲法に問うた初めての訴訟として大きな注目を集めた。40代の10年間は、この「君が代」訴訟に全力を傾注したものだ。

 「君が代」訴訟をどう進めるかと模索していた時に、西原先生の『良心の自由』という本を見つけた。これは裁判でも重要なポイントになると考え、すぐに手紙を出したところ、先生は弁護団・原告団との学習会のために京都まで駆けつけていただいた。その後、先生の、「君が代」強制についての学問的検証の成果は、高裁に提出された「『君が代』と憲法19条」と題した鑑定書としてまとまっている。今日の訃報で初めて年齢を知ったのだが、当時、先生はまだ35歳だったというから驚く。

 その後、先生は、各地の「君が代」処分の裁判にもかかわられるとともに、第1次安倍内閣で強行された教育基本法改悪に対しても積極的に発言された。当時、私も教育基本法改悪反対全国連絡会の運動で何回も国会に駆けつけた際に、先生とも何度もお会いすることができた。

 まだ、59歳だったという。あまりに早すぎる。まだまだこれから活躍していただきたかった。心からのご冥福をお祈りしたい。

 

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 1月21日(日)は沖縄平和市民連絡会の行動日だった。45名が辺野古の浜のテントに集まり、東海岸の二見以北の集落をまわった。

 

 

 

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